カテゴリー: ア行



鞍馬天狗敗れず


何故、今 鞍馬天狗なのか。
大佛次郎という明治生まれで、40年近く前に亡くなった方の本が、しかも鞍馬天狗なら連載ものだろうに何故この一冊だけがこの近年になって出版されたのか。

この本は生麦事件の騒動直後が舞台となっている。
生麦事件とは日本史の復習になってしまうかもしれないが、幕末に薩摩の島津久光の行列に騎馬の英国人が闖入したのを薩摩藩士が切って捨て、それが元で外交問題に発展し、英国は40万ドルという法外の賠償金を幕府に求める。
肝心の薩摩はそれは「岡野新助」という架空の人物を仕立てあげ、彼がやったことで、行方不明だからと幕府を無視。
幕府はとうとうその支払いに応じてしまう。

そんな背景の中のお話。
鞍馬天狗は自分が岡野新助だと名乗って、他の英国商人がアヘンを扱っているのを知り、その商人を樽に詰めて海に浮かべてしまう。
その商人を「黒ひげ危機一発」の黒ひげオヤジよろしく樽から首だけ出した状態で身動きの取れない憐れな姿にした上で、アヘンを扱っていた証拠品を岸辺に並べるばかりか、幕府の現地を差配する外国掛りの役人にも送りつける。

これで英国から言われる一方ではなく、向こうへも抗議を呈する下準備をしてあげたわけだ。

岡野新助を名乗る天狗が外国掛りの責任者に言う。
何故、抗議をせぬのか、と。
アヘンを扱っていたのは生麦で切られたのと同じ英国商人だぞ、と。
相手に直面している責任者が臆病風に吹かれて、一歩事を誤ったら、日本の歴史上取り返しがつかぬぞ、と。
信念を持て!
現状を無難に乗り切ることを考えずに日本の末始終を考えて行動しろ、と。
一度、膝を折れば何度も折ることを繰り返さざるを得なくなるぞ、と。
如何なる場合にも国の威厳を損じるな、と。
命を叩きつけるぐらいのつもりで談判してみよ、と。
さすれば必ずその至誠は人を動かす。
敵の軍艦を恐れるな。大したことは敵も出来ぬ。
大砲をぶっ放したところで手持ちの砲弾が尽きればお終い。
上陸戦どころか上陸すら出来ないはず。
恐れるには至らない、と。

ところがその役人は英国へ抗議するどころか、反対に岡野新助を名乗る男を捕えようと懸命になる。

まるで昨年秋の事件と似ているではないか。
尖閣での一連の事件。
あろうことか、首脳会談を開きたいばかりに尖閣ビデオを流出させた国士を捕えようとし、相手に抗議をするどころか、肝心の首脳会談では手持ちのメモを読むのに精いっぱいで始終俯いたまま、相手の顔を見ることすら出来なかった、もはや外交とも言えぬ国の恥を世界にさらしてしまったあの一連。
40万ドルで結着させた幕府どころの話じゃない。
その恥ずべき人もようやく辞めるハラを決めたようだが、あれほどひどいことはないにせよ、彼を総理大臣にと投じた同志の誰かが代わりを務めるわけだ。
まぁ当分、期待するには当たらない。

むろん、大佛が生存していて今の民主党政権のうすら寒さを見て書いたわけではもちろんない。
もっとはるか以前に書かれている。

ただ、今これだけを引っ張り出して出版した側には何らかの意図があっただろう。

上の天狗の現地責任者に対する物言い、何かまるで櫻井よしこさんが民主党政権に一言ブッっているかのようだ。
いやあの方々の政権じゃ、さすがの櫻井さんだってあきれてモノ申す価値にも至ってないか。

この本を出版したのは丁度、前政権が誕生した頃。
だから、何か意図があったとしてももっと前の政権に言いたかったはずで、思い当たるのは、あの何事にも他人事の言い方をしていた福田何某か。

洞爺湖サミット中国の毒入りギョウザの一連対応に関しても、チベット問題に関しても何ら抗議はおろかコメントすらせず、温暖化対策をしない国相手に日本の温暖化対策を約し、この期に及んでまだODAだの、と約すあの無責任他人事総理あたりの時にカチンと来たのではないだろうか。

この手のことは前政権あたりからもう手の付けられないほどにひどいことになって行くのだが・・。

大佛次郎が存命なら、もはや呆れてモノなど書けぬと言い出しかねない。

元へ戻すが、「鞍馬天狗敗れず」というタイトルながら、結局この物語で天狗は「勝ち」は決してしていない。
負けに近いが「敗れず」だった、ということだ。

どのあたりを持って「負け」なのかはさておき、せめて「敗れず」であって欲しいものである。

鞍馬天狗敗れず  大佛次郎 著 大佛次郎セレクション



バイバイ、ブラックバード


同時に5人の異性と付き合うなどということは女性ならいとも容易く出来てしまいそうだが、男にはなかなかそんな器用な事は出来そうにないが、この主人公ならわからなくもない。

全く悪意でもスケベ心でもなく、どの女性が本命でその女性がアソビだった、というような無粋な話でもない。
どの女性とも自然にお互いが親しくなりたいと思い、自然に親しくなっていった結果、自然といつの間にか五股になっていたみたいな・・・。

この主人公、とてつもなく優しくていいヤツなのだ。
だからこそ、自然にそうなっていておかしくはない。

何かは最後まで不明だがとんでもない踏んではならない地雷をこの男は踏んでしまったのだろう。
「あのバス」というのに乗せられてどこかとんでもないところへ連れて行かれるハメになる。
「あのバス」はマグロ漁船など比べ物にならないほど恐ろしい乗り物らしい。
乗ったが最後、まともな人間の姿で帰って来たヤツはいないのだとか。
行き先はベネズエラなのかそのベネズエラのギアナ高地にポツンと置かれるだけなか、さっぱりなのだが、とにかく人間を人間として扱ってもらえない場所らしい、ということだけがわかっていること。

その「あのバス」の組織から遣わされたのが、女としては破格に大柄で(ウソかマコトか本人曰く身長180cm、体重180kg なのだという)柄が悪く目つきも悪いまるで怪獣みたいな繭美という名の異世界人。

黙って去るわけには行かないという男の意向が受け入れられて「あのバス」の出発までの日数を使って、五股の女性一人一人にその繭美と共に別れを告げに行く。

そんな一人一人との別れが一話ずつ短編として繋がって行く。
そしてその一話一話がきれいな話としてまとまっていて、別れるはずなのに、実際に別れることをそれぞれの女性も納得しながらも、もっとその男を好きになってしまいそうな、そんな話が並んでいる。

そんな物語である。

この本の帯には「太宰治の未完にして絶筆となった「グッド・バイ」から想像を膨らませて創った・・」とあるのだが、どうだろう。
膨らませるたって、全然違うだろう。
太宰の「グッド・バイ」の主人公の男はもっとタチの悪いヤツだったはずだ。
しかも10人もの女をスケベ心だけでたらし込んで、愛人として養っていたりする。

グッド・バイを言いに行くというところだけが共通点か。

帯にはもう一行。1話が50人だけのために書かれた「ゆうびん小説」などと書いてある。
これの意味が分からなかったのだが、聞いてみると応募して来た人に抽せんで50人に一話、一話、を送る形式の「ゆうびん小説」なのだそうだ。

これって通しで読まなくて、途中の一話だけ送って来られたらそれこそ、続きやら、この前の話は?と、溜まらないんじゃないのだろうか。

その250人は単行本になった時点で真っ先に買いに走ったんだろうな。

それにしても一冊にしてくれて良かった。

消化不良ほど健康に悪いことはない。

バイバイ、ブラックバード  伊坂 幸太郎 著 双葉社



阪急電車


なんとも身近な阪急電車をタイトルに冠していながら、本に登場するのは阪急電車の沿線のなかでも最も馴染みの無い今津線。
そりゃまぁ、厄神さんへ行く時以外にもたまには乗るけどね。

この物語、今津線の宝塚から宝塚南口、逆瀬川、小林、仁川、甲東園、門戸厄神、西宮北口までの7区間、8駅を南へそして北へと往復する。

宝塚駅から宝塚南口駅の間の川って武庫川だったのか。
全然気にしたことが無かったから知らなかった。

阪急沿線をご存じない方にはなんのこっちゃだろうけど、阪急神戸線が武庫川を渡るんですよ。
阪急乗車人口の9割方、阪急沿線で武庫川の近くの駅と聞けば阪急武庫之荘駅と思うだろうな。

宝塚の図書館で見かける自分のタイプの女性がたまたま同じ車両のしかも隣に乗り合わせ、宝塚駅を出てすぐにあるその武庫川の中州に「生」という大きないたずら書きに見える字を彼女が見て、「ナマ」だという。
「生ビール」を即座に連想したのだという。

タイプの女性だけに無視などは当然せずに「生きる」「生」を連想したことを男は告げる。

震災後の今なら誰しも「生きる」「生」の方を連想するだろうが、個人的には「生ビール」を連想する彼女は素敵だと思う。

そんなこんなでこれまで見かけただけの男女が車内で気軽に話す仲になって行く。

その様子を見ていたのが、婚約者を寝取られてその意趣返しとばかりに花嫁よりもはるかに華麗な白いドレスで披露宴に出席した女性。

また、それを見ていたのが・・・と一話一話が途切れずに次へ次へと登場人物を変えてリレーされる。

そのリレーが南から北への復路では同じ登場人物のその後にバトンタッチされて行く。

東京の電車で乗り合わせた人同志が会話するなんてことはそうそうないし、大阪でも地下鉄御堂筋線など乗っていて、そんな場面にはなかなか遭遇しない。

もちろん阪急電車だってそうそう知らぬ者同士が会話を始めたりなどということは起こらない。

それでも、稀にあったりする。

大阪の環状線やら阪和線やら南海電車なんかでは喧嘩沙汰でのやり取りが多かったりするのが阪急電車の場合はちょっと違うような気がするのは自分がその沿線に住んでいるからという思い入れだろうか。

社会の窓が開いたままなことに気がつかなかったサラリーマンに目線だけで 「ほれ、そこそこ」 と教えてあげるおじさん。
座った座席の隣にとんでもない酔っ払いが座ってからんで来たりした時、そちらへ向き直ろうとした矢先、膝をコンコンっと反対側から叩く人が居るのでそちらを向き直ると、首を横に振って、「やめときなよ」と声にも出さずに制止してくれるおじさん。

もちろん、会話などでもなんでもないのだが、何か優しい声を聞かせてくれた気がしたりする。
これが阪和線とか環状線、近鉄、南海だと、喧嘩なら見物してやるぞ、大いにやれやれ!と囃したてるわけでもないが、それに近い雰囲気を感じたりするのはその電鉄の愛好客が読まれたらさぞご立腹かもしれませんが、案外本音だったりしません?

さてこの「阪急電車」の登場人物の中でも最も光っているのが、孫を連れた時江という女性。
孫に甘い顔をするどころか、結構手厳しかったりする。
有川浩の作品なので愛情満点なのは言うまでもないが・・。

婚約者を寝取られた意趣返し女性をみて一目で「ワケ有り」とわかったのだろう。
「討ち入りは成功したの?」と声をかける。

初対面でしかも車内でそんな言葉をかけることなどまず無いだろうが、彼女には孫を巻き込まないで大人の会話に持ちこんでしまえ、という思いがある。
「気が済んだところで会社を辞めなさい」
ここまで踏み込める人も踏み込まれる人もそうそういない。

そうかと思えば、結婚式の招待客が白はおかしいと彼女に言われても意味のわからない彼氏は常識を彼女に説かれるに連れ、怒りが爆発し、電車の扉を蹴り初めて、最後は目的地前で彼女を放って下車して行く。

あまりの傍若無人な態度を見た時江女史は、 「下らない男ね」 「やめておけば。苦労するわよ」 とばっさり。

そう、この老婦人は人の人生まで車内の一言で変えてしまうほどの雰囲気を持ち備えている。

車内で香水プンプン。大きな声で騒ぐ高級オバタリアン軍団にも一喝を入れてしまう。

そう。マナーが悪いのは決して若者の代名詞などでは無い。

キャーキャー騒いでいて車内マナーも守らんと、と大人から白い目で見られているような女子高生達が案外、転んだ人がいれば、「大丈夫?」と声をかけていたりする。
マナーを守っているはずの常識人っぽい大人達ではなく。

この本で阪急電車は「カブ」を上げただろう。 売買する株式の株ではなく。

阪急今津線に毎日乗っている人にはたまらない一冊だっただろうな。
その中でも阪急沿線に住む者でも滅多に思い出せないようなマイナーな駅の 「小林駅」が最もカブ を上げている。
この本を読んだ人なら、小林駅で一度は降りてみたいと思うのではないだろうか。

ちなみに「小林」と書いて「オバヤシ」と読むのですよ。
訪れる際には頭に入れておいた方がいいでしょう。

下手したら乗り過ごしてしまいます。

阪急電車  有川 浩 著  幻冬舎