カテゴリー: マ行



荒神


宮部みゆきという作家、本当に守備範囲が広い人なんだなぁ。

現代の推理ものがあったかと思えば、ファンタジーもの。
SF的なものが出たと思ったらやたらと江戸の時代ものが続いてみたり。

この「荒神」という物語。
時代は江戸の徳川綱吉時代なので時代ものには違いないが、時代ものは時代ものでも、もののけ、というか怪物が登場する。

どす黒い怪物となると、宮崎駿の「もののけ姫」に出てくるタタリ神を連想してしまいそうになるが、その姿がだんだん明らかになってくる。

時には蛇のように移動するかと思えば、時には足が生やしてどたどたと移動する。その時はティラノサウルスのような容姿なのだろうか。
口から硫酸のようなものを出しているのか、そのよだれを浴びたら、火傷で焼けただれる。
身体は鎧の如くで、矢も鉄砲も皆、はじき飛ばされる。
顔には目が無い。
人間は食らうが、他の動物には全く食指が動かないようで、牛馬などには目もくれないどころか、馬からなどは逃げ出す始末。

永津野藩、香山藩という架空の東北の二藩が舞台で、この二藩、関ヶ原以前からの因縁がある。
その二つの藩の間に位置する村にその怪物は現われ、村中の大半の人を食いつくしてしまう。

この怪物、そもそもこの二藩のいがみ合い時代に呪術を用いる一族によって生み出されようとした失敗作だった。
それがその一族の末裔の男の深い業によって蘇った?

これに立ち向かって行く人たち、まさに江戸時代版のブレイブ・ストーリーか?と思わせられるが、意外な形で怪物は昇華していく。

こういう物語って構想を練り上げて練り上げて、書きおろしで書くものなのかなぁ、と思いながら読んでしまったが、巻末に新聞に連載されたものを単行本化されたことが記載されている。
連載しながら、ストーリー考えていそうな雰囲気あるもんね。
新聞に連載小説が載ってても、読んだことがないが、毎日楽しみにしている人ってやっぱりいるんだろうな。

こういう物語、そういう読まれ方が似合っている気がする。

荒神  宮部みゆき 著



悟浄出立


中国の古典や物語で主役では無く、常に脇役の立ち位置の人ににスポットをあてた短編集。

「悟浄出立」
悟浄出立の悟浄とは「西遊記」に登場する沙悟浄(さごじょう)のこと。
沙悟浄が語り手にはなっているが、寧ろ注目すべきは猪八戒。
あの豚のなりになる前は天空に居て、しかも戦で負け知らずの大将軍だった。

えええっ!となる話。

「趙雲西航」
三国志の劉備の配下の将軍、趙雲が主役。
益州へと向かう船の中でのどうにも気分がすぐれない趙雲。

同じ立ち位置の将軍、張飛との対比が面白い。

「虞姫寂静」
項羽がとうとう四面楚歌になってしまう時の連れ合い、虞美人を書いた話。

「法家狐憤」「父司馬遷」
とどちらも荊軻(けいか)が登場するが、「法家狐憤」が面白いかな。

荊軻と同じ読みになる京科という人が主人公なのだが、中国で初めて法治国家というものを築いた秦という国の面白さが良く出ている。

官吏の登用試験にておそらく音が同じなので、荊軻と間違われて登用された京科。
法治国家についてははるかに詳しい荊軻は他国へ。

その後、他国の外交官として秦の国王への謁見がかなう立場となった荊軻は、秦の国王を暗殺しようと企てる。
暗殺は失敗に終わるのだが、その時の秦は法を最も重んじる国で、王の命よりも法を守る事が優先されてしまう。

法を重んじる法治国家がなにやら滑稽なものに見えてしまう、という面白さがある。

万城目学という人、「プリンセス・トヨトミ」だとか「とっぴんぱらりの風太郎」なんかのダイナミックな作品のイメージがある作家だけに少々意表を突かれた感じの作品群。

それにしても表紙に作者の名前のひらがなまで入れてもらって、あらためて「ああ、確かそういう読み方だったんだよな」と思いつつも頭の中に一度インプットされてしまっているのだろう。何故かすぐに「まんじょうめ」と読んでしまう。

「20世紀少年」の影響だろうか。

悟浄出立  万城目 学 著



海に沈んだ町


三崎さんて、廃墟の作品が多い気がするなぁ。
この本、短編ばかりを集めた一冊。
その短編のいくつかには廃墟がからんでいる。

その廃墟になりゆくものの最たるものが、日本の高度成長期の人気の的だったニュータウン。
一旦「ニュータウン」と名前がついてしまうと、もはや時代に取り残されていようがいまいがいつまででも「ニュータウン」なのだ。
そのニュータウンを政府の保護政策の名のもとに動物を放し飼いにしたサファリーランドのようにして、そこに住む人たちを珍しい生態系かの如くに見物させる話。

これは廃墟ではないが、廃墟よりももっと気持ち悪い。

中に住む人にはその生態系が変わらない様に全盛期の時代のままを維持させねばならず、外の情報は一切入れず、テレビがあったとしてもそのニュータウンの全盛時代の再放送を繰り変えすだけ。
どこぞの一党独裁国家よりも恐ろしいなぁ。

決して朝を迎えることのない町を訪問する「四時八分」。
これはなかなか印象深い。

いくつかある短編の中で最もアイロニーにとんでいるのが、「橋」という話。

市役所の人間が訪れ、家の前の橋が規定の通行量を満たしていないので、もっと幅の狭い橋に作り変えるから賛同してほしい、と言う。

通行量を多くなったから大きなものに、なら賛成反対の前に言わんとすることの意は理解できる。でも、少なくなったからお粗末なものに作り変えるたって金がかかる。
それなのに素直に「うん」と言わない方がおかしい、と思わせるほどにその市役所職員の受け答えは理路整然としている。
なんだろう。このお役所説明の頑なさは。
なんなんだろうこの変な感じは。

またまた不思議な三崎ワールド。短編でも大いに発揮でした。

海に沈んだ町 三崎亜記 著