ナニカアル
なかなかにチャレンジ精神旺盛な珍しい本ではないか。
林芙美子という実在の小説家の手記が別の作家の手によって書かれてしまう。
他の実在の小説家の名前が実名で何人も出て来るので、どこまでが作った話なのか、どこまでが実際に有った話なのか、判別が付きづらいが、巻末に掲載された膨大な参考文献の数から言っても、かなり当時をまた林芙美子を忠実に再現しようとしたのだろう。
話は林芙美子が亡くなった後で、芙美子の遺品を管理していた夫も亡くなったところから始まる。
遺品の管理は芙美子の姪で芙美子の夫と結婚している女性が、知り合いに遺品の相談などを手紙でやり取りする。
冒頭はその手紙の往復から。
亡き夫は売れない画家で自ら描いた絵は全て処分するように遺しているのだが、その絵の裏から、芙美子の手記を発見してしまう。
そして、その林芙美子の手記そのものがこの小説そのものなのだ。
林芙美子は従軍作家として中国戦線の第一線を取材し、それを書き、国威発揚の文章として発表される。
もっと年を経て女流作家だけ数名集められ、シンガポール、ボルネオ、ジャワといった南方戦線へ行っての視察団に選ばれ、陸軍の意図に沿った取材、執筆を命じられる。
病院船を偽装した船で南方へ行くまでの間に船の乗務員といい中になって抱き合ってみたり、南方へ行ってから、長年の恋人だった新聞記者との再会を果たす。
お互いに妻ある身、夫ある身だ。
南方では、作家としての本来の物書きではなく、陸軍の意図に沿ったものしか書かせてもらえない。
従卒として身の回りの世話をしてくれる老兵を付けてくれ、彼は常に身近なところに居て、恋人との仲を応援してくれたりするのだが、実は彼もまた、彼女を監視する役目だったことがわかったり、と、だんだん誰も信用出来なくなってしまう。
南方各地が日本国の地図になっていくその当時の高揚感が軍部からは伝わって来るが、作家としては欧米の支配という役割を一時的に肩代わりしただけではないのか、という冷静な視点もあるのだろうが、書けるのはおそらくこの手記の中だけだろう。
結構、夫をないがしろにした人なのだが、帰国してから、夫に内緒で出産するところまで来ると、思わず「ホヘッ」と驚いてしまった。
いくら膨大な参考文献を当たったところでこの手記がどれだけ林芙美子があたかも書いたものと思わせられるかが、この本の値打ちを決めるのだろうが、残念ながら、林芙美子という人、「放浪記」を書いた人ぐらいの予備知識しかないので、私にはその値打ちの判断はつかない。
ただ、桐野氏にそのぐらいの自信が無ければ書きはしなかったであろうから、おそらく、林芙美子を良く読んでいる人にも納得させられるほどのものだったのではないか、と推察する。
大作家が書いたものとしての文章を書いてみるという作業、かなり勇気のいることだろう。
よくぞ、こういうものを書いてみようと思い立ったものだ。