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砂上のファンファーレ


読み始めて途中まで、こんな家族って結構多いんじゃないのかな、などとと思ってしまった。

バブルの末期前、もはやこれまでの通勤圏内の土地の値段は上がり過ぎて、一戸建てなど夢かとあきらめかけた頃、山を切り開いて、一戸建てのニュータウンを作るというので、通勤にはかなりきついが家を持てるなら、と最高値で家を購入し、しばらくしてバブル崩壊。
仕事も順調ではなくなり、収入も下がる。
それでも高いローンは残ったまま。
子供達は成長し家を出て行くので、広い一軒家は必要無くなっているのだが、家を売ってローンを返済しようにも、売った値段では返済も出来ないほどに土地の価格が下がってしまいそのまま売るに売れなくなってひぃひぃ言いながらもなんとか、食いつないでいる。そんな一家。

この本はある家族をそれそれ母の視点から、長男の視点から、次男の視点から、父の視点から・・と描いて行く。

第一章は母の視点。
最近、物忘れが多くなったことを気にかけながらもなんとか安心材料を見つけようとする母。

長男が結婚し、その後子どもが出来たというのでお祝いの席を嫁の父母と共に設けるが、その場でかなり支離滅裂状態に。
翌日病院で診断の結果、脳に腫瘍があることを聞かされ、ほとんど壊れてしまう。

「フリーター、家を買う」が頭に浮かぶ。
母が壊れることをきっかけに真っ当に生きようとする息子のように、これをきっかけに家族の絆が深まるみたいな展開になるのか?

その次が大手家電メーカーに勤める長男の視点。
母の腫瘍は取り除けるものでは無く余命はたったの一週間と医者から告げられる。
実家へ帰った長男は、次から次へと出て来る母のノンバングからの借金に驚き、母だけでなく、父も借金の山。
破産するしかないだろうと思った矢先、大学生時代に父の保証人となっていたことを思い出し、なんという親だ!と腹を立てる。

家庭崩壊、家族崩壊、いやそんな安易な言葉で言い表せないほどに疲弊し、崩壊しきって行こうとしている。
そういうとことん落ちて行く話なのか。

母の余命が一週間でなく、三年間ならどうしていたんだろうか。
入院費用は嵩むし、借金は膨らむ一方。
父に破産宣告をしてもらおうにも、借金の保証人である自分もただでは済まない。
息子からしたらしてみればどれだけ情けなく頼りない父なのだろう。

ところが父の視点に立ってみるとどうだろう。
もし、人生をやり直せるのならどの時点なのか、と振り返ってみる父。
最初に仕事を選んだ時でもない。
結婚でもない。
子供を授かった時でもない。
家を買った時でもない。
もし、人生をやり直せるとしてもどの時点にも戻りたくはない。
借金の山だというのに。

どんどん悲惨になる家族達の中で、唯一ひょうひょうとしているのが次男。
本人は大学卒業後の就職活動を熱心にするでもなく、というよりも就職そのものに興味を持っていないようなタイプで、フリーターの後、飲食業にでもつければいいか、ぐらいの感覚で生きている。

この次男がこの崩壊していくであろう家族の救世主となって行く。
ものすごい逆転劇。

ええ? そんな展開になっていくの?と半ば驚き、半ば呆れつつも、決して後味の悪い物語ではない。

それでも現実でこんなことが起こったら、ちょっと出来すぎていて返ってこわいかも・・。

砂上のファンファーレ  早見 和真 著 幻冬舎



アゲイン


純粋な「お笑い番組」と言えば関西ではやはり元祖は「吉本新喜劇」だろうか。
関東では「笑点」か?
「笑点」はともかく関西の純粋なお笑い番組ならたまに見なくもない。
「探偵ナイトスクープ」とか。
そんなお笑いでもない、ニュース番組なのかなんなのか。いわゆる情報番組とでもいうのだろうか。
そんな中途半端な番組を好んで見ることは滅多にないが、関西ローカルには多々あるようでたまたまテレビをつけたらやっていたりする。
コメンテーター席に座っているのはやはりお笑い芸人さん達なのだろうが、ほとんど名前も知らない。
そんな名前すら知らない芸人さん達でもテレビに顔を出すまでには相当な関門を突破して来ているのかもしれないのだ。

この本、そんなお笑い芸人さんを取り上げた一冊である。
ポプラ社小説大賞の特別賞の受賞作なのだとか。

大阪の若手芸人の登竜門である「FLAT劇場」。
若手はそこで鍛えられ、F3、F2、F1とランクアップを目指す。
F3からF2へランクUPするには3年もかかるのだという。
それでもテレビへ登場するレベルにはまだまだで、そのまさにF2のランクで上を狙っているのが主人公のピン芸人氏。

同期の連中にはうぬぼれの強い連中や我がままなだけが取り柄の様な連中が、相方を作って漫才コンビになって、解散するだのコンビ解消だとわめくだの、そんな話である。

そんな中に全国でもトップレベルのお笑い芸人。ちなみに保坂という名前になっている人物が登場する。
18歳でデビューし、二年後には頭角を表し、これまでのお笑いになかった斬新さで、今や芸人の頂点と言われている。
皆がその人を目指すというトップ中のトップの人が彼らの「FLAT劇場」の芸人を使って映画を撮る、という話が持ち上がって来る。

主人公氏は実は父親がかつて芸人で一時は売れたものの頂点を境に下る一方で最後は鳴かず飛ばずになって亡くなってしまっている。
保坂というトップ芸人は実はその父親のかつて弟弟子だった。

誰がモデルなのだろう。
お笑いのトップって、大阪出身の芸人ならさんまか紳助か。映画を撮るというのなら大阪ではないが北野武か。
松本人志も映画を撮ったんだったっけ。
その映画は観てないので出来映えのほどは知らないが・・。

おそらくこの人というモデルは存在しないのだろう。
作者の作ったキャラクターなのだろう。

だが、この話の設定そのものは作者の作ったものではなくおそらく実話なのだろう。

彼らが舞台に出ての一回のギャラはわずか500円。
一日何回の舞台をこなすのか知らないが、到底それだけでは生活は出来ない。
だから、稽古の時間を削ってアルバイトに精を出す。

彼らの出身のお笑い芸人の養成所には東京・大阪合わせて毎年1000人ほどが入学し、お笑い芸人を目指す。
他のプロモーションからもお笑いを目指す連中は出て来る。

一般的な勤め人と同様の給料をもらえるのは千人に一人。
千分の一しかいないのだという。

その千分の一の狭い関門の更なる先を目指してF3、F2、F1の芸人がしのぎを削る。

そう言えばたまたま飲みに行った居酒屋の店員で、芸人目指してるんですわ、なんていうのにちょくちょく出会ったりすることがあるから、案外そこら中に居たりするのかもしれない。

これも所謂勝負師の世界なのか。
プロの囲碁・将棋の棋士を目指す人などと同じように。

それでも千分の一で普通の勤め人並みと言うのだから、って普通の勤め人っていうのがどんなレベルなのかは定かではないが、少なくともその収入で家賃を払ってメシを食って行けるレベルぐらいなのだろう、人並みより上となると万分の一ぐらい?

もしそうなら、そこまで行けば、もはやダメでもともとぐらいの気持ちなのじゃないのだろうか。

最終的にあきらめがつくまでやってみたって、それまでの居酒屋の店員という道を副業から本業にするだけのことなのかもしれない。

この主人公氏、保坂というトップ芸人に「あきらめろ」とダメだしをされてしまう。

そこで諦めるのか、それでも自分の大好きな世界で生きるのか、そこが別れ道だ。

先日、プロスポーツの中でも日本ではあまりメジャーではないバスケットボールのBJリーグでプレイする日本人選手と飲んで話をする機会があった。
彼らの年収もプロの一部リーグでありながらも相当悲惨なものだったように聞いた。

聞いてみると学生時代に選手権でトップに立った様なチームに所属していたわけでもない。
学生トップでプロへというのは寧ろ少ないのかもしれない。

今現在、日本のプロのトップリーグに所属しながらでも尚且つそうなのだとしたら、千分の一、万分の一を目指すが頂点に立てば人も羨むような世界が待っているお笑い芸人よりも悲惨ではないか。

結局は人の生き様というもの人それぞれ。
勤め人が大嫌いな人が嫌々勤め人を続ける事は如何に生活のためとは言え、あたら人生の貴重な時間を浪費しているに過ぎない。
自分の大好きな道を選んだのだから、と自分で納得出来るかどうかが大事なのかもしれない

第5回ポプラ社小説大賞 特別賞 アゲイン 浜口倫太郎 著



ツール・ド・ランス


タイトルは「ツール・ド・フランス」では無く、「ツール・ド・ランス」。
ランス・アームストロングという自転車のプロロードレーサーの果敢な挑戦を密着取材したドキュメンタリーである。

ランス・アームストロングという選手、1999年から7年連続でツール・ド・フランスを制した自転車ロードレーサーのスーパースター中のスーパースター。
2005年の優勝の後、一旦、現役を退いた彼が、約3年のブランクを得て現役復帰をするという。

自らもアマチュアのロードレーサーでロードレーサーの熱烈なファンである筆者は、彼の現役復帰を素直に喜べない。

ランスは勝って当たり前の選手。その勝つ姿以外のランスを見たくない、という気持ちがもう一度ランスの走りを見たいという気持ちより優先してしまうのだ。

ツール・ド・フランスとは自転車のロードレーサー競技の中の最高峰のレースで、3週間、3300kmとフランス・イタリア・スイス・・など国を跨いで行われる。
3300kmという距離、日本列島の北端から沖縄の南端までの距離よりも更にまだ長い。
それも山岳越えを何度も何度もという相当に過酷な競技である。

地元ではW杯サッカー、五輪に次ぐ大イベントなのだそうだ。

日本では自転車のロードレースという競技、あまりメジャーではないが、筆者が言うにはアメリカでも週に2回ほどの頻度で自転車を走らせるアマチュアの自転車人口は800万人も居るのだとか。
大阪もオバちゃんの自転車人口が多いがこれとは意味が違うんだろうなぁ。

自転車のロードレース競技というのは表彰台に上るのはチームではなく、個人なので、一見個人競技のように思えるが実は個人競技では無い。

チームにエースは一人。
他の選手はエースをひたすらアシストする。

一度、引退したエースが復帰する、ということは現在のエースとの確執が生まれるのは必至である。

その所属チームであるアスタナには次のエースであるコンタドールという選手がその位置を占めている。

そんな中へ復帰したランスがツール・ド・フランスに挑む。

このドキュメンタリーでは過去のレースなどの話を交えながら、2009年のツール・ド・フランスの全コースを走り終えるまでを一冊の本にまとめている。

走っているランスの写真が何枚か載っているのだが、実年齢よりも老けて見えてしまう。
そんなランスに自転車のレース界ではおなじみのドーピング疑惑がかかったり、年よりの冷や水的な批難の声が上がったりする。
それに対してランスが「Twitter」を駆使して応戦するあたりは、やっぱり今時なんだよなぁ。

それでもレースも中盤から終盤にさし掛かる頃には、ランスへの視線はどんどん暖かくなって行く。
ギャラリーの声援はもちろんのことだが。それだけではなく、スタッフやコンタドールを除く他の選手たちまでも。

それにしても、一生働かなくてもゆとりのある生活を送れるだけの賞金は稼いだはずのランスが何故また苦しい戦いに復帰する決断をしたのか・・。

レースを終えてしばらくした後のランスと筆者との会話の中にその答えは有った。


ツール・ド・ランス  ビル・ストリックランド 著  安達眞弓 (翻訳)