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日の名残り


本来執事とはどうあるべきなのか。

永年、執事を天職として生きて来た男の思い出話の数々。

本物の執事などテレビや映画の世界以外では見たこともないが、イメージとしては一流ホテルの支配人が近いのかな、とぼんやりと思っていた。

一流紳士の世界の世界の執事とはかくも厳格な職業であったのか。

彼のあるべき姿には感銘すら覚える。

イギリスの一流紳士の雇用主から戦後アメリカの気さくな富豪を新たな雇用主に迎えるわけだが、以前の雇用主の事をたとえ、喜ばれるような話であったとしても話す事は彼の一流の執事としての品格に関わる。

これを読んでいると、第二次大戦前は世界とはヨーロッパであり、世界大戦とはヨーロッパ内部での戦争。第二次大戦では日米が入ってきたために勘違いされているが、それまでの世界とは欧州のみをさしていたのだろう。

その中心にいたのがイギリス。

世界で最も重要な決定は公の会議室で下されるものではなく、この執事の前の雇用主のような紳士たちのお屋敷の中で議論されてきた。

その偉大なお屋敷を世界の中心に回転している車輪になぞらえている。
中心で下された決定が順次外側へ放射され、いずれ、周辺で回転しているすべてに、貧にも富にも、いき渡るのだと。

もはやそんな時代は終わりをとげた。

第二次大戦後は世界はソ連とアメリカの二極。
この二極が中心だった。

今や世界はアメリカと中国この二極のどちらにどこがつくのか、で廻ろうそしている。
そこには紳士も居なければ、執事も存在しない。

この紳士と執事の話を古き良き時代と捉えるのか、世界は変わって行くのだ、と捉えるのかは読者の想像に任されるが、この話は「いつまでも後ろを振り向いていちゃいかんのだ」と彼が忠告される場面で終わりを迎える。

日の名残り カズオ・イシグロ著



日本、遙かなり エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」 


2020年の1月より始まった新型コロナに関するニュース。
あまりに多くのニュースがありすぎて、ほとんど1月、2月の出来事などは埋もれてしまっているが、その埋もれたニュースの中でもさらにほとんど目立たないニュースの一つに結構、快挙じゃないか、と言えるニュースが埋もれていたりする。

中国政府が武漢を閉鎖した段階にて、日本政府は政府専用機にて法人救出ということを行った。
報道では、帰って来た後の処置の方がメインで取り上げられていたが、
政府専用機にての法人救出ということそのものが結構歴史的な快挙なんだということが、この本を読むとよくわかる。

第一次湾岸戦争より前のかつてのイラン・イラク戦争の際、イランのテヘランには大勢の日本人駐在員がいたのだが、当初は地域紛争だったものがどんどん中心へと戦闘が移って行って、とうとうイランがイラクの首都イスラマバードを空爆するにあたって、各国の駐在員はどんどん国外脱出を図ろうとする。

欧米各国の駐在員達は皆、政府専用機やナショナルフラッグの民間機に乗って帰るのだが、日本人だけは乗る飛行機が無い。
日本航空はイラン・イラク双方からの安全を取り付けてくれないと飛ばせないというし、政府専用機もない。
そんなときにイラクのフセイン大統領が、あと48時間後にはどこの民間機だろうと、イラン上空を飛べば撃墜する、宣言を出した。

残された猶予は48時間。
大使館の職員の正直なコメントが突き刺さる。
日本政府はあなた方を助けません。

この時動いたのが伊藤忠商事でトルコ駐在の森永さんという方にトルコ政府に助けてもらえるよう要請してくれ、と。
トルコ政府にしたって、自国の国民が大勢テヘランに残っている中日本人だけを助けてくれなどといえるはずがない。なぜ経済大国の日本が、政府専用機を出さないんだといわれるのがおち。
ところが森永さんには当時のオザル首相との人脈があったので直接連絡して頼み込む。

そこで実現したのが、トルコ航空機によるトルコ人よりも日本人を優先しての救出。
トルコは飛行機2機を出してくれて、両側でその援護に戦闘機までつけてくれるという念の入り様。
これは映画にもなった、明治時代に、串本で遭難したトルコのエルトゥールル号遭難事故の時に、地元の漁民が命を張って救助してくれて無事にトルコへ帰還させたという、トルコでは小学校の教科書にも載っている事柄への恩返しがあったから。

なんだかんだと今の日本、明治時代の日本人にかなり助けられている。

その後、さすがに政府専用機ぐらいは保有せねば、と2機を購入するのですが
これがなかなか使えない。

南イエメン・北イエメンの紛争時、これも各国政府専用機で脱出しますが、日本は出せない。
イラクがクエートへ侵攻したのちもしかり。

政府専用機となるとパイロットは民間人では無理。
自衛官になりますから、自衛隊の紛争地帯への派遣に対して野党とマスコミが猛反発。

今年の初め、武漢は紛争地帯ではないけれどもあの時点にては病院崩壊が起きていくだろうことは予測できたので、邦人救出は必須だったでしょう。

それでも尖閣でもめている中国の領海はおろか領空を自衛隊が飛んでいくというのはまさに画期的な事ではないだろうか。

これを期に日本も普通の国になれればいいなと思った次第。

日本、遙かなり エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」 門田隆将 著



わたしを離さないで


2017年ノーベル賞受賞作家の代表作である。

この話、既に日本でも著名な役者によって舞台化され、最近ドラマ化されたとのことなので、ストーリーについてはご存知の方も多いだろう。

前半は寄宿舎のような施設での子供たちの日常の描写でかなり退屈な話が続く。
ここで断念してしまった人にはこの話の面白さは分からず仕舞いとなる。

中盤になってくると、教育の施設のなかで「提供」という言葉が頻繁に登場してくる。
人様に提供を行うという類の善行を施せという教育なのだろうか。

で、だんだんと明らかになって行くのが、彼らは一般の市民では無いということ。

彼らは普通に恋愛をし、自己顕示欲の強い子がいるかと思えば、いじめられっこもいる。絵を描くことを熱心に指導され、健康診断が頻繁にあること以外はごくごく普通の子供たちだ。

施設を卒業するころになると、コテージのようなところ一時的にへ移り住み、その提供の日を待つ。

主人公たちが育ったのはヘールシャムという施設で全英で最も恵まれた施設だったらしく、ヘールシャム出身者には、提供の猶予が与えられるのでは?というまことしやかな噂が流れ、彼らは動揺し、猶予の為に出来ることを行おうとする。

施設で育ったと言っても彼らは捨て子でも無ければ、育児放棄された子供たちでもない。
病気を持った赤の他人に自らの臓器を提供することだけを目的としてこの世に生を受けたクローンなのだった。

なんと残酷な話なのだろう。

この話では成長した主人公達がヘールシャム主任保護官だった女性を訪ね、助かる道について尋ねるシーンがある。

答えはNOだ。

臓器移植の技術がいくら進歩したところで、臓器ドナーがいなければ、結局は助からない。
一旦出来てしまった便利なものはさらに便利なものが出来ない限りは決して無くならない。
臓器をいくらでも調達できるとなれば、人道的かどうかよりも自分の周囲の人たちの生命維持が優先されてしまうのだ。

ならば、いっそのこと一切教育など施さなければ・・
人間らしい感情を持たなければ、臓器を差し出すことに何の感情も無いのでは?
人間と思っていないのなら、それぞれの施設はブロイラー工場と何が違うというのだろう。
いやもっと言えば、一切他人とも関わらない、カプセルを並べチューブで栄養補給させるという本当の工場のような場所で成長させればどうなのだ。

下手に人間らしい暮らしをしているだけに悩み、苦しむ。

この施設という制度のうまいところは、徐々に徐々に「提供」という言葉を浸み込ませ、違和感を無くし、差し出すことに違和感がなくなるようにゆっくりと教育していく。このやり方がまた絶妙なのだ。

カズオ・イシグロ氏はこの作品、他の作品でイギリスの文学賞も受賞している。
クリスチャンの国でこの本は受け入れられたということだろうか。

ものすごい発想ではあるが、人道的観点はさておいたとして、社会保障費の観点から見てどうなのだろう。年間に臓器移植を必要とされる患者の数ってそんなに多いのだろうか。
これだけの子供たちを立派な大人にまで育てたんだから、まともな職場を与えて労働人口になってもらった方が、イギリス経済にとってははるかにプラスのような気がするが、余計なお世話だったか。
そんなことを言ってしまえばノーベル賞も台無しになってしまうな。

わたしを離さないで カズオ・イシグロ 著