白鳥異伝
主人公の遠子は 三野の橘氏という勾玉を守り続ける巫女一族の娘。
(「三野」とは美濃の国の事か)
巫女一族だけあって男尊女卑ならぬ女尊的な雰囲気の出だしが面白い。
橘氏が「源平藤橘」の橘氏かどうかはわからない。
実のところ、四大貴族の橘氏と言われても源氏や平氏や藤原氏はいくらでも名前が出て来るが、橘氏と言われても乱を起こした橘奈良麻呂ぐらいしか思い浮かんで来ないのは何故だ!
単に歴史に疎いだけの事か。
この物語、遠子と小倶那(オグナ)の物語であり、また剣と勾玉の物語でもある。
この小倶那、大碓皇子の影の存在として小碓命(オウスノミコト)という名前をもらう。
オウスノミコトと言えばそのまま日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の事でしょう。
古事記では倭建命?でしたっけ。
古事記や日本書紀という日本の神話時代を舞台にしての壮大なファンタジーもの、というのは珍しい。
読む気がするかなぁ、と思いつつもぐいぐいと一気に最後まで引っ張られてしまった。
でもこの本を読む前に「空色勾玉」という本を読まなければならなかったのですねぇ。
先に「白鳥異伝」を読んでしまった。
「空色勾玉」、「白鳥異伝」、「薄紅天女」で三部作だと言うのだから。
上・中・下巻の「中」から読んでしまった様なものなのだろうか。
「まほろば」(ここでは都の呼び名となっている)や「豊葦原」(当時の日本の土地全体)や「日継ぎの皇子」(お世継ぎ)などと言う言葉が普通に出て来ても何の違和感も無いのは何故?
この本の不思議さはそのあたりにあると言っていいのではないだろうか。
登場人物のそれぞれの個性が際立っており、神話時代だとか太古の昔だとかを忘れさせてくれるからなのか。
小倶那がまほろばの大王とその妹である百襲姫との間に出来た子供だったり、母親である百襲姫の小倶那に対する愛情が親子のものを飛び越えた激愛だったり。
子への愛のためなら命を投げ出す事も厭わない。命がけのマザコンママさん。
いや、マザコンという言葉は当て嵌まらないか。
マザーコンプレックスというのは息子側の問題だもんね。
押し付けの母親からの猛愛。
母の愛は強しだからどの時代にもいたのかな、そんな母親。
遠子は無鉄砲で勝気。男勝りで一直線な女の子。
その女の子が小倶那との再会でだんだん女性になって行く。
そういう意味ではファンタジーと書いたが、恋愛小説でもあるのかな。
菅流(スガル)という伊津母の国(これは出雲の事だろう)の人の存在も面白い。
やたらに女ったらしで、人なつっこく、どこへ行っても人に好かれ、言う事はちゃらんぽらんな割りに責任感が強く、肝心な時にはいつも頼りになる。
喧嘩は強いが子供には弱い、という非常に好ましい人物である。
小倶那が母親から授かったのが「大蛇の剣」。その力たるや人智を超え、一旦その剣を振るうと辺り一面が焼き尽くされる。
「大蛇の剣」という限りこれはまさか、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した剣なのか?
それを封じる事が出来るだろうと遠子が探しまわるのが「玉の御統(みすまる)」。
勾玉を四つ集めると「玉の御統」となり、それを所有する人の力もまた人智を超える。
なんせ、小舟をモーターボートの用に疾走させる事が出来たり、ジャンプするとはるか上空のかなたから地上を眺める事が出来る。いいですね。この能力。
菅流などは本州の端から端までジャンプして飛んでしまう。うぅ。
人智を超えると言ってもそこまでとは・・・。
それだけの距離を一っ飛びという事は高度は1万メートルどころでは無い。
人間氷になってしまいかねない。
それも人智を超えた人間には関係ないか。
本当は勾玉を五つ集めるはずがこの物語の中では遠子や菅流が所有するのは四つで五つ目を知りたかったら「薄紅天女」を読め、という事らしい。
ほら、やっぱり続きものじゃないか。
先に「空色勾玉」を読むんだった!