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くまちゃん


短編集で、全ての物語で主人公が振られます。
そして振った相手が次の物語の主人公となり、別の人に振られます。
そんな変わったリレーでつながっていく一冊。

「くまちゃん」という表題作では、主人公の苑子が、偶然出会った、いつもくまのTシャツを着ている男の子に翻弄され、意味もわからず振られる話です。
思っていたような仕事ができず、つまらない毎日に不満を持つ苑子。
崇拝するアーティストに近づこうという夢があり、それを追い続けようとするくまちゃん。
くまちゃんは苑子に、「つまらないと思うことをしてはいけないよ。」と言います。
そんなくまちゃんを苑子はうらやましく思います。

実際は相手のようになりたいわけでも、相手を理解しているわけでもないけれど、自分と違う何かが、自分の生活を少し輝かせてくれるような気がするのかもしれません。

そして意味もわからぬまま振られてから数年後。
苑子は少しずつやりたい仕事ができるようになり、出張した先の海外の街で、懐かしのくまのTシャツに出会います。忘れかけていた「くまちゃん」という男の子を思い出し、側にいたときよりもくまちゃんの気持ちが理解できると感じます。

次の物語「アイドル」では、この意味不明のくまちゃんが主人公。
20代も後半になり、こんなんでいいのだろうかと思い始めたくまちゃんは、自分と同じような考え方で、でももっとしっかり生きている女性に恋をします。
初めてまともに人を好きになって、今まで適当に女の子と付き合ってきたことを振り返るくまちゃん。
苑子のことは、名前がもう思い出せないけど冷蔵庫の中身が充実していたという程度に振り返っています。

こんなに振った立場と振られた立場で、思いや見解が違うのかと思うと面白く、ちょっとせつないような気もしました。

そしてくまちゃんも思いがけぬ理由で振られてしまうのですが、前へしっかり進んでいく姿がすがすがしく、かつての意味不明のくまちゃんが、なかなかいい男になっているように感じました。

こんな風に、次々と振り振られの物語が続いていきます。
振られる人が主人公なので、振った人の気持ちについてはあまり触れられていないのですが、次の物語を読むとその気持ちがわかっていくというのが面白いところです。

角田光代さんのあとがきに、仕事と恋愛が複雑に絡み合っているときの恋愛を描きたかったとありました。そして「ふられ小説」を書きたかったと。

物語には、憧れの仕事をしている人を好きになったり、同じ夢を追う人を好きになったり、仕事が成功したことでうまく人を好きになれなかったり、様々な人が登場します。
そして共通していることは、それぞれがもしその仕事をしていなかったら、その恋愛は存在していないのだろうなということ。
仕事と恋愛が複雑に絡み合っていると意識したことがなかっただけに、目からウロコでした。

ふられ小説を書きたかったというのはなぜなのかと考えてみました。
物語を読んでいると、振られた方が先へ進みやすいというは伝わってきました。
振らてしまってはどうしようもないから、散々悲しんだら立ち直る以外することない。とてもシンプルで明白な状況だと思いました。
そして、立ち直れるとそれが自信になります。自分に対しての自信だったり、そんな状況でも続けてきた仕事に対してであったり。

あとがきには、角田さんにとって、仕事というものが確固たる何かになってしまったから、もうそのような恋愛はできないとも書いてありました。

恋愛と仕事が複雑に絡んでいるとも感じていなかった私には、到底たどりつかないであろう角田さんの境地。
世にいる社会人の恋愛というものはこんなものだったのか、と勉強になった一冊でした。

くまちゃん 角田光代著



東のエデン


なんとも奇想天外なお話。

100億円を自由に使って、日本を正しい方向に導け、という役割を与えられた11人プラス1名。
選ばれた11名は、その100億円を使い切らなければならない。
不正に使って残高0円になるとサポーターと呼ばれるプラス1名に命を奪われる。

日本を正しい方向に導くことに真っ先に使い切った者だけが上がりで、残った者もまた、サポーターに命を奪われる。
そんなとんでもないルール。

そもそも100億円なんてどうやって使うんだ?

一昔前にこんな話があった。

ごくごく普通のサラリーマンに社長がこんな指示を出す。
明日から会社に一切、出て来なくていい。
その代り1億円を使わせてやる。(その代り、はおかしいか)
1年かけて1億円を使い切れ!
マンションを買ったり、預金したり、というような貯め込むのはダメ。
どんな遊びに使っても構わない。
そして1年後にどんなものでもいい。
なんでもいいから新商品のアイデアを一つ持って来い!と。

さぁ、サラリーマン氏、困り果てた。
1億なんてどうやって使ったらいいのか、さっぱりわからない。
全然、お金は減らず・・・とうとう困り果てたサラシーマン氏、出て来るなと言われた会社の方へ足を向けてしまう。
早朝、まだ夜が明けきらない時間帯に来て、皆が出社して来て仕事を始める時間まで、会社の至るところを掃除をして暮らしてしまうのだ。
たぶん、そんな話だったと思う。
食品系のそこそこ大きな会社(だったと思う)での本当にあった話だ。

その会社でそういう事をはじめてみた、という話が雑誌、新聞、テレビなどの話題コーナーみたいなところに散々取り上げられたので、その広告宣伝費で充分に1億円の元はとれていたのだという。

一昔前と言ったってデフレの世の中だ。
お金の価値は今とさほど変わらないのではないだろうか。

普通のサラリーマン氏が1億で困り果てたというものを、彼ら選ばれた人達はどうやってその100倍ものお金を使うのだろうか。

この物語の設定、サラリーマン氏とちょっと事情が違うのは、使い切らなければ命がなくなるという、命がかかっていること。
それに携帯電話一本で指示を出せばどんな指示でも叶えてくれる、というとんでもない設定だろう。

そんなことを考えている矢先に、某大手企業の創業家の御曹司が子会社から100億以上借り出して、カジノで使ったとかなんとか。

世の中にはいるもんだ。
100億を使ってしまえる人が。
まぁ、使い切ったかどうかはわからないが・・。
でもカジノでって、とんな賭け方をするんだろう。
金持ちはバクチで負けないという話があるが、どうやらそうでもないらしい。

それで驚いていたら、今度は別の大手企業で、海外の企業を買収する仲介にコンサル費用として600億もペーパーカンパニーへ支払っていたとか。
って600億ぽっぽないないしちゃったってことか?
上には上が居るもんだ。

特に命がかかってなくても、使える人は居るらしい。

さて、物語の方だ。
それにしてもまぁど派手な使い方をしちゃっていますねぇ。
東京にミサイル攻撃だ?
なんでそれが日本を正しい方向に導くのか。
戦後の焼け野原に戻すのが一番ってか?

まぁいろんな考えの人が居るということにしておきましょう

東のエデン 神山健治 著 ダ・ヴィンチブックス



八日目の蝉


ざっとあらすじ。
愛人の子供をあきらめたことで子供が作れなくなった希和子は、愛人宅へ忍び込み、発作的に愛人とその妻の子供を誘拐して逃げてしまいます。
警察から身を隠すため怪しい宗教団体に身を潜め、その団体を出てからも見つからないように生活しますが、3年半の後に逮捕されます。
物語は誘拐された子供、恵理菜の物語へと続き、理菜も希和子と同じように妻子ある人の子供を身ごもってしまいます。
そのとき恵理菜は何を思うのか・・・というようなお話。

愛人と愛人の妻への憎しみ、そして子供を持てなくなったことで余計に強くなってしまった母性が爆発して、子供を誘拐してしまった希和子。
トイレで髪を切り、一人の女性として幸せを望んでいた日々にもう戻れないことを感じたのか、愕然とします。
誘拐した子供を「薫」と名づけ、親友や見知らぬ女性の家、宗教集団を転々とします。最初は逃亡する難しさからで薫を置いていくことも頭をよぎりますが、薫と過ごすうちに母親としての愛情が芽生え、薫との日々を守りたい一心で逃亡するようになります。
希和子のしていることは大きな犯罪ですが、希和子のつらさ、そして薫に対する愛情の強さが伝わってきて、読み進むうちに希和子の気持ちに寄り添ってしまうようになりました。
でも誘拐された子供にとっては許せる話ではない。
母親だと思っていた人と突然引き剥がされて、本当の母親という人の元へ連れて行かれ、そこからついに馴染む事が出来なかった子供の気持ちを考えるといたたまれない。

とても心が痛くなる物語なだけに、どこかに救いはないかと探しました。

そして考えたのは「母性」について。

母性の強さが犯してしまった犯罪かもしれないし、母性によって希和子は薫を自分の娘として愛して、母親としての幸せを感じることができた。
愛人の妻に「空っぽのがらんどう」だといわれたことを希和子はずっと許せなかったのですが、逃亡している間、薫の存在によって自分からあふれてくる愛情を実感して、「空っぽのがらんどう」という言葉から解放されていたのかもしれない。

そして薫(恵理菜)も母親になることによって何かを許せるようになるかもしれない。

重く辛いテーマでも、最後に何か明るい光を感じられたのは、「母性」の持つ力に希望を感じられたからかもしれません。

八日目の蝉 角田光代 著