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少女


読みだしからの入りがどうも馴染めず、何故だろうと考えることしばしば。
文庫で読んだからではないか、などと思ったりもした。
この作家の本に文庫は何故か似合わない。
単行本の方がすんなり入り込めそうな気がするのだが、この本に限っては、おそらくどちらで読んでも同じだっただろう。

二人の少女が交互に第一人称になるのだが、今どっちの独白なのか、まことにもって分かりづらい。
文庫ならではの解説氏によると、文間にある「*」の数で見わけるのだそうだ。
なるほど。
今どっちなのかはわかりづらいままなのに、冒頭の入りずらさがだんだんと薄らいでいく。

方やはわりと冷めた目で友人を見、他人を見る。
顔に表情が少なく、言葉でものごとを伝えるより文章で伝える方が得意な少女。

方やウジウジと悩み、被害妄想になりがち。
そのウジウジタイプが小学生の時には剣道で日本一になったのだという。

剣道とか武道というのはまず精神から鍛えるスポーツじゃないのか。
日本一になるほどなら、かなり強い精神力を持っているだろうに、そんなにウジウジするか?と突っ込みを入れたくなるが、それは本筋とは違うのでやめておく。

二人はそれぞれに「人が死ぬ瞬間を見てみたい」と願う。
方や学校の補修で老人ホームの手伝いに行き、そこで人の死が見られるのではないかと思い、方やは病気で入院している子供に本を読んであげるボランティアを志願し、そこで死と出会えるのではないか、と妄想する。

なんだか、とんでもない連中のとんでもない話になって行きそうな気配プンプンなのだが、案外これが、友情物語だったりする。
本人たちの妄想はさておき、以外といい話だったりもするわけで、だから読後感としてはさほど悪くはない。

この2012年の7月の前半のニュースのトップ、新聞記事のトップの半数は昨年大津で起こった中学生のイジメによる自殺の事件だ。
もちろん大雨による被害の記事や政治がらみにトップの座を明け渡すこともあるが・・・。

痛々しい事件だが、そんなに連日のようにトップを飾るニュースなのだろうか。
まぁ、これはイジメそのものよりもひたすらそれを隠そうとする学校や教育委員会の存在がニュースなのだろうな、と一応納得しておく。

あの事件などほんの氷山の一角だろう。
まだしも一昔前のタイプに似て、はた目から見て分かり易いイジメだろうに。
教師も学校も全く見て見ぬふりを通してしまっている。

今どきのイジメはおそらくだがあんなにわかりやすくはないのではないか。
ネットでの裏サイトをツールにしてのイジメ。メールでのイジメ。表面は仲の良いフリをして、見えないところで傷つけまくる、そんなイジメが大半なのではないだろうか。

そんな片鱗はこの物語の中にもいくつも書かれていたりする。

外面はいい子ぶっても心にはこんなに毒を持っていたりする.
至る所に少女たちの毒が含まれている本なので、読後感はさほど悪くないとは書いたが、どこかに棘が残っているような感触が残る。
そんな本だった。

少女 湊かなえ著 双葉文庫



舟を編む


「のぼる」と「あがる」はどう違うのか?

「最近のガキはませてるよな」と言われれば、「おませ」と「おしゃま」の違いを調べ出す。

すべからくこんな調子では会話がほとんど成り立たない。

この本、辞書を作るという大作業を貫徹させる人たちの物語。

それにしても今さら、「男」を文章で説明するとか、方向でいうところの「右」を文章で説明するなんてこと考えたことも無かったな。

辞書を作る人というのは相当な変人で無ければ出来ない仕事のようだ。

監修の先生が言う。

「辞書は言葉の海を渡る舟だ」と。

「もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」と。

「海を渡るにふさわしい舟を編む」のだ、と。

それにしてもプロジェクトが開始して、15年。
それだけの年数を経て、ありとあらゆる言葉を用例カードに書いては載せるべき言葉をふるいにかけて行く。

まさに壮大な仕事なのだ。

入稿してもまだまだ続く。

校正刷りのやり取りは初校から最低五校までは繰り返される。

紙を選ぶにしてもなるべく軽くするためにとことん薄い紙を。
ぬくもりのある色合いを。
と開発された紙を前に「ぬめりが無い」という。

この本2012年の本屋大賞の受賞作。

そりゃ、本屋さんは喜ぶ話だろう。

今や、というよりだいぶ前から学生の必携品は電子辞書であって、ぬめりのある分厚い辞書ではないだろう。

辞書を買う人を電気屋さんから、本屋さんへ、と導くにはもって来いの本なのだが、それでも大河の流れを蟻一匹で支えるようなもので、もはや流れは変えられない。

ネット接続可の教室なら電子辞書でさえ、もはや陳腐化して用済みだろう。

だからと言って、ありとあらゆる言葉を文章にして説明する人の仕事は無くなりはしないし、本質的には同じだろう。

それでも校正に次ぐ校正だとか、言葉を足すことで1ページのバランスが悪くなることの心配や、紙の薄さやぬめりを気にする必要はない。

そんなに紙離れをしていても尚、本屋では辞書が売られ、改訂もされている。

やはり、これだけの大事業を赤字覚悟で続けてくれているのだろうか。

たまには、あの分厚い辞書を使ってみようか。

そんな気にさせてくれる本である。

 2012年 本屋大賞 第1位!! 舟を編む 三浦しをん/著



花の鎖/境遇


二冊の別々の本なのですが、ひとまとめに書いてみました。

「花の鎖」
三人の女性が主役になって交互に登場するのだが、繋がりがさっぱりわからない。

なんだか、全体のストーリーが全くわけがわからなくなって行くのだが、たぶん繋がるんだろうな、という予感は当然ながらある。

それでも全然繋がっていかないので、途中で投げ出そうかと思ったほどだ。

それがなんとまぁ親子三代に渡って繋がって行くとは。

あとになって考えてみれば、ふしぶしにそんな布石が打ってあったようにも思えるが、まさかだったなぁ。

こういう作りもあるんだなぁ、と感心した。

浅田次郎なら親子三代のそれぞれの若かりし頃を描けば、必ずやその時代ならではの空気を出して来るだろうから、こんな「まさか」にはならないんだろうな。

「境遇」
赤ん坊の頃、同じような境遇の女性が二人登場する。
二人共、赤ん坊の頃に施設に預けられる。
方やは養女として迎え入れられ、何不自由なく成長し、その後代議士の息子と結婚。
親の代議士が亡くなって代議士夫人となる。

方やそのまま施設で育ち、社会へ出、新聞記者となる。

成長してから知り合った二人なのだが、無二の親友同士となる。

二人の願いは本当の親はどこでどうしているのか。
本当の親を知りたい、ということで一致。

代議士夫人の書いた絵本がベストセラーになるところから物語は始まる。

その絵本の思い出は新聞記者をしている友人から聞いたもの。

そのエピソードを読んだ本当の親が現われるのでは?という淡い期待が読者を終盤まで引っ張るのだ。

そう子供を施設に預ける親には親の理由があった。

最後はちょっと話が出来過ぎているわなぁ、と思わなくもない。

なんでも、もうドラマ化されたのだとか。

確かにドラマにするにぴったりの物語かもしれない。

それにしてもまぁ、湊かなえさん、「告白」で衝撃デビューして以来絶好調だなぁ。

昨年の2011年だけでも「花の鎖」に続いてこの「境遇」。

そして出版してすぐにドラマ化か。

ホント。乗りに乗ってますねぇ。

花の鎖 湊 かなえ著 文藝春秋 / 境遇 湊 かなえ 著 双葉社