あまりに壮大なスケールの話に圧倒される。
2083年、光速の43%の速度で航行する宇宙探査船。
秒速12万9000キロ。月までたったの3秒で到達できる速度の探査船で人類は太陽系をはるかに離れた宇宙を航行している。
そこでその探査船が遭遇するのが、ミラー・マターと呼ばれる鏡像物質でできた天体。
光を反射しないために、地球からは光学的には観測できない天体。
その天体が太陽系に向かって移動している。
そしてその移動する先は太陽系でも地球の軌道をかすっている。
その移動速度から推測するに地球とニアミスを起こすのは、その24年後の2107年であることが判明する。
この今から70年後の世界では、人間は抗老化処置が進み、見た目では年齢は一切わからない。
ACOMと呼ばれる人工意識コンパニオンが人間のパートナーとして人に付き添い、話し相手にもなれば秘書の仕事までこなしてくれる。
ARと呼ばれる拡張現実が一般化し、人びとは自室の中で観光地の風景を目の前に繰り広げる。
超光速粒子のタキオンを実用化したピアノ・ドライブの開発は、エネルギー革命そのもので21世紀初頭に叫ばれた温暖化やCO2削減問題も過去の歴史となった。
そのピアノ・ドライブにより超光速航行も可能となる。
それらはあくまでも設定であり、冒頭に書いた壮大なスケールとはこの物語の後段からなのだ。
探査船の乗務員はミラー・マターからの放射能を浴びて地球へは帰れないのだが、その探査結果は正確に地球へと送り届けられる。
24年後に地球とニアミスを起こすことで地球にどんなことが起こるのか。
秒速300キロで地球とすれ違う時に発生する潮汐力は最も近付いた時には月の1800倍。
そのミラー・マターの発する放射線により全世界の超伝導体が放射線源となる。
地球の太陽系での軌道はニアミスにより離心率の大きい楕円軌道となる。
日射量は減り、氷河期が訪れる。
たった3名の探査船の乗務員はわずかな時間でそれだけのシュミレーションをやってのけてしまう。
さて、その結果を受けた地上の人類はどのような選択をするのだろうか。
24年後というのは個々の人が危機感を持つには少し永い期間かもしれない。
しかし、科学者達にとって対策を打ち立てるのには短すぎる期間なのではないだろうか。
20世紀末に出て来たような終末論をかざす宗教団体が方や有り。
そのニアミス説そのものが政府の陰謀で、ニセ情報だと信じない人たちもまた多く有り。
そうかと思えば、人類が生き残る必要は無い、ACOMさえが生き残れば、人間の心や文化や情報はミームとして受け継がれる。24年間、莫大な経済投資をして無理な計画を推し進めるよりも、ACOMに未来を託せば良い、という考え方を訴える人有りでその賛同者も多く出て来る。
その考えは、今の自分さえ良ければそれで良い、という自分勝手なものなのだろう。
自分たちが生きて来た美しいこの星を子供達やそのまた子供達の世代へと残して行こうという発想では少なくともない。
どこぞの政権が今の選挙対策のため無理矢理バラマキの政策を強行採決し、子供達やそのまた子供達の世代にそのつけを廻そうという発想も同じようなものか。人類に限らず生命体は種の保存を最優先に考えるはずなのにそうではない彼らこそ若者などよりはるかに新人類、新生物なのかもしれない。
いや、スケールが違った。この物語に出て来る新人類達は、人類の滅亡を許容するという大胆な発想なのだから。
そんなことはさておき、その後の人類が選択した道こそが冒頭に書いたあまりに壮大なスケールの話なのだ。
地球に隕石が衝突する、だとかの地球のカタストロフを描いた小説や映画は数あるが、スポットがあたるのはカタストロフに遭遇した地球・人類そのものであったり、もしくはそれをくいとめようとするヒーローであったりで、それはそれなりに読み物としても映画としても面白いのだが、近未来というものを物理学的見地にもたって、起こり得そうなことを背景に掲げながら、それでいて途轍もないスケールの話を展開していくSFなどというものにはそうそう出会えないのではないだろうか。
作者はどれだけ物理学を勉強されたのだろう。
専門の物理学者が読んだらどんな反応なのだろうか、などと思ってしまう。
ニュートリノだとか、数年前のノーベル物理学賞受賞者が出た時までは知らなかったような単語がいくらでも出て来る。
ACOMにしたって、ロボットではない。実はアバターの発展系なのだ。
実態が存在するわけではなく、あくまでもサーバー内のデータが仮想媒体の3Dとして目の前に現れている。
ARにしてもそう。
これって今年からかなり売れて行くだろうと言われる3D映像の延長上だ。
ACOMにはまり切ってしまう人たちは、現に今でも引きこもりという形で存在する。それもかなりのパーセンテージで。
この本、結構な長編である。
ここに書かれているものは、確実に今から70年後の世界には実現されているか、かなり近付いているものなどもあるのではないだろうか。
長編が苦手な人もそんな読み方をすれば、きっと楽しく読めるに違いない。