月別アーカイブ: 5月 2008



宣戦布告


まさしく衝撃そのものである。

たった11人。
たったの11人の北鮮の武装集団がやって来ただけで、この国は滅びかねない。

福井県敦賀半島に国籍不明の潜水艦が座礁。

通報を受けた後、またまた自衛隊の不祥事か、自衛隊ではないとわかった後にもじゃ、米軍か?それともロシア?と騒ぐばかりで警察はなかなか潜水艦に近づけない。

その後、潜水艦は北鮮のもので福井の敦賀原発をターゲットに11名の武装集団がやって来たことが判明。
この武装集団こそ北鮮の特殊部隊で1年間穴の中で生活することも平気な連中で、しかも装甲車も木っ端微塵にできるロケット砲まで持っているという。

この北鮮の小部隊、原発をどうしようとしたのか、今一目的がはっきりしないが、まっしぐらに原発目指していれば、いとも容易く突入出来ただろう。
なんといっても原発を守衛しているのは民間の警備会社だ。
銃器など一切持たない丸腰なのだから。

付近の住民避難と半島入り口警察、機動隊で一杯になるが、さぁ誰が、どうやって突入するのか。
装甲車を吹っ飛ばす火力を持った相手に機動隊では太刀打ち出来ない。
SATの部隊を接近させるが、なんと射殺命令が直前で取り消される。

もちろん自衛隊の出動は想定される。

最高指揮官としての官邸はどう、動くのか。
物語の中で、首相がまず気にしたのは、民主、社民という野党の連中に対する言い訳と朝日新聞の社説はどう書くだろうか、ということだった。
国民の生命と安全を最優先に考えるべき立場の人達がまずそれよりもプライオリティーの高いものを別に持っている。

高級官僚にしてももし何か起きた際に自分に責任が及ばないこと、それが最もプライオリティーの高いことだった。
それよりも国家機密をじゃんじゃん漏洩してしまっている防衛庁の高級官僚までいる。

だが、いざ、自衛隊が動くという行為にはこの国はあまりにもハードルが高い。

部隊が展開するのに必要な公共施設を収容したり借り受けたりする権限がない。
道路や橋が破壊されて自衛隊が通行できない時、現行法では自衛隊が勝手に修繕することもできない。
敵の前線にあっても防御するための穴一つ掘れない。
指揮所を一つ作るのにも建築基準法に阻まれる。
道路交通法、河川法、森林法、自然公園法・・・無線使用にあたっては電波法、とありとあらゆる法律にがんじがらめになってまったく身動きできない。

それよりなにより、敵を攻撃出来する、つまり武器を使用できるのか、という肝心かなめの問題。

国家機密という意味ではこの本そのものが本来の国家機密かもしれない。

一般に言う有事立方。「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」という長ったらしい名前の法案はこの麻生氏の本が世に出た後しばらくしてから小泉内閣のもと、与野党一致で可決された。

その法制化によって上の各種の問題がどこまでクリアになったのかは知らないが、その後にイラクへ派兵された自衛隊は発砲されるまで、武器の使用、発砲は出来ないという悲壮なもので他国の軍隊に守っての救援活動という、ことでこの特殊な軍隊、自衛隊の異様さは世界に知られることとなった。

この話の中では首相自らが、この国家予算を何兆もつぎ込んだ自国の自衛隊のことを「まるでガラスの兵隊だ」とつぶやき、嘆く。

「この国はもはやまともな国家とは呼べない」とまで言わせる。

この麻生幾という人、どういう人なんだろう。まりにその道の専門用語に長けすぎている。

警察の専門用語などはドラマなんかでも出て来るからまだわかるが、自衛隊の専門用語となるとそうはいかないだろう。

なんと綿密な取材なのだろう。

いろいろと勉強になることも満載である。

警視庁と警察庁の違いぐらいは大方の人はご存知だろうが、各都道府県の警察は警察庁の組織下にないとは知らなかった。
県警は県警本部長の指示系統にはあっても警察庁の指示系統にはないのだそうだ。
とはいえ県警本部長は警察庁のエリート候補が廻ってくるのだから、指示系統というだけで実質は警察庁配下だろう。

現にこの福井県の本部長はお上からの命令で発砲許可を取り下げた。

村上龍氏の「半島を出よ」も同様に少人数の北鮮部隊が上陸して来ると、設定は似ているが、あちらの方が北鮮の狙いもはっきりしているし、パニックになっている日本の姿だけではなく物語が進展していく。また近未来の日本の光景も描く。やはり小説なのだ。

麻生氏という人、もともとはノンフィクションライターだったとか。
この本では北鮮の狙いは一体なんだっただろうか。
そんなところをぼかすことで現時点での各種の問題点を浮き彫りにすることが狙いだったのだろうか。

とにかく、こんなパニックになるのだよ、ということだけはいやでも伝わってくる。

この本の巻末にお決まりの
「この作品はフィクションです。実在の人物、団体、国家とは一切関係がありません」
の一文があるが、そうじゃないだろう。

この「宣戦布告」という本。フィクションではない。ノンフィクションなのではないか。
シュミレーションの元に書かれたノンフィクションそのもの。作者もそのつもりで書いたのではないだろうか。

宣戦布告 上下巻 麻生幾



楊家将


宋の時代のお話。
宋という国、春秋時代にもその後も中国の歴史には何度も登場する。
この話の宋という国は日本の歴史で言えば遣隋使、遣唐使が小国乱立の時代で一旦途絶え平清盛の時代に日宋貿易という形で再び登場するあの宋の前身。五代十国を統一した宋だろう。
その後に日本の歴史に顔を出すのは蒙古襲来のモンゴル帝国、室町幕府と日明貿易をする明。

中国という国、いったいどれだけ王朝の数がめまぐるしく変わったことだろう。日本もその間、奈良・平安・鎌倉・室町と武家の棟梁は変わって行っても王朝はずっと継続している。
四川省の大地震の発生で話題から消え去った観のあるチベット問題。あの問題の根っ子は何より中国の同化政策に他ならない。
中国の同化政策というもの今に始まったものではない。この長い歴史の中で王朝が変わる都度、同化政策は行われて来ただろうし、他国の版図を奪う都度行われて来ただろう。中国の歴史はまさに同化政策の歴史と言ってもいいのではないだろうか。
周辺民族に対しての同化政策も同様で中には進んで漢化して来るような国もある。
北方の民族は同化される事を嫌った側である。宋にとってのその北方の敵が遼。

宋は統一したといっても燕雲十六州と呼ばれる北京を中心とした万里の長城の南側の一帯は遼という国の版図のまま。
宋の帝はこの燕雲十六州を奪回することを悲願としている。

その遼との国境の守備を一手に引き受けたのが楊一族。
楊一族というのは楊業という有能な武人とその7人の息子達。
7人全てが軍人としても将として有能なんてあり得るのだろうか。
7人いれば、文学の好きな人や政治の好きな人などそれぞれ個性が出てきてもよさそうなものだ。
それは代州という楊業の封地が他の選択肢を見つけられるような土地柄では無かったからだろう。
都に住んでいたならそれぞれの生き方を選んでいたのかもしれない。
とはいえ、息子達もそれぞれに個性がないわけではない。
長男の延平は父親の気持ちを一番良く理解し、父親の留守中は兄弟のまとめ役になる。
七郎は馬と愛称が良く馬の面倒を良く見、馬と会話をするほどの馬好き。
六郎は兵士達を大切にする誰よりも兵士達から愛される将。
四郎は兄弟の中では長男の延平以外とは相性があまり良くない。孤高の人。
ものの考え方のスケールが大きく、四郎が楊一族の棟梁だったなら、人に使われての戦をするぐらいなら、と楊国という独立国を興していたかもしれない。

楊一族の敵である遼という国、なかなかにうまい政治を行う国である。
徴兵制度があり、若いうちに必ず軍人としての調練を何年か経験し、その後いざ戦となれば、国民皆兵となる。
国民が全て兵なのだから敵が何万の兵で来ようが何十万の兵で来ようがそれに匹敵する部隊をすぐさま召集することができる。
半農の軍というのは効率がいい。
専任の兵であれば、それらを食わせるだけでもかなりの国家予算を投じなければならないが、半農であれば、戦がある時だけ召集すれば良い。それも徴兵で一回は鍛えた連中だ。数日間、調練をすることですぐさま臨時の軍隊が出来上がる。
また、南船北馬というぐらいなので北部の質の良い馬に恵まれているので騎馬兵部隊はかなりの精強軍である。
後のモンゴル大帝国の礎を築いたのはこの騎馬兵部隊なのではないだろうか。
とにかく遼という国恐ろしく強い。

楊一族もそれに対抗出来る様に、六郎と七郎には騎馬隊を組織させる。
また四郎には楊一族の別働部隊としての役割を与え、四郎も優秀な騎馬隊を組織する。
楊一族は調練を怠らず、毎日の様に味方同士で剣を木刀に変えての模擬戦を実施する。
それ故に楊業とその息子たちもまた強く、胸のすくような戦を展開していく。

遼にも耶律休哥(やりつきゅうか)というたった5千の兵で5万の兵に匹敵すると言う名将がいる。この人も孤高の人で全身が白い毛で覆われていることもあって「白き狼」と呼ばれる。
この名将VS無敵の楊一族の戦はこの本の見どころの一つだろう。
遼の側のもう一人の魅力ある人物はこの国を実質的に支配している蕭太后という人。
后なので帝ではないが次から次へ帝が若くして死んでしまたために幼帝の後見人という立場だが、実質的には支配者である。

宋の帝の悲願が燕雲十六州の奪回なら、遼の悲願は中原の支配である。
蕭太后もそれは同じ。それだけではなく、この蕭太后という人、戦についての分析力に長けている。
男であったなら、武帝として名を残したであろう。

それに比べると宋の方はどちらかというと武にはうとい。
楊一族が居なければ、蕭太后はいともたやすく中原を手に入れていたのではないだろうか。
宋という国は文化的にもかなり発達していた国だろう。
宋は今でいうシビリアンコントロールの国なのである。
その中にあっての武人の立場はあまり強くはない。

特に楊業という男は戦をするためだけに生きているような男。
生粋の軍人である。
政治の世界には一切口出しをしようとしない。

そのシビリアンコントロールのためか、またまた都の臆病な将軍のためか、楊業の最期は無惨としか言いようがない。

この戦の時代でのシビリアンコントロールは少し時期尚早だったのかもしれない。

楊家将<上・下巻> 北方謙三 著



囚人道路


北海道を車で走るとまっすぐな道路がえんえんと続きます。
広大な農地を突っ切り、原野を突っ切り、ひたすら続く一本道。
こんなところに最初に道を通した人はさぞかし大変だったんだろうな、などという考えが頭の片隅によぎったとしても、それはほんの瞬間でその快適さと爽快な気分をでそんな考えはいつの間にか忘れてしまうでしょう。

その最初に道を通した人大変どころの騒ぎじゃなかった、ということがこの「囚人道路」を読めばわかります。
なんという過酷な工事だったのでしょう。
この本で描かれる道路工事は、網走から北見峠までの四十五里、180Km。
180Kmって東京から神奈川県を通り越して静岡県まで行けてしまうほどの距離ですよ。
道幅はそれまでの道路の倍、通常一間半(2.7m)のものを三間(5.4m)の広さととし、工期はたったの7ヶ月。
それまでまったく何にもない原野にたったの7ヶ月って、その目的はなんだったのか。

北海道の初期の幹線道路の工事はほぼ明治10年代の後半から明治20年代の前半に集中しています。
本州には元々幹線には道というものがあったのに比べれば、北海道はまだまだ未開の原野。インフラの整備の必要性はわかりますがその時期にそれだけ集中して、しかも急ピッチで行う必要が本当にあったのだろうか。
本州にだってまだまだ鉄道の敷設やらインフラ整備はいくらでも必要だったでしょうに。
安部氏はこの網走から北見峠までの超過酷労働工事に目を向け、その一部始終に疑問を持ちます。
若い看守に向かって、寝てる間に針で目を突くぞ、などと「塀の中の懲りない面々」の作者ならではのシーンがたまに顔を出しているのが嬉しい。

この工事建設は全て網走監獄に送られた囚人の手によるものでした。
集められた囚人はおよそ1000名。
工事完了に至るまでにその1/3が命を落としている。

単なる草っぱらじゃなんですよ。地図を見てください。
いかに無茶苦茶な工事だったか、少しでも想像がつきます。
大木が有ったって迂回などしない。木をまず切り倒して、さらには根っこまで引き抜いて、そこに出来た大穴には石を埋めて慣らす。
また、そんな大木がいくらでもありそうな場所じゃないですか。

工事は人足なりの専門の連中にさせれば、要領もわかろうと言うもの。
登場人物の元左官職人、山田真吾は言います。
この左官職人の罪は江戸をわがもの顔で歩く新政府の役人に石を投げたという罪で、懲役20年の刑。石で誰かが怪我をしたわけでもない。ちょっと帽子をかすめただけ。
先だっての北京五輪の長野での聖火リレーに卵を投げつけた輩などにいきなり20年の懲役と言っているようなものです。

工事をしている者の大半はそれまで土木工事などには無縁だった者。
おそらく大半は元幕軍側にいたであろう旧士族の連中など。

工事作業などの進捗はプロとしての要領がモノを言うのは当たり前だが、それが無くてもやる気、モチベーション、それは仕事量に見合う報酬という対価であったり、工事監督に対する個人的恩義だったり、何かそういうものでもなければ、如何に看守が怒鳴ろうと、せかそうと、いやいやだらだらと、と能率が良いわけは無いですよね。

そのことに気が付いたのか、工期が終れば、全員無罪放免。この開拓した北海道に土地を与える、と言い渡し、一時的に工事士気を高める事に成功する。

とはいえ、工期が日々遅れて来ると、とうとう昼間だけでなく夜間も突貫工事に突入。
脱走するものが増え始めると、とうとう鉄鎖をまかれて一貫(3.7kg)の鉄球を引きずりながらの作業になる。
しかも飯も貧弱。

もはや、死ね、と言われている様なものではないでしょうか。

実際に工事完了までにはその1/3が命を落としている。

果たしてこの工事の目的はなんだったのか。

あの明治憲法を起草した金子堅太郎は、囚人はいくら酷使してもよく、酷使によって死のうと構わない。国費の節約になる。
という案を上奏したといいます。
日露戦争の際にかつての学友だったセオドアルーズベルト大統領に根回しをして講和を有利に運んだ人、とその賢才ぶりで有名ですが、その話が本当ならちょっと失望してしまいますね。

安部氏はこの無茶苦茶な道路建設の建設の首謀者は伊藤博文だろう、とあたりをつけます。金子堅太郎が進言をしたならその相手は伊藤博文であってしかるべきでしょう。

明治の元勲。功労者として後に千円札の顔にまでなった伊藤博文ですが、なんのことはない。幕末・維新での真の功労者はほとんど30代で亡くなってしまっている。
まぁ生き残るのも才能といったところでしょうか。

日清戦争、さらには日露戦争に備えて対ロシアの為の軍用道路だった、と言われながらも果たして目的は本当にそうだったのか。
ロシアが攻めて来れば、下手に道路があった方が敵に有利になってしまうのではないか。
安部氏はこの道路建設の目的についての仮説をたてます。

その仮説の真偽はわかりません。

寧ろ、伊藤博文はまだ旧士族の名残を持った連中を尽く処分してしまいたかっただけなのではないか、などと安部氏とは別の感想を持ちました。

工期完了とともに全員赦免のはずが、どこをどう調べてもその痕跡が無いと言います。
どこを探しても末裔がいない。
当時の看守の座談会資料などは残っていても囚人による資料が全くない、というのは奇妙を通り越して、一つの結論に至らざるを得ないでしょう。
おそるべし。伊藤博文。

工事中に命を落とした人はお墓がに埋められるでもなく、鎖を付けたまま、そのまま土をかぶせておしまい。その土饅頭がかつては至る所にあったといいます。
それを後世の人は鎖塚と呼び、今ではその残りも無くなり、代わりに慰霊碑が建っているそうです。

いずれにしても現在の北海道の快適な道路のいしずえは、そういう無名の人達の地獄の苦しみによって築かれたものなのでしょう。

鎖塚に合掌。

囚人道路 安部譲二 著