月別アーカイブ: 9月 2010



ブルー・セーター


幼い頃、もしくは少年少女時代に、
「世界をもっと素晴らしく!」
「世界を変えてみたい!」
「世界から貧困を無くそう!」
なーんてことを思ったことのある人は結構いるんじゃないのかなぁ。
それでもそんな気持ちを成人して大人になってもずっと持ち続けて、それを実践しようとする人、となるとそうそうざらにはいないだろう。

著者は学生時代に気に入って着ていた青いセーターをアメリカのバージニアのリサイクルショップで出すのだが、その後そのセーターはどこをどう辿っていったのか、10年後、著者がアフリカのルワンダを歩いていた時に少年が来ている青いセーターと再開する。

この「ブルー・セーター」というタイトルはそこから来ている。
そのセーターを見た著者は世界は繋がっている、と実感する。

この本は「世界を変える!」という気持ちを持ち続け、それを実践し続けて来た一人の女性のドキュメンタリーである。

著者は大学を卒業した後にチェースマンハッタンへ就職するのだが、「世界を変える」を捨て切れず、単身アフリカへ渡る。

著者の持論は、無責任な慈善と言う名の援助が最も悪い、という事。
その考え方は、『傲慢な援助』(ウィリアム・イースタリー 著 東洋経済新報社刊)と相通ずるものがある。
『傲慢な援助』では、「プランナー」と「サーチャー」二つの立場を説明し、机上でプランを立てるだけの無責任な援助計画を批難している。

論点は似ている。
だが、ジャクリーン・ノヴォグラッツさんは述べる人ではないのだ。
行動する人なのだ。
この人は実際に現地へ行って、現地の人と共に今後、自立し、自尊心を持ってメシが食える道を模索する。

初就職が銀行だけあってか、その手法は女性向けのマイクロファイナンスというという最貧層の女性への貸付を行うことからスタートする。
それはあくまでも貸付であって、資金援助ではない。
だからあくまでも返済されるべきお金として取り扱う。

最初に彼女が実務として手掛けたのがルワンダでのマイクロファイナンス。
それを立ち上げつつ、ルワンダ女性が何か起業出来ないか、と製パンを行う女性たちを教育し、ルワンダ女性によるベーカリーの店のオープンまでこぎつける。

このあたりを読んでいる時には、かなり押し付けがましくも見えないこともないなぁ、という感想が頭をよぎる。
彼女にしてみればまさに孤軍奮闘。獅子奮迅の活躍なのだが、押し付けがましくという表現を用いたのは、やはり各地域地域にはそれなりの伝統、文化というものがあり、彼女がそれはおかしい!と激怒しながら邁進して行く姿は、戦後アメリカ式民主主義を押し付けた占領軍を彷彿させられてしまった面があるからかもしれない。

彼女が忌み嫌う、役人、警察、軍隊の賄賂など当たり前の国がまだまだ世界にはわんさとあるのだ。
男性と女性の関係にしたって各国の文化や風習によって各々まちまちのはず。
どの国もアメりカのように女性が男性と同等に扱われるべき、などという考えはまさに押し付けだろう。

それそのものを一つ一つ潔癖にダメの烙印を押して自分を通し過ぎても無理は出るだろう。
ある国では車で移動すれば、各所各所で地元軍隊に止められて、パスポートの提示を求められ、なかなか思うように移動出来なかったり、という場面に遭遇した人は多いだろう。そんな時にほんのわずかな小銭を掴ませるだけで、すいすいと通してもらえる。
それは効率を考えればどうしてもそうなる。
そこで、それはおかしいだろう、と我を通してみたところで、時間が無駄になるだけなのだ。

ベーカリーにしても彼女はルワンダ女性たちにセールスへ行くように指導するがなかなか進まない。
何故か?彼女は問う。
「女性は見ず知らずの人に物を買ってくれ、とは言わないものです」
との答えの更に何故?彼女は問う。
「失礼にあたるからです」
こんなやり取りなどはまさに、彼女達のお国の文化なのであって、そこへアメリカ式のビジネスウーマンスタイルを持ち込んで、さぁやれ、とばかりにはっぱをかけるのは、少々勇み足では無かろうか、などと読んでしまう。

ともあれ、ベーカリーは軌道に乗り、それまで、日がな寄付という名の援助を待っていただけの女性達が自ら稼ぐ、ということの魅力を知ることになるのだから、やはり軍配は彼女に上がったということなのだろう。

彼女がルワンダを去った後に、あのルワンダ紛争、いや紛争というよりフツ族によるツチ族へのジェノサイドが行われる。
人口800万の国で100日で80万人が虐殺されるという、とてつもない大事件が起こってしまうのだ。

それでも彼女は立ち止まらない。
とにかく動き続ける人である。

むやみな援助は返って人をダメにする。
製粉業を行え、となかりに製粉機を押し付ける援助プロジェクト。
製粉機があったって、使い方を知らなければ何もならない。
メンテナンスの仕方がわからなければ、わずかな期間で故障と思いこんで使わなくなる。
オイルが切れただけでももう機械はゴミになっている。

善意のお金は学校は建てても、そこで腰を据えてものを教える教師までは育て無かった。その結果、学校は空虚な箱として残るだけとなる。

そんな援助が彼らをダメにするんだ、と。
まさしくその表現があたっているのだろう。

人は貧しい人のために何か自分でも出来ること、という名の下の施しを行おうとするが、その善意の施しが返って世界の貧富の差を拡大する。
彼女が最終的に辿りついた、アキュメン・ファンドは施しでは無い。ビジネスを創設させるための社会投資型ファンドである。

幼い頃に「世界を変えたい」と思い、25歳でアフリカへ渡り、ルワンダでマイクロファイナンスを軌道に乗せた、初の女性ベーカリーを軌道に乗せた、と言っても、彼女は挫折の連続である。
コートジュボワールではアメリカの小娘に用は無いとばかりの扱いを受け、最後は脅しの毒までもられてしまう。
援助プログラムについて、こんな無駄がある、という類の報告書は提出した役人に捨てられてしまう。
そして、唯一成功と言えたルワンダが、ジェノサイドによって無茶苦茶になってしまう。
ベーカリーの女性は全員、殺されたのだとか。
それでも、その後20年を経ても尚その志を変えない。

まさに不屈の人である。

ブルー・セーター<引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語>ジャクリーン・ノヴォグラッツ(Jacqueline Novogratz)著 北村 陽子 (翻訳)



ペンギン・ハイウェイ


僕は大変頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。
だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。

という書きだしで始まる。
なんて嫌なガキなんだろう。
と誰しも思うかもしれないが、とんでも無い。
このボクは嫌なガキどころか尊敬に値するほどの努力家少年。
研究熱心な少年なのだ。

今年度が「ゆとり教育」世代の第一段が社会人になった年なのだそうだ。
その「ゆとり教育」というものが批判の対象になって久しい。
本来は教科書に載っていること以外の勉強を行う時間をとろう、と。自由に研究したり、個性を育むことを目的としたのだろうが、もう一つの目的が見え隠れして仕方がない。
学校の教員は春休み、夏休み、冬休み、と1年を通してたっぷり休みがあるのにも関わらず、世のサラリーマン並みに週休二日がで無ければ不公平じゃないか、と土曜日の休みを要求していたのではないのだろうか。
そして、彼らは春休み、夏休み、冬休みとたっぷり休んで、休んでもお給料はちゃんともらえ、尚且つ土曜日の休みも手に入れた。
夏休みだって子供の生活指導があるんだ、学校へも半分は出ているんだ、などという反論もあるのだろうが、少なくとも春と夏と冬には欠かさず、長期旅行へ出かけている教員を自分は知っている。
教員の週休二日はそのまま生徒のゲームを腕を上達させる時間にあてられるか、塾通いに宛てられた。

いや、教員批判がしたいわけじゃない。

この本の主人公の少年はその本来の目的だったはずのゆとり教育を自ら実践している。
ノートを肌身離さず持ち、気が付いた事は常に書きとめ、その内容を吟味する。
毎日何かを発見しその発見を記録する。
大人になるまで3888日。
一日、一日の探求の積み重ねを3888日重ねようという心意気は大したものだ。
大したものどころではないな。そんなことを心がけている社会人だって滅多にお目にかかれない。

少年の興味は幅広く、小学四年生にして「相対性理論」の本までも手を広げている。
同じクラスには宇宙に関心が有り、ブラックホールに興味を持つ友達が一人。
もう一人研究熱心な子が居て、この子も相対性理論の本を読んでいるというチェスの得意な女の子。

そしてこの話に欠かせないのが歯科医院のお姉さん。
少年はこのお姉さんが大好きで、もちろん服の上からであるが、おっぱいばかりを見つめている。
その行為にいやらしさは微塵もない。

この少年は正直なだけなのだ。
嘘も誤魔化しも何にもない。
あるのは探求心とそれから得られた知識の実践。
へんにくやしがったり、怒ったりもしない。
冷静なのだ。

ガキ大将グループから嫌がらせをされて、プールの中でパンツを脱がされてしまっても慌てない。
・ぼくが困れば困るほど彼らはますます楽しくなるはずだ。
・ぼくがちっとも困らなければ彼らは面白くない。
・面白くなければ二度とこんなことはしないだろう。
の三段論法で、困ることをやめて、プールからスッポンポンで上がることにする。
まさに達観している。
こんな子にはイジメも通用しない。

彼らの住むこの小さな町に不思議な現象が起りはじめる。

ある日、大勢のペンギンが町に現れる。

そこから始まる少年たちの研究と不思議なお姉さんの物語だ。

少年はその不思議な現象の謎を解明しようと、いろんな実験を試み、データをノートに書き記し、それを分析しようと試みる。
・問題を分けて小さくする。
・問題を見る角度を変える。
・似ている問題を探す。
少年が研究に行き詰った時に立ち戻る父から教わった三原則。

少年の父も母も少年の研究には理解が有り、父は時にはアドバイスを与える。

そんなこんなでわずかな期間で少年は見事に成長して行くわけだが、読後の哀愁感がなんとも言えない本なのである。

ペンギン・ハイウェイ [角川書店] 森見 登美彦著



萌の朱雀 


過疎化の進む村でのお話。

登場する人たちも、風景もとても静か。

登場人物の感情が澄んでいて、まっすぐ入ってきます。

でもだから、とても悲しい。

ざっとあらすじ。

過疎化の進む「恋尾」に暮らす主人公みちる。
優しく物静かな父孝三と母泰代に大切に育てられた高校生。
兄妹のようにして育ったいとこの栄介に恋をしています。

孝三は、村に待ち望まれてきた鉄道の工事に長年従事していましたが、
その計画が中止となり、失業してしまいます。

それでも家族で協力して生きていこうとみなで頑張りますが、
孝三は現実を受け入れられませんでした。

多くを語らずとも理解し合い、支えあってきた孝三と泰代夫婦。

孝三を柱として暮らしてきた恋尾で
泰代は暮らし続ける事ができませんでした。

そして恋尾に暮らしてきた家族はばらばらになってしまいます。

一番印象に残っているのは、
みちると栄介がまだ子供の頃の夏、家族でピクニックへ行く場面です。
家族でお弁当を食べて、お茶を飲んで、子供たちが遊ぶ。
天気がよくて緑がたくさんあって、暑いけど木陰は涼しい。
その光景が目に浮かぶようでした。

自分の子供時代にも、家族で出かけて、母の作ったお弁当を食べてその周りで遊んだ記憶があります。

父と母の姿がちゃんと見えて、お腹がいっぱいで、完璧な安心感のど真ん中にいました。無くなるわけが無いし、壊れるわけが無いと思っていた幸せでした。

だからみちるが大切な家族を失って、家族がばらばらになっていく姿に心がじんじん痛みました。

無くなったから、ばらばらになったから、幸せだった気持ちがなくなるわけではありません。
でもできる事なら失いたくないし、今ある幸せを十分に大切にしないといけないと思いました。

そしてこの物語では過疎化についても考えさせられます。
生まれ育った土地を大切にしてきた人たちの思いが、
世間の流れにかき消されている現実があります。
過疎化の問題は都会に住んでいると忘れてしまいがちですが、
考え続けていかなければいけない問題だと再認識しました。

この本は、心がちょっと痛むけど、
心がちょっと澄んだように思える一冊です。

萌の朱雀 仙道直美著