月別アーカイブ: 11月 2008



流星の絆


洋食屋を営む父と母を殺害された子供達。

その時の子供達、有明功一、泰輔は小学生、静奈は小学生前でしょう。
その三兄弟が主人公。
でも本当の主人公はハヤシライスなのかもしれません。

三人は事件当時、8月の定番流星のペルセウス座流星群を観に家を抜け出していて留守でした。
だからこそ子供達は助かったのか、帰った時には両親は殺害されていて、次男の泰輔が家から逃げ去る犯人とおぼしき人物を目撃し、顔もはっきりと覚えている。

三人はその家を出る時に大人になったら絶対に犯人をこの手で捕まえて・・と復讐を誓います。

事件から経過すること15年。

その間に功一、泰輔、静奈の三兄弟は、静奈が資格商法詐欺に引っかかった事を機に見事な詐欺師としての道を歩き始めています。

殺人事件でも15年経過すれば時効。
あくまでも刑法上の話ですが・・・。

テレビドラマでは功一が刑事に向かって言います。
「俺達には時効なんてないっすから」
弟、妹にも言います。
「警察なんかに頼ってどうなる。犯人が捕まったって、俺達は法廷の後ろから眺めているだけじゃないか」
この言葉を聞いた時に、功一は江戸時代ならぬ仇討ちを果たそうとしているのだな、と思ってしまいました。

ってそれ以上書くのはご法度でしょう。これからドラマを見る人にはネタバレになってしまいます。

現在テレビドラマが進行中です。
なかなか面白い脚色付けがなされています。

詐欺を行う場面などは有明功一演出・脚本の劇中劇として面白おかしく描かれています。
原作の中では緻密でこの人の言う事さえ聞いていれば間違いが無いと思わせるほどの完璧な功一も、ドラマの中では弟、妹から
「暗れー」
「気持ち悪りぃ」
「だから友達いねーんだよ」
などと言われ放題のキャラクター。

また詐欺に引っかかる人達も、そりゃ自業自得だわさ、と誰しも思ってしまうような演出がなされています。

ドラマが必ずしも原作をなぞるとは決まっていませんが、原作のラストはドラマを観た人からしてもそりゃないだろう、という結末です。

この程度の記述ではネタバレにはならないでしょう。
いずれにしろ、ドラマから入った人が原作を読むのは最終回が終わってからの方がおすすめです。

原作が先の人は原作にはない劇中劇やら三人の、特に弟の泰輔の突っ込みが楽しめるのではないでしょうか。

他にも、ご飯に納豆をぶっ掛けて、目玉焼きをのせて醤油をかける「林さんライス」。

酔っ払うとオカマ言葉になる萩村刑事(若い方の刑事)。

静奈や泰輔の芝居に見事に引っかかる妄想男の高山。
などなど。

原作では味わえない見どころ、楽しみどころがいくつもあるように思えます。

それにしても東野さん、ガリレオといい流星の絆といい、本にドラマにヒットの連ちゃんですね。
絶好調と言ったところですか。

それはともかく、冒頭にも書きましたが物語の主役はなんといっても ハヤシライス でしょう。

普段は全く興味をそそられることもなかった ハヤシライス ではありますが、これを読んでからコンビニへ行ったらなんとあるじゃないですか「流星の絆」という名の ハヤシライス のレトルト。

思わず買ってしまいました。

流星の絆  東野圭吾 著



チェルシー・テラスへの道


ジェフリー・アーチャーの書くサクセスストーリーです。
ロンドンの下町で祖父が手押車で野菜を売る。それを毎日手伝い、祖父の手ほどきを受けながら子供ながらに一人前の信頼される手押車の野菜売りになって行くチャーリー。
そのチャーリーがチェルシー・テラスで店を構え、そのチェルシー・テラスでどんどん店を増やして行く。

ジェフリー・アーチャーのサクセスストリーはアメリカを舞台にしたものが多いのですがこの物語はアーチャー氏の本来の母国である英国が舞台です。

この本、読む人の視点によって複数の主題を持っているように思えます。

起業をし、会社を大きくというところに視点を当てる人には、チャーリーのあの商売に対するバイタリティや、目のつけどころの違いに興味を持つでしょう。
他の人と同じものを同じ風景を見たてとしても片や漫然と見ている。
片やチャーリーのように常に何か商売に活かせないのか、という目で見ること違い。
また毎朝四時に起きて誰よりも早く仕事を開始するチャーリーの姿。

不動産的な見地から商売を見る人にはチャーリーはどう映ったのでしょうか。

主婦の店ダイエーは千林の商店街の露天から始まったといわれます。
でもダイエーを興した中内氏は千林の商店街こと如くを買い占めようなどとはとはしませんでした。
あっちこっちにチェーン店を増やしていった。
チャーリーは何ゆえ、チェルシー・テラスの店を全て買い取ろうとしたのでしょうか。
他の場所であればいくらでも買えたでしょうに。

足の無い時代だったから、自分の足を運べる範囲で目を光らそうという意思だったのか。それとも、自分の生まれ育った下町と比較してチェルシー・テラスという場所は特別な意味があったのか。どうも後者のような気がしますが、それゆえに高い買い物をしてしまうこともしばしばです。

愛国心というものに主題を見出した人もいるでしょう。
いざ、イギリスが戦争に参戦したとなると、大好きな商売を放り投げて志願して従軍してしまう。
一度目は手押車の商売がようやく順調になって顧客もついた時点での第一次大戦。
二度目はチェルシー・テラスでの商売がさぁこれからと言う時期で、もう第一線で戦うことすら危ういような年齢になってからの第二次大戦への志願。

アメリカの大統領選でも候補者に徴兵を回避した事実などがあると、その致命傷は女性問題の発覚などよりもはるかに大きいと言われます。選挙民がその事を何より重く見ているということなのでしょう。

今回、軍歴のないオバマが軍歴のあるマケインに大勝したのはかなり異例なことで、ブッシュのイラク政策への批判の意味もあるのでしょうが、歴史は変りつつあるということでしょうか。
いずれにしても戦後日本ではほとんど考えられないことではありますが。

また、経営からの身の引き方という視点もあるでしょう。
店や会社が大きくなって行くにつれ、もはや自分だけの会社では無くなり、取締役会が経営方針を握って行く。
行く末は誰かに経営そのものも任せて行くという当然と言えば当然の話ながら、手押車で我が店を築いたチャーリーには違和感があります。

一代で企業を興した人にはいろいろあります。
本田総一郎のようにさっさと引退しておいて、大好きな車作りをレーシンングの車作りに発揮して行ったような人もいれば、なかなか第一線から離れられずにバブル崩壊で散った人・・・。

そしてなんと言ってももう一つの視点はアーチャー氏の物語に良く登場する敵の存在という視点。
執念深く恨み、憎み、徹底的に邪魔をする。
元はと言えば誤解からなので、最終的にはわかり会えるという類の話が他の作品には良く見られるパターンですが、この物語に登場する老婆だけはそう簡単では無いのでした。
生きている内の和解どころか、死んだ後にまでも敵対する。

チャーリーが主人公なのはあたり前なのですが、章毎に別の人の視点で別の人が語り手となって続いて行くのもアーチャー氏の小説ではよくあるパターンです。

時にはそのテンポが早すぎて返って分かりづらかったりすることもありますが、この小説の場合はそういうわかりづらい、という心配はないでしょう。

チェルシー・テラスへの道(As the Crow Flies)  ジェフリー・アーチャー(Jeffrey Howard Archer) 著 永井淳訳



悪党パーカーシリーズ

「悪党パーカー/人狩り」そもそもこれが始まりの一冊。
一匹狼の強盗男のパーカー。
アメリカの全国組織であるマフィアが相手だろうが全く怯まない。
マフィアに逆らうこと、すなわち、アメリカ中を敵に廻すことなのらしい。
なんでもマフィアの連中というのは郵便局員並みにそこら中に居るのだとか。
たぶん警察官よりも多い、ということなのだろう。

ボスクラスのところへ単身乗り込んで親分を脅す。
そのボスクラスで話にならないとさらにその上のボスクラスを脅す。

元はと言えば、その子分に強奪した金を奪われたからで、脅すというより、
「俺の金を返せ」という取り立てをやっているわけなのだが。

そこで伊坂の陽気なギャングだったら、
「だから、それはもともとあんたのお金じゃないって」
って突っ込みが入るところなのだが、パーカーの世界ではそんな突っ込みを入れる人物は登場しない。

訳者があとがきで書いているが、本来「悪党パーカー/人狩り」、これで完結する話だったそうだ。
パーカーが最後には死んでしまうストーリーだったとか。
連載の要望強く、ストーリーを曲げて、パーカーシリーズは続いて行った。

マフィアのボスをも恐れない男。
その先どんな話が続いて行くのか。
「悪党パーカー/殺人遊園地」これなども現金輸送の装甲車から金を強奪する。
仲間と言ったって元々一匹狼の集まりだからどんな連中が揃うかわかったもんじゃない。運転手役の男が逃走中に焦ってカーブで車を横転してしまう。

逃げる先は休園中の遊園地。

遊園地各テーマパークにいろんなしかけを使って追っ手を退けて行く。
遊園地ならではのしかけでなかなかに面白い。

さらには「悪党パーカー/殺戮の月 」
「殺人遊園地」では隠した金をいつか取り戻しに行こうと追っ手から逃げるのがせいいっぱい。
で、取り戻しに来るのがこの話。
金を取り戻しに行った先の遊園地の隠し場所に金がない。

そこを取り仕切るマフィアの親分に脅しをかけてまたしても「俺の金を返せ」なのだ。
「だから、それはもともと銀行のお金だって」とは誰も突っ込まない。
マフィアの親分に揺さぶりをかけるうちに、結局そのマフィアの内紛状態に首を突っ込むことになる・・というような展開。

それにしても、もう少しマシなタイトルが付けられなかったのだろうか。
タイトルだけ見るともの凄い残虐なシーンの小説をイメージしてしまうが、中身に残虐性などはない。
タイトルから言えば「イン・ザ・ミソスープ」の真逆だ、と言えばわかりやすいか。

邦訳タイトルは各々、人狩り:The Hunter、殺人遊園地:Slayground、殺戮の月:Butcher’s Moon とまぁほぼ原題に忠実だったという事か。

チェルシー・テラスへの道(As the Crow Flies) 悪党パーカー(Parker) シリーズ リチャード・スターク(Richard Stark)井淳訳