月別アーカイブ: 6月 2008



てのひらの迷路


24のショートショート集。
ショートショートと言えば星新一があまりにも有名だが、この石田衣良氏のショート・ショートはSFでも未来ものでも宇宙ものでもホラーでもない。
石田衣良氏の実体験を元に書かれたものが大半である。

何気ないタクシーの運転手との会話。ただそれだけのショートショート。(タクシー)

目を閉じて正確に3分間を言い当てる。完璧なタイムキープを求められるアナウンサーの女性。(完璧な砂時計)

引きこもりを題材にした話。(銀紙の星)

実になんでもない話のようなのだが、何故か次は、次は、と次の短編を読みたくなってしまう、という不思議な本だ。

家の近くを散歩する。同じ様に散歩をしている、よくみかけるおばあさん。
おばあさんの話相手になりながら、散歩をする作者。
この何気ない短編からは作者の優しさ、心遣いというものが伝わって来る。(終わりのない散歩)

本に関する短編もいくつか載っている。
世界に一冊だけ自分のためだけにある本があるに違いない、と書棚一杯の蔵書を読んでは捨てて、という選別をしている老人。(書棚と旅する男)

希望を失いかけた人の前に表れる一冊の本。
その本にはまさに自分と同じ境遇の主人公が登場し、奮戦の上、その境遇を乗り切る。
希望を失いかけた人はその本を読んで希望を取り戻し、また別の人のためにその本を置いて行く。
これなどは、まさに世界に一冊だけ自分のためだけにある本をもじったファンタジーである。(旅する本)

石田衣良氏は就職活動などはしなかったらしい。
最初に仕事をしたのはフリーターで、特に人生に野望はも大きな目標も持たないが、好きなだけ本が読めて、音楽が聴けて、生活をする上での金さえ稼げれば、それだけで充分じゃないか、そんな人生観を若い頃には持っておられた。

あぁ、この人にとっては、人生勝ち組だの負け組だとなどという色分けなどちゃんちゃらおかしいのだろうな。いや少なくとも若い頃はそうだったに違いない。
ニートだから、フリーターだから、非正規雇用社員だから、などという劣等感を持つ人間など、この人の若い頃の人生観からすれば不思議で仕方なかったに違いない。

広告代理店に勤めてからも有名なコピーを作ることなど眼中にはない。
偉くもなりたくはないし、人並み以上に金を得ることにも興味はない。
仕事には100%の本気は出さず、適当に手を抜きながらも一応与えられた作業は人並みにこなす。
それでも平日に自由に外を散歩したり、たっぷり本を読む時間は確保する。
そんな生活で満足していた人。

それがなんの因果か、小説を書き始めてしまってからというもの、途端に締め切りに追われる多忙な人となった。

そんな作者としての苦労話なども短編になっている。
この短編を練るまでの作業がそのまま短編にもなっていたりもする。
作家になってからの取材話の短編有り。
いずれにしろ、あの「アキハバラ@DEEP」などを書いた作者の作品とは別の一面を存分にのぞかせてくれる本であることは間違いない。

この短編、最初から24作で終ることになっていたらしく最後の一つ前の短編は作者が最も力を注いだものかもしれない。

そんな力作は力作としてもちろんOKなのだが、どんな仕事であれ、達人の域というものがあり、その道の天才といえる人がいるのだ、ということを描いている「ウエイトレスの天才」のような小編が私は好きである。

てのひらの迷路 石田 衣良 (著)



GOTH


これはミステリーというジャンルの小説なのだろうか。
本格ミステリ大賞という賞の受賞作だという。

主人公は猟奇殺人などに異様に興味をしめす高校生。
もう一人同じ様に猟奇殺人などに興味をしめす女子高校生が登場する。

二人は最近近所で起こっている連続殺人事件の犯人知りえないようなことが書いてある手帳を入手する。まさに犯人の書いた犯行記録というものなのだろう。
その中にまだ報道されていない犯行の記録があり、二人はその死体を探しに行く。

この二人が犯行を犯したわけでもなく、人を殺傷したいという欲望を持つわけでもないのだが、その異様な犯罪者に対する、憎悪や、うす気味悪さの気持ちや、恐怖などの心は全く持ち合わせない、いやそれどころか、犯人に対する共鳴感やあこがれに近いものを抱いているのかもしれない。

もちろん手帳を警察に届けるなどということをしないどころか、犯行現場から被害者の持ち物を持ち去ったりもしてしまう。

もちろん、犬の連続連れ去り事件にしても、その女子高生の妹の死についての解明の話もミステリーと言えばミステリーなのだろう。

この本の文庫版ではあとがきで作者そのものが、ミステリ大賞受賞という事態をいぶかしんでいる。それほど話題になると思っておられなかったのだろう。その短い文章の中で、犯人も主人公も妖怪だと思って下さい、と述べておられる。

猟奇殺人というもの後を絶たない。

直近では秋葉原で起きた無差別通り魔殺人。
そしてそれら近年の猟奇殺人の走り的な存在である多摩川沿いの連続幼女誘拐殺人事件の宮崎何某に対する死刑執行。
宮崎に対する死刑執行については「早すぎる死刑執行」という論調の報道が有り、秋葉原無差別通り魔に対しては非正規雇用社員の鬱屈という社会的な背景を原因とするなどという論調の報道がなされる。

宮崎何某については、事件から20年も経過しているというのにあれだけ残虐な殺人者に対する執行がまだされずに生きていたのか、と思った人が大半だろう。
連続通り魔について社会的背景を因果関係とするに至っては、呆れる果てるほかはない。
連続殺人事件そのものはもっと以前より何度も起きてはいたことだろうが、
「殺人をしてもその何が悪いのかがわからない」
という類いのコメントが出てくるようになったのはやはり宮崎の事件からではないだろうか。

GOTH という本はもちろん、それらの凶悪犯罪を擁護するものでも煽る目的のものでもないことは明白であるが、そういう誤解を招き易い要素はあるのかもしれない。

ただ、そういう事件の後に必ずなされる、事件についての山のような報道を見たり読んだりするよりも、わけのわからないコメンテーターの知ったようなコメントを山ほど聞くよりも、GOTH の主人公のようなそういう事件そのものに共感を示す若者の気持ちを知ることの方が有用かもしれない。

秋葉原の無差別通り魔に対しても「神だ」などという声は大げさすぎてサイト誘導的な要素から生まれたのかもしれないが、「気持ちはわかる」的な共感者の数は相当居る、というのは本当かもしれない。

GOTH という本、作者の意図に反してかどうかはともかく、それなりに話題性を持つ要素は充分にあったであろう。
それにTVコメンテーターのその場しのぎのコメントを一生懸命に聞くぐらいならこの本を一読する方がはるかにましに思える。

GOTH(ゴス) リストカット事件 乙一 (著)



地下鉄に乗って


これほどの名作がここにまだ書かれていなかったのか。
この本を読んだのは何度目だろう。
整理整頓はあまり良いほうではないので本棚からあふれた本は山積み状態。
探せばこの本などはあるはずなのだが、ついついまた買ってしまう。
今回は出張のお供に新幹線の駅前本屋で買ってしまった。
何度読んでもジーンとさせられてしまう。

兄が高校3年の時、その進学について父と諍いとなり、家を飛び出しそのままメトロに飛び込んで死んでしまった。
独善的な父。金儲けにしか興味の無い父。家族への愛情など欠片もない父。
兄の死から一家は離散への道を進む。
今でも父についての興味などこれっぽっちも無かった主人公。

それが兄の命日のある日の地下鉄の駅を出たところからタイムスリップへの旅は始まる。
タイムスリップをする話なら他にいくらでもある。
タイムスリップをして父と遭遇する話はなかなかに印象深い物語が多い。
東野圭吾の「トキオ父への伝言」、重松清の「流星ワゴン」、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などもそうだろう。

「地下鉄に乗って」はそういう作品との共通点はもちろんあるが、この作品、特にどちらがどちらへ影響を与え合ったり、運命や歴史を変えあったり、という話ではない。

単にその時代へタイムスリップをして見て、その時代を少なからず体験してまた帰って来る。

浅田次郎の作品は映画化されることが多い。
「鉄道員」(ぽっぽや)、「天国までの百マイル」、「壬生義士伝 」・・・などなど、どれもみな、小説も良しなら。映画も十二分に花まるである。

2時間ばかりの映画化にあたっては原作本から切り捨てなければならない箇所は当然出てくる。「壬生義士伝 」などは当然全てのシーンは無理なのでシーンも登場人物も絞って、語り部までも変えて、思いっきり切って切って、それでも映画化としては大成功だろう。
それに比べれば、この「地下鉄に乗って」は、映画化には程よい長さの話だ。
映画もほぼ原作を忠実になぞっている。

もう少し時間があれば全シーンを収めることが出来ただろうに。
浅田次郎のこの作品、どこをどう切れるもんじゃない。
映画化に向けて編集した人は断腸の思いだったのではないだろうか。

結局、父の子供時代のシーンが映画では切られている。結果祖父や祖母の存在も映画では消えている。

兄の死んだ日の東京オリンピックに湧いていた昭和39年の東京へ。
終戦直後の東京。闇市の中でがむしゃらに生きる男。
終戦前、敗戦色濃厚の中、戦線へ送られる若者。
敗戦と共になだれをうった様に満州へ攻め入るソ連軍。
日本軍からも見捨てられた満州開拓団の女子供はソ連軍に惨殺されて行く。
その中をたった一人、日本人の女子供を逃がすべく戦った男。
あの満州から生きて帰ったって?よっぽど運がいいか要領よくやったんだろうさ。
そう言われるその男は要領などはこれぽっちもよくはなかった。

要領がもしよければ、息子にそんな嫌われ方もしなかっただろう。
世間の評判ももっと良かっただろう。

メトロは父の生きたどの時代にも走り続けて来た。
独善的で自分勝手な父が死を間際にして息子に言い訳をしたくて自分の過去を見せたわけではないだろう。
メトロが父の生き様を息子に見せてあげたかった、ということなのではないだろうか。

地下鉄(メトロ)に乗って 浅田次郎 著