カテゴリー: ア行



てふてふ荘へようこそ


短編と言えば短編だが、話は全部続いている。
一号室から六号室まで。
一編目に入る前にアパートの見取り図がまずある。

敷金・礼金:無し。家賃:月一万三千円。間取り:2K。管理費:なし。
この物件に大学卒業後、就職先が見つからず、親からも仕送りが途絶えた一号室へ入居する主人公は飛びつく。

家賃一万三千円にはさほど驚かない。
かつて家賃5千円のアパートに住んだこともある。
しかも舞台は地方都市だというではないか。

しかしながら、「敷金・礼金:無し」ということは現状復帰費が無いということで、前の入居者が壁に穴を開けていようが、扉の施業を壊していようが、直すつもりが無いということに他ならない。
もしくは大家がよほど借り手が無くて目先の金に困っているかどちらかだろう。
敷金・礼金無しどころか引っ越し代まで出してあげましょうなんて物件を見かけることもあるが、それこそ他所から移転させてでも空き部屋を減らそうとしか思えない。

しかも「管理費:なし」これは管理することすら放棄した、なんでもいいから月々1万いくらでも入るだけまし、という魂胆だろうと安アパートを引っ越し慣れをした人なら思うだろう。

あらためて見取り図を見ると一階に一号室から三号室があり、風呂、男子用トイレ、女子用トイレが有り、なぜか管理人室が玄関のすぐ右にある。
二階は四号室から六号室があり、男子用トイレ、女子用トイレと集会室があってそこにはビリヤード台がある。

管理人が居て管理費がゼロ。

しかも意外なことに玄関も廊下も階段も掃除が行き届いていて、風呂もトイレもピカピカに掃除されている。

そう。安いのには別の理由があった。

一号室から六号室の全ての部屋に地縛霊が居るのだった。

その霊達はそのアパートのその部屋で亡くなったというわけではないのに何故か、それぞれその部屋に地縛されている。

この一篇から六篇まで、それぞれの部屋の店子とその部屋のもう一人の住人である霊との暖かい関わりを描いている。

それぞれの店子達はそれぞれに何かコンプレックスを持っていたり、思い悩んだり、自信が無かったり、挫折しかかったりするところをその部屋の霊と同居することで、自信を取り戻したり、慰められたり、意欲が湧いて来たり、コンプレックスに打ち勝ったりして行く。

こんな霊となら一緒に住みたいわ、と思わせる霊と同居している。
例外の話もあるにはあるが。

丁度、そういう相性のいい霊を店子たちは入居の時に自ら部屋を見て選ぶのではなく、管理人が差し出した写真を選ぶという行為で部屋を選ばされたように選んでしまっている。
この霊たちもずっと一緒に同居してくれるわけではなく、同居人があまりに思い入れが強くなってしまって、霊としてではなく、特定の感情を持って霊に触れてしまうと、成仏してしまう。

一話一話が温かく、とても優しい話としてまとめられている。

乾ルカという人の本に出会ったのは初めてだが、いい本に出会えたなぁ、と思える本だった。

てふてふ荘へようこそ 乾ルカ 著 角川書店



オー! ファーザー


父と母と子供一人の家庭なのになぜか六人家族。

なんと四人の父を持つなんとも贅沢な高校生の物語。

四人の父親が同居している。
正確には母とその交際相手の四人が同居しているというべきなのかもしれないが、実際にこの母は四人の男と同時に結婚をし(籍は別だが)、四人はそれぞれで納得ずく。
この四人の仲が険悪なら(普通は険悪だろう)この子供は毎日がいたたまれないはずなのだが、性格も見た目もまるで違うこの四人の仲が良いのだ。

それに主人公である由紀夫という息子を皆が愛し、自分の息子だと思っている。

普通に考えてしまえば、ご近所から見れば同時に四人の愛人と同居する女性とその息子。ウワサになったり冷ややかな目で見られて育ってしまうのだろうが、ここではそうではない。
それはこの四人があまりに堂々としているからかもしれないが。

・大学教授で物知り、常識人の父。
・バスケットボールの名手で武道にも長けている人で熱血中学教師の父。
・ギャンブルのことならまかせとけ、というギャンブラーで地元の裏社会を牛耳っている人にも繋がりのあるの父。
・初めて出会った女性とあっと言う間に打ちとけてしまえる能力を持つ、女性にモテモテの父。

こんな四人のいいところばかりを引き継いだら、どんな息子が育つのか。
バスケットボール部では先輩よりうまく喧嘩も強く、勉強も出来て、勝負強くて、女の子にもモテる、とんでもないスーパー高校生の出来あがりだ。

悪いところばかりを引き継いだとしたら、
ネクラでありながら空気が読めない熱血漢で女たらしでギャンブル好きの高校生。
なーんてことになるのだろうか。

実はこの本にもサン=テグジュペリの人間の土地からの引用がある。
「自分とは関係がない出来事に、くよくよと思い悩むのが人間だ」
作者はよほどサン=テグジュペリに思い入れがあるのだろう。

この本、2006年から2007年まで地方紙に連載されたものなのだとか。
それが単行本になったのが2010年だからかなり間が空いている。
作者にはその頃「何かが足りなかったのではないか」という思いがあったからだという。
いやぁ、単行本化されて良かったでしょう。
こんな楽しい本。

それにこの四人の父親達は息子の窮地を救うために不可能を可能にする作戦をやってのけてしまう。
四人が協力して知恵を出し合えばどんな不可能なことでさえ「やれば出来る」になってしまう。

将来の心配ごとがあるとすれば、30年後か40年後だろうか。
それぞれが介護を必要とするような老人になった時、さぞかし由紀夫君は大変なのだろうなぁ。
それでもやっぱり「やれば出来る」!かな?

オー!ファーザー 伊坂 幸太郎 著 新潮社



密やかな結晶


ものすごく怖いお話なのに、小川洋子さんはたんたんと書き進めて行き「怖い」という雰囲気を払拭してしまう。

舞台となる島では、これまで日常普通にあった物が「消滅」してしまう。
消滅が有った朝、川にはその「物」が投げ捨てられ、「物」そのものが無くなるだけで無く、人の記憶からも消滅してしまう。
そしてそれら消滅させた物隠し持っている人間を秘密警察は捕まえ、物を持っているだけでなく、記憶を持っている人たちまでも秘密警察は捕えようとする。

「消滅」はこの島の統治者側の決定事項らしいのだが、最初のうちは生活に身近なもの、特に何ら目立つようなものでもない生活品がその対象となる。リボンが消滅し、鈴が消滅し、エメラスドが、切手が、香水が消滅する。
そうした人間が作った物ばかりか、ある朝は鳥が消滅し、バラの花が消滅する。
その消滅する物で商売してした人なども当然いるわけなのに、そうした人たちは当たり前のように違う仕事にありついて、それを当り前のように過ごしている。

統治者側がそれらを消滅させることでどんなメリットがあるのかさっぱりわからないのだが、消滅指示は次から次へと続いて行く。

消滅があってもその記憶が鮮明に残っている人と消滅を受け入れてその物があったことすら思い出せなくなる大半の人。

ある朝は写真が消滅の対象にされてしまう。
写真には数々の思い出が詰まっているだろうに、消滅を受け入れてしまう人にはもはやその写真の思い出などにも何の感慨も覚えなくなってしまう。

主人公の女性は小説家なのに、ある日小説も消滅してしまう。
島の至る所で本が焼かれ、島の至るところで焚き火のあかりは夜を通り越して朝まで続く。

この消滅という事柄はどう受け止めればいいのだろう。
人には自分にとって都合の悪いことは無かったことにして記憶からも消し去ることが出来たりする。
その極限の世界なのだろうか。

文庫の解説は井坂洋子さんが書いておられた。
本が焼かれる焚書、秘密警察から逃れようと隠れ家に住む人たちを捜し連行する姿をナチのユダヤ人狩りになぞらえ、隠れ家に住む人たちをアンネフランクのような人たちになぞらえる。

なるほど、そういう読み方もあったのか。

自分はこの不思議な、そして非現実と思われる世界は実は実世界のある局面の誇張なのではないだろうか、などと思いつつ読み進めていた。

そして自分の失った物と失った記憶とはなんだろう、と思いを馳せたのだった。

密やかな結晶 小川 洋子 著   講談社文庫