カテゴリー: 石田衣良



ブルータワー


脳腫瘍に犯されて、余命2~3ヶ月、来年の春にはもうこの世に存在しない主人公が景気の悪化を嘆いてみたりする自分の姿を顧みて、おかしなもんだ、などという展開からまさかこの様な展開に発展するとは思ってもみなかった。

意識が無くなった際に何度か見た高い塔からの風景。
ある日、本当にその風景の中へ飛んでしまう。
なんとその世界とは200年後の世界なのだった。

脳の病いなので、脳の中で作られたイメージなのかと主人公も当然思うのだが、それにしては、理路整然としすぎており、話の辻褄も整合性にも矛盾が無い。

200年後の世界での彼は高さ2kmというとてつもなく高い塔の最も上部に近いところに住む。
そこは階級社会そのもので、その上下関係はまさに住む階の上下関係と等しい。

そもそもは東中国と西中国の東西対戦の末にばら撒かれた後に「黄魔」と恐れられるインフルエンザウィルスが原因で世界の大方の人間は死滅してしまう。
残ったのは青の塔をはじめとする7つばかりの高い塔。その中の最上階に住む特権階級としての人、~二層、三層、四層、五層目まで行くと第一層の人の奴隷扱い。

石田衣良氏は9.11のテロでワールドトレードセンターが崩落していく様子を何度も見て、この作品を書こうと決心された、ということである。

主人公が200年後の世界で見たのものとは、ガース・ニクスという人が書いた『セブンスタワー』と酷似した世界。
『セブンスタワー』は子供向けファンタジーなので知らない人が多いだろう。

そこには7つの塔がある。それぞれ、緑の塔、黄の塔、赤の塔、青の塔・・などと呼ばれているのも似ているし、その塔の中がまさに階級社会で階級が高いほど塔の上に住む。

そういった似ている面はあるが、そういうような物語の舞台背景が似ているものなど、他にもいくらでもあるかもしれない。

現世ではもう死ぬ間際の人間、それが200年後にシフトした途端に30人委員会という最重要ポストの一人で、次の法案を通すか通さないかのまさにキーマンであるかと思えば、200年後からみた過去の吟遊詩人の歌の中に登場する階級社会を打破する救世主だと皆が思い込み、自分に思いを託して死んでいく。そのプレッシャー。
余命いくばくか、という運命を一旦背負った人ならではの勇気、何かを為そうとしようとして湧き上がる力、読みどころは多い。

日本でもこのところパンデミックに対しての措置や対応マニュアルを地方自治体の一部がようやく用意し始めている。

折しも「H5N1型ウイルス」と呼ばれる鳥インフルエンザが東アジア各地で猛威を振るいつつある。
この鳥への感染が人への感染に変異するのも時間の問題ではないか、とも言われ、一旦人へ感染すると、その致死率は50%とも60%とも80%とも言われる。

まさに「黄魔」そのままではないか。
この物語では「H17N1ウイルス」と、もっとはるかに進化したウィルスが登場する。
インフルエンザの恐ろしさは粗悪コピー機のような、遺伝子コピーの不完全さなのだそうだ。それゆえにどう変異していくかわからない。遺伝子が正しくコピーされるなら一度効いたワクチンにて対応出来るはずなのだが、粗悪コピーゆえに一度効いたワクチンもまた効かなくなってしまうのだそうだ。
これはこの物語に登場する、ココという電子頭脳を搭載したパーソナル・ライブラリアンが主人公へ説明している内容である。

この200年後の脅威はさほど先ではない脅威なのかもしれない。

おまけ。
ブルータワーの高さ2km。
東京タワーの高さ330m、世界で最も高いビルでも500m~600mといったところか。
その約四倍の高さ。それでも最下層だけで人口50万人が住むには、ほぼ山のような形状でなければ無理だろう。
少なくともこの本の表紙の様な形状ではないだろう、などとこれは蛇足でした。

ブルータワー 石田 衣良 (著)



てのひらの迷路


24のショートショート集。
ショートショートと言えば星新一があまりにも有名だが、この石田衣良氏のショート・ショートはSFでも未来ものでも宇宙ものでもホラーでもない。
石田衣良氏の実体験を元に書かれたものが大半である。

何気ないタクシーの運転手との会話。ただそれだけのショートショート。(タクシー)

目を閉じて正確に3分間を言い当てる。完璧なタイムキープを求められるアナウンサーの女性。(完璧な砂時計)

引きこもりを題材にした話。(銀紙の星)

実になんでもない話のようなのだが、何故か次は、次は、と次の短編を読みたくなってしまう、という不思議な本だ。

家の近くを散歩する。同じ様に散歩をしている、よくみかけるおばあさん。
おばあさんの話相手になりながら、散歩をする作者。
この何気ない短編からは作者の優しさ、心遣いというものが伝わって来る。(終わりのない散歩)

本に関する短編もいくつか載っている。
世界に一冊だけ自分のためだけにある本があるに違いない、と書棚一杯の蔵書を読んでは捨てて、という選別をしている老人。(書棚と旅する男)

希望を失いかけた人の前に表れる一冊の本。
その本にはまさに自分と同じ境遇の主人公が登場し、奮戦の上、その境遇を乗り切る。
希望を失いかけた人はその本を読んで希望を取り戻し、また別の人のためにその本を置いて行く。
これなどは、まさに世界に一冊だけ自分のためだけにある本をもじったファンタジーである。(旅する本)

石田衣良氏は就職活動などはしなかったらしい。
最初に仕事をしたのはフリーターで、特に人生に野望はも大きな目標も持たないが、好きなだけ本が読めて、音楽が聴けて、生活をする上での金さえ稼げれば、それだけで充分じゃないか、そんな人生観を若い頃には持っておられた。

あぁ、この人にとっては、人生勝ち組だの負け組だとなどという色分けなどちゃんちゃらおかしいのだろうな。いや少なくとも若い頃はそうだったに違いない。
ニートだから、フリーターだから、非正規雇用社員だから、などという劣等感を持つ人間など、この人の若い頃の人生観からすれば不思議で仕方なかったに違いない。

広告代理店に勤めてからも有名なコピーを作ることなど眼中にはない。
偉くもなりたくはないし、人並み以上に金を得ることにも興味はない。
仕事には100%の本気は出さず、適当に手を抜きながらも一応与えられた作業は人並みにこなす。
それでも平日に自由に外を散歩したり、たっぷり本を読む時間は確保する。
そんな生活で満足していた人。

それがなんの因果か、小説を書き始めてしまってからというもの、途端に締め切りに追われる多忙な人となった。

そんな作者としての苦労話なども短編になっている。
この短編を練るまでの作業がそのまま短編にもなっていたりもする。
作家になってからの取材話の短編有り。
いずれにしろ、あの「アキハバラ@DEEP」などを書いた作者の作品とは別の一面を存分にのぞかせてくれる本であることは間違いない。

この短編、最初から24作で終ることになっていたらしく最後の一つ前の短編は作者が最も力を注いだものかもしれない。

そんな力作は力作としてもちろんOKなのだが、どんな仕事であれ、達人の域というものがあり、その道の天才といえる人がいるのだ、ということを描いている「ウエイトレスの天才」のような小編が私は好きである。

てのひらの迷路 石田 衣良 (著)



アキハバラ@DEEP


痛快なお話です。
「若さ」と「失うものの無い者」の強みです。
この「若さ」とは実年齢には比例しないでしょう。
こんな事が実現出来ないか、あんな事が実現出来ないか・・「若さ」は途方も無い事を考えます。

「そんな事出来る訳がないしー」と思うのは世の中の事を知ってしまった熟年層の専売特許ではないでしょう。
実年齢は若くとも何事にも興味を示さない方々も大勢いらっしゃる。

アキハバラを愛し、どこかに障害を持ち、少々おたくな面々、アキハバラ@DEEPは何に目をつけたのでしょう。
AI型のサーチエンジンというものに目をつけたわけであります。

その母体ともなったのがユイさんのなんでも相談サイト。
クルークの産みの親がアキハバラ@DEEPなら、彼らのメンバを引き合わせたユイさんのサイトは更にそのアキハバラ@DEEPの産みの親。
これが、チャット形式でユイさんも睡眠時間があるだろうに、24時間いつチャットに書き込んでも、返信が返って来るというサイト。

なんとその裏にはAIソフトを組み込んでいたと言うのです。

物語の中では、「オウム返しさせるだけでも安心する・・」と単純に「オウム返し」という表現で軽く扱われていますが、

「ニューデリーでは今日もゾウが降っていますか?」という質問に対して
「ニューデリーでは今日もゾウが降っていますか?って言ったの?」と返すのと、
「ニューデリーにゾウが降るか?って言ったの?」と返すのでその返信作成のプログラムには100倍以上の差があるでしょうし、

「ヒトが卵から孵化するのにかかる時間は?」という投げかけに対して
「ヒトが卵から孵化するのにかかる時間は?って言ったの?」と返すのと、
「ヒトが卵から孵化することってあるかしら」と返すその返信作成のプログラムには、
1000000倍以上の差があるのでは無いでしょうか。
本当にオウム返しさせるだけで同じ言葉をなぞって、「・・・」って言ったの?「・・・」って聞いたの?と返す分には、疑問系であるかどうかだけの判断だけがつけばいい訳ですが、これはそうではありません。前者の場合、言葉を書き替えて返しています。
後者になると、これはもう「孵化する」という日本語を理解していなければならないし、人は卵を孵化するという事をしない、という事まで理解していなければならない。
少なくとも幼稚園児以上の知識と知能を持っていなければこの受け答えは出来ないでしょう。
既に人工知能と呼んでも差し支えなかろうと思います。

そこまで進化した人口知能を開発したのであれば、他への流用をすればいくらでもニーズはあったでしょう。
孤独な独身者のために、「お話の出来るポット」
主婦のお話相手に「お話の出来る冷蔵庫」
「お肉を入れようかな?」「最近ちょっとカロリーを採りすぎじゃないの?」
「お話の出来る掃除機」
「あーあ毎日お掃除ばっかり」「そこは先ほど掃除した場所じゃない。もっと隅っこも掃除しないと・・」
「お話の出来る洗濯機」
「ウールと一緒に洗ってもいいよね」「ウールかどうかの前にその泥だらけのシャツは別にしてよ」・・・
お話の出来る家電製品。家電メーカーが飛びついて来そうですね。

カーナビに組み込んだって、今の「100メートル先左です」という単調な事しか言わないカーナビと違ってコミュニケーションの出来るカーナビが生まれる。

しかしてわれらのアキハバラ@DEEPはそんな事には一切興味を示さずに検索エンジンの開発に取り組む。

さて、この検索エンジンなのですが、どうも我々の様な並みの頭の持ち主にはどうにも理解しかねるのです。

検索エンジンそのものが各々の連想やら発想を持つ優秀な機能があったとしましょう。
ここでは当初4つの発想(人格なのかな)を与える事になっています。

「連想」というものをシステムに取り込もうと言う発想でシステム開発を行った会社を知っています。

興味を持ってたまたまその会社の開発の一員が知り合いでしたので、見せてもらった事があるのですが、連想ワードを登録するところからはじまる、という事でまだ、ワード未登録のシステムを見せてもらいました。
「連想」をコンセプトにしたシステムで連想ワードが未登録というのはOSも何もインストールしていないコンピュータに等しいですね。
結局、その連想システムが最終的に何を目指し、何を生み出すためのものなのか、そのコンセプトの在り処もさっぱりわからず仕舞いでした。
説明してもらった相手が悪かったのでしょう。

「卒業式」→「蛍の光」
「入学式」→「桜並木」
一般的に連想というのはこういう類の事ですよね。
時代時代によって、連想するものは変わりますでしょう。
「和歌山」で連想するもの
ある時は「談合知事」ある時は「世界遺産」ある時は「カレー事件」・・・
「卒業式」で検索をかけると「蛍の光」での検索結果が出て、
「和歌山」で検索をかけると検索エンジンの4つの人格によって「カレー事件」での検索結果が出たり、「那智勝浦」の検索結果が出るのでしょうか。

「和歌山 世界遺産」で検索をかけた方がよほど手っ取り早い様に思えなくも無いのですが・・。

そもそも一人に一つの検索エンジンという発想と4つのAI、検索エンジン側が個性を持ってしまう事とは相容れないものでは無いかと思うのであります。
AIが主体性を持つのであれば、ユーザー個々のエンジンでは無く、あくまでエンジン側が主体のものとなるでしょう。

ユーザー個人の個々のエンジンというものを実現するのであれば、まさしくわれらがアキハバラ@DEEPの敵にあたる成金型急成長買収企業のやり方が相応しく、自社の会員になったものにだけ使用させ、その中でもエコノミークラス、ビジネスクラス、ファーストクラス、プラチナクラスなどの階層を設け、プラチナクラスには会員のID毎の検索履歴を全てデータベースに残し、そこからより探したいサイトを選別するソフトにする。

一般で誰にでも使用してもらえるエンジン、それは100万ユーザーのちのちには何千万から億のユーザーに使ってもらえるものになろうと言うのに個々のアクセス者毎の記録などをサーバー側に溜め込んで置くなどは不可能でしょう。
成金型急成長買収企業というのも危険ですけどね。そういうところはしょっちゅう個人情報を漏洩してしまっていますから。個人の検索エンジンでの検索履歴などはその個人の生年月日や住所や電話番号よりももっとプライバシーに近い情報となるでしょうし。

個々のユーザーにとって「自分だけの」というものを作るのであれば、情報はサーバーに溜め込むのでは無く、各自の端末の Cookie に溜め込んでおいてもらうしかないでしょう。
各自には常にCookieを開いて頂く必要がありますが、検索したキーワードや辿り付いたサイト情報を全部何らかのキーに変換して各自の端末にお持帰り頂く、次にアクセスして来た時にはその情報から、見つけ出すサイトを絞り込んで行く、そんなところでしょうか。
Cookieという概念をご存知無い方でも、とあるサイトへ訪問する都度、「三日ぶりですね」とか、「ようこそ@@@@さん」(@@@@はハンドルネーム)の様なサイトにはめぐりあわせた事があるでしょう。あれは自分で前回いつ、そこのサイトを訪問したのか、自分のハンドルネームを@@@@として残して来た事などを、ご自身のPCに持ち帰っているわけでして、次回に訪問した時にその情報をまず与えて、そのサイトがそういうお出迎えをしてくれているわけです。
ですから、Cookieの情報をPCから削除をしてしまうと次回に訪問しても「はじめまして」になるわけです。

少々余談が過ぎましたでしょうか。

作者はロボット型の検索エンジンの場合、一つのキーワードで検索するとあまりに無用なサイトがひっかかって来る、そこをAI型の検索エンジンが解決する、そしてロボット型とAIの組み合わせで、各自のエンジンを持つというコンセプトを打ち出そうとされておられますが、「検索」のボタンクリックで世界中のサイトを探しまわっていたのではいくら待っても検索結果は返って来ませんでしょう。

ロボット型というのは常にありとあらゆるサイトを探しまわった結果を一旦データベースに溜め込んでいるのです。そのデータベースとのやりとりですから、検索結果のレスポンスは早い。

それに有用なサイトかどうかその文字列がたまたまひっかかったからといって、エンジンに載せない機能を持たせるのであれば、サイトを読み込んでそのサイトのコンセプトが何であるかをエンジンに判断させる必要があります。

それも世界を相手にするのですから、日本語サイトなら日本語を読み込んで検索主旨そぐっているかどうかを判断。英語サイトなら英語を読み込んでの判断。ドイツ語サイトならドイツ語を・・・とてつもないエンジンですね。

それを子供のプログラマーにさせてしまうところにこの物語の面白さがあります。

成金型急成長買収企業にこの画期的なエンジンをハードディスク毎奪われた後に奪回する作戦も、まさにアキバハラおたくには「ありえねー」世界なのであります。

格闘技美少女と少年とおたく少年が、格闘家をガードマンとしてヤマほど雇っている成金型急成長買収企業へ真正面から乗り込んで、電磁波の流れたパンチでなぎ倒して行く。
まさに大昔の東映映画、高倉健さん、菅原文太さんの世界の殴り込みの世界なのであります。
この作者はアキバハラが大好きな人なのでしょう。
そのアキバから言えば「ありえねー」世界の連続なのであります。

成金型急成長買収企業のサイトに対してDOSアタックの様なプログラムを仕掛けて業務停止に追い込んでしまう、とか。
いくら、発表まで秘密にしておくと言ったって、そこはWEB上で動かすもの。いつまでも設計室の中だけのスタンドアロンでテストが出来るわけもなし。
どこかのタイミングで社内イントラネットでの動作検証もされるでしょう。
そのタイミングを見てのハッキング攻撃とか・・いろいろと想像していたのですが、一番考えられない手段で報復攻撃にうってでました。

痛快なお話です。

「若さ」と「失うものの無い者」の強みです。

「そんな事出来る訳がないしー」なんて事はうむとも言わせない。
この文章は作者を批判している様に見える箇所もあるかもしれませんが、とんでもない。
最近リアルな話にうんざりしていたところなのです。

それと私も技術者の一人としてどうしても実現性というものを考えてしまう習性が出ただけの事です。
自分はいわゆる業務アプリケーションと呼ばれるシステムを専門に作っています。従って物語の中に出て来る様なコンテンツ系は専門外。
まして検索エンジンともなると自分の所属する会社では他所の借り物のエンジンを据えて、人手を割いて登録作業を行ってその見返りは何も無い。
何かよくわけのわからない事をしているわけですが、自分も自分の所属する会社の一員も何か画期的なモノを作ってやろうという信念は常に持っているつもりがなかなかそこまで至らない、と言うよりも自身は画期的なモノを作ったとしても使うのは特定ユーザーですので画期的と判断してもらえない。それが裏方としてのシステム屋の仕事と認知しているだけの話です。

この作者は良い意味での「若さ」を持った方なのでしょうね。

この作品を本にし、映画にまでしてしまう。

若いって素晴らしい!