カテゴリー: ア行



AX アックス


伊坂幸太郎の作品には何度か殺し屋が登場する。
今回登場するのは通称「兜」という殺し屋。

外では恐いもの無しの男が、家へ帰ると、そこまでして恐れる必要がどこにあるのか。と思うほどの極端な恐妻家。

何が食べたいと聞かれて「なんでもいいよ」という回答は一番いけない。
手がかからない、簡単にできそうなものをセレクトして回答する。
そして作ってもらった料理はどんな味でも一口でやめてはいけない。

相手の話には常に大きく相槌を打たなくてはならない。

「怒ってる?」と訊ねて「別に怒ってない」と答える場合は、基本的に「怒っている」。

会話はまず「大変だね」から始める。

という具合に妻を怒らせないためのマニュアルまで作り上げる。

妻に突っ込まれそうになるたびに息子がうまく助け船を出してくれたりする。

逆に息子からしてみれば、なんで母親にだけはあんなに卑屈になるのか、と疑問でならない。

この男、殺し屋稼業をもうやめようと思っているのだが、仕事を仲介してくる医者がなかなかやめさせてくれない。

このAXでは押し屋、檸檬、蜜柑・・などの別の伊坂本に登場した殺し屋たちの名前も登場してくるので少しうれしくなる。

途中まで読んで、どうも以前読んだことがあるような気はしていたが、類似の作品かもしれない、と読み進み、深夜デパートにデパートに来たシーンあたりでは既にその続きを知っていた。
最後近くのボーガンのシーンではっきりと蘇った。どのシチュエーションで読んだ本なのかをはっきりと思いだした。
蟷螂の斧あの時に読んだ本だ、と確信した。

そうだ。「蟷螂の斧」を所詮カマキリだなどと甘く見てはいけないのだ。
それをこのシーンではっきりと思い出した。

この男、殺し屋という物騒な商売をなりわいとしながらも、家族思いで、ひたすら優しい男の話なのだ。


AX アックス 伊坂幸太郎著



死に神のレストラン


「ほっこり・じんわり大賞」受賞作とのことで読んでみました。

死に神のレストランって響きが悪い気がするが、そんな恐ろしいところではない。

不慮の死をとげ、この世にまだ思いを残している人がその店に入ることになっている、あの世とこの世の間にあるレストラン。

さすがに「死に神のレストラン」では響きが・・となったのか文庫版では「神さまのレストラン」に改題されたとか。
実は別物を私が勘違いしているだけかもしれません。

事故死の人の場合、その死者はまだ自分の死を受け入れていない。

婚約者とちょっとした喧嘩で結婚破棄を一旦口にしてしまった女性が、やはり仲直りをしようと彼のところへ向かう途中で事故死してしまう。

このレストランで一品だけ思い出の一品を注文することで、自暴自棄になった彼のところへ赴き、生きる元気を与えて帰って来てこころおきなく旅立つことが出来る。

そんな小編が何篇か。

ちょっと心が温まるような作品が掲載されている。

確かに「ほっこり・じんわり」にふさわしい。

不治の病を宣告された人なら、覚悟はできているかもしれないが、不慮の事故で亡くなった人の大半は何某かの心残りを残したままなんだろうな。
となるとこのレストランいつも満員御礼じゃないか、などと全然「ほっこり・じんわり」にふさわしくない感想を持った私の眼は曇っていること間違いない。

死に神のレストラン 東万里央著



愛なき世界


三浦しおんさんと言う人、いろんな事を探求される方だ。

男の祭りにスポットをあててみたり。広辞苑を作る人にスポットをあててみたり・・。
たぶん誰も書いていない分野を開拓してみたい、知ってみたい好奇心に溢れていらっしゃるのだろう。

今度はとうとう植物だ。
植物にまで手を拡げて来たか。

正確には植物を研究する研究者にスポットをあてたわけだが、植物の研究などと言う地味な分野、果たして読み物になるのだろうか、などと余計な心配は杞憂に終わる。
人物を描写が絶妙な人なので、扱う題材が珍しかろうが、地味だろうが、なんでも楽しく読ませて下さる。

主人公はおそらく東大と思われる大学のすぐ近くにある洋食屋で働く青年。
彼が一目惚れをしてしまうのがその大学の植物学の博士課程で研究する女性。

その女性の研究対象が「シロイヌナズナ」という植物。
葉っぱはどうして一定の大きさ以上にならないのだろう。

そんなことを疑問に思う人はそうそういないだろうが、そういう事を疑問に思う人たちがいるから、自然界の謎が一つ一つ解き明かされて行くのだろう。

恋愛の話では男が女の気持ちに鈍感、というのが通例だと思うが、この研究者の場合は逆だ。彼女は洋食屋のお兄ちゃんのことは嫌いではない、むしろ好きな方だと思うが、彼女の方が男の気持ちに鈍感なのが面白い。
むしろ、それだけに彼の方も立ち直りが早い。

今、ちまたのニュースで聞かない日はない「PCR検査」。

この本には何度も「PCR検査」という言葉が登場する。

変種の遺伝子を配合させてさらにその種どうしを配合させてさらに・・と途轍もない労力をかけて最後の最後に使うのが、そのPCR検査。

今、ニュースで聞くPCR検査とおそらく同じものなのだろうと思う。

そんな研究者が最終手段で使うような検査を毎日毎日、全員やれだのとニュースで流れているのか。

こういう研究者たちはどんな思いでそのニュースを聞いているのだろう。

ちょっと、気になってしまった。

愛なき世界 三浦しおん 著