カテゴリー: ハ行



片想い


アメフトが題材として用いられるのは、日本の小説ではかなり珍しいと思う。
「どしゃぶりが好き」須藤靖貴 著(光文社)という小説があるにはあるが、これなどはアメフト部を率いる監督が主人公でアメフトそのものを描いているので、物語の背景としてのアメフトの存在を据えるのとはまた異なる。

大学時代のアメフト仲間達の集い。卒業して10年を経過しても尚、再会して必ず出るのが最終戦の敗北ゲームの話題。
QB(クオーターバック)が完璧なフリーで走っている選手へパスを出せば、そのままタッチダウンで優勝だったはずが、そこへは投げずに敢えてマークされている選手ヘパスを出してしまい優勝を逃してしまうという、その話題。

大学時代のアメフト仲間達はアメフトを離れてそれぞれの道を歩んでいるが、近況はこうした集いで知れる。
だが、中には同窓会にも全く来ない、どうしているのかわからない者もいる。

二人いた女子メネージャーのうちの一人がそうだ。
もう一人の女子メネージャーは、QBの妻となっている。

そのかつての女子マネージャーとQB夫妻が再会する。
彼女はかつての女子ではなく男の容姿であった。

彼女は性同一性障害なのだという。
卒業してからそうなったのではなく、学生時代も、もっと前の幼少時代からずっとそうだったと。

かつての仲間が女でありながら男たりたいと思ったところでさほどの問題ではない。

問題は彼女が男性の容姿をしている時に起こした殺人だ。
男性の恰好でバーテンの仕事をしていた彼女は、ストーカーに付きまとわれているホステスの女の子を自宅まで送り、その際にしつこくつきまとっていたストーカーを殺害してしまったのだという。

QB夫婦は彼女に自首をすすめるのではなく、かくまう方を選択する。

女性の格好にさえなれば、絶対みつからないだろうとQBの妻はいい、彼女はそれを嫌がる。

それにしても「性同一性障害」ってなんで「障害」なんだろうか。

女性の身体を持つ人が男性の心を持ったとして、それの何が障害なのだろうか。
女性の心を持って男性の身体を持つ人などは、テレビにいくらでも登場している。

この小説ではこのような女性の身体を持つ人が男性、男性の身体を持つ人が女性が複数登場するが、染色体の性にもふれている。

男女の染色体とは男が「XY」で女が「XX」だと一般的には言われている。

高校陸上で圧倒的な脚力を持つ女子選手。
彼女の染色体には「Y」が含まれているのだという。

それゆえ、有名な大会に出てしまってオリンピックの候補にあがってしまっては一大事。陸連そのものが方針を出せないでいる、ということで一流大会には出場しないまま、もくもくと練習を続けている。

彼女の場合は、心も女、身体も女。ただ染色体だけに「Y」が含まれている。

その話は余談ではあるが、この事件の結末は元QBの主人公次第。

それぞれ、登場するかつての仲間がランニングバックならランニングバックとしてのかつての役割りや個性を残していたり、ここでフェイクをしかけるだとか、アメフトのゲームをもじりながらの物語運びがなかなか面白い。

さて、主人公氏はかつての司令塔QBのように、この事件でも司令塔となり得るのだろうか。

片想い  東野 圭吾 著 (文春文庫)



日御子


志賀島で漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)と刻まれた金印が発見されたことは小中学校の教科書にも載っているぐらいなので、誰しも習ったことぐらいはある。

この物語、まさにその漢委奴國王の金印の話から始まり、その金印を授かるように努めた使譯(しえき)の一族の物語なのである。

倭の国各国には使譯(しえき)という職業の人が居て、皆、名字はアズミなのだという。アズミは安住であったり安曇であったり安潜であったり・・・いくつものアズミ家が存在するが、元は一つだったのではないか、と言われている。

使譯という職業、「通訳」のような存在なのだが、「通訳」としてしまうとあまりにも軽い。
倭の国においては漢の言葉を使えるのが彼らだけだ、というだけではなく、文字を知り、文章を表すことが出来るのも彼らの一族のみなのだ。
従って、国書や親書を認めるのも彼ら一族の仕事で、その出来次第で外交関係を築けるかどうか、の国運を背負う。
使節団が派遣される時の移動中は通訳兼添乗員のような存在であったりもするが、正使や副使よりも立場は低いとはいえ、交渉の実態においては全権大使のようなもの。

そんな重責を代々担い、日本国内にいくつもの国がある時代にあって、そのどの国でもその使譯という役割を担ったという一族はその当時のこの国のエリートの中のエリート一族と言えるかもしれない。
もちろん、そんな一族のが居たという史実はないのでフィクションなのだろうが。
唯一フィクションでないのが、「漢委奴国王」という金印の存在だ。

灰という名の有能な使譯が、那国王からの依頼で、漢の国王へ上奏しに行った時のことを孫に話して聞かせる。

旅先では驚くことばかりであったが、最後に賜った金印に刻印された文字が「漢委那国王」ではなく「漢委奴国王」になってしまっていることに後で気づき、自らの失態とばかりに嘆くが、文字が読めない国王に失望を与えては、と敢えて国王にも告げずに孫にのみ伝え、一生を終える。

その孫が伊都国という国の使譯として、5隻の船の使節団を率いて、壱岐国、対海国を経て韓の国に入り、楽浪郡を経て漢の都へと半年をかけた道のりが描かれる。

物語はそのひ孫の代・・と続いてはいくのだが、この旅のくだりにかなりの枚数を割いている。筆者はまるで自分で見て来たが如くに綴って行く。

祖父が驚いたのと同様に最も驚くのは、馬車という乗り物と「紙」。

紙を発明したのは、後漢時代の蔡倫という人だと、宮城谷氏の本にあった。
祖父が出会った国王は後漢を興した光武帝。
と、考えると、祖父の時代に紙があったかどうかはかなり微妙だ。

祖父はその馬車や紙を見て、百年後の倭国でもそんなものは出来ないだろうと感想を抱くが、その感想通り百年後でも出来ていない。

この時代とて、争い事や戦は数多あっただろう。
漢の国においての腐敗政治はこの後のこと。本格的な戦の時代の三国時代はこの後であるし、前漢以前のにも春秋時代という各国が戦争ばかりしていた時代はあった。
倭の国においてもこの物語にも描かれる通りに戦の時代へと突入する。

はるか後に人類は産業革命を経、またそのはるか後に情報革命を経るわけだげ、その後の現代とこの時代の人々と果たしてどちらが豊かだったのだろう。
各国各地域にはそれぞれの伝統の大元があり、守られ、自然の恵みも豊かである。
それより何より百年や二百年では揺らがない精神性を保い続けていることが何より現代より優れていると思えてならない。

日御子(ひみこ) 帚木蓬生(ははきぎほうせい) 著



マスカレード・ホテル


いつでも映像化して下さい感が満々な本だ。

配役が決まっている、と聞いても驚かない。

東京で起きた三つの殺人事件。
各々、加害者にも被害者にも接点は見当たらないのだが、犯行現場に残された謎のメッセージ。そのメッセージの共通性からこの三つの繋がらない犯行が連続殺人事件として取り扱われる。

各々のメッセージの中には次の犯行場所まで埋め込まれており、そして次の犯行場所として犯人が予告しているのが、この話の舞台となる高級ホテル。

推理小説としての流れは、まぁ読んで頂くとして、それより何よりホテルのお客様に対するサービス。
このホテルのサービスに対する情熱は並みのものではない。

そのサービス第一のホテルへ従業員に扮した刑事が張り付くというのだから、ホテルのスタッフにとっては溜まったものではない。

人に対する扱いや思いが正反対の人間がその正反対の仕事をする。

「いかにしてお客様に居心地の良さを提供するか」を思う人達の中に、人を見たら泥棒だと思う人間が入り込んではいびつに過ぎるだろう。
しかも、それがフロントとなれば目立って仕方が無い。

ところが、この刑事、日に日にホテルマンとしてプロらしくなって行く。
彼の指導係がそのフロントスタッフの女性なのだが、この人のホテルに対する思いも尋常ではない。

ちょっと文句が出ればルールを変えてしまうのはおかしいでしょう、という潜入刑事に対し、「お客様がルールブックです」と言い切る。

それにしてもホテルマンらしくなった刑事扮するフロントマンが、とある顧客のクレーム対応をするシーン、あれはいくらなんでもやり過ぎだろう。
お客様はルールブックだから、とほとんど言いがかりに等しいことまでもまともに言いなりになってしまってはホテルだっていくら人出があっても足りなくなってしまうだろうに。

「いってらっしゃいませ。お客様」
「お帰りなさいませ。お客様」

このセリフ、三谷幸喜の映画 『THE 有頂天ホテル』 を思い出させる。

そう、その映画でしか思い出せないということは、実際にはお目にかかったことがないのだろう。

それなりに出張やらでホテルを利用しているというのに。

やはり、それなりのサービスを受けるなら一流ホテルに、ということなのだろう。

マスカレード・ホテル 東野圭吾著 (集英社)