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億男


この本には、古代ソクラテスから現代に至るまでの著名人によるお金にまつわる名言が山ほど出てくる。

あのトランプ大統領のまだ大統領候補にもなる前の不動産王としての言葉も出てくる。

その名言だけピックアップして読むのも面白いかもしれない。

3億円、かつての3億円事件の頃なら相当にインパクトのある金額なんだろう。
今や、聞いたこともない野球選手だってほんの2~3年で稼いでそうだ。
とはいえ、やっぱり3億円は大きいよなぁ。

この話、弟の借金を肩代わりし、数千万の借金を抱え、昼は図書館の司書、晩はパン工場で働き、妻子にも出て行かれている男が福引で宝くじを当て、なんとその宝くじが見事に当選。またたく間に3億の金を手にしてしまう。

ところがいきなりの大金を手にすると身を滅ぼすのでは、とネットで宝くじに当選した人を検索してみると、案の定、身を滅ぼした人の話ばかりが出て来る。

不安で不安でどうしようもない。

こういう話を読むと思いだすのが、かつて某食品メーカーの社長が、一介のサラリーマンに、明日から出社しなくいていいから、とにかく好きなだけ金を使って来い、という指示を出す話。もちろん資産を購入するのはご法度だが、どんな贅沢をして散財してもいい。期間は一年だったか。最後に何か商品開発のアイデアを一つ出せばいい。
そんな作業指示にサラリーマン氏はびびってしまってほとんどお金を使えない。
で、とうとう、普通に出社できないなら皆より早く会社へ出て、廊下とかトイレとかの掃除をしていたのだとか。

それに比べれば、この主人公は別に使い切らなくてもいいわけだし、そんなに不安に思うこともなかろうに、15年間も会っていなかった大学時代の親友に相談する。
その親友はなんと3億どころか100億を超える資産家になっていた。

その大金持ちであるはずの友人があろうことかその3億円を持って消えてしまうところから物語はスタートする。

その親友の居場所の手ががりを求めて彼が事業をやっていた時の3人の創業時メンバのところを巡る。

一人は公営住宅のようなところに住む女性で夫と共に質素な生活をおくりつつも、夫のルスに押し入れの奥底に12億円を並べてこっそり眺めているという人。

一人は競馬でも儲けて儲けて仕方がないという男。
そも男の言うままに主人公氏も馬券を買い、一瞬にして1億を手に入れ、一瞬にしてその1億を失う。

一人はいかがわしい金儲け教の宗教みたいなものを立ち上げて、その教祖として崇められ、しろうとから金を巻き上げている男。

三人の元を訪ねながら、本来は親友の居場所を探す手がかりを求めていたはずが、いつの間にか目的が「お金と幸せの答え」を探す事に変わっていく。

さて、彼は無事にお金を取り戻し、「お金と幸せの答え」を見つけることが出来たのでしょうか?

あーぁ、それにしても遠い話だ。
3億じゃなくてもいいから、100万円でもいいから、一度当たってみたいものだ。
じゃぁ、真面目に働いて稼げよっ!ってお叱りを受けそうだ。

億男 川村 元気 著



抱く女


桐野夏生って女性だったんだ。

これまで何冊か読んで来て、女性の心理描写に長けた人だとは思いつつも、ナツオと言う名前から勝手に男性だと思い込んでしまっていた。

女性でしかも団塊の世代。

と、なればこの物語の主人公の思いは作者の思いとかなりの部分で被るのだろうか。

この話の時代、高度成長真っ盛りだわ。東京オリンピック後の大阪万博があったり、未来というものに夢を持てる時代だと、皆が哀愁を込めて懐かしい時代、いい時代だったなぁ、ともてはやされる時代じゃなかったか。

それがどうだろう。
この話の登場人物たちの荒んだ生活は。
大学生達は、大学へ行くわけでもなく、雀荘で高レートでの麻雀三昧。

時、あたかも連合赤軍の集団リンチ事件やあさま山荘事件などが起こり、学生運動ももう終焉を迎えようとしている中、革マル派だの中核派だのと同じ学生運動をしていたもの同士が争い、殺し合う。
彼らの敵は権力でも無ければ政府でも無い。

主人公の女性そのものもろくでもない生活を送る一人には違いないが、それにしてもこの話に登場する男たちの女性に対する蔑みはどうなんだ。
これは筆者自身の体験なのだろうか。

主人公の女性は、男たちから公衆便所とあだ名されていることを知り、彼らから遠ざかって行く。

「永遠の青春小説」だとかという謳い文句の本なのだが、こういうのを青春小説というのだろうか。なんともじめじめと暗い。
主人公も周辺の男たちも、ろくなやつが居ない。

別に時代のせいでもないのだろうし、この本が時代を表すとも思ってはいないが、もし、ここに書かれていることがこの時代を著している、というのなら・・・
明るい未来が待っているわけでも無く、高度成長も無いが、平成の世の方がよっぽどいい。

抱く女 桐野 夏生 著



道徳の時間


「道徳の時間を始めます。殺したのは誰?」ってインパクトあるなぁ。

とにかく、ぐいぐい引っ張られるような勢いのある小説。

関西のとある地方の町で発生したイタズラ事件。
小学校のウサギの死体の傍らに「生物の時間を始めます」のメッセージ。
女児をブランコから離れなくさせておいて傍らに「体育の時間を始めます」のメッセージ。
いたずらで済まないのが、陶芸家の老人が自殺を図って死んだ後にみつかった三つ目」のメッセージ。
「道徳の時間を始めます。殺したのは誰?」

とはいえ、この一連の事件はこの話の中では、ほんのおまけ。

メインは13年前に起きた殺人事件。
小学校で講演中の元教師の著名人。
そこへ、かつての教え子で現在大学四年生の男が演壇につかつかと真っ直ぐに歩んで行き、生徒、父兄、教師たち、と衆人環視の中、講演者を刺し殺してしまう。
逮捕された後も一切しゃべらず、黙秘を貫き、唯一話したのが精神鑑定にかけるかどうかの時だけ。
「自分は正常だ。責任能力はある」と。
そして裁判にて判決言い渡しの後、裁判長から一言を求められ、発した言葉が

「これは道徳の問題なのです」の一言。

あまりに摩訶不思議なこの犯人を扱ったドキュメンタリー映画を作成したいという話が主人公のところへ持ちかけられる。
主人公はビデオジャーナリストのベテランで、ある事件でつまづき、ここ半年ばかりは休業中。
ドキュメンタリー映画を作成したいというのはまだ駆け出しの若い女性監督。

そうして、ドキュメンタリーと言う名の創作映画の撮影が始まる。
女性監督は13年前の当時を知る元小学生や教師、父兄などを次々とアサインし、インタビューして行く。
誰もが当時の青年がナイフを取り出し刺したに違いない、と言う先入観ありきだったのだが、結局、そのナイフを取り出す瞬間をはっきりと見たと言う人間は居ない、という方向にインタビュアーは誘導して行く。

一体、この監督兼インタビュアーはどこへ向かって行くのか。
事件を冤罪事件としてねつ造してしまうのか。

途中は、さほど面白い展開でも無いのに、とにかく先を知りたくなってしまう。

この単行本、興ざめなのは、巻末に江戸川乱歩賞の選者評が掲載されているところ。
そう。この本、江戸川乱歩賞という賞の受賞作なのだ。
受賞作を発表する雑誌への選者評の掲載は当たり前だろうが、それをこの本を目的で読んでいる人に読ませるか?

選者達の多くはこの本の結末について、結構クソミソ。バカバカしくて話にならない、とまで言う人も。その人は全般的にボロクソだったが・・。
それほどではなくても結末はひどいが次回作に期待しよう、という消極的賛成の人が多いように見受けられた。

ミステリというジャンル、そもそも結末ですべてを明らかにしなければならないのだろうか。

結局、謎が謎のままでは受賞作にはならないのかもしれないが、世の中の事件、大抵は何某かの謎は残ったままだろう。
他のジャンルなら、結末はぼやかして読者の想像に委ねるということしばしばだ。
結末のリアリティの無さをけなす前に、「必ず最後に謎は明らかになる」というミステリィのジャンルならではのリアリティの無さに言及する人は居ないのだろうか。

そうか。この本のキーワードは「道徳」だ。

自ら受賞作に選んでおきながら、ボロカスにけなし、しかもそれがその本の単行本の巻末に掲載させるという大作家たちや出版社の行為は道徳的にはどうなのか。
この選者評を載せることで「これは道徳の問題なのです」という言葉を後押しするのが出版社の本当の狙いだったのかもしれない。

道徳の時間  呉 勝浩著