カテゴリー: タ行



謎の独立国家ソマリランド


あの無政府国家ソマリアの北部に治安の安定した謎の独立国家があると聞き、そんな夢のような話があるのか?これぞラピュタの国だ!とばかりに現地へ向かう著者。

入国にはビザが要る。
そのビザはどこで発行しているのかもわからない。
まったくの手探り状態からの出発。

宿泊先のホテルの従業員が大統領の補佐官だっかた秘書官だったに気安く携帯で電話をする。
そこで即座に表れた大統領側近は彼らの滞在中のスケジュールを速攻で全て決めてくれ、通訳の手配、運転手の手配も怠りない。
ソマリ人は尽くにスピーディなのだった。
ちなみにソマリアという国名はイタリアの植民地だった頃のイタリア式の命名で、住んでいる人達はソマリ人。話す言葉はソマリ語。
ソアリアという国名にイタリア式のアが残ってしまっているだけで、本来はソマリなのだという。

そこで彼ら(著者の高野氏とカメラマンの宮澤氏)が見たのは、街中で銃を持つ人がいない風景。
夜になって女性が一人でも歩ける風景。
自国の通貨への両替を重装備の警備もない露天のような場所で平然と行われている風景。これが本当に対外的にはソマリア国の一部と言われている地域なのか。
もっと治安が良いとされる国よりもはるかに安全。

国連もどこも承認していないが、彼らは政府を持ち、警察を持ち、独自の通貨までも持つ。そして議会も持つ。両議院制だ。
選挙によって選ばれた衆議院とそれを監視する氏族の長らによるいわゆる貴族院のような制度。
純前たる民主主義国家なのだ。

すぐ東隣にはブントランドという海賊国家と言われる国(これも国際的には認知されていない)があり、そして南には無政府状態で未だに戦闘・紛争が耐えず発生し、著者が「リアル北斗の拳の国」と呼ぶ南部ソマリアがある。

その周辺地域で為し得なかったことが何故、このソマリランドでは為し得たのか。

国連が認めていない=国際社会から認められていない、だからこそ為し得たなどという目から鱗の様な意見も出て来る。

国際社会から認められれば、当然援助対象国として莫大なお金がもたらされる。
そうしたことは、利権や賄賂の発生にもつながり政府は腐敗し、民衆はその政府を倒そうとする、そうしたことから、国は乱れていき暴力沙汰が起き、治安は悪くなる。
というのが、その意見の主旨。

そういう視点はもちろんあるのだろうが、ソマリランドが治安の良い民主国家になり得たのは、昔ながらの氏族の長が意見を出し合い、昔ながらの掟と代償によって物事の解決を図ってきたから。

日本でもいにしえの知恵に学ぶことは多々あるだろうが、ここソマリでのいにしえの知恵は素晴らしいほどに機能し、同じ民族同士で恨みと復讐の連鎖を立ち切り、争いが起ころうとしてもそれが長期化する事を回避させ、双方を納得させるという、見事に争いを制御できる機能を持っていたのだった。

アフリカや中東を語るに必ず出て来る「部族社会」ということば、大半が間違いなのだという。
ソマリも部族社会での部族間抗争などと言われるが、ソマリはソマリランド、ブントランド、南部ソマリア、エチオピア、ケニアの一部は部族としては同じ部族。
全てソマリ人で、抗争が繰りひろげられるのは氏族同士の闘いなのだという。
氏族同士の争いとは、日本で言えば源氏と平氏の争いのようなもの。
同じ氏族間のつながりは深く、冒頭のホテルの従業員が大統領の側近に気安く携帯で電話が出来るのは同じ氏族の身内同士だったからだ。

ではなぜ、南部ソマリアでは掟が機能せず、虐殺の応酬が繰り返されているのか。
国際社会の介入により、機能するはずの氏族長をはじめ、主だったところが全部殺戮されてしまったためなのだとか。

筆者は帰国し、このソマリランドで得たことを本にしようとするが、「平和な国家がありました。なんて本、誰が読むんだ」と相手にされない。

それからの彼の行動がすごい。
「ルポ資源大陸アフリカ」を読んだ時に白戸記者の記者魂というか、フットワークの軽さに驚いたが、この高野と言う人、とことん一箇所を掘り下げる人らしい。今度は単身でソマリランドのみならず、海賊国家ブントランド、そしてリアル北斗の拳と自ら呼ぶ南部ソマリアまで踏み込むべくでかけて行くのだ。

ブントランドでは案内人と護衛兵士を常に四名、ほぼ強制的に雇い入れさせられ、且つ一定時間帯以外は治安が悪いからとホテルの中に缶詰め状態となる。

資金も底をつくのが見えて来た著者はあろうことか、海賊のオーナーになってみたらどうか、などと真剣に見積りを取ったりする。
自らがソマリア海賊になってみようなどと考える日本人はおそらくこの人一人ではないだろうか。
もちろんカート(噛んで行くうちに躁状態となる葉っぱ)を噛み続けていたことの影響は大きいのだろうが・・。
この見積り行為が最も手早い取材活動になったようで、海賊の実態が明らかになって行く。
ちなみにこのブントランドも氏族から選出されたものに限ってだが、選挙が行われて国会議員が選出されるという、一応民主主義国家なのだ。

現在、エジプトではデモ隊と治安部隊の衝突で大変な事態になっているが、それでもレポーターがテレビカメラの前で平気で道路をバックにしゃべっている姿を見るにつけ、まだ治安の良さはエジプトの方が上だろう、と思わせるのが南部ソマリア。

ブントランドの次にはその南部ソマリアへと入国する。

南部ソマリアでは敏腕で勇敢な女性テレビ記者の助けを借りていくつもの危ない場所へも足を運ぶ。

南部ソマリアの産業は何か。トラブルがビジネスになっている、と書くと語弊があるだろうか。
紛争の度に国際社会が調停に乗り出し、調停の都度、莫大な金を落として行く。

著者は、その南部ソマリアについても誉めることも忘れない。
首都のモガディシュはどれだけ荒れても、人も街も都として洗練されている。
都会人としての高い民度を持っている、と。

この高野という人、物事を説明する比喩に独特の手法を持つ。
ソマリランドをラピュタに例えてみたり、ソマリの氏族社会をわかりやすく表現しようとしてか、地域の部族を日本の歴史の源氏・平氏・奥州藤原氏などに例えているのは、最初のうちはどうなんだ、とも思いつつも読み進むうちに、イサック奥州藤原氏、ハウィエ源氏、ダロッド平氏などと書かれていた方が確かに頭に入り易くなっていった。

この作者、本一冊書いたところで到底回収できないだろう金額をつぎ込んでこの取材にあたっている。
このたび、この「謎の独立国家ソマリランド」が今年の講談社ノンフィクション賞の受賞作に決まったという。
受賞によってちっとは回収できたことを祈りたい。

それより何より、高野という人、今では他の日本人の誰よりもソマリについて詳しくなったのではないだろうか。

何年後かにはイサック藤原氏の分家の分家のさらに分家のイサック高野氏などと名乗っているかもしれない。

謎の独立国家ソマリランド -そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア- 高野 秀行 著 第35回 講談社ノンフィクション賞 受賞



下妻物語


先日レンタルビデオショップで深田恭子・土屋アンナが主演の映画「下妻物語」を借りた。

だいぶ前の作品だが、面白かったので原作の小説も読んでみた。
主人公はロココの時代のフランスに生まれたかったという17歳、桃子。

ロココは、バロックというとてもお堅い文化が弾けた後に台頭してきた文化である。
実用的や合理的だとかいうことを主軸としていない文化で、美しくて可愛いならそれでいいし、楽しいならなんだって良いのだ。

快楽主義なこの時代は、軽薄で不真面目な文化だったと言われることもしばしば。

華やかなフリルやレースのついた服、パニエで膨らませるスカート。
桃子はロココの精神を受け継いだ、ロリータファッションをこよなく愛している。

お気に入りのボンネットに穴が開けば、その穴に一生懸命かわいらしい刺繍をほどこして使い続ける。
ひとつひとつのロリータアイテムに愛着を持ち、大事に使い続けている。

服に穴が開けば捨ててしまい、流行が過ぎれば飽きてしまう我々は、見習わなくてはならないところがありそうだ。

そんなロココに夢見る桃子だが、現実は兵庫県尼崎出身で、今住んでいる場所は茨城市下妻。

「今が楽しければそれでいい」というロココの精神を貫く彼女だが、それはただの自己中心的な性格でしかなく、友達は一人もいない。

そんなある日、桃子とは見た目も中身も対照的な下妻のヤンキー、イチコに出会う。
最初はイチコに連れられて、嫌々行動を共にしていた桃子。
自分の幸せにしか興味のなかった桃子が、イチコに振り回されているうちに、次第にイチコの為、人の為に行動するようになっていく。

その姿があくまで「さりげなく」描かれているのが、この作品の魅力かもしれない。

ロリータとヤンキーという異質な組み合わせの、コントのような面白さだけでなく、人がそれぞれ持つ性質を深く掘り下げた作品でもあるようだ。

下妻物語 嶽本野ばら 著



ツナグ


死んでしまった人と会える。

但し、一生に会えるのは一度だけ。

死者の方から誰に会いたいというリクエストは出来ない。
死者は受け身で待つばかり。

生者からのリクエストを断ってもいいし、会ってもいいが、こちらもチャンスは一度っきり。一度会ってしまうと二度と生者とは会えない。

その仲だちをするのが「ツナグ」という人の役割り。

同じ設定でいくつかの短編が載せられている。

第一話は突然死した元アイドルのタレントとの出会いを望む女性が主人公。
バラエティ専門の元アイドルだからバラドルとでもいうのだろうか。元アイドルといいながらもバラエティでは超売れっ子のその人に会いたいと仲介を頼む女性。

同期の女子社員から残業を押し付けられ、真っ暗でたった一人のオフィスで自分の上の蛍光灯だけが灯っているようなところでもくもくと単調な仕事を続けるような人。

楽しみなど何もないような人なのだが、唯一の楽しみがその元アイドルが出ているテレビを観ること。

有名人だけに何人もの人がリクエストするんだろう、と気を揉むが、あんに反して彼女は会ってくれるという。

たった一回こっきりの生者に会えるチャンスを自分のためになど使ってもいいのだろうか、と今度は心配するが、あにはからんや、お別れの会で「もう一度会いたい!」と泣いていた人達など絶対に来ないのだ、と彼女は断言する。

不幸のかたまりのような女性と会ってこの元アイドルがどんな言葉を投げかけるのか。
浅田次郎氏などが好きそうな設定だ。

浅田氏が同じ設定で書いたなら、それこそ読者を涙でぐちゃぐちゃにしたことだろう。
そういう意味では辻村さんの作品はちょっと淡泊なのかもしれない。

同じ設定で、癌で亡くなった母に会いに来る壮年の態度のでかい男性の話。

婚約指輪を渡した途端、行方不明になった女性と会いに来る男性の話。

自分のせいで死んでしまったのかもしれない同級生に会いに来る女子高生の話。これなどは女性作家ならでは、だろうか。

その「ツナグ」の役割りを担うのは、この世の人以外のものだろうと思いきや、生身の人間だった。しかもまだ高校生。

さて、たった一人だけ亡くなった人ともう一度会えるなら、果たして誰を選ぶんだろう。

ツナグ 辻村深月 著