カテゴリー: ハ行



一応の推定


「自殺そのものを直接かつ完全に立証することが困難な場合、典型的な自殺の状況が立証されればそれで足りる」
「その証明が『 一応確からしい』という程度のものでは足りないが、自殺でないとする すべての疑いを排除するものである必要はなく、明白で納得の得られる ものであればそれで足りる」
それがタイトルでもある「一応の推定」の定義だそうだ。

ひとりの男が電車にはねられ、死亡する。
損害保険会社の依頼で事件の調査に当たるのは定年退職目前のベテラン保険調査員。
自殺であれば損害保険会社は遺族へ保険金の支払い義務は無い。
調査員の仕事とは、その死亡が自殺によるものなのか、事故によるものなのかを調べることになる。
会社としては当然ながら自殺であることを証明しようとする。
遺族は、事故だというに決っている。

調査を進めるに連れ、自殺であってもおかしくないようなことがいくつも判明してくる。
・死亡した男性には、渡米して臓器移植の手術を受けなければ、余命いくばくもない孫がいて、その渡米のためには多額のお金が必要だった。
・保険に入ってから間が無い。
・死亡した男性の会社は実は倒産していた。

次から次へと出て来る材料は、男が自殺したのでは?と思わせることばかり。
「一応の推定」の成立として報告書を仕上げてしまうことも出来るのだろうが、それでもこの調査員はまだまだ調査を続行していく。

老調査員は死亡事故のあったJR膳所駅まで行き、死者の最後の直前の場面を自ら再現してみたり、階段からの歩数を図り。列車のスピードを調査し・・・。目撃者がいる可能性があれば、今度はその男を追いかける。追いかけた先の京都に既に住んでいないなら、その別れた奥さんを追いかけて鳥取まで出張する。

保険の調査員は刑事ではないので、捜査権などはもちろん無い。
あくまでも人の善意に訴えて、証言を引き出していく。
そこはベテランならではと言ったところか。
作者自身保険の調査員だったというから、ご自身での体験が大いに著されているのだろう。
なかなかに読み応えのある一冊だった。

次作の「回廊の陰翳」が京都の本屋大賞BEST3。

この本がデビュー作にして松本清張賞を受賞。

こちらは京都よりも寧ろ大阪。新世界界隈もあれば、淀屋橋から北浜の界隈やら、日常に歩いている場所が頻繁に登場するので、親近感は満載である。

一応の推定  広川 純 著 松本清張賞



回廊の陰翳


琵琶湖疏水に男性の死体が浮かぶ。
亡くなったのは京都に総本山を持つ宗派の僧侶。

昔、水泳でインターハイまで進んだ友人が溺れて死んだという事故死扱いに大学時代の親友達は納得行かない。

時を同じくしてその総本山にある寺院から国宝級の仏像がある会社の社長に売却されたという告発文が警察に届き、警察は内偵を始める。

僧侶の親友達もまた警察とは別に友人の死の原因を調査しはじめる。

著者は元々は保険会社の調査員の仕事を元々を行っていたのだというだけあって、尾行、張り込み、聞き取りの最中にやったことのある人でなければ出てこないような気づきがかきまみえる。

京都では「白足袋族に逆らうな!」という暗黙の掟が古来よりあるのだという。
その白足袋族の筆頭が僧侶。

その僧侶の総本山のトップ。
管長や総長は議員による選挙で決まるのだとか。
公職選挙法の対象外なので、どれだけ札束が飛び交おうが選挙違反で捕まることはない。
そんな札束選挙で選ばれた総長や管長が祇園で派手に遊び、妾を別宅に持ち、全国の傘下の寺院から集まったお金を私物化する。

この本、京都の本屋大賞にあたる京都本大賞のBEST3の一冊。
確かに京都の知っている地名がいくつも出て来る。
京都人にというより、京都に観光で良く来る人などが喜びそうな本だ。

広川純という作家は、なんでも前作のデビュー作で、松本清張賞を受賞したのだとか。確かにちょっと松本清張っぽい作品だな。

回廊の陰翳(かげ)  広川 純 著 京都本大賞のBEST3



完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯


これを読むとあらためてチェスというゲームがいかに世界ではメジャーなゲームなのかを思い知らされる。
日本では将棋、囲碁のルールを知っている人はそこそこいるだろうが、チェスの駒の動かし方を知っている人となれば、そうそういないのではないだろうか。
ましてや、今のチェスの世界チャンピオンが誰かなど、ほとんど知られていない。

この本、そのチェスの天才の生涯を描いた本である。
ボビー・フィッシャーという人で、6才でチェスをはじめ、7才の時にその手筋を認められ、大人しか入れないような有名なチェスクラブに会員としての出入りを許される。
寝ても覚めてもチェス三昧。何千、何万という過去の棋譜をまる暗記してしまい、とうとう14才の時に全米のチャンピオンにまでなってしまう。

その当時の世界の強豪は社会主義人民共和国だった頃のソ連で、フィッシャーは何度か世界の壁に挑むが、ソ連の総力戦を前に悔しい思いをする。

囲碁・将棋の世界ではなかなか考えられないが、チェスの世界では「引き分け」というものがある。
あらためて、チェスボードにむかってみると良く分かる。
将棋のように取った駒を使えないので、お互いの駒は盤上から減って行く一方なのだ。
双方共、攻め手を欠いたまま、どんどん駒が減ってしまってはしまいに、手が無くなってくる。
従って引き分けというルールは考えてみれば必然か。

引き分けはどちらかが、引き分けを持ちかけて相手が受ければ成立する。
ソ連の棋士達は引き分けというルールを使うことでお互いを助け合うことが出来る。

そんな不利な状況の世界大会をいくつか経た後に、ついにボビー・フィッシャーは世界チャンピオンの座を手に入れる。

冷戦時代のことだけにアメリカ国民は熱狂だ。

だが、この人、この後がひどすぎる。
いや、それまでも結構、我がままで傍若無人だったが、もっともっとこの後ひどくなる。
3年に一度の防衛線で、戦い方のルールを変えようとするが通らずに次の防衛線を迎えることなく、チャンピオンの座を放棄。
以降、20年以上にわたる空白期間の後に持ちかけられたのがユーゴスラビアで開催されるかつての世界戦を戦った相手との一局。

かつての世界チャンピオンというのはそこまで偉いのか?と思わせるほどに凄まじい注文を開催者側につきつける。
カメラは何十メールより後方から撮ること。チェス盤や駒への交換指定ぐらいならまだ普通だろうが、備え付けのトイレをあと何センチ上に上げろ、だの、もうまさに中世の王様。

ただ、この時期のユーゴスラビアはボスニア問題で紛争の真っただ中。
アメリカは経済制裁の最中だっただけに、フィッシャーへ参加を見送るように再三持ちかけたのだが、フィッシャーは強行してしまったので、以降アメリカ政府から起訴される立場となり、最後までアメリカから逃げ回る。

言動がひどくなるのはこの頃からで、自らがユダヤの血を引く者でありながら、ユダヤ人に対する差別的発言、軽蔑的発言を繰り返す。それがエスカレートして行き、ホロコーストはユダヤ人のでっち上げだ、とまで言い出す始末。

起訴されてからというもの、アメリカへの非難もだんだんエスカレートして行く。
自らの血統のユダヤを徹底的に非難し、自らを育ててくれたアメリカを非難する。
非難対象は何も国や民族ばかりではない。
彼は、彼の名前や映像を使って儲けようとした人全員に敵意を向ける。

ごくごく親しかった人、親切にしてもらった人、みんな何かの時には味方になってくれそうな人々に対して、自分が受け取るはずだった金を返すよう要求してみたり、発言が気に入らなくなったりで、自ら敵意を持って遠ざけてしまう。

9.11テロの時に、アメリカざまーみろ的な発言をメディアに流してしまったのは致命的だ。あの9.11に拍手したのは当時のアフガン、イラク、イランやパキスタンなど中東のイスラム原理主義者たちか、フィッシャーぐらいのものじゃないだろうか。
さすがに放置していたアメリカも彼のパスポートを無効化し、滞在していた日本から飛び立とうという時に、日本の入管に捕まり、以後6ヶ月の間日本で拘留される。
日本にチェスの元世界チャンピオンが拘留されていたなんて、大半の日本人は知らない。

アメリカへの強制送還だけは避けたい彼を喜んで迎え入れてくれる国などどこにもない。
ロシアはかつてさんざんインチキチェス、と称して批判して来ているし。
アメリカやユダヤを批判する立場を取ったからと言っても彼自身がユダヤ人なのだから、中東のイスラム国家が喜んで受け入れるはずがない。
ホロコーストを嘘だ広言する彼だけはヨーロッパの国々も受け入れたい人ではない。
自らの発言、行動で世界のあこがれの中心だったはずの人が、見渡せば世界中を敵にしてしまう、という不思議さ。

唯一、受入れを表明してくれたのが、彼が世界チャンピオン戦を戦った地であるアイスランド。

アイスランドはかつて彼にチャンピオン戦を戦ってもらったおかげで、世界にその名が知られた、と彼に恩義を感じてくれていたのだ。

そんな大らかな気持ちの国のアイスランドに対してすら、彼は悪口を言い始める。

被害妄想過多で、金の亡者で、自己中心的で、独善的で、人を罵る、蔑む、憎む、人を信用しない、信用出来ない、差別主義者で・・・とチェスの天才であることを除いてしまえば、全く何にも取り柄の無い最悪の男だろう。

フィッシャーの没年は2008年だが、フィッシャーにしてみれば日本も憎むべき対象に入っていた。
もし2011年まで生きていれば、あの3.11大地震大津波の時も言ったに違いない。
「ざまーみろジャップめ!」と。

完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯 フランク ブレイディー (著), Frank Brady (原著), 佐藤 耕士 (訳)