月別アーカイブ: 10月 2008



陽気なギャングが地球を回す


「ロマンはどこだ」
彼らが何かを起こす時の合い言葉です。

人が嘘をついているかどうかを瞬時に完璧な確率で見抜いてしまう才能を持った男。

人間より動物を愛するスリの天才。

まるで身体のなかにストップウォッチを持っているかのような人。

本当の事は滅多に言わないが一旦話し出すと人を引き付ける演説の名手。

こんな異能達が集まれば、そりゃなんかやりたくなるでしょう。

体内時計人間の雪子。
CDを聞いて「曲が始まってxxx秒のところで誰それのトランペットが飛び込んでくるところが最高」なんて感想を言うやつが居たら、ちょっとびっくりしますよね。
石田衣良のコラムだったか、小編小説だったかに完璧なタイムキープを求められるアナウンサーの女性の話がありましたが、どうもそんなレベルではないようです。
食事の用意に昨日よりxxx秒、余分にかかった、なんて気にしている単位がまず違う様な気がする。
この雪子は運転手としては最高の腕前で、尚且つ体内時計のおかげで下見をした道筋なら赤信号に一度もつかまらずに青信号の道だけを選り抜いて走るので非常に効率が良い。

嘘つき演説男の饗野はかなり人間的魅力の溢れる男。

人間嘘発見機の成瀬と饗野とのかけ合い。
動物好きスリ名人青年の久遠と饗野とのかけ合い。
饗野の妻である祥子と饗野とのかけ合い。

どれも漫才みたいに面白い。
饗野という人、面白い会話の時には欠かせない存在のようです。
饗野の妻である祥子の会話、33分探偵の探偵助手の女性を思い浮かべてしまいました。
「俺たちの金を・・」「だから、それはもともと銀行のお金だって」
「犯人はあなただ」「だから最初からみんなそう言ってるって」
なんか雰囲気が似てる気がする。

人間嘘発見機男の成瀬。
嘘が見抜けてしまうだけでなく用意周到。下準備を怠らない。いつでも沈着冷静なのは、答えを知ってしまっているからだろうと饗野。
しかし、他人の嘘が全て見抜けてしまう、というのはどうなんでしょう。
詐欺師に騙される心配は無くてよいかもしれませんが、日常会話の中にはいつも些細な嘘や誇張があるでしょうに。それらが全て見抜けてしまうというのはあまり面白い人生じゃなくなってしまうんじゃないんでしょうか。
第一、洋服だって店員の居る店では買う気がしなくなってしまうってことはないのかな。
全部、通販なんて面白くないですよね。
そんな気にもなりかけましたが続編の『陽気なギャングの日常と襲撃』で成瀬の役所での仕事ぶりが出てきます。
それを読めばそんなことも杞憂であることが良く分かります。

軽快なテンポ。
あざやかな犯行。
ちょっとだけ知的好奇心をくすぐられる様な楽しいやりとり。
伊坂節とでも言うのでしょうか。
なかなか楽しめる小説です。

ちょっとだけ抜粋。

「変わった動物は保護されるのに奇妙な人は排除される」(雪子)

「神様が世界をたった7日間で作れたのは好奇心のおかげなんだよ」(饗野)

「『人を見たら泥棒と思え』という言葉は泥棒自身が考案したものだろう」(雪子)

「あなたみたいなのが仲間だったら、わたしの血を吸いに来た蚊は恩人に違いない」(雪子 → 地道(雪子の元亭主))

「友よ、僕は生涯嘘をついてきました。真実を言っていた時にも」(祥子がドストエフスキー の『悪霊』を引用して饗野を語る)

やはりこういうのは抜粋してみても面白さは伝わらないですね。
流れの中で読んでいると面白い言い回しだな、などと感心しまうものなのですが・・。

あと盗聴を商売にしているのか、合鍵作りを商売にしているのか、引き篭もりの癖に情報通で、何でも知っている男。変ったものを作っては人に売りつけたりする。

フラッシュをたかないカメラ。=饗野の妻曰く「巻き戻せないビデオデッキ」みたいなものなのだそうです。

外から中へ人を監禁する事が出来る車。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のグルーシェニカから命名されて、その名もグルーシェニカー。紹介された時は、誰が買うんだと相手にされませんが、「巻き戻せないビデオデッキ」も「グルーシェニカー」も結局役に立ってしまう。

上にも書きましたが『陽気なギャングが地球を回す』の続編に『陽気なギャングの日常と襲撃』が出版されています。

地球を回すが面白かった人には、こちらもお勧めです。

陽気なギャングが地球を回す  伊坂幸太郎 著



海辺のカフカ


村上春樹の本を読んだのは何年ぶりだろうか。
かつては既出版物、全読破対象の一人だった。

小説の本の帯にはサンフランシスコ・クロニクル紙で3週連続1位、
ボストン・グローブ紙で4位、英ブックセラー誌で9位などという言葉が並ぶ。

翻訳されてアメリカでイギリスでベストセラーになっていたのにこれまで未読だったわけだ。
しかもかつて、あれだけ読んだ村上春樹の小説なのに。

誰よりもタフな15歳の少年。
父からの予言(呪いか?)を回避するために一人家を出る少年。

少年時代にとある事故で、頭の中がすっからかんになって漢字の読み書きも出来ないが、猫と話をすることが出来る老人のナカタさん。

この二人が主人公。

この二人の周辺にはいつも手助けをしてくれる人達がいる。

星野という自衛隊上がりのトラック運転手はナカタ老のヒッチハイクを手伝ってからというもの、ナカタ老のファンになってしまう。
そんな愛すべき青年を引き付けるナカタ老は、と言えば漢字が読めないので、電車にも乗ったことがなく、東京中野区を一歩も離れられないような人。
誠実で、その愛すべき話し方のせいなのだろう。
ナカタ老は誰からも親しみを持たれる。

そのナカタ老が中野区を出る。そして誰よりもタフな15歳も出奔する。二人とも、何故かに手繰り寄せられるように四国を目指す。

四国で辿り着くのが高松の甲村記念図書館という私立の図書館。

そこで司書をしている大島さんの博学な事。

話は夏目漱石などなどの小説、平安時代の悪霊、ギリシャ神話から、シューベルト、ベートーヴェン、ハイドンという音楽に至るまで非常に幅が広い。

この小説の筋立てには直接影響しないかもしれないが、大島司書の語る博識がこの小説に魅力的な彩りを添えている事は間違いないだろう。

ちなみに「雨月物語」なんて英文翻訳ではどんな翻訳がなされたのだろう。
アメリカの読者は意味がわかったのかな。

海辺のカフカ  村上春樹 著



きみとぼくが壊した世界


タイトルを見てわかるとおり、「きみとぼくの壊れた世界」「不気味で素朴な囲われた世界」の一連のシリーズの一冊。

作中作の連発。リレー式の作中作。なかなか面白い試みだろうし、ってちょっと作者から嫌われる上から目線っぽかったかな。

ある意味仕方がないでしょ。作者が文中に書いている如く、読者は作者を選べるけれど、作者は読者を選べませんから。たまには嫌いな上から目線読者にもあたってしまいますよ。

でもこの作中作ってやつは最終的になんでもありになってしまうんじゃないのかな。夢オチみたいに。
小説なんてそもそもなんでもありじゃないかって、うーん、確かにそうかもしれません。

西尾さん、たぶん遊んでますよね。楽しんでますよね。これ書きながら。

「せんたくもんだい編」とか「あなうめもんだい編」とか「ちょうぶんもんだい編」とか、「ろんぶんもんだい編」、「まるばつもんだい編」とか・・・っていう章タイトルにしたって、やっぱり遊んでる。

ロンドンが舞台というのがいいですね。
ちょっとしたツアーBOOKになってたりして。なってねーよ。そんなもん、って突っ込みを入れるのは誰?

ロゼッタストーンに異様な興味を示すのは櫃内様刻か?串中弔士君なのか?

「これを読み終えた人は必ず死んでしまう」という本を執筆したイギリスの作家は?

病院坂黒猫がシャーロック・ホームズの熱狂的ファンだったり、蝋人形に恐れおののいたり、と新たな一面が出て来ていながら、それも作中作なのかもしれない。他の登場人物が勝手に作ったキャラクターなのかもしれない。

「きみとぼくの壊れた世界」「不気味で素朴な囲われた世界」の場合、こういうところで紹介するのをの少々ためらってしまうようなところがありますが、この本の場合はそんな心配も無用。

まさに愉快愉快、楽しい一冊なのです。

きみとぼくが壊した世界  西尾維新著