月別アーカイブ: 3月 2007



レベル7 宮部みゆき著


久しぶりに宮部みゆきさんの本を読みました。
宮部みゆきさんと言えばあまりに『模倣犯』が印象的で他の本がかすんでいました。
でもこんな本があったのですね。
レベル7。
ゲーム好きで知られる宮部さんの事ですから、ゲームの様にレベルがどんどん上がって行ってその行き着く先は・・・なーんて思っていましたが、そのじらす事と言ったら・・。
なかなかレベル7の実態を明らかにしてくれない。

ある日、起きてみると見知らぬ部屋で寝ている。隣りには見知らぬ女性が。
昨晩、酔っ払ったのだろうか。記憶は片鱗も無い。
よくよく考えて見ると自分の名前さえ思い出せない。

隣りの女性も同じ状況で全く記憶が無い。
思考回路だけはお互いしっかりしているのだが、名前も住所も何もわからない。
お互いに記憶の無いまま部屋を調べるともちろん心あたりの無い札束の入ったスーツケースが出て来たり、覚えの無い拳銃が出てきたり・・。
記憶、記憶と思いつく記憶を探ってみると
鉄砲伝来=1543年 そんな過去に歴史の受験用に覚えた記憶だけはしっかりと残っている。

一体、俺たちは何をやってしまったんだろう。
俺たちは何者なんだ???
冒頭から快調です。
読む人を引き付けてしまう。

そして彼ら二人の話と交互に登場するのが、電話での悩み相談室の様な所で働く女性。
悩み相談に電話をして来た女の子が行方不明になり、その捜査を行おうとする。

一体どこで繋がるんだ・・と読者をやきもきさせながらもなかなか繋げてくれない。

精神病院の院長であり、某地方の名士でもある村下猛三と言う人。
ホテルの経営にも手を出し過去に火災で多くの死傷者を出したという設定。
スプリンクラーの不備、火災報知器の不備、そして空洞施工。
何もかもあのホテルニュージャパンの横井英樹をとそっくりです。

横井英樹という人は火災そのものよりも寧ろ人命救助よりもホテル内の高級家具の運び出しを指示したとして世間の非難を浴び、業務上過失致死にも問われましたっけ。
白木屋乗っ取りを始め数々の企業の乗っ取りで「乗っ取り屋」の名前を欲しいままにした人で、つい先日亡くなられた城山三郎氏の名作『乗取り』のモデルと言われています。
あのホテル火災はかなりひどい話だったでしょうが、ここに出て来る村下猛三という人、横井英樹よりもかなり小物に過ぎないですが、やっている事は横井英樹の比では無いでしょう。
精神科医という立場を利用して、人の精神まで貪るというのはもはや人間では無いですね。
悪魔の所業でしょう。

という事でゲームの設定なのだろうか、と思わせる「レベル7」とはいったいなんなのか。
それは読んでのお楽しみです。

レベル7(セブン)  宮部 みゆき (著)



フェイク

楡周平ですぐに思い出すのはあの朝倉恭介を主人公としたいわゆるハードボイルドもの。
単なるハードボイルドとはまた違ってこの主人公、なかなかに頭脳プレイヤーなのである。
「Cの福音」、「猛禽の宴」、「クラッシュ」、「ターゲット」・・・最終完結編まで6冊ほどだったか。
あれは読みごたえがあった。

「フェイク」では朝倉恭介の様な天才は登場しない。
主人公は就職戦線から逸脱した三流大出の男で、やっと就職出来たと思ったらそれはクラブの経営会社で銀座のクラブのボーイとして薄給で長時間の労働をさせられている。

この本での印象は銀座という街をとても第三者とは思えないぐらいに良く描写している事か。
この話に登場する銀座のママの華麗さと言ったらどうだろう。

かつての大阪北新地。銀座に負けず劣らずの一流のクラブがひしめいていた。(と思う)いつの頃からか、全てが一流だった(と思っていた)時代から今の新地をみると一流どころは相変わらずそうなのだろうが、なにかもっと小市民的なというか庶民的なレベルの店が増えたような気がする。
ここで働く女性は客あしらいと言う意味ではプロ中のプロだったと思ったのはそう思った頃が単に若かっただけなのだろうか。
なんか普通のコと言ったら失礼になるだろうが、大学生か専門学校のバイトが居たりする。
経済新聞を欠かさず読んで、客の話題のツボを押さえるなんてとんでもなく、席に付かれたらこちらが疲れてしまう様な、客に気を遣わせないどころか、客の方がわざわざ気を遣わなければならない。そんな店など今ではもう当たり前なのか。

昔、学生時代に意味も無く大阪の中之島図書館へ通っていたのは、当然新地飲みに行く身分でもない自分が、図書館からの帰り道で新地へ向かう夜の蝶とすれ違う、その瞬間の為だけでは無かったか・・・。
あの頃の北新地なら充分銀座に匹敵していたのではないだろうか。

学生時代に新地でバイトをしていた友人の話を聞くだけでも、往年の新地のママには豪快な話はいくつも出て来る。
「車の免許を取りに行く事にしたの」
と、まだ教習所の申込書をもらって来ただけで、頭の中はもう車を運転出来る気分になって、教習所へ行く前に早速、外車を購入したとか。
で、結局教習所へは一回行ったっきりもうそのままだったり。

この本に登場する若き美貌の麻耶というママも自分では運転をしないがベンツを持っている。
送り迎えの時以外は自由に使っていいと言われた主人公はそれだけでもう有頂天。

ここではいくつものフェイクが登場する。
一本10万もするワインが原価3万のものから三千円のものに代わっていたところでそれに気が付く客など一人も居ない。

この「フェイク」の痛快さは、やはり金銭授受、というやり方の巧妙さ、というよりも面白さ、と言った方がいいだろうか。
誘拐事件にしたって恐喝事件にしたって、一番リスクが高いのが金銭授受の時だろう。
それを直接授受せずして金を手にする。

内容の一部は、かつてあったあのグリコ・森永事件を思い出させてくれる。
あの事件についてはいろんな説が飛び交ったが、犯人グループが金銭の授受の方法を何度も指示しながら、表面上では受け取りに失敗している。
もちろん裏ではしっかりと授受があったというのが大方の見かたであったかとは思うが。
またまた諸説ある如く、金銭授受そのものはフェイクで、実は株の売り抜けでボロ儲けしたとかなんとか。
あんまり書いてしまうとこの「フェイク」のネタバレになってしまうので書けないが、この本、そういう痛快さを持っている本なのである。
主人公の友達の趣味が競輪だった、という所がミソである。

フェイク  楡 周平 (著)



キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか


こんなタイトルがついてんねんからおもろないわけないがな、って普通誰でも思てまうがな。
「幸せは歩いてこない だから歩いてゆくんだね」
「人生はワン・ツー・パンチ 汗かきべそかき歩こうよ」
365歩のマーチの引用と、汗かいてでもべそかいてでもええから小さな勇気を出してみようや、ちゅうイントロも悪くないがな。
そやそや。やらんと後悔して死んでまうぐらいやったらなんでも勇気出してやったらええがな。

そやけどな。そやけどやで。
・「電車で知らないオヤジに話しかける」
ええねんけどな。それそのものはそないに勇気もクソも無いやろ。
・「話しかけた後、一緒に飲みに行く」
これはあかんやろ。こんなもんポン引きに勘違いされるのんがオチやで。
まぁ、勇気のあるフリーライターには怖いもんも無いちゅう事か。
ところがどやねん。この人。
ほんまにフリーライターかいな。
人と話して取材してそれを記事にするのんを仕事にしてんのとちゃんかいな。
そのフリーライターにしては、なんちゅうアプローチの下手さやねん。
雑誌の企画やから何がなんでもちゅう気負いでもあんのんか。
それとも読み物としておもろいように過剰に表現してんのか。
まぁその両方があるとして、少々大袈裟に書いたとしてもほぼ実際に実行した事を書いてるんやろうな。
なんでもっと普通にいけへんねやろうな。
じーっとターゲットを観察してから、わざわざ他所が空いてんのに隣りに座っていきなり天気の話かいな。そら誰でも逃げ出すわな。

・「GWのお台場で孤独に見える青年に話しかける」
それもええんやけど、それがほんまにやらんと死んでから後悔する事なんかいな。
これも「電車の中でオヤジと」と全くおんなじや。
じーっと長い事観察して、待ち合わせやない事を確認してから近づいて行く。
ほんま、なんでこんな不審なんやろ。
誰が考えたってなんかの変な宗教の勧誘やんかいな。
しまいに一緒に観覧車に乗ろってな、一緒に来るやつ居るわけないがな。

・「公園で遊んでいる子供に話しかける」
これはさらにひどいで。
公園でじっくり子供を観察して、子供が遊んでいる所まで行って話しかけるってな、もうむちゃくちゃ危ないヤツやんかいな。
もうそれだけでも警察に通報されてもおかしないで。
それやのにこの人、子供が逃げ出すのんを「信じられん」とか「過剰反応」だとか言うとる。
なんかずれまくってんのんとちゃうんかいな。
フリーライターやったらいろんな記事も目にするやろうに。
その「過剰反応」をせーへんかった子供がどんだけ誘拐されたり殺されたりしてんねんな。
子供には寄って行ったらあかんがな。寄って来てもらわな。

・「激マズ蕎麦屋においしくない事を指摘する」
ってな。これのどこに勇気が居るんかさっぱりわからんわ。
「まずいでー」「しょっ辛いでー」って言うてあげるんは当たり前とちゃうんかいな。
そこに勇気ちゅうもんが介在せなあかん事の方が信じられんわ。
最近、近所に出来たラーメン屋がある。
そのラーメン屋からかん水のええ臭いして来たから、ふらふらーっと入って注文したら、出て来たラーメン麺がちゃんと湯だって無い。
ダシも今一や。
「せかっくええ臭い出してんのに、外のええ臭い負けしとんがな。麺もちゃんと湯だってないし。晩やから言うて手ぇ抜いてたら半年持たんと潰れてまうでー」
ってちゃんと言うてあげるのんが親切っちゅうもんや。

まぁ口に出して言わん時もあるけどな。
はるか昔の学生の頃のこっちゃ。
東京行って入った喫茶店でカレー頼んだ事がある。
見るからにまずそうなカレーやった。
テーブルの上にソースを探したけど見当たらんから、
「ちょっとソースもらえますか」って持って来たオバちゃんに言うたとたん、
「ウチはソースをかけなきゃ食べられない様なまずいカレーは出しておりません!!」
と来たがな。
なんちゅう居丈高な。
なんちゅう気ぐらいの高さや。
そらカレー専門店で言われんやったらまだしも。たかだか喫茶店カレーやろうが。
どないしたら喫茶店カレーぐらいでそないに高いプライド持てんねん。
一応ソース無しでトライしてみたけど案の定まずい。
結局、隣りの隣りのテーブルにあったソースをかけてみたけど、そんなもんではどうしようもないレベルやったから。
結局諦めた。
なんぼ喫茶店カレーでもこれは無いやろ。これやったらレトルト温めて出した方が千倍マシやで。
大阪やったらこの店焼き討ちに遭うてもおかしない。
おばちゃん、関西人はカレーにソースかけるもんと思てんのかもしれんけど、本場のインド料理の店でいろんなルーを仕込んでるもんにまでソースはかけんわいな。
ほんでもさすがに口に出して言うのはちょっと喧嘩売ってるみたいになってまうから、紙ナプキンかなんかに
「ソースかけても食べられないぐらいのまずさでした!」
ってしっかり書いてカレーの皿の下に置いて、勘定して店でたがな。

はたまた某高速道路のインターンチェンジで牛丼を頼んだ時のこっちゃ。
牛丼を頼んだんは俺だけとちゃうで。
俺のテーブルの友人も全員、隣りのテーブルでも他所の人が頼んどったわ。
順番に牛丼が運ばれて来て、順にふたを開けて食べ始める。
俺のところへ来た牛丼のふたを開けて、目ん玉飛びでそうになったで。
な、な、なんと巨大なゴキブリが・・・しかもしっかりと煮詰まった飴色のゴキブリがこのワシが目に入らぬか、とばかりにドデンと居るがな。
なんなんや、これ。
普通、肉盛りする時に気ぃ付くやろ。
当然の事ながら、交換してもらお、と思たんやが、廻りのみんなはもう食いはじめてる。
ようよう考えて見たら、たまたま俺の丼の中にゴキちゃんは居っただけで、鍋の中で煮詰められてる時には廻りのみんなの丼にも隣りの他所の人の丼にもゴキちゃんのエキスはしっかりと出てるはずや。
そない思たら、このゴキちゃんをふたへ移したら、みなと条件は同じや。
「この丼、ゴキブリおるでー」なんて大声で言うたら他所の客も皆、気分が悪うなるやろうし。
こういう所で働いてるのんは大概アルバイトの人や。そんなん言うてアルバイト困らせてもしゃーない。
という事でゴキちゃんにはふたへ移動してもらって、残さずきれいに食べたった。
一応、その店の今後の事も考えて、
「ゴキブリのええダシでとったわ」
ってメモをふたの下に入れておいて店員が片付ける時にゴキちゃんとメモはしっかり目に入る様にして、勘定して出た。
まぁ直接口に出して言わん事もたまにはあるかな。

・「友人に貸した小銭」の話はちょっとせこ過ぎて読んでられん。

いずれにしたって、このライターさん後悔せんようにやってるはずやのに。
もう二度とせんとこ、ちゅう感じで終ってるで。
「それでも私の中で何かが変わった」ってちょっとは世間が見えて来たんかいな。
ここで言うてはる小さな勇気って世にも有名な大阪のオバはんにしてみたら勇気でもなんでものうて、それこそ日常なんとちゃうやろか。

ちゅう事でこのへんで終わりにしよか、と思いつつもこのままやったらこの作者の事いっこも誉めてないがな。そら、まずいやろ。

・「鼻毛が出てますよと言えるか」
でいこか。
これはちょっと微妙やな。
どのぐらいで鼻毛ちゅうものは出てる事になるんか。
何本ぐらいやったら出てる事になるんか。
社会の窓が開いてる相手への伝え方はそれなりに心得てるつもりやけど、こっちの鼻毛の方は、その基準がようわからん。
しかも相手は初対面やろ。
無理やな。俺は言わんやろうな。
言われたらどうか。お互いの立場も関係して来るかもしれんけど、
たぶん「それがどないしてん」って返してまうんちゃうか。

立派や。ライターさん、よう言うた。良かった。ようやくこれで誉めて終れる。

最後に一言。
大阪のオバちゃんやったら、前後関係全く関係無しで言うてまうんやろうな。

「兄ちゃん、鼻から花咲いてんで」って。

キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか  北尾トロ著