月別アーカイブ: 8月 2007



空色勾玉


『白鳥異伝』と前後してしまったが、ストーリーとしては別物なので前後しても全く問題は無い。
勾玉がタイトルにあるぐらいなのでここでも勾玉は出て来るが、『白鳥異伝』での勾玉の役割りほどの役割りは持たない。

どちらも日本の神話時代のお話であるが、『空色勾玉』は『白鳥異伝』よりさらに前の時代。
『白鳥異伝』は勾玉を守る一族の遠子と大蛇の剣を持つ小倶那(オグナ)の物語だとすると、『空色勾玉』は闇(くら)の一族の若き巫女の狭也(さや)と稚羽矢(ちはや)の物語。
こちらでは狭也が勾玉の持ち主で、稚羽矢が大蛇の剣の持ち主。

設定は似ている。
少々無鉄砲なところのある狭也と遠子。
似ている様だが、どちらかと言うと遠子の方が気が強く、狭也の方が流されやすい感じがする。

稚羽矢(ちはや)の名前の由来はもしや千早赤阪の千早か、とも思ったが、百人一首にもある「ちはやぶる神代もきかず龍田川・・・・・」のちはやぶる(あらあらしい、たけだけしい)のちはやではないだろうか。

それにしても男神である輝(かぐ)の神が女神である闇(くら)の神を追いかけて黄泉の国に行き、その姿を見て逃げ帰ってしまう。
その子供が「大蛇の剣」を持つとなれば、これぞまさしく。
男神イザナギが女神イザナミを追いかけた、という神話そのものか。
イザナギとイザナミは日本そのものの始祖である。

男神の三人の子供で大蛇の剣の持ち主の御子と言えば、ヤマタノオロチ退治のスサノウノミコト。
稚羽矢とはスサノウノミコトなのか。

輝(かぐ)の御子である三人、照日王と月代王と稚羽矢は不老不死。
中でも稚羽矢はちょっと変わり者なので、大蛇の剣と共に幽閉されている。
照日王と月代王には不死ゆえからなのか、人の命を絶つ事など何とも思わないという、酷薄な性格。
同じ不死でも稚羽矢だけは違って、情がある。

それにしても不思議な物語である。
著者の荻原規子氏は小学時代から古事記を読んでいた、と自ら書いている。
そんな頃からとことん通読した人が現代向けに書くからこそ、この様な神話時代の話が何の違和感も無く読めるのだろうか。

各々の個性も強烈だ。
この世の太陽とも言われる「照日王」。
闇(くら)の一族を滅ぼすためならどんな手段も厭わない。

この世の月とも言われる「月代王」。
照日王とはすぐに仲たがいをしてしまうが目的は同じ。
何歳なのかは知らないが二人とも外見は若く美しい。
不老不死なので食事すら摂らない。

話の途中からカラスの身となり、空からの偵察役をやらされたりする「鳥彦」の存在も面白い。
狭也の良き理解者であり、窮地を救う事も・・・。

まるで子供のまま大きくなった稚羽矢には普通の会話は成り立たない。
自然を愛し、人の死に哀れみを持つところは姉や兄とは全く異なる。
動物に成り代わってしまう、という特異体質の持ち主である。

もちろん、神話の時代の話なので特異体質という言葉は当て嵌まらないか。

不老不死はいつの時代も権力者の最大の夢だったのではないだろうか。
手に入れられる限りの全ての権力を手に入れても、必ずや訪れる老いと死。
古今東西の権力者が不老不死を手に入れるための空しい努力を書いた物語は山ほどあるだろう。

この物語そんな不老不死へのあこがれを断ち切るかの様に、人は死ぬからこそ、恐れを知り、悲しみを知り、優しさを知る、という事を繰り返し人々の口を借りて書いているのではないだろうか。

いずれにしても日本の創世記そのものをファンタジーにしてしまう、という途方もない事をこの作者はやってくれている。

空色勾玉  荻原 規子 (著)



武名埋り候とも


忠臣蔵を知らない日本人は少ないだろう。

浅野内匠の殿中での吉良上野介への切り付け騒動で浅野内匠は即刻切腹。

播州赤穂藩はお家取り潰し。

大石蔵之助をはじめとする赤穂浪士は、お家再興をかけての運動にも破れ、宿敵である吉良上野介へ討ち入る。

もし大石蔵之助がお家再興に成功していたら、赤穂浪士の討ち入りは歴史に残らなかった。

この物語は一歩間違えば、第二の赤穂浪士が世に出たかもしれない、という類の話なのである。

萩領との国境に生えた一本の松の木をめぐる争いから、徳山藩は改易に追い込まれる。

藩主毛利元次は新庄藩にお預けの身。

藩士は萩藩に吸収。

それを不当な処分だとして奈古屋左衛門里人をはじめとする数名が藩を再興させるべく運動する。

辛苦の再興運動の結果、最終的に藩は再興する。

赤穂浪士の忠臣蔵からたった15年後の事である。

この本が出版されたの1998年の年末。ちょうど年明けからNHKの大河ドラマで「忠臣蔵」が始まる時なのだ。

うーん。なかなかにあざとい。あざとくグッド・タイミングを見計らったんだろうな、などと勝手に想像してしまう。ここでいう「あざとい」とは誉め言葉である。

この本、古本屋の片隅で埋もれているのを見つけた。
見つけた時は、なかなかの掘り出し物、と思ったのだが・・・。

何か物足らないのである。

ノンフィクション、というジャンルに拘りが強すぎるからなのだろうか。

「忠臣蔵」にしたっておおもとは史実でも10人が書けば10人なりの「忠臣蔵」が生まれる。

吉良上野介をかくまった上杉家の刺客と赤穂浪人とが死闘を繰り広げるものがあるかと思えば、吉良の狙いは赤穂の塩田作りの秘法だったというものや、大石は討ち入りなど全くするつもりが無かったのに、急進派に押し切られていやいや討ち入ったというものや、吉良は何も悪くない説・・・

いすれも、討ち入りをしたという行為だけでも充分なのにそれ以上の意外性というもので味付けをしているのだ。

ノンフィクションだから史実に無い事は書けない、というのであれば話の中の会話だって作者はその場で見聞きした訳では無いのだから、書けない事になるのではないだろうか。
お家再興で結果、平穏無事というだけでもドラマチックでないのだから、多少味付けを濃くしても良かったのではないだろうか。
意外性という意味ではお家再興に最も貢献したはずの奈古屋左衛門里人が藩に戻らず、姿を消してしまう、という事だろうか。

その場に居合わせていなくとも、まるで居合わせていたかの如くに登場人物の個性をもっと豊かに描いていれば、この本は古本屋の片隅以外でも見いだす事が出来たのではないだろうか。
まさにタイトル通り、埋り候なのである。

などど偉そうな事を書いてしまったが、非難している訳ではない。
よくぞ、こんなネタを掘り当てたものだ、と感心している。
欲を言えば、という事である。

ちなみに徳山という地名も徳山市が平成の大合併で周南市となり、だんだんと忘れ去られ様としている。

徳山藩の存在もそのものも歴史の渦の中でだんだんと薄れて行くのだろう。

それだけに徳山藩を扱ったこの本は貴重だと思うのである。

武名埋り候とも―周防徳山藩秘史  西岡 まさ子 (著)



憑神


思いもかけない貧乏神の姿であるとか、およそ想像しづらい疫病神の姿にオチャメな笑いを持って読む本なのかもしれないが、オチャメな笑いどころか、壬生義士伝に共通するものを感じてしまった。

主人公の別所彦四郎は三河安祥譜代の御徒士(おかち)組の家に生まれ、その祖先は家康の影武者として大阪夏の陣にて、真田幸村に討たれて名誉の戦死をしたのだという。

その功労にて、代々三十領の御影鎧(三十人の影武者の着る鎧)や武具の手入れをし、一日中蔵の中でお勤めをする。

御影鎧は木箱の中へしまう事は許されず、いつ何どき将軍家に一大事があっても直ぐに飛び出せる様に出しておかなければならない。

従って、ちょっと手を怠るとサビが出たり痛んだりしてしまうので、マメな手入れは欠かせない。

時は既に幕末を向かえようとしている。
幕末になるだいぶん以前より、もう鎧武者でもあるまいし、歯朶具足でもあるまいし、それを着ての影武者の時代ではあるまい。

もうだいぶん以前より、いざという時に備えて、では無く民芸博物館的な存在になって来ている。

その仕事に不平の一つもこぼさずに、毎日毎日マメに武具の手入れをするなどというのは並大抵の努力ではないだろう。別所家代々はこの250年間ずっとその仕事を行って来た訳だ。

この本、憑神(つきがみ)と言う名の通り、憑き物として忌み嫌われる神に憑かれてしまうという話。
貧乏神や疫病神まではまだ良いがその次の憑神だけは絶対に人には廻す事は出来ない。

そして徳川の御家人としての武士道を貫こうとする別所彦四郎にとって貫くべき場所がどんどんと失われて行く。

いつの間にやら、大政奉還。
そして鳥羽伏見の戦いにては錦の御旗を持っているのは薩長軍。

御大将である徳川慶喜は、家来を見捨てて大阪城から逃げ延びて来る始末。
その逃げるさなかにて徳川将軍家の徴である「金扇馬標」をも置き忘れて来てしまうほどの慌てようだ。

ところが江戸の御家人はまさか、将軍が逃げ帰るなどとは到底信じられず、一旦中休みをとって、江戸へ帰って陣を立て直して、反撃体制にうつるものをばかり考えていたのに、将軍は自ら謹慎してしまう有り様。

壬生義士伝の吉村貫一郎が、妻や子を貧に貶めてなんの武士道か、自分は妻のため、子のための武士道に生きる、というのに対して、別所彦四郎はどんな武士道を貫こうとしたのか。

新政府への任官も良しとせず、榎本海軍奉行と共に蝦夷へ、という道も選択しなかった。

その選択肢は、武士道、御家人、徳川家への江戸の町民の怨嗟をも晴らし、250年もの間、全く使われる事の無い武具のために尽くして来た祖先をも救い、別所彦四郎自らが最も誇りに思える、最良で画期的な選択肢だった。

そんな画期的な選択肢を選べる男にもはやどんな憑神も関係ない。

形は違えど、一つの武士道を貫いた、という点において吉村貫一郎との共通点を見るのである。

憑神  浅田 次郎 (著)