カテゴリー: タ行



大久保町の決闘


大久保町というから新宿の大久保だろうと思っていたら、あの明石の大久保だったんですね。

完璧にコメディです。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の中で、主人公が過去の西部劇時代へ飛んで行く話があったが、あれを日本のしかも兵庫県の大久保を舞台にして、徹底的にコメディにしたような話、と書けばわかりやすいでしょうか。

実在する地名なんですよ。
地元の人にはどうなんでしょうね。

JRの大久保、魚住、二見あたりって結構工場なんかも有ったような気もしますが・・。
いきなり酒場とガンマンの町になっていて、保安官事務所だのがあるかと思えば、何故か国連病院があったりする。

この国連病院の看護婦が滅法乱暴で強い。
ならず者退治にこの看護婦を使えばいいのにって、んなことはどうでもいいっか。

まぁ、難しい本を読むのに疲れたお方などの生き抜きに丁度いいご本ではないでしょうか。

大久保町の決闘 田中 哲弥 著(ハヤカワ文庫)



ポトスライムの舟


平日の昼間は工場で働いて時給850円のパートから月給13万8000円の契約社員に昇格。
それだけでは足りず、友達が経営するカフェでアルバイト。
休みの日はパソコンのインストラクターで働く。
そんな29歳の女性が目にとめたのが世界一周の旅行ポスター。
その料金は163万円。
工場での1年間での年収にほぼ匹敵する金額。
その女性は何故か、その世界一周ツアーへ行くことを目標にする。
工場での賃金をまるまる貯金して、他のアルバイト分だけで生活すれば、1年で達成出来る。
彼女の生活はして豊かなものではないが、特に貧しいという暗さも無い。
だからどうした、というのか・・。

どうにもこれは感想文になっていない。
どうにも書けない。
ということで書き手をバトンタッチしてもらいます。

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今や内需拡大せなあかんご時世や。
そやのに世の中、あっちでもこっちでも節約術の大流行や。
そういう意味で言うたら、どんな節約術よりもこの女の人みたいに働きづめに働くんが、一番の節約やろな。

しかしまぁ、なんなんやろな。芥川賞って。
毎回毎回、ようわからんわ。
そらまぁ、将来有望な新人作家に与えられる賞なんやろうけど、将来有望ちゅうだけやったら、小学生の作文かて「おっ、こいつは将来有望やで!」なんちゅうことも有り得るわけやけど、そんなことは過去にあった試しないしな。
当然ながら、このまさに受賞した作品が賞に値するっちゅうことなんやろ。

最近の受賞作ってどないやねんな。
・青山七恵の「ひとり日和」、なんやっちゅうねん。
・諏訪ナントカの「アサッテの人」、これまだマシやった。
・川上未映子の「乳と卵」、これはひどかった。
・楊逸の「時が滲む朝」、タイトル負けやろ。

それに比べたらこの「ポトスライムの舟」は、まだマシなほうか。
「乳と卵」っちゅう大阪のキタ新地で働いてはる人が書いたんよりもはるかに大阪弁
の使い方がうまいし、まともや。

工場で働く契約社員の女の人が主人公や。
新聞もテレビも非正規社員の不遇たら雇用問題ばっかりのこのご時世や。
契約社員からっちゅうてなんも卑屈になることも不安だけで生きることもないわな。
世界一周を目標にするなんちゅうのんは、心がけとしてはなかなかええんちゃうやろか。
そやけど、団体ツアーみたいなもんに一人で参加してなんかおもろいんかいな。
まぁここは団体ツアーがどうったらっていうことよりもそういう仮の目標を唯一おいたちゅうだけで、ほんまつましい女性の日常、ほんまの夢も目標もなーんも持たんそういう日常。現実こういう人っちゅうのは結構多いんかもしれんけどな。

はっきり言うわ。
おもろないんやな。この話。
文章表現が巧みやとか、描写が正確やとか、そんなもん読む側にしてみたら二の次、三の次とちゃんかいな。
終始たんたんと、つましい生活を描いて、大した夢も希望もなーんもないだけの話がおもろいわけがないんとちゃうんかいな。

選考委員と一般の読者の評価基準はだいぶんと差があるような気がしてならん。

ポトスライムの舟 津村 記久子 (著) 第140回芥川賞受賞作



MW-ムウ-


これは「読み物あれこれ」に載せるべきものなのかどうか。
本屋では平積み状態。
バンバン売れているのだろう。
手にとってみるとなんと手塚治虫原作の漫画であった。
漫画ではあるが充分に読み物に値するのではないだろうか。
何故、今頃手塚治虫だったんだろう。
没後20年。生誕80年。
今年この「ムウ」が映画化されるのだという。

ある時はエリート銀行マン、ある時は誘拐犯、ある時は神父に懺悔をする男。いや誘拐どころか強盗・殺人も平然と行ってしまう。
あまりに美形なので、女性に変装しても誰も疑わない。
そんな主人公、結城美知夫と教会の賀来(がらい)神父が二人だけで共有する過去のある秘密。

某国の軍事基地のあった沖ノ真船島という島に隠されていた「MW」という名の毒ガス兵器。それはほんの微量が漏れただけでも大量の死者を出し、いや、人間だけではなく、生けるもの悉くを死にいたらしめてしまうというまるで核兵器の様な生物兵器。
沖ノ真船島で事故によってそのガスが漏れ、島民全てが全滅してしまう。その惨劇のあった島でたまたま風上の洞窟に隠れていたために助かったのがこの二人。
事故は某国の意向を受けた日本政府によって揉み消され、全く無かったものとして扱われる。

事故以来、美知夫は凶悪な人間と化し、揉み消しを行った連中への復讐心に燃える。

この物語の中でもベトナム戦争時に米軍がある村へ散布した生物化学兵器にふれ、非人道的兵器の使用について問われた米軍のスポークスマンをして、苦しまないで死ぬのだから、寧ろ人道的兵器だと言わしめている。

化学兵器の恐ろしさは掲げればいくらでもあるだろうが、オウムのサリンをひくまでも無く、無差別殺人という行為に繋がる。
それは化学兵器に限らず、核にしても同じであろうが、戦闘員、非戦闘員を問わない無差別大量殺戮兵器。

ソ連がアフガンへ侵攻した際に至るところに地雷をばら撒いて行ったが、その地雷の近くには子供用のおもちゃが置いてあったそうだ。
子供を吹っ飛ばすのが目的だったとしか思えない。
未来ある子供達を吹っ飛ばすということは民族根絶やしでも考えていたのだろうか。

第二次大戦での東京大空襲だって同じだろう。
女・子供問わずに全員の虐殺をカーチス・ルメイは考えていたとしか思えない。
ちなみにその後広島、長崎への原爆投下を指揮したのもカーチス・ルメイである。
大戦後の日本は復帰一筋で復讐の鬼とはならなかったが、非戦闘員への無差別殺人によってもたらされるのが復讐の鬼達なのではないだろうか。

折りしも、イスラエルによるガザの人口密集地への空爆は現在も続く。
ここでも白リン爆弾という兵器が使われている。
白リン爆弾は摂氏5000度を超える熱で街で焼き尽くし、その後には猛毒ガスも発生するのだという。

非人道兵器が使用されるたびに、何十人もの結城美知夫が生まれて来るような気がしてならないのだが、どうだろう。

MW-ムウ-  手塚治虫 作