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心霊探偵八雲


Missingの次に心霊探偵と続くと、このコーザーもとうとう心霊読み物コーナーにでもなったのか、と思われる向きもあるかもしれない。

こちらはさほど重苦しい話ではありません。

八雲という名の大学生。生まれた出でた時から左目が赤く、生みの親でさえ気味悪がったという。その左目には死者の霊魂が見えてしまう。

美術部の学生が、片目の視力を失ってしまい、将来の画家への夢を断ち切られそうになった時に、その見えなくなったはずの片目に異界が見えるようになり、異界で見えるものを絵画にして行く、みたいな話がMissingにもあったが、あちらは重苦しい話だった。

この八雲という学生、その特異な体質を使って迷宮入り、もしくは事件にさえならず、事故で処理された事件の真相を次々に解決して行くという、どちらかと言うと楽しい読み物の範疇である。

死者の霊魂が見える。死者と会話が出来るということを書くだけでも十二分に重たいだろうに、軽快な会話、スピーディーな展開がその重苦しさを須らく打ち消している。

八雲という学生と同じ大学の晴香という学生との掛け合い、八雲と後藤という刑事との掛け合い。それだけでもじゅうぶんに楽しめる。

それにしても八雲君の浴びせる言葉は、少々きつ過ぎるんじゃないでしょうかね。
いくら相手が行為を持ってくれていたにしても、そこまで言われてまだ着いて来る春香という女性に寧ろ関心してしまいます。

心霊探偵八雲〈1〉赤い瞳は知っている 神永学 著(角川書店)



Missing


地方のとある高校。
生徒の大半は寮で暮らす。
学校という閉ざされた空間の中で起こる様々な怪異現象。

第一巻は「神隠しの物語」。一巻、一巻での読み切りものだとばかり思っていたら、そうではなかった。
全13巻、全てストーリーとして繋がっている。
結構な大長編だったのだ。

同じ高校生でありながら「魔王陛下」などというとんでもない呼称でと呼ばれる少年が登場したり、方や魔女という怪しげな高校生、はたまた、異界の話の感染を防ぐ為の黒服の政府機関の連中まで登場するにあたって、さすがにこれは、マンガチックな筋立てなんだろうな、と思っていたが、単にそれだけではなかった。
呪いだとか生贄だとかかなりオカルトの物語と言っても差し支えないのではないかと思うが、単なる恐怖心を煽るだけのオカルトものでもなかった。

この作者かなり民族神話、民族伝承に詳しい。
柳田国男の影響をかなり受けているのではないだろうか。

結構、いろいろな文献も漁ったのではないかと思うのだが、参考文献なるものは一切記載されていない。

その博識ぶりは魔王陛下と呼ばれる空目という高校生の口から仲間達に説明される言葉として開示されて行く。ある時は民間伝承の内容を引いて、ある時は海外の童話の内容を引いて、ある時は都市伝説といわれるような民間での口承で伝わったような類の話を引いて。まぁ、こういうのを博識というのかどうかはよくわからないが・・。

6巻の鏡の話の中だけでも鏡にまつわる昔からの言い伝えなどどれだけ登場することか。

魔女というこの高校生だけは全く得体が知れない。
幼い頃から人には見えないもにのが見え、それらと会話をする能力を持ち、親からも不気味がられる。それがどんな経緯で本当に魔術を操れる本当の魔女になったのか、その経緯は不明である。
経緯は不明でもその目的とするところは終盤になってだんだん明かされて行く。

この作者、かなり物知りであることはよくわかった。
しかしながらこの話、エンターテインメントとしての要素としてはどうなのだろう。

話が重すぎて、なかなかページが進まない。
楽しむ要素がどうも少なすぎるような気がする。
寧ろ人を楽しませるために書かれたものではないのかもしれない。

いずれにしろ、仮に映像化するとしたら、かなりえぐいシーンの連発になってしまうのではないだろうか。
ということは、それだけでも充分にオカルトということか。

Missing 神隠しの物語 甲田学人 著(電撃文庫)



甲子園への遺言


「覚悟に勝る決断無し」
プロ野球の世界で首位打者をはじめとするタイトルホルダーを30人以上も育てた伝説の打撃コーチ、高畠導宏氏が残した言葉である。

打撃コーチとして30年。
プロの世界で一軍の打撃コーチで30年の永さ、それだけでももの凄い事に思えるのだが、いったいどんな野球人生だったのだろうか。

社会人野球では日本代表の四番バッター。
社会人NO.1のスラッガーと言われた人。
かつて社会人に入る前には王・長嶋全盛期、V9時代の巨人軍から王・長嶋が3番、4番、その後の5番を打てるバッターとして、また王・長嶋後の巨人の中心バッターとして巨人軍入りを嘱望されていたほどの打者。当時の社会人監督の選手囲い込みで実現はしなかったが。

プロでの現役生活は新人1年目の春季キャンプで、いきなり不幸が訪れ、強肩だった肩を不慮の事故にて壊してしまい、守備では投げられない。

DH制のない時代なのでここ一番での代打バッターとして一軍入りするが、肩の故障はバッターとしての迫力にも影響を与えるのか、社会人時代の豪快なスイングを知るピッチャーはかつての打者としての力の無くなった姿を嘆く。

結局5年で現役生活を退き、28歳という若さで打撃コーチに就任する。

以降30年、1年契約のバッティングコーチという明日の保障の無い世界に身を置くことになる。そんな人の言葉だからこそ重たい。
「覚悟に勝る決断無し」
氏にしてみれば、毎年、いや日々が覚悟の連続だったのではないだろうか。

以来、タイトルホルダーを次々と育て上げて行くのだが、その育成の仕方は他のバッティングコーチとはちょっと毛色が違う。

他のバッティングコーチは欠点を直そう直そうと画一的な指導をするのに対して、高畠氏の指導は個人個人で異なる。
欠点を無理に直そうとするのではなく、良いところを見つけてそれをとことん伸ばすための特訓をとことんやる。
とことん持ち味を伸ばすうちに知らないうちに欠点も直ってしまう、というやり方。
練習方法も小道具を用いたり、アイデアにとんでいる。

ひたすらバットを投げる練習をさせてみたり、ひたすらファールを打つ練習をさせてみたり、小道具で言えば、すりこぎバット、スポンジボールを使ってのティーバッティング・・・などなど。

氏の力量は選手を育てることにとどまらない。
相手のピッチャーのクセを見抜く天才なのだった。

氏は相手のチームに新たなピッチャーが補強されたと聞くとその練習を視察して来る。その視察から帰った時にはもうすでに相手のピッチャーはまる裸にされている。
直接、指導を受けなくてもバッターボックスから球種を氏から教えてもらって、打率を上げた選手などはいくらもいるだろう。

今、WBC真っ盛り。ついつい選手に目が行ってしまいがちになるが、これを読むと、選手の力よりも寧ろ、相手を丸裸にしてしまうほどの裏方の力量同士の勝負ではないか、と思えて来る。

このWBCにも氏に育てられた選手が何人も入っている。

他にも大リーグで活躍している田口、40歳を過ぎても現役のホームランバッターだった門田、中日現監督の落合・・・、氏にとっては師匠にあたる野村現楽天監督なども球種では助けられた内の一人になるのだろう。

取材した選手達の口をついて出て来るのは、
「高さんが居なければ、今の自分は無かった」
「生涯最大の恩人」
「出会えて幸せだった」
というような言葉ばかり。
なんという人望の篤い人なのだろう。

この本にはイチローについて何故かその接点の記述がほとんどない。オリックス時代、田口を指導したのなら時期的にイチローが在籍していた期間とかぶるので、イチローとの接点が無かったはずはないのだが、著者は大リーグまで取材に行けなかったのか、イチローがその打撃の原点を著者に語ろうとしなかったのか、そのあたりは定かではない。

この本、昭和後期の野球史、いや、昭和いうと戦前も入ってしまうので戦後から今日までの60年の内の後半の日本プロ野球史の一面を描いているが、そういう一面を持ちながらも実際には野球に関することよりも一人の人間の生き様を描いている本なのである。

氏は、コーチという職業をとことん研究し、日本一の戦略コーチとして名を馳せながらもその探求欲は限りなく、心理学を追求し果てはそのメンタルな部分の基礎はプロになる前からが肝心ではないか、と高校の教員免許を取るために、コーチ職の残り5年間をその勉強にあてるのである。

この本にはいたるところに氏の遺した金言がある。
先の『覚悟に勝る決断無し』もそうだが、

『才能とは逃げ出さないこと』

『平凡の繰り返しが非凡になる』
 
などなど。

惜しむらくはこのタイトルである。
「甲子園への遺言」というタイトル、内容を知らなければ高校球児やかつての高校球児しか買ってまでして読まないのではないだろうか。
私も球児ではなかったので、もし人に薦められることが無ければ、この本を書棚から手に取ることは無かっただろう。

WBCこそ今、人気絶好調だが、野球のルールすら知らないという人達がかなり多くなった時代。
野球選手を目指さなくても、かつては小学生なら放課後は必ず野球をした。
そういう時代では最早ない。

この本は、というより高畠導宏という人のことはもっと多くの人に知られてしかるべきだと思うだけに、尚更である。

甲子園への遺言―伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯 門田隆将 著(講談社)