カテゴリー: 東野圭吾



マスカレード・ホテル マスカレード・イブ


マスカレード・ホテルとマスカレード・イブ、同じ登場人物たちなので、一回で紹介してしまおう。

■マスカレード・ホテル
この本はミステリーとしてやトリックの中身が読ませどころじゃないのだろう。
「おもてなし」の心を持ってお客様に接するのが信条のホテルマンの仕事場に人を疑うのが仕事の刑事がホテルマンに化けて潜入するとどうなってしまうのだろうか。
そこがこのマスカレード・ホテルの一番の読ませどころじゃないだろうか。

東京都内で起きた連続殺人事件に残された唯一の手がかりである犯人の残したメッセージ。
それは割りと簡単に解読出来てしまうシロモノで次の連続殺人事件の緯度・経度が特定されている。
最後のメッセージからこのホテルが次回の現場だと特定されるが、そのメッセージ以外には全く連続殺人の被害者間の繋がりも、犯人の手がかりも何も無い。

つまりはホテルに来る全ての人が被害者かも知れなければ、加害者かもしれない。
そこでフロントの中にホテルマンに扮した刑事が潜入し、来る客、来る客全てを監視する。
方や、本物のホテルマンも実は来る客、来る客を観察はしているはずなのだ。
根本的に違うのはその目的。
本物のホテルマンは来る客に最大限のおもてなしをするために観察するのであって、犯人かもしれないという疑念を持って監視しているわけではない。

その刑事の教育係を命じられたのが、山岸尚美というホテルウーマンで、この人がかなり優秀な人なのだ。

この女性の教育が功を奏し、だんだんと刑事がホテルマンとしてのらしさを身につけて行く。

■マスカレード・イブ
マスカレード・ホテルで登場した山岸尚美が主人公で今回もフロント内での業務についている。
客様のつけている「仮面」をテーマとした何篇かの短編、いや中編というべきか、が収めされている。

こちらの前作よりミステリっぽいかな。

山岸尚美はマスカレード・ホテルで登場した時より、はるかに探偵っぽいことを行おうとする。
マスカレード・ホテルで出会った刑事の影響か?と思いきや、出版こそマスカレード・イブの方が後なのだが、時系列的にはマスカレード・イブの方が前になる。

さまざまな仮面をかぶったお客様がホテルに宿泊しに来る。

マスカレード・ホテルではお客様を守り抜く完璧なホテルマンとしての心構えを貫いた彼女。
どうしたことか。
決して剥いではならないお客様の仮面を、最後に一言剥いでしまったりするのだ。


パリで起きたテロ事件などが発生する昨今だ。

お客様を守ろう、お客様に最大限の「おもてなし」をというのはホテルマンとして信条だろうが、ホテルマンのらしさを身につけ、「おもてなし」をしながらも、疑念の気持ちを持って観察するこの刑事のようなフロントマンがだんだん必要な時代になって来ているのかもしれない。

そうだとすると、なんともまぁ、いやな時代になってきたものだ。



黒笑小説


東野圭吾にもこんなショート・ショートがあったんですね。
読後に知ったがあと何冊か出ているみたいだ。

中には星新一のショートショートのようなものから、星新一なら到底これは書かないだろうな、というものまで。

見る女見る女、全てが巨乳に見えてしまうという「巨乳妄想症候群」。
こういう事態は男性にとって羨ましい事態なのかどうなのか。

バイアグラの逆を行く薬の「インポグラ」。
こんなもの何の役にたつのか、誰が買うんだ、と思う商品がたちまち売れ筋商品に。
だいたい買う人の層は想像がつかなくもない。
それが、やがて売れなくなって行く。
そのあたりのオチがショートショートならではだろう。

計13篇の短編の内、本業である作家の業界の話、文学賞の受賞にまつわる小編がいくつかある。
選考委員の手抜きかなんかで新人賞に受賞してしまった男のとんでもない勘違い話。
笑ってしまうが、なかなかありそうな話でもある。

最もスタンダードなショートショートらしい話は「臨界家族」だろうか。
ある家族の購入を境に新商品の発売が決まって行く。

ビッグデータに紐ついた個人データが企業のマーケティングに活用されれば、こんな時代も来るかもしれない。

黒笑小説  東野圭吾 著



虚ろな十字架


ちょっと買い物に行くその間だけ幼い娘を留守番に残し、そのちょっとの間に強盗に入られ、わずか数万円のために娘を殺害されてしまった夫婦。
我が子を殺害されたばかりというのに真っ先に疑われたのがその両親だった。警察への連絡の後真っ先に事情聴取され、妻にいたっては一日で返してもらえないほどに執拗に聴取され続けた。
娘の遺体があざだらけだったり、近所でも有名な児童虐待の家ならそうかもしれないが・・・。

二人は掴まった犯人には極刑を望むが、一審では無期。控訴してあっさりと死刑判決。

そこでぽっかりと空洞が空いたような喪失感。
結局夫婦は離婚してそれぞれの道を歩こうということに。
極刑を望んで、もしそうならなかったら、二人で焼身自殺をして抗議しよう、とまで意気込んでいたのに。望みどおりの判決となったのに。

かつて妻を強姦された上に妻と子供を殺害された男性が、犯人の死刑を望んで運動をしていたことがあったっけ。
あれも最初の判決であっさりと死刑が確定していれば、あの人はあの運動を起こすこともなく、それこそ魂の脱け殻のようになってしまっていたかもしれない。なんとか極刑を、と訴え続け、運動することこそが生きる力になっていたかもしれない。
あの人は今頃どうしているのだろう。

さて、別れた夫婦だが、今度は元妻の方が殺害されてしまう。
犯人は早々に自首して来た後に、元夫は別れた後の妻の行動を追う。
妻は離婚後、フリーライターとして活動していた。

頼まれ仕事とは別に
「死刑廃止論と言う名の暴力」というタイトルの文章をを執筆。
もうすぐ出版するというところまで書きあげていた。
その文章の主旨は、
「人を殺めた人は命で償うしかない」
「刑務所という更正施設で人は更正などしない」
というもので、自らの体験談はもちろん、被害者遺族の取材、死刑を減刑する側の弁護士への取材も試みた内容だった。

「虚ろな十字架」という本のタイトルもその亡くなった元妻の文脈の派生による。

ならば、この「虚ろな十字架」という本も一見「死刑廃止を許すまじ」が主旨の様にも受け取れるが、そこはどうなんだろう。

話の終盤で出て来る話。
若気の至りで過ちを犯してしまった人の奥さんの言葉。
この人は、その一人の命と引き換えに自分達親子二人の命を救ってくれた。
今も尚、他の数多くの命を救っている。

「人を殺めた人は命で償うしかない」のかどうなのかの判断を読者に委ねようという試みなのかもしれない。

とはいえ、救いようのない犯罪というものはあるもので、上の母子殺害事件などは死刑以外の選択肢があるとはそうそう思えない。

虚ろな十字架 東野圭吾著