月別アーカイブ: 5月 2006



ハリー・ポッターと謎のプリンス


いやはや、なんともはや、もの凄い人気なのである。発売前から予約が殺到。
発売日には行列が出来ているというのだから、恐れ入る。

小生も速入手したが、同僚には一足先を越されてしまった。
「どうだった?」
「いや、前作の方が・・」
「そ、それ以上、言うな。今から読むんだから」
「じゃぁ、最初から聞くなよ」
などと言うやり取りの後、上下巻2冊なので、二晩で読み切った。(一晩に一冊)ほんと、アッと言う間に読んでしまうので、何かもったいなく感じてしまう。

内容にふれる事はご法度だろうから、あまり突っ込んだ話は書けないが、どうも映画で成長し過ぎたハリーやロンを意識しているのでは無いだろうか、という記述が散見された。
一夏で30cmも背が高くなったハリーは・・・などど。
映画で成長し過ぎてしまったのは本で言えば前々作となるのだったか・・、何を今更、という気がしないでも無いが・・・。

「いや、前作の方が・・」という先入観を振り払って読んだのだが、やはりこれまで同様、ぐいぐいと引っ張られて行く。前作の方が・・・などとはトンでも無い。
どんどん面白くなって、ヴォルテモートの過去に迫って行くあたり、これまでで一番面白いでは無いか、とすら思える。

まぁ、褒める人ばかりであろうから、敢えて苦言を呈しておくとすれば、これまでの一巻、一巻は(途中から上下巻だが・・)もちろん全体の長いストーリーの中での起承転結の一役を果たしている事は確かであるが、それぞれで、一旦完結していた。
賢者の石なら賢者の石の中で炎のゴブレットなら炎のゴブレットの中で起承転結が有ったと思う。
ところがどうだ。今回の「謎のプリンス」は全体で言えばさしずめ「転」あたりだろうか。散々引っ張っておきながら、今回は「謎のプリンス」内での転結が無い。
もうすぐさま、次を買って読みたくなる欲求不満の気持ちのまま、次のまたいつになるかわからない出版を待てと言うのだろうか。

だいたい、待たされすぎるのである。一巻分がポッターの1学年分で終わりはいつも夏休み。次の一巻は必ずダーズリー家での不愉快な夏休みからスタートするので、話としてはほぼ連続している。だから主要な登場人物以外の前作や前々作や前々々作で登場した人物が登場してくるのは当たり前なのだが、これだけ待たされてしまうと、そんな人物いたっけ・・って全然思い出せない。とは言うものの、読んでいる最中に前作を繰って探そうという気にもなれない。

結末を金庫に入れておくぐらいなら、筋書きはほとんど出来ているんだろう。
出し惜しみせずにじゃんじゃん執筆、出版してくれないものか。

もうここまで来れば、興行としての意味もあるのか、原作出版→翻訳モノ出版→映画化・・一巡してからまた原作出版→・・・と続いて行く約束事でもあるのだろうか。

一旦苦言を呈してしまった以上、非難轟々を覚悟の上でもう一つ苦言を書いてみようか。「謎のプリンス」では、本来のストーリーとあまり関係の無い、誰と誰がくっついて、いちゃいちゃして、誰がに嫉妬して・・という様な記述にあまりにページを割いてしまっているのではないだろうか。そりゃ、映画化するにあたっては、誰と誰が・・・と言うネタも絡ませた方が話題性が出るのかもしれないが、本の中では寧ろ、無理矢理、上下巻に引き伸ばす為に、どうでもいい枝葉を突っ込んでいる様にも思えなくも無い。

最後にもう一言。ダンブルドアはハリーにスラグホーンの隠された記憶を何がなんでも探る様に指示したが、秘薬であるフェリックス・フェリシスを使ってまでして取得すべき情報だっただろうか。
ダンブルドアにはもうわかっていた事だと思うのだが・・・。
それを探らせる事でハリーにわからせようとした、という事だろうか・・・。
おっと、内容を迂回して書いていたつもりが、思わず内容に踏み込んでしまうところだった。

という事でこのあたりで失礼します。



しゃべれども しゃべれども


単純明快に一言で言うと、「面白い。あなたも是非読んでみる事をおすすめします」 で終ってしまう。

私はこの本に関しては全く予備知識無し。
たまたま家の片隅に転がっていたので暇つぶしを兼ねて読んでみたのである。
何かの予備知識などは返ってこの本を読むにあたってはジャマなのでは無いかとすら思える。

しかしながら、それではこのコーナーの主旨に反してしまうので、何かを書き残して置きましょう。

主人公に3度のメシより落語が大好きという江戸っ子の噺家を据えているだけに、話が軽快である。非常にテンポがいい。
少し前にTOKIOの長瀬が演じる「タイガー&ドラゴン」というテレビドラマが有った。
もちろんドラマは毎回見た訳では無いが、若い層の落語離れの流れを変えたドラマなのだと言う。その長瀬演じるヤクザの新米落語家とこの本の主人公である今昔亭三つ葉という短気で喧嘩っ早いこの二つ目の噺家のがまずかぶってしまった。

この三つ葉という人、存外におせっかいな性格で、
「どもりで悩むテニスコーチ」、
「人とコミュニケーションを取れない無愛想な黒猫美女」、
「東京へ引っ越しをして来て、大阪弁が抜けずに同級生からシカトされている小学生」、
「野球解説ができない元プロ野球選手」
の個性あふれる面々を相手に落語教室を開くはめになる。
読んだ人によって思わくは異なるかもしれないが、私の見る準主役は、この小学生である。
実は私にも同じ様な経験がある。小学生の時に大阪から東海地方へ転校したのだ。
丁度、半年前に大阪から転校したやつはもう地元の言葉に馴染んでいたが、私は彼を真っ先に軽蔑し、大阪弁を捨てなかった。というよりもどこからどこまでが大阪弁でどこからが標準語なのかもわからなかった。「あかん」とか「ほんま」という言葉がよもや大阪弁でしか使われない言葉だとは全く思っていなかった。
大阪=商人=ドケチというイメージが地元ではあるらしく、大阪弁に対する嫌悪感はいやでも感じられた。大阪といってもどうせいなかの方だろう、などと言われた時には、「じゃかーしいわい。大阪のどまん中じゃい」と言って返してやると、しばらくの間、「どまん中」が私のあだ名となった。「どまん中」という言葉も全国標準だと思っていたら大阪弁なのであった。
とは言え、小説の中の小学生とは時代が違う。いま時の陰険さなどはかけらも無い。
喧嘩は毎日であったが同じクラスの中の体格のいい連中との喧嘩は必ず一対一での勝負だった。それは単なる喧嘩からだんだんとゲーム性を帯びて来る様になり、授業の合い間のわずかな休み時間でのプロレスごっこ。こちらはけしてギブアップしないので、ゲームはひたすら続き、逆にこちらから新たなゲームを持ちかける様になった。そうなればもう喧嘩でも何でも無く、単なる遊び友達なのだが、本人連中は皆真剣勝負と思っているところがおかしい。
ある時はぺったんでの勝負を挑み、参加した連中のぺったんを全部まきあげてやった。ビーだん(ビー玉)勝負も同じでやればやるほど、全部こちらへ「ビーだん」は集って来る。
「やっぱり、ぺったんとビーだんは大阪が日本一や」と本当に狭くてローカルな愛郷心。
私は大阪にいた頃からぺったんとビーだんは負け知らずだったので、けして大阪が強い訳では無かったのだが、自分としては大阪を背中に背負って日々挑んでいる。何事につけ、勝って「どや大阪を見直したか」と言わなければならないので負けるわけにはいかない。
そんな勝負の仕方をしていたら、お小遣いが無かったら続かないではないか、というクレームが出て来る。
「当たり前やろ。強いもんが勝ち取るのんが勝負なんじゃ。くやしかったら頭下げて子分にならんかい。ほな、ぺったんもびーだんも好きなだけ分けたるわ」
などと日々ほざいていたのだから終焉が来るはずが無い。
話が横道にそれた様に思えるだろうが、この本の中の小学生と意識としては同じだと思う。
寧ろこの小学生の方がはるかに心が強くて立派だろう。
この小学生が六甲おろしの出囃子で阪神タイガースの帽子を被って落語をするシーンなどは涙なくして読めるだろうか?・・・読めてしまった。涙なくして読めてしまった自分が恥ずかしい。

話としては、無くしてしまった自信をこの落語教室を通して取り戻して行く姿を描いている読み物なのだが、何事につけ自信過剰な私にはそういう立派な筋書きよりも、個々の個性に興味をひかれる。
最高の脇役は解説ができない元プロ野球選手だろう。現役時代、チャンスには滅法強いが、代打でしか勝負をしない。毎打席だと集中力が持続しないタイプ。
野球中継での解説ではありきたりの事を言おうとして、そのテンポが悪いのでアナウンザーのジャマになってしまう。
ところが、テレビの野球中継を見ながら思うところを語ると
「真弓には打てない」とずばり言う。
「今日の斉藤は死ぬ気の気合で投げている」
「そういう時は打つ方も死ぬ気で向かっていかなけりゃ・・・」
真弓が登場した段階で、はじめてこの本は真弓がまだ現役バリバリの頃に出版されていたのに、その存在すら知らなかった自分の無知に気付く。(余談)
何故、そういう事を解説でしゃべらないのか。との突っ込みには、
「本人を前にしてなら、ボロクソに言う事も出来るが、本人の居ない席でしかも視聴者全員を相手にして選手をけなすなんていう卑怯な事が出来るか!」
立派な人なのだ。自信喪失者でも何でもない。潔いポリシーを背負って生きている人なのだ。
こういう話なんですよ。この本は。
ってね。ちゃーんと読んだ人にしかわからない様に書いているでしょう。

で冒頭の「あなたも是非読んでみる事をおすすめします」に繋がった。

ところで、変なうわさを耳にしてしまいました。
この本が映画化されるという。しかも主人公はTOKIOのメンバーだと聞いて、じゃぁ長瀬しかいないだろう、と思いきや、国分何某だという。以前に私が気に入った本がドラマ化され、この国分何某が演じてしまい、妙にシラけた思い出があるだけになんとも嫌な予感がするのである。
この人は贅沢な料理でも食って「チョーうめー!」「おーいしーい!」と、数少ないボギャブラリで叫んでいた方が似合う様な気もするが、世の中にはいろんな方のファンもおられる事もあるし、このあたりでこの駄文も終わりにしようと思う。

しゃべれども しゃべれども 佐藤多佳子著