カテゴリー: ヤ行



終活ファッションショー


就活ではなく終活。
人生の終わる時に向けての事前準備だ。

自分のお葬式をどのようにして欲しいのか。
何を着て棺桶に入りたいのか。
そんなことを遺書にしてしたためたところで、遺書が読まれるのは大抵、お通夜も、お葬式も終わった後。
では口頭で伝えておけばいいか、と言うと、これもまた、「やだぁ、縁起でもないこと言わないでよ」と聞いてもらえない。

ならば、と主人公の30代独身女性の司法書士は企画を考える。
ファッションショーというイベントに遺族となるはずの人達を呼んで、それを見せてしまおう、そんなお話。

就活ファッションショーの準備を進める内に、舞台に上がる人たちは考え、悩む。
どんな衣装で、を悩むわけではない。

これまで自分はどう生きて来たのか。

自分の終わりはあと何年後と仮定するか。

その時に残っている人は誰だと仮定するか。

その時に呼んで欲しい人は誰か。

そのために未来の年表を作り、何年後には○歳で、息子は○歳、家族構成はこう変わっているはず、そして自分はこんなことをしているはず。

一見、死ぬための準備のように話は進みながらも、残りの人生を如何に生きるのか、に命題が変わっている。

『最高の人生の見つけ方』という映画があった。
余命何カ月を宣告された二人の老人が生きている間に、やり残した楽しい事全てをやりつくしてしまおうという話。
あれはいい映画だったなぁ。
あれも如何に生きるかの一つだろうが、ちょっとだけおもむきが違うか。

それよりも寧ろ『エンディングノート』という映画に近いものを感じる。
いかに死を迎えるのか。
残った家族に何を残すのか。
いざ、という時にどうして欲しいのか。
残された者に伝え忘れていることは無いか。
世の中、そんなテーマの話がやけに多くなった気がする。

団塊の世代の方達が定年を迎える年になって来たことと無縁ではないだろう。まぁこれは日本だけのことだが・・。

この作者、巻末にプロフィールが載っているが、現役の司法書士なのだという。
そして、「終活」の普及に務める、と書いてある。

確かに、この本、小説の体裁はとっているが小説を読んだという実感よりも、残りの人生をいかに生きるかを考えよ、と教え諭されている実感の方が強く残る。
そんな本なのでした。

終活ファッションショー 安田 依央著 集英社



テロル


イスラエルの病院に勤めるアラブ人の外科医。
ベドウィン族の出でありながらも苦労してイスラエルの国籍を手に入れ、富裕層の暮す一帯に住宅を構え、妻にも何一つ不自由をさせていない。

ある日、勤務先の近所で自爆テロがあり、彼は運びこまれる怪我人に治療を行うのだが、死者数十名。
その大半がファミリーレストランでパーティを開くはずの子供達だった。
そしてその死者の中に彼の妻が居た。
あろうことか、警察は自爆テロを起こしたのは彼女だという。

そうしてこの医者の真実を巡る旅が始まる。

実際にこのテロを起こしたのは彼の妻であることがわかってくるのだが、彼にはどこまで行っても納得出来ない。

この本、方や強制収容所で殺されたユダヤ人達の悲惨な過去を生き延びた老人の口から語らせ、方や民族の国家を失われ、戦車で蹂躙されるパレスチナの人達のからその苦渋を語らせる。

主人公の医者はベドウィン族でありながら、イスラエルに帰化した者として、アラブ側から言えば裏切り者であり、背徳者であり、神を持たない者であり、嫌悪するべき存在。

方やイスラエル側には親しい友人は居るとはいえ、至る所でアラブの犬ころやろう扱い。
まして妻が自爆テロを起こした、ということで自分の家を一歩出れば袋だたきにあう。

ヤスミナ・カドラのもっと後の作品「昼が夜に負うもの」の中に登場する主人公はアルジェリア生まれのアラブ人でありながら、西洋人の行く学校へ行き彼らと親しく育つが、アルジェリア戦争が本格化すると中途半端な立場に立ってしまうのと立場的には若干似通っている。

この主人公医師は怪我人を治す立場としても、何の罪もない子供達を自爆テロで殺していい理由などあるはずがない、と思い続けるが、自らの土地を奪われた側にすれば、彼の妻は聖女となり、彼は自らのアイデンティティを失った憐れな男となる。

訳者は「あとがき」の中で作者はユダヤ側にもイスラム側にも肩入れをせずに淡々と書いている、と言うが、主人公医師が「何故だ」と嘆く中、それを批難する形で徐々にヤスミナ・カドラは、イスラム側へ肩入れしているように思える。

第二次大戦の中で、最も無策中の無策と言われる神風特攻隊。

その無策であるはずの神風方式を受け継いだのが、アラブ系のムジャヒディン達。

この本でも自爆テロのことを「カミカゼ」「カミカゼ」と呼んでいる。

確かにテロの惨劇を起こしたからと言って、土地を奪われた人々にメリットがあるわけではないだろう。

だが、自分から起こした戦争で負けて奪われたのでもなんでもない。
ある日突然、ユダヤがやって来たのだ。
ある日突然、ユダヤに与えられたのだ。
自分達の先祖父祖の地が。
彼らには他人の蔑視や自己嫌悪の中で細々と生き永らえることを良しとしない。
品位か死か、尊厳か死体か。
彼らにはかつて無策であるはずの「カミカゼ」こそが、最も彼らの心情にフィットするものなのかもしれない。

憎しみの連鎖は止まりそうにない。

テロル  ヤスミナ・カドラ/著 藤本優子/訳 早川書房<br />” width=”63″ height=”90″></P></p>
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カブールの燕たち


旧ソビエト軍がアフガニスタンに侵攻して以来というもの、アフガニスタンの人々に安寧が訪れたことなどあったのだろうか?

人々の心は、すさみきっている。
街を無気力が支配する。

この話の舞台は、ソ連がアフガン侵攻をあきらめて撤退した後、アフガン内部での熾烈な内戦。その中から台頭して来たタリバン勢力でがカブールを制圧後、徐々にその勢力圏を広げ、ほぼアフガン全土へと勢力圏を拡大していこうとしている、そんな頃のアフガン首都カブールが舞台になっているお話。

二組の夫婦が登場する。
三人も四人も妻を持つ人がいるような中で、この夫婦は双方共、一夫一妻。

方やの夫婦の亭主は拘置所の臨時雇いの看守。妻が病気で毎日イライラばかりしている。
方やの夫婦は夫も妻もソ連侵攻前のカブール大学に通っていたのだろう。
その当時のカブールは、イスラムのにおいの薄い街で、特にカブール大学あたりでは、欧米の一流大学並みの教育を受けた人が多く、自由の空気を浴びていた人が数多く居ただろう。
特にこの妻は、チャドリを頭からかぶるなどと言うのは屈辱以外の何物でもないと思っている人なので、かなり若い頃の自由の気風が抜けないのだろう。

この本のタイトル、「カブールの燕たち」の燕とはチャドリで全身を覆ったカブールの女性達を意味している。
タリバンなどのイスラム原理主義者達が支配する街では女性は、一人前の人として扱ってももらえないし、男女が人前で口を聞くことも、笑うことも手をつなぐことすら許されない。
要は家でじっとしていろ、というわけだ。

この本はタリバンを糾弾している。

欧米のジャーナリストがアフガンを取材してタリバンを糾弾することは、彼らの常識から言ってままあることだろう。
だが、この作者、アルジェリア生まれのイスラム教徒なのである。
イスラム教徒でも西欧的な高等教育を受けた人にしてみれば、同じイスラムでも原理主義者の方がキリスト教徒よりも遠い存在で、原理主義者がいるからこそイスラムそのものが忌み嫌われる、そういう意味で著者にとっては原理主義者は迷惑な存在なのかもしれない。

タリバン=悪、一般的に、世界的になにかそういう公式が刷り込まれている様に思えてならないが、当時のアフガンでカブールほど西欧的な空気を味わった町は別にして、ほどんどの町や村で望まれたことは何より、内戦の終結。
タリバンの台頭による治安の回復を何より喜んだのではないだろうか。
タリバンがあれだけ短期間にあの広いアフガニスタンという国の制圧範囲を広げられたのは何より地域地域で歓迎されたからに違いないのだと私は思う。

この原著が出版されたのが2002年。
アメリカによる空爆は既に2001年から始まっている。
執筆時は丁度、9.11の手前だったのかもしれないが、ウサマ・ビン・ラディンを匿っているのか?の問いかけにYESともNOとも応じなかっただけで、世界の敵の扱いを受けることになるタリバン達を敵たらしめるには同じイスラム教徒が書いた本書は大いに利用されたかもしれない。
「国際IMPACダブリン文学賞」などという賞の受賞もその一環と思えなくもない。

本の中にはそんな詳細記述はないが、あらためて振り返ってみるに、ソビエト侵攻前に大学に在学して、となると1978年より前。その後タリバンがカブールを治めるまで20年弱。

自由な大学を去ってからほぼ20年間もの長期に渡って、戦禍の中にいて尚、チャドリを拒否するだけの自由を追い求める気持ちを持ち続ける女性が存在し得るのか。
そして学生時代に男子学生を魅了した女性が20年経って尚、素顔をさらすことで男を魅了してしまうほどの魅力を持ち続けて来られるものだろうか。

ジェンダーフリーとは正反対のイスラム原理主義タリバン政権下での女性達を描いた話なのだが、存外、女性の強さを書いているも物語なのかもしれない。

カブールの燕たち   ヤスミナ・カドラ (著)  香川 由利子 (翻訳) <br />”  width=”60″ height=”90″></p>
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