カテゴリー: 西尾 維新



傾物語 (カブキモノガタリ) 


化物語シーズン2、羽川に続いて、今回は八九寺真宵の完結編か。

出だしから八九寺の死亡いや既に死亡しているのだった。消えてしまうFLGが立ちっぱなし。
八九寺はほとんで出番無しで物語は展開して行く。

いやはや、それにしてもなんなんだろう、この展開。

映画で言えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と「アイ・アム・レジェンド」と「キョンシー」を組み合わせたみたいなこの展開。

時空を飛ぶなんてことやら、まして「パラレルワールド」との行き来なんて有りにしちゃったら、もう何でも有りの世界になってしまうんじゃない。
自らアンタッチャブルにしている「夢落ち」とさして変わらなかったりして。

まぁ、そうはいえ、村上龍のあの「五分後の世界」だって、一つのパラレルワールドなんだが・・・。
それに「化物語」そのものが元々有り得ない話の連続なんだったよな。
吸血鬼の登場から何から何まで。

それでも有り得ないと言いながらも「化物語」としては成り立っていたものが、これはもはや「化物語」じゃないだろう。

怪異に取り憑かれると言っても、案外自分の「思い」からの逃避であったり、自分のストレスが生み出したものだったり・・という自らの現実逃避が招いた結果だったりする類の化物語からは思いっきりぶっ飛んだ感じ。

パラレルの世界で出会う大人の八九寺真宵の存在は救いでしたが、忍野というアロハオヤジってどんだけの予知能力なんだ。
異世界から阿良々木君が来ることを見越してたってか?
それにしてもその異世界にしても前提がちょっと狂ってやしないか。
阿良々木がブラック羽川と対峙する時に忍に助けを求めなかった選択肢から生まれた世界っていうことだけど、そもそも忍は阿良々木の影の中に潜んでいたんじゃなかったっけ。
そこで助けない選択肢は無いと思うのですが・・。

とまぁ、思ったりもしたのだが、何のことはない。
勝手にこちらがこれまでの「化物語」の延長みたいなものを期待していただけであって、なんと言っても西尾維新なんだから。こういうのも有りなんだろうな。

それにしても忍がいやキスショットが、というべきなのか?がこれほど凄まじい力を持っているだとしたら、もはや無敵なんじゃないの。
これだけのことを体験してしまったら、もう次からの物語がどんなものになるのか知らないが、いずれにしたってもうこれ以上のインパクトがあるはずもないので、もう少々のことでは読者は納得させられないんじゃないか?

維新さん、自らハードル上げちゃいましたか?

何はともあれ、最後までお付き合いをしようと決めた以上、最後まで読みますけどね。

タイトル通り、相当に傾(かぶ)いちゃいましたね。

傾(かぶき)物語 西尾維新著



猫物語(黒・白)


猫物語(黒)と猫物語(白)(上・下巻)ではないのだから、どちらを先に読んでも問題ないのです、って著者はどこかで書いてなかったっけ。
大間違いをしてしまった。
(白)→(黒)と読んでしまった。
オンラインショップで(白)(黒)の順に並んでいたこともあるし、普通、黒白じゃなく白黒だろうって勝手に決め付けていた感がある。
西尾維新に普通を求めてはいけない、ということを失念していたのか?
(黒)は(白)のあくまで前段に過ぎず、あくまでも読み方としては(黒)→(白)であった。
そんなことは出版日がそれぞれ(黒)2010年7月、(白)2010年10月を見れば自明のことであったのに。

「猫物語」は「化物語」の第二シリーズ。
(白)では、ツバサキャットの羽川翼が語り部となる。

(白)を読みながら、時たま章が飛んでいる箇所があり、本来の主人公である阿良々木暦君の出番は少なく、その間に何か別のバトルをしているらしく、珍しい登場人物も出ては来たものの本来のストーリーにはほとんど噛んでこなかったり・・・で、その穴の空章を埋める裏の物語が(黒)なのではないか、と思っていたのだが、そうではなかった。

時系列で言っても(黒)は化物語を復習しているかの如く、5月のゴールデンウィークの出来事をなぞっていて、時間的なかぶりは無い。
(白)はまさにこれまでの化物語の続編だった。

それにしても一冊にしたらどうよ。と言いたくなるよな。
(黒)の前段の大半のページは朝起こしに来た妹とのじゃれ合いに費やしている。

それにしましても西尾さん、「化物語」がアニメ化されたのをかなり意識しておられるような書き方が目立つわりに、本当にこれもアニメ化を考えているのかなぁ。

妹とのじゃれ合いだけでどれだけの時間を割くんだろうか。
他人ごとながら心配してしまいたくなる。

これにしても2010/12には「傾物語」ん?もう出版されているんじゃないか。
2011/3月に「花物語」、2011/6月に「囮物語」、2011/9月に「鬼物語」、2011/12月に「恋物語」ってなんでそんな先の予定までぎちぎちに、決まってるんだ?

案外もう大半は書き上げてしまっているんじゃないのか?
一年であんまり偏らないように複数年に分散して節税対策でもしてるんじゃないのか、などとゲスの勘ぐりを入れたくなってしまう。

まぁ、それは無いか。猫物語(黒)なんぞかなり締め切りに追われて書いたんじゃないのかな。
リミットを決めて雑誌なんかの連載もの作家が良くあるように編集者に締め切りをせっつかれながら、ひぃひぃ言いながら書くというMの世界にでも目覚めたのだろうか。

ストーリーにエンディングなどはない、だって人生はその先も続いて行くんだから、・・・などとこの続編シリーズの言い訳みたいなことを登場人物に言わせておられるが、ずっと続いて行くと言いつつもこの連作ものでは、「化物語」でそれぞれ怪異に出くわしてその虜となった彼ら、羽川、八九寺、千石、忍、戦場ヶ原、神原・・一人一人にそれぞれ大団円の決着をつける物語を描こうとしているのではないのだろうか。

猫物語に関して言うなら、(黒)は仮りにこれ一冊だけ購入していたら全く物足りない感があったように思える。
「化物語」では、至るところにのり突っ込みがありながらもストーリーを進めて行く上でのスピーディさがあったのが、(黒)に関して言えば、のり突っ込みの部分がくどすぎて、なかなかストーリーへと展開していかないもどかしさがある。
(白)は羽川を語り部とすることで、(黒)での欲求不満を見事に払拭している。
羽川翼のツバサキャットはこの一冊で完璧に大団円。
羽川の人生は続くのかもしれないが、ツバサキャット、ツバサタイガーの物語はこれで完結している。

もうこうなったら乗りかかった船じゃないが、最後の完結編まで付き合ってしまおうか。


猫物語(黒)・猫物語(白) 西尾維新 著



難民探偵 


今や、バブル崩壊後の就職氷河期を上回る就職難の時代だという。
新卒者の五人に一人がまだ就職先を見つけられないでいる、という話も飛び出している。その新卒者とはこの3月の新卒者なのか来年3月の新卒者なのか。

やはりこの3月の新卒者なんだろうなぁ。
となるとかなり厳しいこととなってくる。
この春3月の新卒者はもうすぐ新卒者とは呼ばれなってしまう。
新卒と呼ばれる間に就職決定しなければ、その後はもう学生という立ち居地を失ってしまうわけで、状況はますます厳しくなってしまうのではないだろうか。
その割りには政府の出した新卒者向けの緊急雇用対策、就職先が決まらないまま卒業した人への1ヶ月間の体験雇用の制度などは、たった1件の成果も上がらなかったと、ニュースで報じていた。
そこまで雇用する側が疲弊している、ということなのか、制度が不十分だったのか。

この本の主人公である窓居証子という人も、もう気がついた時には手遅れの手詰まり状態。
日本国憲法の国民の三大義務の内、勤労の義務、納税の義務という義務を果たすべき機会を奪われてしまっている。

そんな手詰まり状態で相談に行ったのが祖母のところ。
祖母から紹介されて叔父の人気小説家の窓居京樹の家の家事手伝を半年限定で勤めることになり、さらにその小説家の縁で難民探偵こと元警視庁警視のお手伝いをすることとなる。

ちょっとこれまでの西尾維新氏の作品とは毛色の違う作品。
要所要所に西尾維新氏らしさはあるものの、なんだか別の人が書いたものじゃないか、とまで思えてくるほどに、本来のらしさが少ない。

帯には 『怪心の新・スイリ小説』 とある。
敢えて、スイリ小説としたのは、推理小説では無い事を強調したかったのかもしれない。確かに推理小説としての読み物としては少々もの足りない。

またまた西尾維新氏そのものが直近では零崎人識の人間シリーズなどで推理小説そのものをこき下ろしている。

零崎人識の人間シリーズは四巻同時発売というシリーズものでは考えられないような奇策で零崎シリーズを終えているが、これが今年の3月発売、この難民探偵は昨年の12月の出版。
書いている時期はおそらくだぶっていたのではないだろうか。

方や推理小説やそこに登場する「探偵」という存在をこきおろし、方や推理小説というジャンルにしては少々推理に物足らないものを書く。
そこらあたりに何やら西尾維新氏の隠された意図がある様な気がしてならない。
「新・スイリ小説」と敢えて推理という漢字を使わなかったところにもその意図が見え隠れするのである。

いや、そこまで考えるのは穿ちすぎか?

ちなみにこの本、講談社の「創業100周年記念出版書き下ろし100冊」の企画ので出版された本らしい。
100周年記念出版書き下ろし10冊ならまだしも100冊と言われれば、思いいれは違ったものになるのではないか。
自分のスタイルはそんな100冊の一冊に紛れてたまるか。
思いっきりスタイルを変えてみてやろう。
さて、どんな評価が出るのだろうか、とその反響ををまるで楽しんでいるかの如くにほくそ笑んでいる顔が浮かばないでもない。
顔を浮かぶも何も西尾維新氏の顔など写真でも拝見したことはもちろんないのではあるが・・。

ネットカフェ難民だとかなんだとか言いながら、そのネットカフェの設備の充実さ、綺麗で清潔で、ちょっとしたホテルも顔負けどころかそれ以上。
設備だけではなく、サービスもドリンク飲み放題、マッサージチェアにシャワーの利用、ネットし放題、マンガ読み放題・・・、とこれが難民と言えるのか、格差社会と言いながら下流でも充分セレブじゃないか。負け組でも危機感を抱きにくい。
そんな、現代の難民というメディアのネーミングに対する風刺。

また、主人公の証子にしても四回生になるまでに百社ほどの企業に履歴書を送りつけ、尽く断られたとされているが、明らかに自らハードルを上げて、しかも何が何でもやりたい仕事だからというハードルでもない、意味の無いハードルを上げてしまった結果であり、計画性もヴィジョンも何も持ち得なかった自分自身に責がある。

小説家の叔父(つまりは西尾維新氏の分身なのだろうが)の出発点は、出版社から「お前は応募してくるな!」と言われ続けながらも執筆しては送り続けに続け、そのあげくに小説家としてのステージを獲得した。

つまるところ、目標とそれに向けての熱意の差か。

ネットカフェ難民という言葉が社会用語となり、氷河期という言葉は就職のためにあるような叫ばれ方、そういうものを風刺してみる、そしてそれだけではなく柄にもなく若者達よ、甘えるな!というメッセージを託した試みをこの一冊で試してみたのではあるまいか。

などと勝手に想像しながら読むのも一考だ。