カテゴリー: ハ行




中国の事を書いた本って結構な数を読んだ覚えがあるが、台湾の事を書いた本って思いだそうと思ってもあまり出て来ない。

抗日戦争の後に中国共産党と国民党が戦って、共産党が勝利し、国民党側の人たちが台湾へ逃げ込んだところまでは大抵の人は知っている。

その後の台湾がどんな歴史を歩んだのか、はあまり知られていないかもしれない。

昔から親日的で、人々は温和で、食べ物はおいしく、政治的には西側諸国の一国。
残念ながら中国の存在があるので、国連には加入出来てない。
多くの人のイメージは、そんなところではないだろうか。

台湾の中でも大陸からやって来た国民党にくっついてやって来た人たちと、元々台湾に住んでいた本省人とは相性は良くなく、良くなくというよりは大陸人(外省人)が本省人を蔑んでいる。
この話の主人公は祖父が共産軍と戦い、大陸を逃れて来たいわゆる外省人。
祖父は大陸では、何人もの人を切って来たという武勇伝には事欠かない人。
この当時の人の大半がそうだっただろうが、特に共産党がどうとか国民党がどうとか思想的なものは一切ない。
この祖父もご多分に漏れず、あいつとは兄弟分だからとか、そんな理由で国民党側についた一人だ。

そんな武勇伝満載の祖父がある時、何者かによって殺害されてしまう。

それからの主人公氏の願いは祖父を殺害した犯人をなんとかみつけることになっていく。
進学校に通ってエリートコースまっしぐらだった主人公氏だが、ある事件をきっかけに、台湾でも一二を争う不良学生のたまり場の高校へと移り、それからが喧嘩三昧。
その後、軍隊の生活を経て、また故郷に舞い戻る。

ここにはおそらく日本では誰も書かなかったその当時の台湾の世相が描かれている。
この誰も書かなかったというところが味噌である。

主人公の軍隊生活の中で、こっくりさんの儀式を行う場面がある。
ここがなかなか興味深かった。

本当に台湾でもこっくりさんを行う習慣があるのだろうか。
元々大陸で行われていたのが日本に伝わったのかもしれないし、日本から伝わったのか、作者が作ったものなのか。
作者は台湾生まれの日本育ち。台北は5歳まで過ごしたと書いてあったので、ここに登場する台湾の話も実体験より、その後の取材によるものが大半だろう。

ついつい戦後台湾を味わった気になってしまいがちだが、ストーリーはもちろんフィクションだろうが、その当時の世相や雰囲気などはどこまで実体なのだろう。

取材から膨らませたにしてはかなり生々しい。
自らのルーツを持つ者のみの独特の筆力で読む者を圧倒する、そんな表現が妥当だろうか。

流 東山彰良 著



カエルの楽園


なんともわかりやすい本だ。

天敵のダルマガエルの攻撃で、毎日毎日ダルマガエルに食われて命を落として行くアマガエルの一族。

長老は時が過ぎるのを待つ。今は耐えるしかない。
を繰り返すが、若い主人公その名もソクラテスは、座して仲間が食われて行く状況を待つことに納得がいかない。

60匹ばかりの同志と共に安住の地を求め、生まれ故郷を旅立つこととする。
だが、外の世界に安全な場所などなく、カラスに狙われ、マムシに狙われ、水の中ではイワナだって天敵だ。
仲間はどんどん減って行き、最後はとうとうソクラテスともう一匹の二匹だけとなってしまった。
その最後に辿り着いたのが、ツチガエルたちが住むナパージュというとても平和な国。

天敵が襲ってこないのだ。
天敵が襲って来る心配をしなくてもいい場所、というのは二匹にとっては、おそらく初めての体験。

何故、天敵が来ないのか。

この国には三戒を守っているからだ、とツチガエルたちは口ぐちに言う。
三戒とは
「カエルを信じろ」
「カエルと争うな」
「争うための力を持つな」

もう、皆まで読まんでも早くもこのあたりでなんとなく察しはついた。
が、読み進めて行くと、ツチガエルたちは謝りソングという唄を歌い、自分たちの国が過去に起こした残虐な行為を謝りつづける。

そしてその三戒を守り、謝りソングを唄うだけで、本当に平和で安全な国になるのか、この国についてもっと調べることにする。

そして新たにわかったのが、実態はスチームボートという名のタカの存在。
彼が崖の下から上がってくるウシガエルににらみを効かせていた。

三戒を守れば平和は来るのだ、と演説するのはこの国で一番物知りと言われるデイブレイクというツチガエル。そして皆が拍手を送る。

やがて、南の崖からウシガエルが一匹、そして二匹・・・と表れてくる。

いやぁ、そこまでそのまんまにしなくてもいいだろう、というぐらいに念入りだ。

言わずもがな「三戒」とは憲法九条で、ツチガエルたちが住むナパージュという国はもちろん日本。
スチームボートという名のタカはアメリカで、デイブレイクと言う名の物知りは朝日新聞。
南の崖から現れるウシガエルが中国。

その他、現在の南シナ海の現状とおぼしき内容を訴えるカエル。

安保の集団的自衛権についてとおぼしきやり取り。デモとおぼしき行為をする学生団体シールズと思われる若いカエル達。
三戒さえ守っていれば安全が保たれる、というが相手が三戒を守ってくれるわけじゃにだろう、云々の議論の応酬。

集団的自衛が出て来ているので、最近の話題だし、やはり今でもこういう議論はさんざんされてはいるが、ちょっと出がらしっぽい。

30年も前、いやもっと前なんだろうか。九条があるから日本は安全という神話がまかり通っていた時代にこの本が出たなら、まだ少しはインパクトがあっただろうに。

「永遠の0」「海賊とよばれた男」以来の名著だと言われてもなぁ。

百田さんの言いたいことはわかりますよ。

でもこの二冊と一緒にして欲しくないなぁ。

あれらは書くに至るまでにどれだけの歳月をかけて取材したのだろう、と思わせられる本だったし、実際に名著だと思う」。

でもこの本なら百田さん、一晩でテレビ見ながらでも書けちゃうんじゃないの?

カエルの楽園 百田 尚樹著



人魚の眠る家


この本で脳死の本当の意味が初めてわかった。
脳死と言う状態はあり得て、それを死と見做すのか生と見做すのかがちまたで議論されているものだとばかり思っていた。
臓器を提供する意思を本人なり家族なりが示して初めて脳死の判定が行われるのだそうだ。
提供の意思無しでは、いわゆる脳死状態であっても脳死でもなく、もちろん死亡でもない。
心停止を待って初めて死亡となる。
つまるところ、家族の意思次第で本人は生きていることにもなり得るし、死んでしまったことにでもなり得る。

なんとも重たいテーマに取り組んだものだ。

6歳の女の子がプールで遊んでいる時に、排水溝へと吸い込まれそうになり、浮かんで来ない。気付いた大人が助け出すものの、意識は戻らないままとなる。

可愛い盛りの娘の意識が戻らなくなって、ショックままならない状態の親を前にして医者は結構冷徹なことを言い始める。
娘さんの臓器を提供するお気持ちはありますか?と。
いきなり、そこですか? ってなるよなぁ。
もう意識が無い状態がかなり長く続いて、涙も枯れ果てた頃ならまだそういう事への判断も冷静になったかもしれないのに。 いや、これは一般的な話で、この両親にはたぶん当てはまらない。

たまたま、父親が介助のための脳からの伝達の装置やら、視覚障害者へ信号を送る事で、障害物を避けながら歩行することを可能にするような装置を開発している会社の社長だったこともあり、つてを辿って、まずは人工呼吸器無しでの呼吸を可能にし、病院を退院して自宅で奥さんが看護にあたる。

そのあとがだんだんすさまじくなっていく。
奥さんが希望の光を失ってしまわないように、そのたっての希望をかなえようと、会社の技術者を家へ出入りさせ、背中の脊髄に信号を送ることで、手をあげたり、下げたりなども出来るようになり、それがどんどんエスカレートして行く。

奥さんにしてみれば、娘はまだ生きているのよ、ということなのだが、はたから見た人には、死人の身体を無理矢理、機械で動かしているだけにしか見えない。
だが、筋肉を動かすことで全身の血色も良くなり、年を経る毎に身長も伸び、どんどん成長していくのだ。

方や、実際に臓器移植が必要な子供の患者が多くいて、日本国内でドナーを見つけることはほぼ不可能なので、アメリカへ行かざるを得ない状況がある。
その費用たるや、億を超える金額で、とても一般の勤め人に賄える金額ではない。

そういう状況の中、物語は進んで行く。

何が正解なのか。
作者はどちらを正解と思っているのか。

読んでいる立場としては、どんどんエスカレートしていくこの奥さんに誰かブレーキかけなくていいのか、とか、弟があまりにも可愛そうだろ、とか思ってしまうのだが、刑事を自宅へ呼んで、意識のない娘を刺し殺したら私は殺人罪になるのですか?皆、娘はもう死んでいる、と言っている。もう既に死んでいる人間を刺した私は殺人になるのですか、と問い詰めるあたり、かなり理路整然としている。
作者はシロとでもクロとでも言える現在の日本の法制度を憂えているのだろうか。

途中までは、もはや異常だ、と思えたこの奥さんなのだが、エンディングまで読んでしまうと、案外この奥さんが正解だったのかな、などとも思えてしまう。
まぁ、正解なんて無いんでしょうけどね。

人魚の眠る家 東野 圭吾 著