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フランスの子育てが、日本よりも10倍楽な理由


かつてまだ冷戦時代の全盛期に城山三郎氏がいずれ資本主義国家は社会主義的になり、社会主義国家は資本主義的になるだろう、と談話だったかエッセイだったか、対談だったかで書いていたのを読んだ覚えがある。

まさに実際にそうなっていたのだった。
中国では20代、30代でも人の何十倍、何百倍を稼ぎ出す事業家が現れ、
この本で紹介されるフランスという国、まるで1970年代のソビエト連邦の宣伝文句とそっくりじゃないか。

教育は無料。幼稚園から大学まで無料です。
ソビエト連邦の国民は皆平等なのです。
ユートピアなのです。と。

そんなにフランスはユートピアなのか。

「フランス ジュネスの反乱」という本ではフランスの別の一面が描かれている。

日本もかつては一億総中流などと言われ、もっとも社会主義が成功した稀有な資本主義国家と言われた時代があった。

一億総中流と呼ばれる時代にも格差はあっただろうし、貧しさだってあっただろう。
しかしながらいつしか一億総中流は死語となり、この国は格差社会と呼ばれるようになった。

格差なるものはどんな社会にも生まれるのだろうし、貧乏な人だってどんな社会にでも生まれるのだろう。
貧乏すなわち貧困とは違うだろう。

清貧という言葉がある。
金銭的に貧しくとも心まで貧しくなってしまってはどうしようもない。

金銭的な貧しさよりも満足度が得られない社会、期待の持てない社会、夢の無い社会、そういう社会こそ忌み嫌われる社会なのではないだろうか。
今やまさに期待の持てない社会

この本は2009年1月に出版されている。
まさに現政権の選挙時のマニュフェストを先取りしたような内容の記述が多々ある。

この手の本が現政権のマニュフェストを書かせたのではないだろうか、と思うほどに。

子供手当てがまさにそれである。
専業主婦を害悪的に評し、扶養控除の廃止を訴える。

子供の養育費に一人当たり2千万円が必要だって、そりゃ2千万円かける人も居るってだけだろうに。
塾へ行くのが何故当たり前なのか。私立大学へ行くのが何故当たり前なのか。

富裕層は子供を塾へ通わせ、偏差値の高い学校へ通わせ、一流大学を出てエリートとなり、貧困層はそんなお金が無いから、貧困層の子供はやはり、ニートや非正規雇用になるって、ちょっと短絡的すぎやしないか。

世の中で活躍している人に子供の頃は貧乏でした、って人はいくらでもいるじゃないか。それに塾へ行ったら一流大学か?
なぜそんな短絡的な思考しか出来ないんだ。

子供手当ての支給すなわち少子化社会のストップに本当につながると思っているのか?

先進国(これまでの)では概ね少子化の傾向にある。
そもそも人口が右肩上がりで増え続けて行っていた事そのものが異常だったという論もある。
江戸時代300年間、日本の人口は一定だったのだとか。
これからは人口減少時代へ入って、1億が8千万にそして6千万にそれから人口一定の時代が来るという説を述べる学者も居る。

いや、そういう説があるから少子化を諦めろというわけではない。

少子化の対策はバラマキじゃないだろう。

バラマキをするなら、金よりも渡辺淳一の「欲情の作法」でもばら撒いた方がまだ効果があるんじゃないのか。

それより何より国家ビジョンを打ち出せないところが一番の問題じゃないのか。

夢のない国じゃ、子供も可哀相だ。



金魚生活


中国では縁起をかついで、時に人間より大事にされる金魚。

ひたすらその金魚の世話を店主から任される主人公の女性。
この女性は中国人のタイプというより寧ろ、控え目な日本人のタイプに近いように思える。
もちろん人口12億も居る国なので、一括りに「中国人のタイプ」などがあるわけもないのだが・・・。

それでもこの作者がそうであるように、大陸的な大らかさというか、細かいことを気にしない気風が一般的なのではないだろうか。

細かいことどころか他の民族はそうそう容易く国籍を捨てたり変えたりはしないだろうが、彼の国の人はいとも容易く他の国籍に乗り換えたりする。

主人公の娘はそういう意味で非常に彼の国の人らしい生き方をする。
日本の国籍を取得し、日本で働き、出産を迎えるに当たって未亡人であった母を呼び寄せ、そのビザの期限が切れる前になんとか母を日本人と結婚させて日本国籍を取得させようとする。
そんな彼の国の人らしい割り切りのはっきりした娘の親にしてはなんとも主人公の女性は奥ゆかしい。

まぁ、感想はそんなところです。

この「金魚生活」というタイトルは主人公に狭い金魚鉢の中で飼われる金魚を重ねようということなのだろうか。
良くわからない。
主人公の女性が日本へ来た時にも好んで着た金魚色の様な服と金魚を重ねて、結局自由に生きることを望まない主人公と鉢の中の囲われた金魚を重ねているのだろうか。

深い感想文にはならなかったが、芥川賞を受賞した作品よりも洗練されている様にも思えましたし、楊逸さんへの期待度は高まりました。

金魚生活 楊逸 著 (文藝春秋)



ラグナロク-黒き獣


「ラグナロク」というのは剣の名前。
この剣が何故か話すことが出来て人格を持っている。

主人公は傭兵としての最高レベルまでのぼりつめながらも自ら昇進を辞退して官製の傭兵を飛び出していったリロイという青年。
正義感が強く、弱者を救済し、魔族を次から次へとバッタバッタと倒して行く。

小説としてはどうなんだろう。
小説というもの何某か作者が読み手に伝えたいことがあると思うのだが、伝えたいことが何なのか、最後までわからなかった。
格闘シーンというのを文章で描くのは難しいものなんだな、とつくづく思う作品なのです。

この本、格闘シーンに次ぐ格闘シーンの連続で最後にラスボスの様な強敵との格闘シーンが待っている。

「ラグナロク」というのは神話の世界のハルマゲドンのことらしいのだが、続き物の先にはそんなタイトルに相応しい展開になって行くのだろうか。

2巻目「白の兇器」もやはり同様に格闘シーンに次ぐ格闘シーンの連続であった。

これは、読み物として書かれて文章で読むものではなく、アニメやゲームにした方が向いているのではないか、などと思っていると、本当にDSのゲームに同じ名前のものを発見してしまった。

本書は格闘ゲームがお好きな方にはうれしい本なのだろう。
その「ラグナロク」というゲームを楽しんでおられる方々にはゲームのキャラクターをより堪能するためのありがたい本なのかもしれない。

ラグナロク-黒き獣  安井 健太郎 著(角川書店)