カテゴリー: 伊坂幸太郎



陽気なギャングが地球を回す


「ロマンはどこだ」
彼らが何かを起こす時の合い言葉です。

人が嘘をついているかどうかを瞬時に完璧な確率で見抜いてしまう才能を持った男。

人間より動物を愛するスリの天才。

まるで身体のなかにストップウォッチを持っているかのような人。

本当の事は滅多に言わないが一旦話し出すと人を引き付ける演説の名手。

こんな異能達が集まれば、そりゃなんかやりたくなるでしょう。

体内時計人間の雪子。
CDを聞いて「曲が始まってxxx秒のところで誰それのトランペットが飛び込んでくるところが最高」なんて感想を言うやつが居たら、ちょっとびっくりしますよね。
石田衣良のコラムだったか、小編小説だったかに完璧なタイムキープを求められるアナウンサーの女性の話がありましたが、どうもそんなレベルではないようです。
食事の用意に昨日よりxxx秒、余分にかかった、なんて気にしている単位がまず違う様な気がする。
この雪子は運転手としては最高の腕前で、尚且つ体内時計のおかげで下見をした道筋なら赤信号に一度もつかまらずに青信号の道だけを選り抜いて走るので非常に効率が良い。

嘘つき演説男の饗野はかなり人間的魅力の溢れる男。

人間嘘発見機の成瀬と饗野とのかけ合い。
動物好きスリ名人青年の久遠と饗野とのかけ合い。
饗野の妻である祥子と饗野とのかけ合い。

どれも漫才みたいに面白い。
饗野という人、面白い会話の時には欠かせない存在のようです。
饗野の妻である祥子の会話、33分探偵の探偵助手の女性を思い浮かべてしまいました。
「俺たちの金を・・」「だから、それはもともと銀行のお金だって」
「犯人はあなただ」「だから最初からみんなそう言ってるって」
なんか雰囲気が似てる気がする。

人間嘘発見機男の成瀬。
嘘が見抜けてしまうだけでなく用意周到。下準備を怠らない。いつでも沈着冷静なのは、答えを知ってしまっているからだろうと饗野。
しかし、他人の嘘が全て見抜けてしまう、というのはどうなんでしょう。
詐欺師に騙される心配は無くてよいかもしれませんが、日常会話の中にはいつも些細な嘘や誇張があるでしょうに。それらが全て見抜けてしまうというのはあまり面白い人生じゃなくなってしまうんじゃないんでしょうか。
第一、洋服だって店員の居る店では買う気がしなくなってしまうってことはないのかな。
全部、通販なんて面白くないですよね。
そんな気にもなりかけましたが続編の『陽気なギャングの日常と襲撃』で成瀬の役所での仕事ぶりが出てきます。
それを読めばそんなことも杞憂であることが良く分かります。

軽快なテンポ。
あざやかな犯行。
ちょっとだけ知的好奇心をくすぐられる様な楽しいやりとり。
伊坂節とでも言うのでしょうか。
なかなか楽しめる小説です。

ちょっとだけ抜粋。

「変わった動物は保護されるのに奇妙な人は排除される」(雪子)

「神様が世界をたった7日間で作れたのは好奇心のおかげなんだよ」(饗野)

「『人を見たら泥棒と思え』という言葉は泥棒自身が考案したものだろう」(雪子)

「あなたみたいなのが仲間だったら、わたしの血を吸いに来た蚊は恩人に違いない」(雪子 → 地道(雪子の元亭主))

「友よ、僕は生涯嘘をついてきました。真実を言っていた時にも」(祥子がドストエフスキー の『悪霊』を引用して饗野を語る)

やはりこういうのは抜粋してみても面白さは伝わらないですね。
流れの中で読んでいると面白い言い回しだな、などと感心しまうものなのですが・・。

あと盗聴を商売にしているのか、合鍵作りを商売にしているのか、引き篭もりの癖に情報通で、何でも知っている男。変ったものを作っては人に売りつけたりする。

フラッシュをたかないカメラ。=饗野の妻曰く「巻き戻せないビデオデッキ」みたいなものなのだそうです。

外から中へ人を監禁する事が出来る車。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のグルーシェニカから命名されて、その名もグルーシェニカー。紹介された時は、誰が買うんだと相手にされませんが、「巻き戻せないビデオデッキ」も「グルーシェニカー」も結局役に立ってしまう。

上にも書きましたが『陽気なギャングが地球を回す』の続編に『陽気なギャングの日常と襲撃』が出版されています。

地球を回すが面白かった人には、こちらもお勧めです。

陽気なギャングが地球を回す  伊坂幸太郎 著



ゴールデンスランバー


ケネディ暗殺事件、20世紀最大の謎めいた事件かもしれない。
暗殺直後に逮捕されたオズワルドは逮捕後の移送の際に周囲を取り囲んだ報道陣と野次馬の中から飛び出したケネディファンと称する野次馬の一人に撃たれて死んでしまう。
暗殺犯が殺されてしまえば、その背後関係の調査のしようもなく、事件は闇から闇へ。
それでも多くの人に疑問を残したのは、証拠物件が一切公開されず、組織的な証拠隠滅が行われたのではないか、という点。
オズワルドが狙撃したと言われる位置からと実際の銃弾が流れた角度がどうも違うのではないか、という映像による告発。

外国犯人説にはソ連説犯人説があるが、国内にて情報を操作出来る立場の組織が何らかの形で関わっていたであろうと誰しも思う。

この事件は事件直後からもその後40年以上経過した現在に至るまで、オズワルドの犯行、もしくはオズワルドの単独犯行という当局の発表を鵜呑みにしている人がほとんどいないだろう。
何らかの国家陰謀説がささやかれながらもずっとその真実は闇に隠されたままなのである。

そんなケネディ暗殺とそっくりの舞台をしたてたのがこの「ゴールデンスランバー」である。
宮城県出身の首相が仙台にてパレードを行う最中に何者かによって操縦されたラジコン爆弾にて暗殺されてしまう。

一国の指導者に対する暗殺。
まだ若く将来を嘱望されていた指導者であった。
双方パレードを行っている最中の事。
パレードが当初予定のコースから急に変更された。
近所に「教科書ビル」という同じ名称のビルがあり、犯人はそこから狙ったとされる事。
容疑者がかなりのスピードで特定された点。
・・・
ケネディ事件をまんま日本の首相に置き換えて再現したかの様な物語である。

ただ、異なるのはオズワルドが速攻で捕まり、また速攻で射殺されたのに比べ、「ゴールデンスランバー」のオズワルドこと青柳は逃げる。逃げて逃げて逃げまくる。

もう一つの新しい視点は、セキュリティポッドなる機器が街中取り付けられ、方や監視カメラの役割りを果たすと共に携帯の送受信情報もそこから吸い上げられる、という「ザッツ監視社会」のあり様。

これには賛否両輪があるだろうが、9.11以後のイスラムへの反撃以降というものテロに悩まされたイギリスの監視カメラの設置は百万台を突破したという。

至る所に監視カメラが設置されたロンドンでも、市民はテロに悩まされるよりはまし。安全には代えられない、と好意的なのだそうだ。

カメラ導入以後、犯罪発生率が1/4に減少したという好意的な話も流れている。

それでもこんなセキュリティポッドみたいな機械を操る側がもし、犯罪に手を染めたとしたら、情報は取り放題、逆に情報操作をする事も容易に行えてしまう。

その情報操作によって、無実の青柳を真犯人として作り上げて行く。

一党独裁の独裁国家ならこんな手の込んだ小細工も一切要らないだろう。
手短かなところにいる人間をしょっ引いて、ハイ、あなた死刑。
以上終わり。

そんな一党独裁の統制国家なら別だが、どれだけ情報操作をしようたって、所詮は生身の人間が関わること。
オズワルドの様に速攻で処分されない限り、作られて行く情報に携わる人の数も増え、その中から綻びも生じるのではないだろうか。

無実の青年を暗殺者に仕立て上げることに内心、良心の呵責を持つ者も出て来るだろうし。
事件後にそんな良心の呵責を持つ者をどんどん消去行く、ということなのだろうが、どこまで人の口に蓋が出来るものだろうか。

この物語、日本のオズワルドを描きながら、いくつもの盛りだくさんのテーマを読者に投げかけている。
その一つが上に書いた監視社会のありよう。

虚から真を作り出す映像というもの。テレビというメディアの作り出す嘘。

またユニークなキャラクターが何人も登場する。
ロックなものを愛する宅配業の先輩。
病院で過ごしながらもマンホールや下水道、雨水道に詳しい保土ヶ谷という男。
「ちゃっちゃと逃げろ!」という父親。
そして学生時代の親友であり森の声が聞こえるという森田森吾。
「オズワルドにされるぞ」
「とにかく逃げろ!」
「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ」

やはりなんといっても学生時代の仲間との信頼関係が一番あたたかい。
たった4人だけのサークル。
その昔からの仲間との信頼を繋ぐBGMがビートルズの『Golden Slumbers』
Once there was a way
To get back homeward
Once there was a way
To get back home

この本、一旦終わりまで読んだ後に再度、「事件のはじまり」から「事件の視聴者」、「事件から20年後」という冒頭の三節を読んで見てはいかがだろうか。

当事者側からの事件を読んだ後、再び世の中からはどう見えていたのかを読み返してみる。
あらためてなるほどなぁ、と思えるところが出てくるだろう。

ゴールデンスランバー 『Golden Slumbers』伊坂 幸太郎 著



終末のフール


寿命は3年後。それも自分だけでは無く世界の寿命があと3年後。
8年後に小惑星が地球に衝突する、それが発表されたのが5年前。
その後、地球上の至る所でパニックが始まり、食糧を求める人々、少しでも安全な場所へと移動を始める人々、犯罪は至る所で、先をはかなんで死んで行く人々、それらのパニックもようやくおさまり、ようやく安心して外を歩ける小康状態を迎えたのがニュース発表から5年経った残り3年というこの時期。

そんな設定で、仙台のヒルズタウンというかつての新興住宅地を舞台にそこに残って暮らす人々の生き様を描く。

8年後か。微妙な年数だ。
今から80億年後に地球が太陽に吸収されて消滅する、と言われても人々の日常生活には何ら影響を及ぼさないだろう。
消滅させないために何か行動を起こそうという人が稀に数学者や天文学者の中に居るかもしれないが、ほとんどの人々は全く興味も示さないに違いない。
自分はおろか自分の子供もその子供も更にその孫の孫さえ生きているはずのない未来を占ったところで現実味が全くないからだ。

では、今から100年後ならどうか。
1970年代だったか80年代だったか、今の消費量を維持すれば、今から100年後に地球上から石油が枯渇してしまう、叫ばれた時代があったが、その後どうだったか。
石油の消費量は減るどころか増え続けオイルマネーは益々幅を利かせ、更に当時の発展途上国が経済発展するに至って、更に増えているのではないか。

100年後と言われたってそのざまである。

地球温暖化云々にしても同様。掛け声ばかりが先行している。

今、大騒ぎの後期高齢者年金制度にしても可決したのは2年前の平成16年。
平成16年の年金制度改正は、厚生年金保険の保険料率を毎年0.354%ずつ平成29年まで引き上げて行く、というものだった。
平成29年なんて先の事、とおっとりしているうちに年々UPして行く保険料率のなんともずっしりとした重税感。
その重税感がひしひしと伝わり始めるのと、ほぼ併行して社会保険庁の失態が明るみに出て来て、ようやく国民は年金について初めてクレームを言い始める様になった。
数年後のなんと実感のないものか。
8年後に消費税率50%と言われたって案外すんなりかもしれない。
その直前になるまでは。

かつて関東大震災の時に東京都知事だった後藤新平(当時で言えば東京市長)は周囲の反発、失笑、冷笑を跳ね除け、100年後にも通用する東京駅を、と当時では考えられないほどの馬鹿でかい駅を作った。100年近く経った今、人々はその先見の明の恩恵を受けている。

関東軍参謀として日本を戦争へ突入させた一人として悪いイメージのある石原莞爾だが、彼は30年後に片方の軸をアメリカ片方の軸を日本とした最終の戦争に備えるべきと、戦争突入には反対の立場だったという。そしてその30年後には日米経済戦争という名の戦いが始まる。

現在はそういう先の見える指導者の時代ではないのかもしれない。

仮に8年後に地球に小隕石が衝突する、と言われたところで、案外日本人はパニックにならないのではないか、と思っている。

8年先という設定ではさほどの実感が伴って来ないという事はもちろんあるが、阪神大震災の時、阪神地域に住む人々の目前に死というものが訪れたにも関わらず、パニックが起こるどころか寧ろ人々は淡々としていた。これは欧米のメディアも驚嘆を持って報じていた。(大正時代の関東大震災の時、またしかりでこの時も日本人は欧米のメディアを驚かせている)
その後も会社を休んでなるものか、と電車が走っていないのにリュックを担いで西宮から大阪まで通勤していた。

余命あと数ヶ月と知らされた末期癌の告知をされた人が残りの人生を淡々と生きた話などいくらでもある。

1999年が近づいた頃、ノストラダムスなどと言う古い予言者の言葉を引いて、1999年には必ず地球は滅びるとテレビで真顔で話す人が何人も居た。
そんなことはない、と言う人々との討論番組までやっていた。
やれ世紀末だ、とこの時ばかりに勢力拡大を図った宗教団体、また自ら世紀末の破滅を実現させようとしたカルト宗教団体まであったぐらいだ。
実際の世紀末20世紀の最後の年は2000年だったのも関わらず。

それだけテレビで騒ぐので中には信じた人、半信半疑ながらもひょっとして、と思った人は少なからずいたかもしれない。

それでも人々は何事も無く平常心を保っていた。
唯一2000年問題を抱えたコンピュータ業界のプログラマ達だけが連日の修正とテストの末、2000年の正月明けのシステムの安定稼動を祈ったぐらいの事だった。

この本には8つの舞台が設定されている。
それぞれに魅力のある人物や言葉が登場する。

●「終末のフール」
終始にこやかで温厚ながら芯の強い静子という奥さん。
冗談を言っているようで案外本気の様なところがちょっと恐い。

●「太陽のシール」
あと3年しかない世界での中で妻が妊娠する。
初産である。優柔不断が取り柄?の男はたった3歳までも生きられない子供を産んでいいのかと悩む。

子供というもの、たった3歳まででその一生分に足りるだけ親を幸せにしてくれるものである。
生まれた子供もたった3歳までしか生きられないのになんで産んだ!なんて怒るはずがないじゃないか。2年でも3年でも親の愛情を一杯にそそがれたら、その子は幸せだろうが、などと外野から叫びたくなる。

この話では高校時代にサッカー部にいた男の同級生でキャプテンだった土屋という男の言葉がなかなかにいい。

●「籠城のビール」
そのタイトルどおり、籠城犯がまさしくビールを煽ろうとしたところを突き飛ばした瞬間からの展開の変わりようがいい。

●「冬眠のガール」
人に悪意があるなどとこれっぽっちも思わない。
そして自分に与えれた状況を愚痴るわけでもなく、素直に受け入れ、新たな目標を立てて進んで行こうとする。
そういう行為をはたから見た人がいじらしいとか健気だとか、前向きだとかそんな事も感じさせないぐらいに自然なのである。
そんな女の子の姿はなんともいい。

●「天体のヨール」
20年前の学生時代の天体オタクの友人二ノ宮。
小惑星が地球に衝突しようと世の中パニックになっているこの時期に、二ノ宮は新たな小惑星を発見した、と大喜びなのだ。

二ノ宮は学生時代に断言していた。
「今後何千年先まで考えても、地球に寄ってきそうな小惑星はない」
そして現在の二ノ宮は
「ああいうニュースはただ、煽っているだけだ」という。
二ノ宮の言葉は世界の寿命があと3年なんていうことはない、という希望的観測を読者に残してくれる。

●「演劇のオール」
パニックの5年間の間に両親に死なれた娘。息子夫婦と孫達に一家心中で先立たれ、その一家心中の中にも入れてもらえなかったおばあさん、両親に死なれた子供だけの家、飼い主不在の飼い犬、それぞれ孤独な人のある時は姉役を演じ、ある時は孫役を演じ、ある時は母親役を演じ、飼い主役を演じまたある時は恋人役を演じ、気が付いたら孤独な人達がみんな接着剤のように引っ付いている。
演劇の世界ではプロの役者にはなれなかったものの実生活ではそれぞれの役割を見事に演じきる女性の魅力。

●「深海のポール」
放火されて家がなくなってしまったので、仕方なしに一人暮らしをしていた父親をヒルズタウンへ引き取るが、変人の父親はヒルズタウンの屋上にもくもくと櫓を作り続ける。
誰よりも高いところから衝突後の大洪水を見物するつもりなのだという。
このオヤジただの変人ではない。
何より衝突のニュースからこっち一度も怯えていない。もくもくとやることをやるだけだ。
このオヤジ、変人どころか人間の生き様とはこうあるべきだ、ということを知っている人に思えてくる。

●「鋼鉄のウール」
順序は逆転するがこの「鋼鉄のウール」を一番最後にもってきたのは、これに登場する苗場というキックボクシングの王者の姿が誰よりも一番格好よく、印象に残ったからだ。
世界は滅ぶというニュースが流れようが、世界の終焉がいつだろうが、苗場とそのジムの会長のすることは全くそれまでと変わらない。
方舟計画だとかシェルターへ避難だとか、世の中騒ぐ人が居ようがいまいが、彼には全く関係がない。
今、出来ることをやる。ただそれだけ。

小惑星が地球に衝突する、という設定の映画もこれまでいくつもあった。
『ディープ・インパクト』、『アルマゲドン』・・・。
衝突する前にその小惑星まで宇宙船で行って、核兵器で破壊、もしくは爆発によって軌道を変えようとしたものなどもあった。確かブルース・ウィリスが小惑星へ行って自ら取り残されて爆破と共に地球を救うんだったっけ。

この本にはもちろん、そんな地球を救う話などは出て来ない。
ただ、3年後にどうなっているのかは、「天体のヨール」の二ノ宮がなんとなく臭わせていた様な気もする。

でもこの本が書きたいのは結局地球がどうなるか、なのではなく、その時に人はどんな判断をし、どんな行動をとるのか。

つまり人はどう生きるのか、という事そのものにほかならない。

終末のフール 伊坂 幸太郎 (著)