カテゴリー: ヤ行



床屋さんへちょっと 


「やっとるかね」

それが先代の社長の口癖。
職人で中卒で一から菓子メーカーを築いた先代。

後を継いだ宍倉勲はたったの15年で会社を倒産させてしまう。
二代目として後を継いだ後も先代を慕う社員が多く、一度も会ったことのない若い社員までもがその「やっとるかね」 の口真似が口をついて出てしまうほどに先代の存在は大きかった。

オイルショックの影響があったとはいえ、誰しも二代目と先代との経営者としての才の差だと感じたことだろう。

いくつかの章立てで仕上がっている本で、各章は年代順ではない。
寧ろ年代を遡って行く。

冒頭の賞を読み始めた際には年老いた頑固オヤジと出来の悪い娘の話か、と思ってしまったが、そんな思いはだんだんと吹っ飛んで行く。

章を重ねる毎に宍倉勲という人の人生に対する誠実さがあらわになって来るのだ。

二代目として会社を継いだ時も、倒産をさせてしまった時も、倒産の後の再就職先での仕事においても、どの段階でも宍倉勲という人は誠実で真剣そのものだった。

章が進んで娘が小学生の時、父の仕事ぶりを独占密着取材する、と言って父の再就職先の仕事場へ付いて来た時の話などは圧巻だろう。

その頃からちゃんと娘は父の仕事ぶりを見て来たのだ。
父の言葉を、仕事ぶりを、ちゃんと取材したノートの内容を頭に刻み込んでいた。

そして父は単に平凡で真面目だけが取り柄の人ではなかった。
多くの人から信頼され、慕われる人だった。

娘にはちゃんと伝わっていたし、孫にも。

「さいごまでかっこよかったよ、おじいちゃんは」と孫から言われることは、おじいちゃんには最高の褒め言葉だろう。

各章に必ず一度は床屋が登場する。
それは同じ床屋ばかりではではなく、旅先の床屋、海外出張先での床屋だったり。

その床屋の場面がこの小説のいいスパイスになっているのかもしれない。

床屋さんへちょっと [集英社] 山本幸久 著



地球移動作戦 


あまりに壮大なスケールの話に圧倒される。

2083年、光速の43%の速度で航行する宇宙探査船。
秒速12万9000キロ。月までたったの3秒で到達できる速度の探査船で人類は太陽系をはるかに離れた宇宙を航行している。

そこでその探査船が遭遇するのが、ミラー・マターと呼ばれる鏡像物質でできた天体。
光を反射しないために、地球からは光学的には観測できない天体。
その天体が太陽系に向かって移動している。
そしてその移動する先は太陽系でも地球の軌道をかすっている。
その移動速度から推測するに地球とニアミスを起こすのは、その24年後の2107年であることが判明する。

この今から70年後の世界では、人間は抗老化処置が進み、見た目では年齢は一切わからない。
ACOMと呼ばれる人工意識コンパニオンが人間のパートナーとして人に付き添い、話し相手にもなれば秘書の仕事までこなしてくれる。
ARと呼ばれる拡張現実が一般化し、人びとは自室の中で観光地の風景を目の前に繰り広げる。
超光速粒子のタキオンを実用化したピアノ・ドライブの開発は、エネルギー革命そのもので21世紀初頭に叫ばれた温暖化やCO2削減問題も過去の歴史となった。
そのピアノ・ドライブにより超光速航行も可能となる。

それらはあくまでも設定であり、冒頭に書いた壮大なスケールとはこの物語の後段からなのだ。

探査船の乗務員はミラー・マターからの放射能を浴びて地球へは帰れないのだが、その探査結果は正確に地球へと送り届けられる。

24年後に地球とニアミスを起こすことで地球にどんなことが起こるのか。
秒速300キロで地球とすれ違う時に発生する潮汐力は最も近付いた時には月の1800倍。
そのミラー・マターの発する放射線により全世界の超伝導体が放射線源となる。
地球の太陽系での軌道はニアミスにより離心率の大きい楕円軌道となる。
日射量は減り、氷河期が訪れる。
たった3名の探査船の乗務員はわずかな時間でそれだけのシュミレーションをやってのけてしまう。

さて、その結果を受けた地上の人類はどのような選択をするのだろうか。

24年後というのは個々の人が危機感を持つには少し永い期間かもしれない。

しかし、科学者達にとって対策を打ち立てるのには短すぎる期間なのではないだろうか。

20世紀末に出て来たような終末論をかざす宗教団体が方や有り。
そのニアミス説そのものが政府の陰謀で、ニセ情報だと信じない人たちもまた多く有り。
そうかと思えば、人類が生き残る必要は無い、ACOMさえが生き残れば、人間の心や文化や情報はミームとして受け継がれる。24年間、莫大な経済投資をして無理な計画を推し進めるよりも、ACOMに未来を託せば良い、という考え方を訴える人有りでその賛同者も多く出て来る。
その考えは、今の自分さえ良ければそれで良い、という自分勝手なものなのだろう。
自分たちが生きて来た美しいこの星を子供達やそのまた子供達の世代へと残して行こうという発想では少なくともない。

どこぞの政権が今の選挙対策のため無理矢理バラマキの政策を強行採決し、子供達やそのまた子供達の世代にそのつけを廻そうという発想も同じようなものか。人類に限らず生命体は種の保存を最優先に考えるはずなのにそうではない彼らこそ若者などよりはるかに新人類、新生物なのかもしれない。
いや、スケールが違った。この物語に出て来る新人類達は、人類の滅亡を許容するという大胆な発想なのだから。

そんなことはさておき、その後の人類が選択した道こそが冒頭に書いたあまりに壮大なスケールの話なのだ。

地球に隕石が衝突する、だとかの地球のカタストロフを描いた小説や映画は数あるが、スポットがあたるのはカタストロフに遭遇した地球・人類そのものであったり、もしくはそれをくいとめようとするヒーローであったりで、それはそれなりに読み物としても映画としても面白いのだが、近未来というものを物理学的見地にもたって、起こり得そうなことを背景に掲げながら、それでいて途轍もないスケールの話を展開していくSFなどというものにはそうそう出会えないのではないだろうか。

作者はどれだけ物理学を勉強されたのだろう。
専門の物理学者が読んだらどんな反応なのだろうか、などと思ってしまう。
ニュートリノだとか、数年前のノーベル物理学賞受賞者が出た時までは知らなかったような単語がいくらでも出て来る。

ACOMにしたって、ロボットではない。実はアバターの発展系なのだ。
実態が存在するわけではなく、あくまでもサーバー内のデータが仮想媒体の3Dとして目の前に現れている。
ARにしてもそう。
これって今年からかなり売れて行くだろうと言われる3D映像の延長上だ。
ACOMにはまり切ってしまう人たちは、現に今でも引きこもりという形で存在する。それもかなりのパーセンテージで。

この本、結構な長編である。
ここに書かれているものは、確実に今から70年後の世界には実現されているか、かなり近付いているものなどもあるのではないだろうか。
長編が苦手な人もそんな読み方をすれば、きっと楽しく読めるに違いない。

地球移動作戦 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション) 山本 弘 (著)



フランスジュネスの反乱 


フランスの高度成長期は日本のそれよりも二まわりほど早かった。1970年代の前半のオイルショックを日本は乗り切ったが、フランスはオイルショックを境に高度成長期の終焉を迎えた。
そしてその後の日本のバブル期にフランスは大量失業時代を迎えていた。
第二次世界大戦後の「栄光の30年」に労働力を補うために大量の移民を受け入れたが、オイルショック以降は就労を目的とする移民の受け入れは停止され、フランスに残された移民たちはフランス社会のなかの異質分子、サルコジに言わせると「社会のくず」「ごろつき」と言われる存在になってしまう。

パリ郊外の移民の人たちが多く住むシテ(団地地区)では移民世帯は失業と貧困にあえぎ、子供たちの唯一の楽しみはサッカーをすること。
その普段サッカーをしている少年たちが、誤って工事現場に立ち入ってしまったことが惨事を招いた。通報を受け、大量の警察官が武装して出動。
恐れを為した少年たちはその場から逃げるが、逃げる途中で二人のサッカー少年が命を落としてしまう。
その二人の少年の死を境に暴動が起きる。
二人の死は単なるきっかけだったのだろう。
その暴動の四ヶ月前にあるシテで少年の乱闘事件があった際にサルコジ(当時内相)が飛んで来て「このシテをカルシュール(大型放水機)で一掃してやる」と言い放ったのだという。
、暴動はやがてフランス全土へと広まり、首相は非常事態宣言を宣言し夜間外出禁止令を発令する。
ほんの2005年という数年前の秋のことである。

この本でもう一つ取り上げられているのが、2006年に施行されたCPEと呼ばれる初期雇用契約に関する施策に対する若者達の反乱。

CPEとは、26歳未満の若者を雇用した企業は3年間にわたって社会保障負担を免除。実習期間をこれまでの3ヶ月から2年間に延長。
この2年間の期間中、雇用側は理由を問わず解雇することを認められるというもの。

経営側にとってこんなにおいしい施策があるだろうか。
理由無き解雇が合法化される。
雇用される側は2年間の間、いつも解雇の不安におびえることになり、やがて2年を経ることなく解雇されたらまた、更に2年間を同じ不安を持ちながら、働くことになってしまう。

ここでも大元の問題は雇用問題。高い失業率が原因なのだろう。
折りしも、日本でいうところの団塊の世代にあたるベビーブーム世代が退職を迎える最中、時の首相は失業率を最悪時の12%から9.6%になったと誇り、この施策で失業率は改善するだろう、との見通しを発表する。

これに怒った若者達は、無暴力のデモ活動を起す。
この本の大半のページはこのデモ活動の描写に費やされている。

フランスの大学という大学で、そして高校までもデモが起き、これもまたフランス全土に広がる。
100万人を超える規模のデモ活動というのは、途轍もない規模である。

この本には著者の思い入れもあるだろうが、実際にジャーナリストとして自分で取材したもの、新聞資料に基いたものを元に忠実に事件を再現しようというものである。

しかも2005年、2006年とほん数年前の出来事。

方や、昨年、一昨年には日本ではランスの子育て絶賛の本も何冊か出版されている。
それらの本が絶賛するフランスの出生率が高いことを見本にして、現政権のマニュフェストは作成され、今年より施行されて行くことになるのだろう。

だが、それらの本にはフランスの抱えるこのジュネスの反乱に見られる深刻な問題は一切ふれられていない。

折りしも本日は成人の日だ。
お昼のニュースではデズニーランドで大はしゃぎする着物姿のゆとり世代真っ只中の新成人たちが映されていた。
この本のサブタイトルは「主張し行動する若者たち」。
日本ではよく「主張し行動する若者たち」のような活動は社会の閉塞感のために居なくなってしまったと言われて来たが、どうも「閉塞感のため」とも思えない映像なのだった。

フランス ジュネスの反乱―主張し行動する若者たち  山本三春著