月別アーカイブ: 9月 2007



薄紅天女


『空色勾玉』『白鳥異伝』とこの『薄紅天女』で勾玉三部作と言われる。
三部作と言ってもストーリーとしては各々が独立しているので、続けて読まなければ、という心配は無用である。

『薄紅天女』は前2作から時代をはるかに下り、平城京から長岡京へ遷都した後から平安京遷都までの時代が背景。

前2作が全く伝説の時代を舞台としていたのに比べると、さすがにこの時代ともなると中学・高校生の日本史の教科書に登場して来る様な人物も描かれている。

長岡京遷都、平安京遷都となれば、その時の皇(すめらぎ)とは桓武天皇であろう。
坂上田村麻呂は登場するは、藤原薬子が男装で登場するは、若き頃の無名の空海は登場するは、と登場人物は多彩である。

前2作は日本の神話時代を舞台にしているので、そこを物語化するとかなりその神話と関わりの深い神道をいじる様な何かタブーに触れる様な分野だったが、平城、長岡京まで時代がくだれば、そういう心配もないだろう。

長岡京遷都は薄命だった。
長岡京造営時に尽力した人物が(藤原薬子の父)が暗殺された為、桓武天皇の弟早良親王嫌疑が及び早良親王は配流の後、恨みを抱いたまま死去したとされる。
そのため長岡京は遷都直後から怨霊の噂の絶えない都となった。
菅原道真が大宰府へ左遷された後も都で病死、怪死が相次ぎこの時も怨霊騒ぎが起きる。当時の人は怨霊の実在に敏感だったのだろう。

『白鳥異伝』の次なだけにまた勾玉をめぐっての攻防かと思ったが勾玉にはさほどの役割りは与えられていない。全く別の物語と言っても差し支えない。

今度の物語は都に巣くう怨霊とその怨霊の退治を行う話で、武蔵の国の少年達の話から始まり、蝦夷へ、伊勢へ、都へと舞台を移して行くが、この物語の語る別の一面がある。

苑上内親王を通して見られる皇女の孤独である。
同じ兄弟でも親王で無いためにもはや存在しないも同然の立場。
だから自由勝手気ままが許されるかと言うと皇の一族としてあまりに尊貴な立場ゆえに恋愛も結婚相手さえも探すことままならない。

物語では苑上内親王は薬子に学んで男装し、隠密に姿を隠し鈴鹿丸と言う偽名を使って活発で勝気な性格の役どころとなるが、生まれてから最期まで宮中しか見たことがないままという皇女も多かったのではないだろうか。

著者はこの話の中では苑上内親王に幸せな将来を与えている。

他の登場人物で輝いていたのはなんと言っても坂上田村麻呂だ。

長岡京での怨霊退治のための明玉を探しにほぼ単独で蝦夷へ向かう坂上田村麻呂。
坂上田村麻呂という人物、ほぼ初代の征夷大将軍にして蝦夷征伐を行った人、という事以外のはほとんど知られていないのではないだろうか。(初代かどうかには異論があるのかもしれないので念のため「ほぼ初代」としておいた)
その坂上田村麻呂が都人でありながら、都人らしくのない、実にくったくのない人柄の人として活き活きと描かれている。
そのほとんど知られていない、というところが作者の目の付けどころなのだろう。

最後に長岡京にも触れておかなければ・・・。
この地名はもちろん長岡京市として現存している。
京都の南西に位置する市街地域である。
昔、都があったと意識する人はそうそういないだろう。
この地を訪れる人の多くはそこに自動車免許の試験場があるからで、かつて一時とはいえ、都であった面影を残すものはその市街地には無い。
怨霊のために埋没した都の名残などなこれっぽっちも無い。
唯一名残と言えば長岡宮跡の公園があるらしいが私は知らないし、住んでいる人訪れる人のほとんども知らないだろう。

薄紅天女  荻原規子 著



黒い看護婦

「看護婦」ちゅう言葉はもうそろそろ死語になってまうんやろうな。
今や看護師さんや。
「婦長さん」ちゅう呼称も無くなって「師長さん」やて。
「しちょう」で漢字変換でも出てけーへんがな。
師長ってなんか軍隊の師団長とかを連想させてくれよる。

これも皆、男女雇用均等法のなせる技かいな。
そやけどそないに安易に日本語を変えるべきやないと思うなぁ。

保健婦は保険師、助産婦は助産師かいな。
なんでも師つけたらええちゅうもんやないやろうに。
師とは教師、先生のことやで。

まぁそれはこっちゃへおいといて。
この本のタイトルはあくまでも「看護婦」やないとこの話が伝わらんやろうな。
この拙い文章もタイトルに準じて看護師やのうて看護婦ちゅう言葉を使わせてもらうで。女4人の犯行やし、それも看護婦としての知識を利用しての犯行や。
「黒い看護師」やったら男を連想してまう。

主婦4人による犯行ちゅうと桐野夏生の『OUT』を連想してまうけど、あれは殺人事件と違て、遺体処理事業みたいな話やった。
この「黒い看護師」は平成14年に発覚した「福岡の看護婦4人組による連続保険金殺人事件」のノンフィクションや。

事実は小説よりはるかにどろどろとしてるわ。

もう新聞、テレビでわんさかと猟奇殺人事件のニュースが飛び交ってるから、こんな事件覚えている人はほとんどおらんやろう。

ほんまつい最近の事件かてあまりに多すぎてどれがどれやら、少年の事件もあれば、青年の事件もあるわ、オッサン、オバハンの事件もある。
進学校の生徒やったり新聞配達の兄ちゃんやったり幼児の母親やったり・・数え上げたらキリが無い。

大概は理由もわからん、通り魔的な猟奇殺人。
中には理由らしきもんはあっても、理由にならん様なけったいな事件ばっかしや。

それに比べたら、この看護婦の事件は金目当て、理由はめちゃくちゃ明解や。

それだけは唯一の救いやけど、ほんでも読んでびっくりの世界には違いない。

これを書いた森さんちゅう人は週刊新潮のジャーナリストやったっけ。
元ジャーナリストやったかな。
さすがによう取材してはる。

週刊新潮って以前は必ず木曜日に買うて読んでた頃があった。
その中に「黒い報告書」ちゅう直近の事件実話を元にした話が連載されてたけど、今でもあるんかな。森さんちゅう人はあの頃の「黒い報告書」も担当してはったんちゃうやろか。

さすがに本一冊となると週刊誌の中の数ページとはボリュームがちゃうし、この事件はかなり取材したんやろね。

そやけどジャーナリスト魂かしらんけど、子供の頃の事にページ割きすぎなんとちゃうんかいな。
子供の頃、貧しい暮らしをおくってた、それが事件の引き金?金銭に対する異様な執着心は子供の頃、貧しかったからか?
昭和30年代なんちゅうたらなんぼ高度成長や、もはや戦後は終わった、ちゅうたって今と比べたら日本中が貧しかったんとちゃうんかいな。
確かにその貧しい中でもさらに貧しい人はおったやろ。
そやけどそれは原因でも遠因でもなんでもないやろ。
暮らしの貧しさと心の貧しさは別もんやで。

ちなみに看護婦4名による殺人と言いながら、もうほとんどA子一人の独断場や。
「黒い看護師」の中では、ちゃんと名前書いてあるわ。
実名やろな。
この文章では、全部A子、B子、C子、D子にしとくわ。
同姓同名の人が見たら気分悪いやろうし。

この主犯格のA子が凄まじい。
B子もC子もD子も皆、A子の被害者ちゅうてもおかしない。

A子ちゅうのは人の弱みに付け込む天才やな。
身長150代で体重は60代ってあるからほとんど肥満。
吉本新喜劇やったら相撲取り扱いされるクチや。
その親からしてブスやちゅうとる。

そのブっ細工なA子が口だけは達者やねんな。
人の悩み話イコール儲け話。
B子もC子もD子も看護学校時代からの付き合いや。
中にはもっと前からの同級生も居る。
そやからつるんで犯行に及んだかと言うとさにあらず。

B子もC子もD子もA子に悩みを相談したのが、運の尽き。
B子は男運が悪かったせいでその悩みにのったA子から、先方にはヤクザがついとる。
間に入ったるから、とずんずんそのたくみな言葉にのせられて、金を巻き上げられる。
最初は単純な詐欺やったんが、A子の所へ住まされて、カードも預けろ、通帳も預けろ、言われるままに夜勤・昼勤でせっせと貯めたお金も月々のお給料も全部A子に持っていかれとる。

C子も弱みを知られた段階でOUT!
相手が損害賠償を起こす前になんとか手打ったろ!
また詐欺や。

同じ病院に勤務する新人看護婦が注射で失敗したと聞くと、さっそく
「相手はカンカンや。なんとか話つけたろ」ちゅうて金を巻き上げる。
ここまでやったら、口先八丁の詐欺や。

ところがB子に対してはとことんいってまう。
B子の主人は設計事務所に勤めるクソ真面目な男やのに、
「アイツは浮気しとる」とC子に揺さぶりをかける。
しまいには、殺してまわな、殺されてまうで、と殺人を持ちかける。
手の込んだ事にC子の主人の車に睡眠薬のビンまでおいて「ほれみた事か」と追い討ちをかける。
もうB子は平常心を失ってもうたんやろうな。
A子の持ちかけた殺人計画に載ってまう。

最初は薬や。食べ物の中に薬を混ぜるが、なかなか効いてけーへん。
で、酔っ払わせて更に睡眠薬を飲ませた後、薬物注射。
が、これも失敗。

通常、そこであきらめるやろ、と思いきや、突っ走ってるA子は止められへん。
ほんでも知恵を与えてもうてんのが、看護婦として一番優秀なB子。
B子もC子も一回殺人計画に失敗してんねんやろ。

そのあたりで一回冷静になれんかったんかいな。

二回目決行。
今度は薬やのうて空気の注射や。

全く同じ事をD子にもする。
D子も騙され、D子の亭主も同じく睡眠薬を飲まされた後に注射。

A子は人を恐怖に陥れるために必ず架空の人物を話の中で作り上げる。
バックにヤクザがついてる政治家だの、弁護士だの・・。
A子はその恐怖心もたくみにあやつる。

両方ともちゃんと救急車で病院行って、息を引き取っとる。
部外者は誰も殺人とは思て無いわけや。

そんだけの事をしてもC子もD子も亭主の保険金は全く受け取ってない。
全部A子がせしめとる。
すべて、脅された相手に支払った事になっとる。

A子はこの一連の犯行で2億以上せしめた、ちゅう事になってるけど、本人の懐にはほとんど残ってない。

元々がずさんな生活してるやっちゃ。
サラ金から借りてでも高級エステ行って月に100万も散財するわ、じゃ金なんぞ残る訳がないわな。

ほんでも、保険金を独り占めにした後に限ってマンション購入。
D子の亭主の保険金の時は最上階の一番高額な部屋で、さらに何百万もかけてリフォームして女王の部屋に仕立てるところまでやっとんねん。

同じ看護婦やってたら、給料だけでそんだけの事出来るわけないやろ、って気ぃ付くやろ。普通。

これがこいつらの普通やないところや。
皆、同じマンションに移らされて、A子の子供やら母親やらの面倒までみさされてる。

B子もC子もD子も皆、A子の無償奉仕の家政婦であり女中や。
おやっと、男女雇用均等法やったな。
家政婦も女中もあかんがな。
家政婦はまさか家政師かぃ?
そないに意味も無く「師」ばっかり作っっとったら古文の先生怒って来るやろな。
日本語では諦めてまさかハウスキーパーかぇ?

赤の他人への無償の家政労働奉仕といいながらも事実上奴隷みたいなもんや。
もう殺人に手をそめた以上、もう奴隷にならなしゃーないちゅう事か?

それにしてもこのA子、これだけの計画性があるんやったらこんな手使わんでも大成功してたんとちゃうんか、と思う向きもあるかもしれんが、A子には短期的な計画性はあっても長期的な計画性はゼロ。

贅沢三昧で使うだけ使って手元の金がなくなってサラ金に借金が嵩んだら、詐欺。
得た金で、借金返してまた贅沢三昧。
保険金ともなると額が大きくなるから、借金返すだけやのうて高級マンション購入。
ほんでも金みたいなもんそないな使い方しとったらすぐ無くなるわいな。
また次の犯行計画や。

B子もC子もD子は自分らがA子の詐欺に会うただけやのうて、B子なんぞは実の母親を殺害されるところやった。
実行犯はC子とD子。
もちろんA子の指示である事は言うまでも無い。
B子の母親の家へ行ってD子が注射針をたてようとするんを振り切って母親は助かった。
全く摩訶不思議な事に事ここに及んでもまだ、この犯行が事件性ゼロのままやったちゅうこっちゃ。

B子の母親はさすがに騒いだとしても老齢がわざわいした。
「年寄りやから何かと騒ぐのよ」の一言で片付けられて警察沙汰にはなってない。

これだけの事をしても尚、無傷やったら図にのってまうんやろうかなぁ。

ちょっと目先を変えればええもんをさらにD子から4000万を騙し取ってその上実家の土地まで騙し取とうとしたあたりでやっとD子が亭主殺害は隠した上で叔父に相談する。
叔父はまさかD子が亭主殺害に加担したとは知らずに警察へ。

それでようやく犯行が明るみに出て来る。

逆に言えば、A子がその短絡的思考で無ければ、この犯行は明るみに出ぇへんかったちゅうこっちゃ。

ほんでも福岡あたりの金融業者はワルじゃなかったちゅう事なんやろうな。

この一連の犯行で一番儲けたんは高級エステの経営者と高利でA子に貸し付けてそれを毎回きれいに返済してもうた金融業者やろう。
商売で金を貸す以上、相手の身元はわかっとるやろうし、たかが一看護婦の給与で何千万もの借金をそないにきれいに返されたら、なんぞ裏がある事ぐらい金融業者の嗅覚でわかるやろう。
下手したら騙しているつもりのA子ですら金融業者の意のままに動かされる可能性もあった訳や。

とまぁ事件の全容をかいつまんだつもりがえらい長い文になってもうた。

B子、C子、D子については確かにA子に騙されたかもしれんけど、あまりにも頭が悪い。思考回路は幼稚そのものや。
A子みたいな人間は必ずおるで。
自己本位。
自分中心主義。
行きつくところは詐欺。発展して殺人やけど、どの殺人も直接手を下してない。
みなB子、C子、D子に手を下させとる。
その目的が自分の贅沢であり、見得であり、虚栄や。
世の中、もっと巨悪と言えるもんがあるんかもしれんが、このA子も浅ましさイジマシさは巨悪よりも醜悪そのものや。

この事件のおそろしさは、D子のオジが警察へたれこまない限りは、もしくは犯行を続行せーへん限りは全く事件としても発覚せーへんかったっちゅうところや。

保険金の支払いには保険屋も何の疑いも持たん。
当たり前やわなぁ。
ちゃんと救急車で運ばれて、XXXでお亡くなりになりました、ちゅうんやから。

ちゅうことはやで。
これが氷山の一角やとしたら、世の中なんぼでもこんなんあったりして・・。

人の弱みに付け込んで金を騙し取る、それを立件もせんまま泣き寝入り。
これは山ほどあったとしても看護婦ちゅう専門知識を利用しての殺人、これがわからんままやとしたらこわいもんやで。

殺害された亭主二人。
ヨメはんにそんな意図が有った事なんぞこれっぽっちも疑う事なく、息絶えてもうたわけや。

世間の亭主諸君!
クソ真面目に働いて給料入れてたら安泰、と思てたるやろう。
メシの塩加減にも気ぃつけた方がええかもしれんでぇ。

黒い看護婦 森功 著



香乱記


秦の末期から漢の時代の始まりまでという激動の時代が舞台である。

この時代の事を書いたもののなんと多い事だろう。

これまでで一番好きだったのは司馬遼太郎の『項羽と劉邦』だっただろうか。

経営者や管理職者向けのビジネス本にも多く取り上げられていた様に思える。
大抵の話が、秦の圧制に苦しんだ人々が陳勝・呉広というレジスタンスを迎え、歓喜し、やがて項羽・劉邦の新たな中華の項羽と劉邦という二大傑物を迎える。
その覇者争いを通して「勇猛果敢的経営」の破たん例 VS「適材適所的経営」の成功例などと取り上げられているのである。

司馬遼太郎はさすがにもっと極め細かく描いている。

だが、司馬遼太郎に限らず項羽と劉邦を扱っている本のほとんどは、
項羽は勇猛果敢で圧倒的な強さを持ち、若さを持ち、ある種の爽やかさを持つが、反面捕虜20万人を生き埋めにするなどの残虐さも兼ね備え持つ。
それに比べて、劉邦は戦下手で女ったらしでだらしが無い男でありながら、人の意見を聞く事に関しては天下一品で、人を重用する事に長けていたので、自らは何もしないでも側近に優秀な人材が集まり、到底勝てる相手では無かった項羽にも最終的には勝つ事が出来た。
と項羽の勇、武に対しての劉邦の徳の勝利だと両者を比肩する。

ところがこの「香乱記」においては項羽も劉邦もほとんどクズ扱いである。
この二人をこれほど悪し様に書いている本もそうそうないのではないか。

この違いはなんだろう。
項羽、劉邦とは別に田横という英傑を生み出し、それを主人公にして物語を書いたから、という理由ばかりでは無いだろう。

夏王朝から商の時代、周の時代、春秋戦国・・とずーっと長い長い目でこの古代中国史を俯瞰した宮城谷ならではの視点なのではないだろうか。

宮城谷の本に付き合えば付き合うほどに各時代の人徳の高い王や名宰相との出会いがある。

劉邦が徳のある人だって?笑わせるな!という気持ちが伝わって来そうである。
劉邦などと言う詐欺師には所詮、秦の真似事しか出来ないであろう。
項羽は戦は好きでもその後の国作りが行えるとは思えない。

秦滅亡から漢の樹立までの間に中華の人口は半減したと言う。
そこまでの代償を払って手に入れる新王朝が秦とどれだけ違うというのか。

秦という国に至っては、悉くが始皇帝の圧政・虐待政治という事が歴史上の常識と化しつつあるのかもしれないが、史上初の中央集権国家による法治国家を実現させた過去に例の無い国家である事も事実である。

過去を捨て去り、新たな国作りを行ったという意味では歴史上の大きな存在であろう。

但し過去を捨てると言っても焚書坑儒を行うに至っては後世の歴史家から見れば、研究材料を奪われたわけなので暴君と言われても仕方がないだろう。

兵馬俑で有名な始皇帝稜の建設、万里の長城の建設、阿房宮の建造・・と土木・建築に関しての規模はとてつもない。

歴史に名を残す建造物を残した時代というものにつきものなのはそこで働かされたであろう無辜の民による多大な労働力である。
やはりここでも圧政を布いたと言われても仕方が無いかもしれない。

趙高と共に地位を奪い取った二世皇帝に至ってはもう暴君を超えた単なる馬鹿扱い。

だが、実際にはどうだったのか。
秦は短命であった。秦の時代も漢の始まりも秦の後に出来た漢の時代に史書には記述されたであろう。
秦の法体系などをほとんど模倣したのではないかと言われる漢の誕生の正当性のためにも秦は酷い国でなければならず、
始皇帝は暴君でなければならず、
二世皇帝は馬鹿皇帝でなければならず、
項羽は20万の捕虜を生き埋めするほどに残虐でなければならず、
劉邦は人徳のある人でなければならなかった。
そういう側面が全くなかったなどとは到底思えない。

古代中華の頃の兵隊と言うもの、いとも容易く寝返る。
情勢の悪い軍隊ならさっさと戦いの場から逃げ出して、いつの間にか敵軍に入っていたり・・。
将棋というゲームの生まれる所以だろうか。さっきまで玉を守っていた飛車が敵のに取られるやいなやいきなり玉に王手なんだから。

そういう事が当たり前の時代の軍隊であり兵隊だ。項羽とてわかっているだろう。
敵の(秦の)将軍である章邯が降伏した段階で、章邯は項羽軍の将軍となった。
もれなく付いてくるはずの20万の章邯の兵士を何故生き埋めにする必要があったのか・・・・。
後の漢による情報操作で無いとすれば、全く意味不明である。

という様な事はこの「香乱記」の本題からはずれるので、ひとまずおいて置く。
宮城谷から見て、この時代を治める最高の人物は宮城谷そのものの描いたに田横だったのだろう。
田横という人は実在したかもしれないが、「香乱記」の中の田横は宮城谷の理想の人物として、描かれた人物像に違いない。
宮城谷本で言えば「孟嘗君」が一番近いか。
双方とも田氏である。孟嘗君は田文だった。
斉の国にはなんと田氏の多い事か、「香乱記」の中にも何人田氏が出て来ただろうか、味方ばかりで無く敵の中にも田氏が出て来る。
この本、出版前は新聞連載だったという。
連載で小刻みに読む読者は訳がわからなくならなかったのだろうか。

「香乱記」という本、他の宮城谷本を読破している量に比例して面白さが倍増するのではないかと思える。

秦の法治国家については商鞅を書いた箇所を読んでいた方がよりその法による政治の画期的さがわかるだろうし、呂不韋に助けられる前の人質であった少年時代の始皇帝の箇所を読んでいれば、一箇所に居を構えないなどの用心深さもその所以が見えて来る様な気がする。
また随所に引用される春秋以前の人の名。
これらは宮城谷本を読んでいる事を前提とでもしているかの様である。

とは言え、何事も第一歩が無ければ第二歩も無い。
宮城谷本はどこからはじめても面白い。
特に田横という爽やかな男を描いた「香乱記」は清々しい一冊である。

香乱記  宮城谷 昌光 著