カテゴリー: 伊坂幸太郎



死神の浮力


前作「死神の精度」を読んだ後に読む方がよりわかりやすいだろうが、浮力から読んでも充分に楽しめる。

設定は全く同じ。
死神が主人公で、調査対象者を指定され、一週間その対象者の行動を観察し、基本「可」とする。(そのまま死を向かえる)
対象者として選ばれる基準も不明なら、彼らの観察によって何を持って生かしておくべきかどうかの判断基準もあるように思えない。
しかしながら逆の 「見送り」と判断を下せば、どれだけ死にそうな目にあったところで絶対に死なない。
また、判定を下す日が一週間後なら、その一週間は殺されても死なない。

今回は死神千葉氏は複数の対象者を観察するのではなく、たった一人の観察にて一冊が割かれている。

その一人というのが、小説家で一時はテレビのコメンテーターなどで引っ張りだされていたこともよくあるという、所謂有名人。
その娘が1年前に誘拐され殺害された。

犯人は近所に住む青年だった。
つい最近も新潟で女児が帰宅途中に誘拐されて殺害される事件があったばかりだが、酷似している。
容疑者は掴ったものの証拠不十分にて無罪釈放。

小説家夫婦はさぞかし悔しかろうと思うのだが、実は、真逆で彼ら二人は無罪放免になることを願望していた。
司法の手による甘っちょろい刑など望んでいなかったのだ。

小説家夫婦の元には事件以来ずっとマスコミが押しかけ、さらに犯人釈放となればさらにマスコミの数は増えていくのだが、そんな中ひょうひょうと彼らの家に辿り着くのが死神千葉氏。
幼稚園の同窓生などと言って・・。

小説家夫婦がやろうとしていたのは江戸時代でいう仇討ち。所謂私刑なのだが、この犯人にことごとく、裏を書かれて、逆に何度も危ない目に合う。というより逆にどんどん攻撃されて窮地に立たされる。
そこは死神千葉氏が一緒なので何度も救われるのだが・・。

何と言っても強烈なのはこの犯人の青年の方でどうやってそんな次から次へと攻め手が打てるのか。
この青年の方が本当の意味での死神じゃないか、と思えてしまう。

今回も千葉氏のスーパーパワー、存分に楽しませて頂きました。

死神の浮力 伊坂 幸太郎 著



死神の精度


主人公はなんと死神。
死神は調査対象者を指定され、一週間その対象者の行動を観察。
彼らには「見送り」にする(生かしておく)か、「可」とする(そのまま死を向かえる)かの判断をする権限がある。
そもそも対象者として選ばれる基準も不明なら、かれらが観察することで生かしておくべきかどうかの判断材料があるとは思えないしそもそも判断基準など存在しそうにないのだが、主人公の死神氏は仕事を怠らない。
真面目なのである。
とはいえ、きまぐれで、というより自分のほとんど趣味で「見送り」の決裁をすることもある。

この世に何十億の人が居ようが、どの人間にも共通していることが一つある。
人は必ず死ぬ、ということ。
普段、健康な時は忘れているだけで、いつかは必ず死ぬ。

死神はごくごく当たり前の事を言っているだけでも、それを聞いたら、皆、ぎょっとするか、んなわけねーだろーが!と怒ったりするものだ。
この話の上でだけだが、唯一、絶対に死なない期間がある。

死神が調査(観察?)をしている一週間だ。
その間、その対象者はどれだけ無茶なことをやろうと、死神が判定する一週間後にならない限りは死なない。

二篇目に出て来る昔気質のヤクザ。
今どきの体質の身内からも売られる格好となるが、彼は抗争相手にひるまず単独でも立ち向かおうとする。

彼などはその調査中につき死なない典型だろう。
どれだけ無茶なことをしてもその一週間の審判の日を迎えていないということは、まだ寿命かあるのだ。
絶対に死なない。

雪の中の宿泊施設に集まった客たちが、一人一人謎の死を遂げていく。
推理小説になりがちな展開に死神が絡む。

一篇一篇は独立していているのだが、それぞれの時代が違う。
別の一篇では若い人間として登場した人物が別の一篇での登場人物になっていたりして別々の話が実は繋がっていたりするあたりは、やはり伊坂氏らしい。

死神というと響きが悪いが、かなりいいやつだ。
とはいえ彼は人からどう思われるなど、どうでもいいのだが・・。
人が生きていようが、死んでいようがさえどうでもいい。

ただ、音楽が聞ければそれでいい。

発言が突拍子もないのだが、案外それは日本語特有の表現の難しさが原因だったりする。
もう何百年も前から何度も来ているなら、いい加減、言い回しぐらい理解しろよ、と言いたくなるが、それは仕方がない。
彼には興味がないんだから。

真面目、強い、渋滞が大嫌いで、音楽が大好き。非常にユーモラスで、人に案外好かれる。
こんな死神を描けるのは伊坂氏ならではだろう。

死神の精度 伊坂 幸太郎著



アイネクライネナハトムジーク


短編だと思わせておいて、最後の方で実は全員つながっていた、みたいなパターンなんだろう、と思って読み始めたら、いきなり二篇目から繋がってた。

最後で繋がるどころか、全編にわたる人物が複雑につながりまくってる。
実はこの一篇は過去の話で、誰某は誰某の娘で誰某と友達だった誰某は誰某の会社の先輩の娘で・・・みたいな。
人間関係、複雑すぎるだろう。

マーケットリサーチ会社に勤める男が夜中の街頭でアンケートを取るはめに。
本来はサーバの中に鎮座しているはずのマーケティングデータが、システム管理担当の先輩のチョンボでぶっ飛んでしまったためだ。
そこでアンケートに答えてくれたフリーターの女性。
その女性とあるところで再開するという、割りと平穏な出だし。

次の舞台は美容院。
美容院の常連客が弟を紹介するという。
断ったが、客は勝手に携帯の電話番号を教えてしまい、弟君と週に二三度、長電話をする中に。お互いにあったことも無い相手と8カ月以上電話だけでデートをしているようなもの。
その相手が誰だったのか判明した時はさすがにぶっ飛んでしまいましたね。

客とトラぶったりして一方的に罵られている女性への助け舟として、さも罵っている男を心配してあげているかのような「この方は誰の娘さんかご存知ですか?」作戦。
この作戦が、軸になっていろんな人に伝授されてまた、その繋がりが見えてきたりする。
なんとも面白すぎる構成だ。

他にも日本人のヘビー級プロボクシングのタイトルマッチ、これも縦軸の一つか。

ある一篇の中で広告代理店のクリエーターがいかに大変か、という話になる場面がある。作家やアーティストは一度、探し出した金鉱と同じ路線を掘り続ければいいのだが、広告のクリエーターに二番煎じは無い。それって前にもあったパターンだよね、が通用しない、常に新たな発明をし続けなければならない、云々。
(近年はシリーズもののCMってのも多くなってきたかもしれないが・・。)

でもどうだろう。
伊坂さんの作品って、充分に新たな発明ばっかりじゃないの?

アイネクライネナハトムジーク  伊坂 幸太郎 著