カテゴリー: ハ行



野良犬の値段


前代未聞の誘拐事件。

ネット上に現れた一つの文章。
「私たちは、ある人物を誘拐しました。この人物を使って【実験】をします」
それを見た一人の男がフォロワー欲しさのためにそのURLを拡散してしまう。

誘拐サイトは徐々に広まり、翌日、誘拐されたとされる6人の男の写真と名前がUPされると、一挙に世間の注目を浴びる。
まさにそれが犯人の狙いだったのだが、判明して行くのは、誘拐された人たちは皆、ホームレスだったのではないか、ということ。
行方不明者としての捜索願も誰も出さない。
もちろん警察も動かない。
犯人たちの目的は何なのか。

次にUPされたのは身代金要求の言葉。
身代金を要求されたのは新聞社やテレビの放送局というメディアばかり。
金額は2億から6億、企業によって異なるが全部億単位だ。
もちろん、新聞社も放送局も身代金を払う必要性を感じないし、払うつもりなど一切ない。億どころか一万円だって払わない、と言い切る。

そのうち新聞社一社が名指しされて、期限を切って返答を迫られる。
良い返答でなければ、人質1名の命は無いと。
名指しされた新聞社の拒否声明の翌日には誘拐されたホームレスの内の一人の首が発見される。そこからこの物語は始まる。
人質とは全く無関係だし、払う義理も義務も無い。そう考えるのは至極当たり前と思われる。またむやみに犯罪者に金を払うなどマスコミにあってはならない姿勢でもある。
しかし、犯人側の「何千億儲けているうちのたった2億を出し渋ったために貴重な命が失われた。残念だ」と自ら犯行に及んだくせに、まるで新聞社側の出し惜しみが命を失わせた、と言わんばかり。悪いのは犯人側だとわかりつつも拒否の態度を鮮明にしたこの新聞社の購読者数は徐々に減り始めると言う事態を受け、各社の内部にてもどういうスタンスで乗り切るかTOPと役員たちのやり取りが次から次へと切り替わって行く。

警察の動き、人権を重視する報道をする新聞社のTOP、最も視聴率が稼げる内容でありながらも自社が身代金を要求される側だけに微妙なテレビ局の制作スタッフ、日本で唯一の公共放送でありながら身代金を要求される局に至っては、ホームレスを見殺しにしたら、受信料の不払いに歯止めがかからないのでは?と心配し、「愛は地球を救う」といううたい文句のチャリティ番組でぼろ儲けするテレビ局はなんとかそのドル箱のチャリティ番組が始まる前に解決しないか、と気を揉む。

犯人たちの場面に切り替わるタイミングも絶妙だ。
犯人たちも相手の手の内を読みながら、次の一手一手を考え抜いて行く。

命の値段は確実に違うのだ。ホームレスの命の値段と大企業の社長の命の値段は違う。
犯人たちはそれを一番よく知っているが、人命は均等に尊いと訴えているはずのメディアがその命の値段に振り回される。
結構分厚い本なのに、とうとう一回も置くことなく読む終えてしまった。百田さん久々に大ヒットじゃないだろうか。

犯人たちはメディアに対しなんらかの恨みを持つ者達であることは容易に想像出来るが、この結末でメディア対する恨みは晴れたのだろうか。
復讐に成功したと言えるだろうか。裏取引に応じようとする姿だけでもWEBにさらしてしまえば、各メディアの打撃は計り知れないものになっていただろうに。

野良犬の値段 百田尚樹 著



パラレルワールド・ラブストーリー


まるで、シュワルツェネッガーの映画『トータル・リコール』の記憶改ざんの世界じゃないか。

自分が生活を共にしている女性が自分の妻でも恋人でもなく、友人の恋人だった。
ずっとそう思い込んでいたものが、ある記憶の断片がフラッシュバックされることで疑いが生じ、その真相を究明しようとする。

人間、誰しも過去の記憶をいいようにいいように改変して記憶してしまう事、往々にしてあるだろう。
そのあたりの記憶の改変にあたってのメカニズムを利用して、本格的に偽装の記憶を作り上げる。
そんなことを研究開発する外資の最先端企業に勤める研究者が主人公たち。

彼には同期で学生時代からの親友がいる。
その親友は頭脳明晰ながら、身体に障害を持っていることの影響で引っ込み思案な性格なので女性にもてるということからは縁遠い男。
その親友から彼女が出来たと紹介されたのが、毎朝山手線と京浜東北線という併行する電車の窓越しに見つめ合っていて、いつしか恋に落ちてしまった女性だった。

この話、記憶を改ざんされた後のシーンと改ざんされる前のシーンが交互に綴られているので、なんでこの男は彼女と平気で一緒に暮らしているんだ、と読者を戸惑わせながら、だんだんと真相に近づいていく。

人間の記憶というもの、断片断片がちらばって、いろんな事象と絡み合って覚えているはずなので、全く無い記憶を作り出すとなると、その周辺の事がらも全部整合性を合わせて作り変えなければならないだろうから、そんじょそこらの技術革新では出来そうにない。

まだ、特定のある日の記憶だけを飛ばす方が可能性としたらあるのではないだろうか。
深酒をして泥酔状態になるまで飲んだ翌日、前日の記憶がさっぱりないなどというのは酒飲みなら若いころには一度は経験しているのではないだろうか。
とはいえ、全く記憶が消えてしまっているわけではなく次の日に同じ場所でもう一度飲んだら、だんだん思い出してくる。などということもよくあることなので、完璧に人為的に消すというのもやはりこれもそんじょそこらの技術革新では出来そうにない。

しかし、世の中にはマインドコントロールというものもある。繰り返し繰り返し言われ続ける事で自分なりに周辺の記憶までも改ざんするというのはあるのかもしれない。
それでも無かった事実まで作り上げるわけではないだろう。恋人でもない人とあたかもずっと恋人だと信じて一緒に暮らしている、これはもしあるならば、マインドコントロールではなく拉致監禁ぐらいでしか考えられない。

やはり、記憶を操作するなど人間の行うべき研究ではないということだろう。

「パラレルワールド」というタイトルからしてもっと別の世界を期待していたが、こう来たか。
それにしても東野圭吾という人、いろんなものに手をだすが、とうとうこんなジャンルまで手を出してきたか。
この人の才能もある意味人知を超えているのかもしれない。

パラレルワールド・ラブストーリー   東野圭吾 著



日本国紀


結構ボリュームがあり、読みごたえがありました。
日本の通史なのでボリュームが無い方がおかしいが・・。

通史として各時代をたんたんと記しながらも、日本の長い歴史の中には、各時代に世界に誇れるものがたくさんある。
それぞれの時代で目立たない存在ながらピカリと光る様な人材や事象を拾い上げて紹介してくれているところが、この本のいいところなのだろう。

戦国時代、日本は世界一の軍事武器保有国だった。(NHKスペシャルでも取り上げられていた)これは戦後大名がこぞってポルトガルからの輸入をしたからではない。
伝来した数年後には日本各地で鉄砲が生産され始めたからだ。
西欧人は南米・アジア・アフリカ各地に鉄砲を持って行ったし、使わせもしたが、それを持って行った数年後に自前で作られてしまった国というのは日本以外には見当たらないだろう(数年後でなくても)。

似たような事は幕末の黒船騒動後にもある。
宇和島藩や薩摩藩は自前で蒸気船を作り上げ、佐賀鍋島藩に至っては反射炉まで構築してしまっている。

幕末に幕府側の役人だっということで、むごたらしく斬首された小栗上野介。
まともな造船所も無いようではアメリカと対等な交渉などできないだろうと横須賀にバカでかい製鉄所を作り、これがのちに海軍の工廠となり、さらに戦後はアメリカ軍の基地の中で現役で活躍している。

この小栗上野介を取り上げてくれているところは嬉しい。
後の三井財閥を築いた三野村某氏は、小栗をして財政の要路に立たしめたならば、国家の財政を利益したること測り知る可からざるものがあっただろう」と述べるなど小栗に対する評価は高い。維新政府は逸材を無駄死にさせてしまっている。

小笠原諸島の領有権を確保し、今日の排他的経済水域を確保した功労者、水野忠徳。
「彼は領土・領海の持つ価値と重要性を十分理解していた。だからこそ島に乗り込み、領有権を確保したのだ」

もう一人上げるとするならなんといっても柴五郎という人。
彼は日英同盟を成し遂げた人。

元会津藩士で、戊辰戦争で負けた賊軍なので戊辰戦争後は斗南という青森の極寒の地へ飛ばされるが、のちに陸軍士官学校を出て、義和団の乱にて外国の公館が焼き討ちに合う中、各国の大使たちを救い、それが元で後にイギリスが彼となら、ということで交渉に応じ日英同盟にこぎつけた。

当時の英米の有色人種に対する評価はほとんど下僕扱いだった時代にそれだけの信頼を得た人物がいた、ということ。

日露戦争の日本海海戦にて日本が圧勝したのはもちろん秋山真之の参謀としての優秀さもあるが、ほとんどこの日英同盟による勝利だったと言っても過言ではない。
これは百田氏のみならず、司馬遼も書いている。

そんな大事な日英同盟を破棄してしまうのが第一次大戦後、外交を任された幣原喜重郎という人。
日英同盟さえ維持していれば、後の太平洋戦争(この本で言う大東亜戦争)は無かったのでは、というのは百田氏の考えだが、イギリスの政権をチャーチルが握り、アメリカのルーズベルトと組めば、いずれは解消されたのではなかろうか。
いや、ルーズベルトが居た限り、日本は突入せざるうぃ得ないところにどのみち追いやられていたのではないだろうか。

そして日本は明治以降70年かけて築いてきたものをすべからく失ってしまうわけだ。
その後の歴史は彼の他の文章とも被るところはあるので省く。

歴史に「IF」はそんざいしないが、第一次大戦後の日本をみつといくつもの「IF」を想像したくなってしまう。

日本国紀  百田尚樹著