カテゴリー: マ行



まほろ駅前番外地

まほろ駅前多田便利軒の続編。
まほろ駅前多田便利軒について、簡単にふれておくと、
多田というクソ真面目な男が経営する便利屋。
そこに転がり込んで来た高校時代の同級生の行天。
普段は何もせず、多田一人に働かせて居候を決め込んでいるような格好の行天。
何もしていないようで、いきなり突飛で、意表をついたような行動を取ったかと思うとそれが功を奏して問題が解決する。
概ねそんなかたちの問題解決ストーリーが展開される、

今回の番外地は多田も行天もどちらかというと脇役。
前作で脇役だった人たちが今度は主人公と言ったところか。

星良一の優雅な日常はなかなかに興味深い。
覚醒剤を密売する不良高校生を徹底的に痛めつけるかと思えば自分のマンションに転がり込んで来た女子高生に対する純な愛情はもはや高校生未満なのだ。
このギャップなんともいい
この章では、ほとんど多田も行天も登場しない。

思い出の銀幕は曽根田のばあちゃんの昔の恋愛物語。
行天をかつての恋人役にして語られる戦後のドタバタ時代のばあちゃんの恋愛話。
なんともほろ苦いは、ばあちゃんの名言がたくさんでて来る。

この本、既に映像化までされているのであまり深く記すこともないが、まほろ駅前多田便利軒を既読の方にはなかなか楽しめる番外編だろう。

まほろ駅前番外地 三浦 しをん著



湖底の城


元は楚の国の重臣の息子でありながら、呉の国に仕え、武人、政治家として名を残した伍子胥という人の話。
第一巻から第四巻までを読んだが、話はまだ完了していない。
第五巻以降はまだ発売されていないのだ。

これまでの出版タイミングをみる限り、おそらく来年の発売になるのではないだろうか。

「湖底の城」という本、宮城谷氏にしてはかなり創作が多い方だろう。

もちろん過去の「孟嘗君」などもかなり創作が多かっただろうし、他の著作ももちろん史書にあることだけでなく、創作を混じえていることは確かだろうが、他の作家と比べると、かなり史書に忠実で、その史書にない箇所をおそらくこういうことだったのではないか、と想像をめぐらせた上での創作だったろうと思う。

第一巻では楚の国の中で兄が統治する呉の国に最も近い邑へ赴くのだが、その道中でも出会う人が皆、将来大物になる器だと一様に言っていたり、兄の臣下を集めるために武道大会のようなものを開催したり、その中の闘いぶりから、英傑を選抜したり・・と、他の作品のような「何々の史書の中によると」という記述がほとんどないので、大半は創作なのだろうと勝手に想像してしまう。

同時並行で書かれていたであろう「三国志」などに比べるとその違いは顕著だ。
「三国志」の中でも思い入れの強い人への表現や、個々の記述は創作だろうが、基本的に史実(史書に記述のあるもの)に沿って書かれている。

史書にはこうあるが、実はこうではなかっただろうか、などと言う書き方も数多あり、そのあたりの史書の裏を読んだり、史書に記述の無い箇所や風景をまるでタイムスリップでもして来て見て来たかのように埋めて行くのが宮城谷作品の真骨頂だ。

それに比べると、この本はかなり勧善懲悪がはっきりしすぎていて、宮城谷作品の中ではわりと軽い読み物の部類だ。

父と兄をおとし入れた費無極はもちろん悪玉。費無極の言いなりの楚王もとことん悪役。

父と兄が牢に入れられているところを奪取しに行こう、と潜入するあたりや父と兄が処刑されるところを救出しにいうあたりは完璧に創作だろう。

多くの人が書いてきた三国志だけに宮城谷色ならではの三国志を描くのはかなり骨の入る作業だっただろう。そのさなかの息抜き的な作品、と言っては言い過ぎだろうか。

と、書くとまるで「湖底の城」をけなしているように思われるかもしれないが、どうして、これはこれでやはり面白い。

巻末に物語とは関係なく呉と言う国と仏教の関係を解説しておられるのも非常に興味深い読み物である。

如何せん、まだ途中なのだ。

第五巻で完結するのかどうかもわからないが、第五巻が出版された時にこの面白さの余韻を残していられるだろうか。

たぶん、最初から読み直さなければならないのだろうな。

湖底の城 -呉越春秋- 宮城谷昌光著 第一巻 ~ 第四巻



機械男


生身の身体より機械を愛してしまった男。

会社の研究室に勤める研究者の物語。

ある時、職場での事故がきっかけで片足を失ってしまう。

そして義足をつけたのがそもそものきっかけ。

彼は、こんなに科学が進歩しているのになぜ世の中にははこんな義足しかないんだ、と憤りを覚え、自ら義足を作成してしまう。
それはもはや義足という域をはるかに超えていて、モーターの付いた自走式のもの。

彼の科学者としての探究心はそこでは止まらない。

片足だけ優秀でも仕方がないじゃないか、ともう一本の生身の脚も機械かするべく切断してし、やがて手も・・・・。

主人公のこの一連の探究心が、今度は会社の闘志に火をつけてしまう。

彼のプロジェクトに参画させるべく人員を増やし、予算を増やし・・・。

やがては・・・・。

似たような話はアメリカ映画にはいくつかある。

「ロボコップ」などは本人の意に反して、「アイアンマン」などは自らの意思で・・。

だがどれともちょっと異質なのは、この主人公の性格だろうか。

自ら作るものが生身の身体よりも優れたものだと疑わない。
自らの身体を削ってでも機械化する方を選ぶ。

彼の最終到達地点はなんだったのだろう。

最終到達地点は生無き生なのでは無かっただろうか。

機械男 マックス・バリー 著(Max Barry)  鈴木 恵 (訳)