カテゴリー: ナ行



傷物語


キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード、なんとも長ったらしい覚えにくい名前である。
主人公は「キスショット」と省略してしまうのだが。

500年を生きて来たという「鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼」。
史上最強の吸血鬼。

吸血鬼の現れるところには、吸血鬼ハンターが現れる。

吸血鬼ハンターに倒されかけて瀕死の状態になったキスショットに出会ってしまう。

それがそもそもの始まり。

阿良々木暦、羽川翼、忍野メメってどこかで見た覚えのある名前だとおもったら、「化物語」だった。

「化物語」というのは主人公の阿良々木暦の周辺に怪異が現れ、その度にこの廃墟の建物に寝泊まりしているいそうろうしている忍野という正体不明のオジサンに相談を仰ぐお話。

その「化物語」の中で「あの春休みの出来事」とだけふれられてその内容については最後まで明らかにされず仕舞いだったがその内容というのがまさにこの「傷物語」そのものなのだった。
「化物語」よりだいぶあとで出版されたはずのこの「傷物語」でありながら、なんとぴったりと嵌りすぎじゃないか。
化物語で怪異に遭遇するたびに、訪れる元塾の廃墟の建物。
何故かそこで阿良々木暦は幼い女の子に血を吸わせるのだった。

その不思議さには「化物語」の中ではとうとう触れず仕舞いだったが、この本で全てが明らかにされている。

「化物語」を書きながら、実はこの「傷物語」も書き上げていて、じっと眠らせていたのだろうか。

後付けで書いたにしてはあまりに嵌りすぎだ。

西尾維新は戯言シリーズの後で書いたであろう零崎シリーズなんかでも戯言シリーズの合い間をうまく埋めている。

自身の原作ものだけでなく、他人の原作ものにもそういう試みをいくつかしている。
そういう技が得意な人なのか。

まさに異能だ。

西尾維新こそが怪異そのものなのではないか、などと思ってしまう。



転生


「し」の次に「転生」などと言うタイトルが続くと、いよいよこのサイトも宗教めいて来たか、と思われるかもしれない。

まぁ宗教とは全く無縁ではないかもしれないが、この本は「心臓移植手術」の話である。
主人公はまだ若い学生。拡張型心筋症という重い心臓病でいつ死んでもおかしくはなかったのだが、ドナーが現れ、心臓移植の手術をしてもらう。

心臓移植の手術は大成功で、それまでは食べ物などほどんど受け付けない様な身体だったのが、手術の翌朝には食欲が旺盛になり、身体からエネルギーが湧き出て来る。

それと同時にこれまでに無かった才能が現出する。
聞いた事も無いショパンの曲をさわりを聴いただけで題名がわかり、絵画の才能がある自分にも気がつく。

それにこれまでに出会った事もない女性の夢を見るようになり・・・。

この展開は・・・。かつて読んだ本に、移植手術で殺人魔の内臓やらをそっくり移植してしまって、その殺人魔の意識を引き継いだ人の話なんかがあったが、そういう展開か?

その逆も確かあったような・・。殺し屋が移植手術を受けた後にあたたかい心を持つというような展開。

はたまた、一旦は死んでしまったのだが、この世への思いが断ち切れなく、霊界から現世へ他の人の身体を借りて一時的に戻って来る類の話。

そんな展開になっていくのだろうか・・などと考えてしまったが、もっと違うテーマがあった。

人間の記憶の在り処はどこなのか。
通常考えれば、脳でしかないのだが、大昔より心=心臓であり、全く違う文化で生まれた英語のheartもやはり心であり心臓だ。
単なる偶然なのか。

血液を循環させる身体の1パーツでしかない心臓に心があるのではないか、と主人公が考えるのもうなずける。
そこへエミリア・ドースンというアメリカの心臓移植体験者がドナーの記憶や趣味や嗜好までそっくり転移したという手記を読むにあたって、主人公の思いは確信に近くなって行く。

この話、そういった人の記憶の在り処を探していくことと併行しながら、レシピエントとして生きる人の思いも描いている。

なんせ心臓移植を受けたということはドナーの心臓はその時もまだ動いていたのだから。思いは複雑なんて簡単な言葉では片付けられないだろう。

ジャンルで言えばミステリーなのだそうだが、ミステリーというよりももっとテーマが前面に出た小説。 もちろん少々荒唐無稽なところもあるのでそれを差し引けば社会派小説のと言ってもいいかもしれない。

転生  貫井徳郎 著



きみとぼくが壊した世界


タイトルを見てわかるとおり、「きみとぼくの壊れた世界」「不気味で素朴な囲われた世界」の一連のシリーズの一冊。

作中作の連発。リレー式の作中作。なかなか面白い試みだろうし、ってちょっと作者から嫌われる上から目線っぽかったかな。

ある意味仕方がないでしょ。作者が文中に書いている如く、読者は作者を選べるけれど、作者は読者を選べませんから。たまには嫌いな上から目線読者にもあたってしまいますよ。

でもこの作中作ってやつは最終的になんでもありになってしまうんじゃないのかな。夢オチみたいに。
小説なんてそもそもなんでもありじゃないかって、うーん、確かにそうかもしれません。

西尾さん、たぶん遊んでますよね。楽しんでますよね。これ書きながら。

「せんたくもんだい編」とか「あなうめもんだい編」とか「ちょうぶんもんだい編」とか、「ろんぶんもんだい編」、「まるばつもんだい編」とか・・・っていう章タイトルにしたって、やっぱり遊んでる。

ロンドンが舞台というのがいいですね。
ちょっとしたツアーBOOKになってたりして。なってねーよ。そんなもん、って突っ込みを入れるのは誰?

ロゼッタストーンに異様な興味を示すのは櫃内様刻か?串中弔士君なのか?

「これを読み終えた人は必ず死んでしまう」という本を執筆したイギリスの作家は?

病院坂黒猫がシャーロック・ホームズの熱狂的ファンだったり、蝋人形に恐れおののいたり、と新たな一面が出て来ていながら、それも作中作なのかもしれない。他の登場人物が勝手に作ったキャラクターなのかもしれない。

「きみとぼくの壊れた世界」「不気味で素朴な囲われた世界」の場合、こういうところで紹介するのをの少々ためらってしまうようなところがありますが、この本の場合はそんな心配も無用。

まさに愉快愉快、楽しい一冊なのです。

きみとぼくが壊した世界  西尾維新著