カテゴリー: カ行



トロール・フェル


数年前のことになりますが、北欧三国へ赴いた事があります。
まだ11月だというのにヘルシンキへ降り立つ手前の海が凍っておりました。
湖じゃあるまいし、海が凍るってそんな事・・・と驚いた記憶があります。
まぁ確かに太平洋のような大海というわけでもないしバルト海からしてみてもヘルシンキあたりからが湾のようになっている、ということもあるのでしょうが、とにかく海が凍っている、その状態そのものに途轍もなく驚いてしまったわけであります。

街中を歩いていても、11月の割りには結構防寒していたんですが、すぐに身体がしんしんと冷え切って来るのがわかり、早々に宿泊ホテルへ帰ったのを覚えています。

さて、この「トロール・フェル」というお話、児童書です。グリム童話を長編にしてみましたみたいな。
活字も大きいですし。
まさか老眼の方向けに活字も大きくしたわけではないでしょう。

舞台はおそらく北欧、スカンジナビアのどこか。時代はコロンブスが新大陸を発見する前。
そのタイトル通り、トロールが登場します。
トロールはいろんな物語に登場しますが、メジャーにしたのはやはり「ハリー・ポッター」でしょうか。
大抵の物語でトロールは粗暴で醜悪で図体が大きくおつむは弱い。

この物語ではトロールよりもはるかにあくどい人間が登場します。
主人公のペールは船大工の父親を失う。そのペールを全く面識の無い叔父が引き取りに来る。
叔父というのが双子の兄弟でこれが揃ってタチが悪い。
代々水車小屋を持ってそこで粉引きをなりわいとしているのですだが、その兄弟に頼むと粉が減って返って来る、と評判が悪く、周囲の村人はだんだんと粉引きも頼まなくなって来ている。
そこに現れた新たな甥は新たな収入源としか二人には見えない。
少年の父の残した金を奪い、家財道具も全部売っぱらって、少年には一切何も渡さないばかりか、重労働を強いて、食事もまともに与えない。
しまいには奴隷にして売っぱらってしまおう、などと考える、とんでもない叔父兄弟なのです。

あの北欧南端であれだけ寒かったことを考えるとトロール山というから山の方なのでしょう。そんなところでこの主人公は良く凍え死なずにこの叔父の仕打ちに耐えて生き残ったものです。

さて、もっぱら醜悪で粗暴なイメージのあるトロールですが、北欧、特にノルウェーの方では妖精の一種として伝承されて来ているようです。

そう言えば、トロールの飲む臭いビールを飲むと途端にトロールの姿が美しく見えるとか。

北欧の人たち、その昔にトロールのビールを飲んでしまったのかもしれませんね。

トロール・フェル(上)金のゴブレットのゆくえ  トロール・フェル(下)地底王国への扉 キャサリン・ラングリッシュ Katherine Langrish 作/金原瑞人、杉田七重 訳



楊家将


宋の時代のお話。
宋という国、春秋時代にもその後も中国の歴史には何度も登場する。
この話の宋という国は日本の歴史で言えば遣隋使、遣唐使が小国乱立の時代で一旦途絶え平清盛の時代に日宋貿易という形で再び登場するあの宋の前身。五代十国を統一した宋だろう。
その後に日本の歴史に顔を出すのは蒙古襲来のモンゴル帝国、室町幕府と日明貿易をする明。

中国という国、いったいどれだけ王朝の数がめまぐるしく変わったことだろう。日本もその間、奈良・平安・鎌倉・室町と武家の棟梁は変わって行っても王朝はずっと継続している。
四川省の大地震の発生で話題から消え去った観のあるチベット問題。あの問題の根っ子は何より中国の同化政策に他ならない。
中国の同化政策というもの今に始まったものではない。この長い歴史の中で王朝が変わる都度、同化政策は行われて来ただろうし、他国の版図を奪う都度行われて来ただろう。中国の歴史はまさに同化政策の歴史と言ってもいいのではないだろうか。
周辺民族に対しての同化政策も同様で中には進んで漢化して来るような国もある。
北方の民族は同化される事を嫌った側である。宋にとってのその北方の敵が遼。

宋は統一したといっても燕雲十六州と呼ばれる北京を中心とした万里の長城の南側の一帯は遼という国の版図のまま。
宋の帝はこの燕雲十六州を奪回することを悲願としている。

その遼との国境の守備を一手に引き受けたのが楊一族。
楊一族というのは楊業という有能な武人とその7人の息子達。
7人全てが軍人としても将として有能なんてあり得るのだろうか。
7人いれば、文学の好きな人や政治の好きな人などそれぞれ個性が出てきてもよさそうなものだ。
それは代州という楊業の封地が他の選択肢を見つけられるような土地柄では無かったからだろう。
都に住んでいたならそれぞれの生き方を選んでいたのかもしれない。
とはいえ、息子達もそれぞれに個性がないわけではない。
長男の延平は父親の気持ちを一番良く理解し、父親の留守中は兄弟のまとめ役になる。
七郎は馬と愛称が良く馬の面倒を良く見、馬と会話をするほどの馬好き。
六郎は兵士達を大切にする誰よりも兵士達から愛される将。
四郎は兄弟の中では長男の延平以外とは相性があまり良くない。孤高の人。
ものの考え方のスケールが大きく、四郎が楊一族の棟梁だったなら、人に使われての戦をするぐらいなら、と楊国という独立国を興していたかもしれない。

楊一族の敵である遼という国、なかなかにうまい政治を行う国である。
徴兵制度があり、若いうちに必ず軍人としての調練を何年か経験し、その後いざ戦となれば、国民皆兵となる。
国民が全て兵なのだから敵が何万の兵で来ようが何十万の兵で来ようがそれに匹敵する部隊をすぐさま召集することができる。
半農の軍というのは効率がいい。
専任の兵であれば、それらを食わせるだけでもかなりの国家予算を投じなければならないが、半農であれば、戦がある時だけ召集すれば良い。それも徴兵で一回は鍛えた連中だ。数日間、調練をすることですぐさま臨時の軍隊が出来上がる。
また、南船北馬というぐらいなので北部の質の良い馬に恵まれているので騎馬兵部隊はかなりの精強軍である。
後のモンゴル大帝国の礎を築いたのはこの騎馬兵部隊なのではないだろうか。
とにかく遼という国恐ろしく強い。

楊一族もそれに対抗出来る様に、六郎と七郎には騎馬隊を組織させる。
また四郎には楊一族の別働部隊としての役割を与え、四郎も優秀な騎馬隊を組織する。
楊一族は調練を怠らず、毎日の様に味方同士で剣を木刀に変えての模擬戦を実施する。
それ故に楊業とその息子たちもまた強く、胸のすくような戦を展開していく。

遼にも耶律休哥(やりつきゅうか)というたった5千の兵で5万の兵に匹敵すると言う名将がいる。この人も孤高の人で全身が白い毛で覆われていることもあって「白き狼」と呼ばれる。
この名将VS無敵の楊一族の戦はこの本の見どころの一つだろう。
遼の側のもう一人の魅力ある人物はこの国を実質的に支配している蕭太后という人。
后なので帝ではないが次から次へ帝が若くして死んでしまたために幼帝の後見人という立場だが、実質的には支配者である。

宋の帝の悲願が燕雲十六州の奪回なら、遼の悲願は中原の支配である。
蕭太后もそれは同じ。それだけではなく、この蕭太后という人、戦についての分析力に長けている。
男であったなら、武帝として名を残したであろう。

それに比べると宋の方はどちらかというと武にはうとい。
楊一族が居なければ、蕭太后はいともたやすく中原を手に入れていたのではないだろうか。
宋という国は文化的にもかなり発達していた国だろう。
宋は今でいうシビリアンコントロールの国なのである。
その中にあっての武人の立場はあまり強くはない。

特に楊業という男は戦をするためだけに生きているような男。
生粋の軍人である。
政治の世界には一切口出しをしようとしない。

そのシビリアンコントロールのためか、またまた都の臆病な将軍のためか、楊業の最期は無惨としか言いようがない。

この戦の時代でのシビリアンコントロールは少し時期尚早だったのかもしれない。

楊家将<上・下巻> 北方謙三 著



スナーク狩り


「スナーク狩り」このタイトル、一体全体何を狩ろうとしているんだろうと非常に興味をそそられた。

一旦、別れたとはいうもののその妻と娘を残虐な殺人犯に殺された男が登場する。

織口という名の年配の男である。職場からは皆から「オヤジ」でもなく「ジジイ」でもなく心優しい「お父さん」と慕われる男である。

この男の背負った過去はまりにも重く苦しい。
しかもそれは過去というだけでは済まされない。
今、生きている時にもそのおぞましさは重く重くのしかかる。

織口は私刑とか復讐など、元来考えるタイプの男では無い。
かつて教職員として少年を教育して来た頃の立場に戻って犯罪者がキチンと罪を償って更正する事、それだけを気持ちの支えとして裁判の公判にも何度も足を運んだのだろう。

著名な政治評論家に三宅久之という人がいる。
かつての長期政権の中曽根康元総理とも読売のドンである渡辺(通称ネベツネ)とも懇意の仲だと言われる人である。
その三宅氏がとある番組である地方の母子殺害事件についてこんな発言をしていた。

自分がその遺族の立場になっていたとしたら、自分は老人なのでその体力は無いが、「ゴルゴ13」みたいな殺し屋を雇ってでも必ず復讐するだろう、と。
その表情は激高していたと思う。

ゴルゴ13が三宅氏の前に現れるとも思えないし、三宅氏が殺し屋世界に顔が利くようには見受けられないのだが、そういう気持ちを持つ事そのものが家族に対する愛情であろうし、三宅氏にとっても本音ならば、家族を愛する人間は誰しもそんな事は思うだろう。

織口は復讐、報復などをハナから考えていたわけではあるまい。
ただ、公判を公聴に行くにつれ、殺された人間の事など全く度外視した、加害者の言い訳だけを何故、遺族は延々と聞かねばならないのか。
一体誰の為の法廷なのか、言い訳というものは減刑のためだけのものであって反省の気持ちやら更正の気持ちを表すものではもちろんない。
あまりに司法は加害者に対して甘過ぎるのではないか、加害者は反省の気持ちなどこれっぽっちも無く、放置すれば第二第三の犯罪を誘発するだろう。
それが織口の考えた結論である。

折しも、かつてのロス殺人事件疑惑の三浦元被告。限りなくクロにと言われながらも殺人容疑から控訴、控訴で結局証拠不十分で無罪。
事件が騒がれた当初から最期までマスコミの寵児であり続けたという、ものすごいキャラクターだった。
その三浦元被告がこの2008年2月後半というこの時期にサイパンでロス市警に殺人容疑で逮捕された。
事件(妻を保険金目的で殺害されたといわれる)から27年もの期間を経ている。
本人も日本の法廷で無罪を勝ち取って、とうの昔に終わっていたと思っていたであろうに。また仮に有罪であったとしても日本ではとうに時効を迎えている。

アメリカには殺人罪には時効が無いのだと言う。
もちろん日本の司法が無罪としたものに対して新たな証拠無しに「逮捕」という事に日本そのものの威信を傷つけられた、という思いを持った人も多いだろう。

三浦元被告そのものを今更どうのこの言うつもりは無い。
それでも全てひっくるめて、何やらできの悪い息子が好き放題してオロオロする両親を尻目に横から近所のオヤジが怒鳴りつけて来て来たような、なんともオロオロする側には情けないが、実は有り難い様な、妙な気分になった人もいるのではないだろうか。

三浦元被告の場合は有罪か無罪かの極論であり、有罪であればかなりの知能犯であって、母子殺害やら、一家惨殺事件のような狂気の人間の仕業とも異なる。
方や証拠不十分、方や責任能力の問題、だがいずれにしろ日本の司法よ、ちょっと甘すぎやしないか、と言う問いかけにはなったのではないだろうか。

この「スナーク」という言葉、言うまでも無くルイスキャロルの描いた伝説の生物であり、魔物とも怪物とも思える。

織口は魔物に支配されたわけではなく、まっとうに責任を果たそうとしたもの以外の何物でもないと一読者は思う。

この物語に登場する人々、織口を父の様に慕い、あろうことか犯罪を犯させまいと追いかける佐倉という正義感あふれる青年。

全く関係の無い生きずりの人達でありながら物語の展開に存在感と影響力を与えたサラリーマン一家。

この一家こそ、先々自らの有り方を取り戻すのではないだろうか、と思えるところが唯一救いではあるが、この話、何故そこまで皆をいじめるの?と聞きたくなるぐらいに正義感青年も皆、将来に心の傷を負う。

地方都市のちょっとした小金持ちの娘でお金に不自由無く自由奔放に生きて来た慶子という女性。

彼女の心の傷はかなり酷いものであろう。

彼女は初めて真剣に愛した男は彼女の不自由の無い金だけが目的で利用されるだけ利用されてまるでゴミ箱へポイっと投げられるかの如くに意図も簡単に捨てられる。

この男は上記の猟奇的な殺人者よりももっと悪質かもしれない。いや表現が違うな。タチが悪い、という表現が妥当だろうか。

人間の9割以上は出来損ないで俺たちの様な優秀な人間によって生かされているようなものだ、などと平気で考えられる男。

この男、大して出来が言いわけでもないのに司法試験に通っただけで既に世の中の勝ち組の気分でいる。

こんな男が現実に存在するなら、それこそロス市警に逮捕どころか、中国古代の極刑にでも値しそうである。

しかしながらである。
一流大学をいとも簡単に合格し(この登場人物の話ではない)司法試験だろうが、一流の高級官僚への登竜門だろうが、いとも簡単に同格してしまう人達は存在する。

彼らは自分以下の人間に対して
「そんな事もわからないで生きてるの?」等とは平然とは言わぬにしても心のどこかには多少なりとも優越の意識はあるだろう。

その優越の意識を持っても他者に対する侮蔑の意識までは距離がある。
だが、その距離というものは実を言えば自分が意識している無意識なのかぐらいの差なのである。
それが意識的且つ極端すぎて返ってバカに見えてしまうのが上記の司法修習生に他ならない。

「人間の9割以上は出来損ない。俺たちの様な優秀な人間によって生かされているようなものだ」

小泉内閣、阿部政権と比較的政治家主導の政権から福田内閣になってからというもの官僚政治に一時代戻った感がのある事は否めまい。

日本の中枢を動かし、支配し、政治家を操る超エリート官僚の意識の根底がそこだとしたら、全くお寒いというほかはない。

宮部さんにしてみれば古い作品の一つなのかもしれないが、また一つ何かを気づかせてくれた作品に他ならない。

ありがとう。宮部さん。

スナーク狩り 宮部みゆき