カテゴリー: 伊坂幸太郎



マリアビートル


『グラスホッパー』の続編とも言えるお話。

グラスホッパーを読んだのはかなり以前になるが、登場人物の個性が強烈だった印象がある。
その男を前にすると自殺せざるを得なくなる自殺屋だとか。
誰にも気づかれずに「押す」行為だけで事故死を実現させてしまう「押し屋」。
その人は今回も登場するのですが、キャラとしては前回の方が鮮烈だったように思える。
とはいえ今回のマリアビートルの登場人物のキャラもなかなかどうして。
機関車トーマスのことならなんでも知っている、というよりトーマスとその仲間たちにしか物事や人をなぞらえることの出来ない檸檬(レモン)という殺し屋。
殺し屋という呼称から受けるイメージとは程遠いキャラばかりなので殺し屋ならぬ仕事師と呼ぶことにしようか。
その相棒で檸檬の相棒で文学青年の蜜柑。
何をやってもついてない、情けない男のようで案外、土壇場に強い七尾。
アル中の元殺し屋の木村。

なんと言っても最悪なキャラは王子という中学生。
ルワンダでのフツ族によるツチ族への虐殺の本を読んで、その虐殺を「面白い」と感じ、人がいかに扇動されやすいのか、いかに周囲に同調してしまうのか、いかにして人をコントロールするのか、人をいかにして絶望の淵へ追いやれるのかを学び感激する。
人をいかに自在に操るのか、そういう術を学ぶのが異様に早い。
健全な優等生の面をしながらも「悪意・残虐」そのものが歩いているようなヤツ。

格好いいのは、引退したはずの伝説の仕事師。
寝ているところを起こされるのが最も嫌いで、睡眠中に起こされると怒って相手を撃ち殺してしまう、他人が起こされるのを見ても腹が立つというのがその伝説。

東北新幹線の中で一つのトランクを巡ってのドタバタが東京から盛岡までの道中で繰り広げられる。
ツキの無い仕事師は上野で降りるはずが降りられず、大宮で降りるはずが降りられず、仙台もあきらめ、結局ドタバタ劇の最後まで付き合うはめに。

機関車トーマスに詳しい檸檬が王子をディーゼルに例えるあたり、仕事師の感はなかなかにするどい。
ディーゼルがどんなタイプなのかを知りたい方は機関車トーマスでもご覧になって下さい。

ツキの無い七尾はまたの名を「てんとう虫」と呼ばれる。
てんとう虫は英語でレディビートルと呼ばれ、そのレディとはマリア様のことだということは、この本のタイトルはツキの無い男、七尾だったのか。

それはともかくも、こんなに楽しい殺し屋さんたちの物語があるだろうか。
グラスホッパーを再読してみたくなってしまった。

マリアビートル 伊坂 幸太郎 著  角川書店



砂漠


この本は以前にもUPされているかもしれないが、重複もたまにはいいだろう。

自分も以前単行本で読んだ覚えがある。読んですぐにブックオフにでも処分してしまったのだろう。

昨年文庫化されたと知り、あらためて読んで見て西嶋という男の素晴らしさに感激してしまった。

なんでだろう。
以前読んだ時のイメージはおそらく「うざい男」ぐらいのイメージしか持ち合わせなかったように記憶しているのに。

世界平和のために自分の出来ること。
麻雀で「平和」(ピンフ)という安い役があるのだが、ひたすら「平和」で上がることに固執し続け、毎回最下位の位置をキープし続ける。

それだけ読めばなんのことかわからないだろうが、西嶋という男は自分で出来ることをやり通すのだ。
しかも常に堂々としている。

「とにかく救ってあげればいいんですよ。」

という言葉通り、たまたま見つけてしまった動物保護センターのWEBサイト。
飼い主からはぐれてしまった犬の飼い主を捜すサイト。
そこは新しい犬で日々更新されて行き、その登録期限が過ぎれば、おそらく処分されてしまう。
そのサイトを見てしまった同級生の主人公氏は西嶋ならどうするんだろうな、と考える。結局、世界平和を、といくらいったって目の前の捨て犬の命一つ救えないんだろう、と。
あにはからんや、西嶋は救ってしまう。自分が飼い主だと名乗り出てしまうのだ。
「そんな!次から次へと犬を飼い続けるつもりなのか?」
に対しては、
「次からはあのサイトは見ないことにする」
という解決策を持っていた。

見てしまった以上は救い出さねばならない。
有言実行の男としてはそれ以外見てしまうわけにはいかないのだ。

駅前で募金をしている人を見て、ちゃんと届けられるのかどうかわからないし・・・としり込みする輩には、四の五の言わずに募金をしてあげればいいんだ、と切って捨てる。

過去のこととか先のことはどうでも良い。今できることをやるだ。
今、目の前で泣いてる人を救えない人間が、明日世界を救えるわけがない。
偽善は嫌だとか言っている奴に限って、自分のためには平気で嘘をつくんだ。

西嶋の考え、言動、行動は常に王道だ。
だが、その王道の考えの対極に居るのが大抵の連中で、世界平和だ!言ってろよ、と。
今、目の前で泣いてる人がいても見て見ぬふり。

それがどうだろう。
この3.11を境にして日本人は変わって来たんじゃないだろうか。
大抵は西嶋と対極に居たはずが、西嶋に近づいているんじゃないだろうか。

ゴールデンウィークには現地で断らなければならないほどボランティアの人が集結した。
いたるところで集めている義援金。
支援物資を送る人も大勢いた。
皆、今出来ることをまずやろう、としている。

震災後のテレビニュースにて、津波研究を専門とする学者が現地を取材している映像があった。
その手前で大きな余震があったのだろう。
遠くからその津波学者を目がけて、「逃げてー!」「逃げてー!」と女性が叫びながら走って来るのだ。
「津波が来るかもしれないから、とにかく早く逃げてー!」と。

自らが安全な場所にいて「逃げてー!」と叫んでいるのではないのだ。
彼らのいる場所まで走って来るのだ。
その映像を見た瞬間、あまりのことに慄然としてしまった。

彼らのところへ津波が来るのなら、自らも呑まれてしまうであるはずの場所に自ら駆けつけてまでしてでも人を助けようとするその女性。
自分のことはともかくも人を助けようとする。

西嶋と同じ魂か。
いや、もはや西嶋どころではない。

東北の人たちの強さ、優しさには本当に心を打たれる。

その強さがあまりの長期間の無策で萎えてしまわないことを願わずにはいられない。

砂漠 伊坂幸太郎 著



砂漠


「俺達がその気になれば、砂漠に雪を降らせる事ぐらい余裕で出来るんですよ」

その本意を汲み取ることが出来たのなら、なかなかにしてインパクトのある言葉ではないでしょうか。
この本の主題がこの言葉に集約されているようにも思えます。
この言葉、大学の新入生が交流を深めるための宴会に参加した西嶋という男の発言。
この西嶋君、遅れて乱入しながら、アメリカの中東への軍事介入を大声で非難したかと思うと地球温暖化を嘆き、宴会という場のTPO(Time,Place,Occasion)を全く度外視した男。

少し前の言葉ならKYというやつでしょうか。空気が読めない、のではなく空気を読まない男。それが西嶋君なのでしょう。

今頃の学生の言葉で言えば「イタイやつ」ということになるのでしょうか。
「アイツ、イタいわー!」と聞こえてきそうです。

そのイタイ男、西嶋というキャラクターを無視せずに仲間にとして扱うのが、覚めた美人キャラの東堂、超能力があるかもしれない南、ちょっとはすっ葉な鳥井、そして主人公の北村という物事を俯瞰して見る、と言われる男。

ここで既に東堂、南、西嶋、北村とトン、ナン、シャー、ペイが揃ったあたりで何か予感めいたものが頭をよぎるのですが、案の定、麻雀の場面が何度も出て来ます。
そのあたりもなかなか読めますよ。
確率論 VS 麻雀とはこうあるべき論 なんてね。

世の中は平和であるべき、とピンフのみでしかあがろうとしない西嶋君。
まぁピンフは麻雀の基礎でもあり王道でもあると思えなくもないのですが、何故か西嶋君はいつも一人負け。

その大学生活を四年共に過ごすなかで、寒い、痛いはずの西嶋君の影響をだんだんと皆が受けてしまっているところが面白い。
俯瞰的な立ち位置のはずの北村君も感化されている。

この西嶋君、単なるKYな平和論者なのではないのです。
「彼方で人が難破している時に手をこまねいてはいられない」男であり、常に行動が伴う男。
「人間とは自分に関係の無い不幸な出来事にくよくよする」男でもありつつ、目の前で行われる空き巣犯人達を放置することなど到底出来ずに勇猛果敢に立ち向かっていく勇気のある男でもあるのです。

友人が落ち込んでいる時に、その窓から見えるビルの電灯を麻雀の「中」に見立てて、ビル全体に「中」を浮き彫りにするなどという途方もない根回しをして元気づけてやるような、到底KYとは思えないことまでしでかしてしまう男。

だからこそ冷めた人間も感化される。

歳こそ近いが既に社会人になっている女性がつぶやく。
「あなたたち、学生は小さな町に守られている」と。
その外の世界は一面、砂漠が広がっている、と。
一旦、社会に出ればそこは砂漠ような過酷な世界が広がっているのですよ、と暗に諭したのでしょう。
彼らはその砂漠にどうやって、どんな雪を降らすのでしょう。

この話、伊坂氏のいつもながらの東北、仙台が舞台。
この大学のこの仲間達はまぎれも無く、東北大学法学部なのだと読めます。

まさに著者の出身校。

著者は自らの学生時代と何かをかぶらせたのでしょうか。

読後、サン・テクジュベリが読みたくなってしまいました。

「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」

砂漠 伊坂幸太郎 著(実業之日本社)