カテゴリー: ア行



霧笛荘夜話


波止場の運河のほとりにその建物はある。
別にそこを訪ねるつもりは無くても人目を避け闇を求めて歩けば自然とそこにたどり着く。
そんな立地だからこそ集って来たのではないかと思える住人が住む。

石段を五六段降りた半地下と中二階の建物。中の空気は湿気っている。それが霧笛荘と呼ばれる建物で、纏足の婆さんが大家として部屋を紹介してくれる。

「港の見える部屋」
 の千秋はひたすら死に場所だけを求めて霧笛荘にたどり着く。

「瑠璃色の部屋」
ギターリストをめざして上京した四郎。
実際にはその一歩目さえも踏み出せないでいる。
親に内緒で送り出してくれた姉への想いがせつない話です。

「朝日のあたる部屋」
やくざといえるのかどうなのかわからないぐらいにくすぶったやくざの鉄夫。
兄貴分の言い分を素直に信じて人の罪を被って何度も塀の中へ入っている。
塀の中のお勤めを終えても出世が待っているわけでも無く、全くの疫病神扱い。
そんな鉄夫が誇れるのは「カンカン虫」と呼ばれる船の汚れ落としの作業。
船に張り付いての作業で相当に体力を消耗する。
金が入り用になった時に鉄夫は得意の「カンカン虫」で金を稼ぐ。
くすぶり野郎でありながら、優しさは人一倍。
この短編の最期には泣かせられる。
ちょっとキャラクターは違うが「プリズンホテル」なんかにもそんな優しい、そして時代にそぐわないやくざが登場したように思う。

過去を全て断ち切って、捨て去ってそこで全く別人格として生きている人達の部屋。

「鏡のある部屋」
全く満たされないことなどこれっぽっちもない生活をおくりながらもあるきっかけで過去をすっぱりと捨て去り、名前さえ捨て去った眉子という女性。
自分探しの旅に出たものの・・と言ったところでしょうか。
他の部屋の住人もそうだが、一見投げやりな態度を取りながらも人への面倒見がいい。

「花の咲く部屋」 「マドロスの部屋」
花の咲く部屋のオナベことカオルとマドロスの部屋のキャプテン、この二人の物語が一番心に残ります。
オナベといえばオカマの反対でしょうか。女性でありながら男装をし、男には興味が無く、ホストのように女性から愛される職業?そういう役回りか。
カオルという人も眉子と同じように過去を捨て去ったのですが、それは眉子のような動機ではありません。
ほとんど最終的にはそうするしかなかったのではないか、と思えるほどに悲しくも辛い過去を背負った人なのでした。

マドロスの部屋のキャプテンはもっと凄まじい。
特攻で死んでいるはずの命。
神風特攻隊ではない。ボートなのです。両側に爆弾を搭載していなければ普通のボート。突撃命令を受けた時に手紙さえ出さなければ、と生涯悔やんでも悔やみきれない過去を背負います。
軍服を捨て去り、過去も捨て去り、自らの過去はマドロスだったのだ振る舞い、自らにもそう言い聞かせて生きる人。

「ぬくもりの部屋」
この霧笛荘に住む人は皆、辛い過去を抱えていますが男気といいますか、人への優しさは並大抵のものじゃない。
ましてやちょっとやそこらの金で釣られたりはしない。
大家さんである太太への優しい心配り。
人間として大切なものは何なのか、元銀行マンの地上げ屋は知ります。

霧笛荘夜話 浅田次郎著



終末のフール


寿命は3年後。それも自分だけでは無く世界の寿命があと3年後。
8年後に小惑星が地球に衝突する、それが発表されたのが5年前。
その後、地球上の至る所でパニックが始まり、食糧を求める人々、少しでも安全な場所へと移動を始める人々、犯罪は至る所で、先をはかなんで死んで行く人々、それらのパニックもようやくおさまり、ようやく安心して外を歩ける小康状態を迎えたのがニュース発表から5年経った残り3年というこの時期。

そんな設定で、仙台のヒルズタウンというかつての新興住宅地を舞台にそこに残って暮らす人々の生き様を描く。

8年後か。微妙な年数だ。
今から80億年後に地球が太陽に吸収されて消滅する、と言われても人々の日常生活には何ら影響を及ぼさないだろう。
消滅させないために何か行動を起こそうという人が稀に数学者や天文学者の中に居るかもしれないが、ほとんどの人々は全く興味も示さないに違いない。
自分はおろか自分の子供もその子供も更にその孫の孫さえ生きているはずのない未来を占ったところで現実味が全くないからだ。

では、今から100年後ならどうか。
1970年代だったか80年代だったか、今の消費量を維持すれば、今から100年後に地球上から石油が枯渇してしまう、叫ばれた時代があったが、その後どうだったか。
石油の消費量は減るどころか増え続けオイルマネーは益々幅を利かせ、更に当時の発展途上国が経済発展するに至って、更に増えているのではないか。

100年後と言われたってそのざまである。

地球温暖化云々にしても同様。掛け声ばかりが先行している。

今、大騒ぎの後期高齢者年金制度にしても可決したのは2年前の平成16年。
平成16年の年金制度改正は、厚生年金保険の保険料率を毎年0.354%ずつ平成29年まで引き上げて行く、というものだった。
平成29年なんて先の事、とおっとりしているうちに年々UPして行く保険料率のなんともずっしりとした重税感。
その重税感がひしひしと伝わり始めるのと、ほぼ併行して社会保険庁の失態が明るみに出て来て、ようやく国民は年金について初めてクレームを言い始める様になった。
数年後のなんと実感のないものか。
8年後に消費税率50%と言われたって案外すんなりかもしれない。
その直前になるまでは。

かつて関東大震災の時に東京都知事だった後藤新平(当時で言えば東京市長)は周囲の反発、失笑、冷笑を跳ね除け、100年後にも通用する東京駅を、と当時では考えられないほどの馬鹿でかい駅を作った。100年近く経った今、人々はその先見の明の恩恵を受けている。

関東軍参謀として日本を戦争へ突入させた一人として悪いイメージのある石原莞爾だが、彼は30年後に片方の軸をアメリカ片方の軸を日本とした最終の戦争に備えるべきと、戦争突入には反対の立場だったという。そしてその30年後には日米経済戦争という名の戦いが始まる。

現在はそういう先の見える指導者の時代ではないのかもしれない。

仮に8年後に地球に小隕石が衝突する、と言われたところで、案外日本人はパニックにならないのではないか、と思っている。

8年先という設定ではさほどの実感が伴って来ないという事はもちろんあるが、阪神大震災の時、阪神地域に住む人々の目前に死というものが訪れたにも関わらず、パニックが起こるどころか寧ろ人々は淡々としていた。これは欧米のメディアも驚嘆を持って報じていた。(大正時代の関東大震災の時、またしかりでこの時も日本人は欧米のメディアを驚かせている)
その後も会社を休んでなるものか、と電車が走っていないのにリュックを担いで西宮から大阪まで通勤していた。

余命あと数ヶ月と知らされた末期癌の告知をされた人が残りの人生を淡々と生きた話などいくらでもある。

1999年が近づいた頃、ノストラダムスなどと言う古い予言者の言葉を引いて、1999年には必ず地球は滅びるとテレビで真顔で話す人が何人も居た。
そんなことはない、と言う人々との討論番組までやっていた。
やれ世紀末だ、とこの時ばかりに勢力拡大を図った宗教団体、また自ら世紀末の破滅を実現させようとしたカルト宗教団体まであったぐらいだ。
実際の世紀末20世紀の最後の年は2000年だったのも関わらず。

それだけテレビで騒ぐので中には信じた人、半信半疑ながらもひょっとして、と思った人は少なからずいたかもしれない。

それでも人々は何事も無く平常心を保っていた。
唯一2000年問題を抱えたコンピュータ業界のプログラマ達だけが連日の修正とテストの末、2000年の正月明けのシステムの安定稼動を祈ったぐらいの事だった。

この本には8つの舞台が設定されている。
それぞれに魅力のある人物や言葉が登場する。

●「終末のフール」
終始にこやかで温厚ながら芯の強い静子という奥さん。
冗談を言っているようで案外本気の様なところがちょっと恐い。

●「太陽のシール」
あと3年しかない世界での中で妻が妊娠する。
初産である。優柔不断が取り柄?の男はたった3歳までも生きられない子供を産んでいいのかと悩む。

子供というもの、たった3歳まででその一生分に足りるだけ親を幸せにしてくれるものである。
生まれた子供もたった3歳までしか生きられないのになんで産んだ!なんて怒るはずがないじゃないか。2年でも3年でも親の愛情を一杯にそそがれたら、その子は幸せだろうが、などと外野から叫びたくなる。

この話では高校時代にサッカー部にいた男の同級生でキャプテンだった土屋という男の言葉がなかなかにいい。

●「籠城のビール」
そのタイトルどおり、籠城犯がまさしくビールを煽ろうとしたところを突き飛ばした瞬間からの展開の変わりようがいい。

●「冬眠のガール」
人に悪意があるなどとこれっぽっちも思わない。
そして自分に与えれた状況を愚痴るわけでもなく、素直に受け入れ、新たな目標を立てて進んで行こうとする。
そういう行為をはたから見た人がいじらしいとか健気だとか、前向きだとかそんな事も感じさせないぐらいに自然なのである。
そんな女の子の姿はなんともいい。

●「天体のヨール」
20年前の学生時代の天体オタクの友人二ノ宮。
小惑星が地球に衝突しようと世の中パニックになっているこの時期に、二ノ宮は新たな小惑星を発見した、と大喜びなのだ。

二ノ宮は学生時代に断言していた。
「今後何千年先まで考えても、地球に寄ってきそうな小惑星はない」
そして現在の二ノ宮は
「ああいうニュースはただ、煽っているだけだ」という。
二ノ宮の言葉は世界の寿命があと3年なんていうことはない、という希望的観測を読者に残してくれる。

●「演劇のオール」
パニックの5年間の間に両親に死なれた娘。息子夫婦と孫達に一家心中で先立たれ、その一家心中の中にも入れてもらえなかったおばあさん、両親に死なれた子供だけの家、飼い主不在の飼い犬、それぞれ孤独な人のある時は姉役を演じ、ある時は孫役を演じ、ある時は母親役を演じ、飼い主役を演じまたある時は恋人役を演じ、気が付いたら孤独な人達がみんな接着剤のように引っ付いている。
演劇の世界ではプロの役者にはなれなかったものの実生活ではそれぞれの役割を見事に演じきる女性の魅力。

●「深海のポール」
放火されて家がなくなってしまったので、仕方なしに一人暮らしをしていた父親をヒルズタウンへ引き取るが、変人の父親はヒルズタウンの屋上にもくもくと櫓を作り続ける。
誰よりも高いところから衝突後の大洪水を見物するつもりなのだという。
このオヤジただの変人ではない。
何より衝突のニュースからこっち一度も怯えていない。もくもくとやることをやるだけだ。
このオヤジ、変人どころか人間の生き様とはこうあるべきだ、ということを知っている人に思えてくる。

●「鋼鉄のウール」
順序は逆転するがこの「鋼鉄のウール」を一番最後にもってきたのは、これに登場する苗場というキックボクシングの王者の姿が誰よりも一番格好よく、印象に残ったからだ。
世界は滅ぶというニュースが流れようが、世界の終焉がいつだろうが、苗場とそのジムの会長のすることは全くそれまでと変わらない。
方舟計画だとかシェルターへ避難だとか、世の中騒ぐ人が居ようがいまいが、彼には全く関係がない。
今、出来ることをやる。ただそれだけ。

小惑星が地球に衝突する、という設定の映画もこれまでいくつもあった。
『ディープ・インパクト』、『アルマゲドン』・・・。
衝突する前にその小惑星まで宇宙船で行って、核兵器で破壊、もしくは爆発によって軌道を変えようとしたものなどもあった。確かブルース・ウィリスが小惑星へ行って自ら取り残されて爆破と共に地球を救うんだったっけ。

この本にはもちろん、そんな地球を救う話などは出て来ない。
ただ、3年後にどうなっているのかは、「天体のヨール」の二ノ宮がなんとなく臭わせていた様な気もする。

でもこの本が書きたいのは結局地球がどうなるか、なのではなく、その時に人はどんな判断をし、どんな行動をとるのか。

つまり人はどう生きるのか、という事そのものにほかならない。

終末のフール 伊坂 幸太郎 (著)



輪違屋糸里


幕末の時代で大好きな人を一人挙げよ、と言われたら・・・。
高杉晋作?坂本竜馬?桂小五郎?吉田松陰?佐久間象山?否。
西郷隆盛でもなければ大久保利通でもない。
もちろん徳川慶喜でもなければ勝海舟でもない。
たった一人を挙げるならば、「土方歳三」と答えてしまうかもしれない。
なんでだろう。
敗北の美学? 滅びの美学とでも言うのだろうか。
大阪夏の陣、冬の陣で徳川に滅ぼされる事は自明の理でありながら戦い続けた武者達も敗北の美学を求めて大阪城に参集したのではあるかいまいか。
真田幸村、木村重成、後藤基次、明石全登、塙団右衛門・・将も一兵卒も。
彼らは死に場所を求めてやって来た。
敗北する事は承知の上で。

同じ敗軍の将であっても土方の方と彼らとでは圧倒的な違いがある。
大阪の陣で死に場所を求めて来た武者達には少なくとも自らの御大将が大阪城には居たのである。先陣に立ってはくれないが、降参をしたわけではない。

それに引きかえて、土方の場合はどうだ。
御大将であるはずの慶喜はとんずらのあとの江戸城無血開城、謹慎という名の隠遁生活状態。
五稜郭での御大将である榎本は降参の仕方ばかりを考えている。
その中で会津の残兵や新撰組の残兵を率いた土方の目的とはなんだったんだ。
一体誰のために戦っていたのか。
土方は近藤勇を局長に戴くサブリーダーのはず。ところが自ら軍を率いさせたら近藤の比では無い。
同じ幕末の軍略家としての天才大村益次郎の様な軍略のみの人でもない。
同じ戊辰戦争の負け組みの中で、先の見えた天才河井継之助の様に最新兵器に頼った訳でもない。
軍略家であり、智略、胆力があり、勇猛さ有り、才気溢れ、現場指揮官として常に最前線で戦ったのが土方。ただその目的だけが破滅的でありだからこそ美しい。
それこそが自分の抱く土方のイメージ。

『壬生義士伝』で浅田次郎は吉村寛一郎という無名の新鮮組剣士にスポットを当て、主君へ忠を立てる以外の武士道を描いた。

この『輪違屋糸里』ではあの悪名高き芹沢鴨にスポットを当てている。
芹沢鴨とは新撰組がまだ浪士隊であった時からの筆頭局長である。
清河八郎が結成した浪士隊は将軍上洛の際の護衛がそもそも名目上の結成目的。
清河八郎がその浪士隊の本来の結成目的は尊王攘夷の先鋒にあたる事だ、と演説をぶった時に真っ先に反駁したのがこの芹沢鴨。それに追随したのが近藤、土方らの試衛館組。

そういう意味では芹沢鴨という男、一本筋の通った男なのかもしれないが、商家への押し入り、商家の焼き討ち、大阪で相撲取りへ切りかかり、島原では太夫を切り捨てる。島原では太夫という存在、正五位の位を持つのだという。大名級の存在である。
傍若無人も甚だしい。
しかも酒を飲めば酒乱となり誰も手がつけられない。
新撰組が「壬生浪」と京スズメから軽視・蔑視されていたのもこの乱暴狼藉し放題の芹沢鴨の存在故ではないかと思われる様なふるまいで知られる人だ。

この芹沢鴨をして侍の中の侍。男の中の男として語られる。
呉服商の妾(この本ではおかみ)で芹沢に手篭めにされたお梅の言葉を借りて。
また壬生浪士に住まいを提供している八木家、前川家のおかみさんの言葉を借りて。
また、近藤と芹沢の間を取り持ったような関係の永倉新八の言葉を借りて。
芹沢こそが尊皇攘夷思想の権化であり、本物の武士、本物の尽忠報国の士だと。
商家への押し入りにも、商家の焼き討ちも、全ては意味があったのだ、とその解説がなされて行く。
さすがは浅田次郎。その視点、見事。説得力もある。

それでもさすがにその話なかりは鵜呑みには出来ない。
芹沢が尽忠報国の士だったとしよう。生まれも育ちも確かに武士かもしれない。
しかし、本当に何かを成そうとしていた人間だったのだろうか。
酒浸りで、暴れまくるのも単なる芝居だったと言うのだろうか。
芹沢鴨という人。先が見えない、というよりも先の事など一切考えない人だった様な気がする。上では土方を敗北の美と書きながらおかしいかもしれないが、芹沢は破滅型の人。そんな事をしていたらいつか誰かに刺されるか、ろくな死に方はしない、おおそれで結構じゃねーか。どうせ一回こっきりの人生よ。酒飲んで好きな事して暴れまくって死んでやろうじゃねぇか。という破滅型の確信犯的な人の様に思えてならない。

この幕末の先が見えない時代、そんな人は多かったのではなかろうか。
たまたま剣に覚えがあってしかも浪士隊という寄せ集め軍団の長であるが故に余計にやる事が派手になってしまった破滅男。
それが自分の持つ芹沢鴨のイメージである。

それに芹沢鴨を持ち上げれば持ち上げるほどに芹沢を討つという絵図を書いた土方の悪役ぶりが目立ってしまう。

この話、女の視点から描いた新撰組の話であり、島原という京で一番(という事は日本で一番)由緒のある花街の舞台から見た新撰組の話であり、もう一つは百姓と武士という構図から描いた新撰組の話である。

確かに土方は策謀家なのでやり方そのものには構わないところはあるだろう。
だがそれが百姓の戦い方だとでも言うのだろうか。
子供の頃ならともかくも成人した後の土方や近藤が武士になりてえ。侍になりてえ。などと言っていたなどとはとても思えない。
この本のでも中に土方に上野の松坂屋へ奉公に出た時の事を語らせる場面がある。
店の者からは「百姓はやっぱ百姓だの」「このどん百姓め」と罵声を浴びせられ、士農工商はお題目。百姓は商人より下だと感じた事になっている。
それだけ百姓と呼ばれる事に負い目を感じていたとう設定。

だが土方がその奉公を辞めたのは、すぐに先が見えてしまったからのはず。丁稚から手代になるまで何年、番頭になるまでは・・と。

江戸時代も初期なら戦国の気風も残っていただろうが、江戸時代の安楽も二百数十年も続けば、腐るものはかなり腐ってきていてもおかしくはない。
問題さえ起さなければ、その地位が代々保障されるのが武士という階級だっただろう。
現代のお役人、いやサラリーマンにだってそういう側面はある、そういう事なかれ主義の発端は江戸時代に培われたのかもしれない。
それも武士という社会によって。

上には従順。下には偉ぶるだけで、問題解決能力のない武士という連中に土方ほどのものがいつまでも「なりてえ」「なりてえ」などと言っているわけがない。
土方は階級としての武士にあこがれたのではなく、自ら信ずるところの武士道を守り抜いた男だろう。

浅田次郎の本の中で嫌いな本は一冊も無い。この本にしても土方への見方が違うという点はあるが嫌いではない。

『輪違屋糸里』という作品、そのタイトルからして『天切り松闇物語』の中で松が闇語りする姉の話を連想してしまう。
子供の頃、ろくでなしの父親が姉を遊郭へ売っぱらい、姉はその遊郭で若くして死んでしまう様なせつなく悲しい話である。
もちろんこの話にも花街の女としての悲しい話は出てくるが主人公の糸里という天神は芯の強い人である。
状況を哀しむだけの人ではない。

尊皇攘夷だ、尽忠報国だ、となんだかんだと偉そうにしている男達の大半は若くして幕末の時代に命を落として行き、残りの大半も明治になってすぐに命を落として行く。

明治の日本の発展を謳歌したのは幕末を闊歩した男達ではなく、女達と百姓達だった。
この本の中では土方より芹沢が武士だと言う設定の永倉新八が大正時代まで生き抜いたというのはなんとも皮肉だが、永倉新八が生き残った後に建てたの芹沢鴨などではなく、土方歳三の墓を建てたということを最後に記しておこう。

輪違屋糸里 (上・下) 浅田次郎(著)