月別アーカイブ: 11月 2010



光媒の花


なんとも多才な方だ。ミステリものやホラーっぽいものから、純文学っぽいものまで、と守備範囲が広い。

この本、「隠れ鬼」「虫送り」「冬の蝶」「春の蝶」「風媒花」「遠い光」と六篇の短篇からなる本だが、それぞれの中でちょこっと顔を出した人が次の篇の主人公になる。
リレー式の短篇とでもいうのだろうか。

「隠れ鬼」
印章店を営む主人が中学生の頃を振り返る。

30年に一度花を咲かせるという笹の花。

笹の花が咲いた後、笹はどうなると思う?

そう聞いて来たのはその当時の彼のあこがれの女性で来年には30歳になる。

笹の花が咲いた後、笹は枯れてしまうのだった。
あこがれの彼女は30歳になり・・・。

そしてそれから30年の歳月が流れ・・・主人公は事の真相を・・。

「虫送り」
幼い兄弟が虫取りに、そこで出会ったホームレスの男が教えてくれる田舎での「虫送り」という行事。そしてその幼い兄弟にふりかかった災難。

そのホームレスの知り合いだというホームレスが主人公となるのが、「冬の蝶」。
彼が中学生の頃、好きになった貧乏で汚いと同級生から蔑まれる女の子。
そのあまりにも悲しい思い出。
ここではキタテハという立羽蝶の一種が登場。

「春の蝶」
とある出来事から耳が聞こえなくなった少女とその祖父。
どうしようもなくわがままに育ててしまったとその祖父が嘆くのは自分の娘で少女の母。
ここでのキーワードはシロツメグサか。

「風媒花」
茎の断面が正三角形になっているというカヤツリグサ。
そのカヤツリグサに爪を差し込んで左右に引くと茎は真っ直ぐに裂けて、きれいな四角形の枠が出来るのだという。
花は咲くが地味な花なので誰の目にも留まらない。
風で花粉を運ぶ「風媒花」は綺麗な外見をしている必要がないのだという。

姉ののどに出来たポリープ。
入院は長引き、姉は日々衰えて行くように見える。
そんな姉を「風媒花」に例える弟。

「遠い光」
その姉が女性教師として、小学生の指導にあたる。
苗字が変わる小学生の女の子が問題を起こす。

最初の方の短篇とは全く違って、これなどはかなり希望の光の見える話である。
この話には冒頭の「隠れ鬼」に出て来る認知症の母と二人暮らしの印章店の主人が出て来る。

こうしてこのリレー六篇を読んで行くとミステリっぽい話もあれば、救いのない話、ほのぼのとした話、と話の作りはまちまちである。
それぞれに一本柱があるとしたら、それぞれの物語の中で何かを示唆するかの如く登場する植物や昆虫だろうか。

では「遠い光」は?となってしまうが、ちゃんと登場している。
夕焼け小焼けの「赤とんぼ」だ。
負われて見たのはいつの日か。

十五でねえやは嫁に行き。
ねえやが嫁に行ったのはねえやが十五の時なのか、それとも負われていた子が十五だったのか。
自分に弟が出来たなら十五はあと5年しかないが、弟が十五ならあと15年以上あるんだ。

これでやっと繋がった。

光媒の花  道尾 秀介著 (集英社)



ルポ最底辺-不安定就労と野宿


ドキュメンタリーです。
この著者は取材者なのではない。
実際に20年間、大阪釜ヶ崎に通いつめたのも凄いことだが、そこで単に取材作業を行うのではなく、自らが手配師に口を聞いてもらい、自らが日雇い労働者としての現場作業を体験して来ているのだ。
並の人間にはなかなか出来る事ではない。

著者は大学2年生の時に初めて釜ヶ崎へ行くのだが、冒頭に初めて釜ヶ崎近辺へ行った時の驚きの様子が記されている。

大阪在住の我々でさえ、しょっちゅう天王寺界隈をうろうろしていたにも関わらず、JR新今宮駅の階段を下りて行った時のすえた様なにおいにまず驚き、そこから動物園前駅までのわずかな距離を昼間の時間に歩く間だけだって、素手の手で熱いだろうにお粥さんをすすっている男性に出くわしたり。
「兄ちゃん、タバコ頂戴や」というオジさんに出くわしたり、と驚くこと多々であったし、昼間でそうなのだから、暗くなってから歩こうものなら、何やらずた袋があると思ってひょいと跨ぐとそれは人だったり、人を踏んづけないように気を付けて歩かなければならないところだった。
高校の頃、西成の萩ノ茶屋というところから通っている友人が居り、そいつななどは自らの出身地域を笑いのネタにかえてたっけ。
三角公園の近所ではなぁ、車に乗ってる連中は誰ひとり、信号でも止まれへんねんど!
信号で止まったら最後、あっと言う間に囲まれて進まれへんようになるからな。
とか。
俺の家の近所では雀は一羽も居らん。
雀どころかきらわもんのカラスも居らん、フンが公害やと不人気の鳩も居らん。
のら犬、のら猫、一匹も居らん。
わかるか?
連中もここへ来たら食われてまうのんがわかってるから近づけへんねん。
と彼独特の地元自虐ネタを披露していたのを思い出す。

そういう彼も別に野宿生活を送っているわけでもドヤに住んでいるわけでもなく、満足な暮らしをしていたわけなので、この著者に言わせれば、彼もまた釜ヶ崎への偏見を持った人間ということになってしまうのかもしれない。

生田というこの著者の体験談から言えば、釜ヶ崎を怖いと思うどころかその周辺に野宿をする人々はあまりにも優しく、あまりにも正直で不器用なくらいに正直な人達だったという。
正直者が馬鹿を見るならぬ「正直者は野宿をする」のが現実だった、と語っている。
また日雇いの仕事でも一旦仕事をし始めると、彼らはプロ中のプロだったということも著者の驚きの一つだった。

まさに彼らは不当な扱いを受けていた。
少年達からは襲撃される。
警察はそんなところに寝ているからだ、と取り合わない。
地域住民はどこへ行っても彼らを嫌い、蔑む。

著者は現場仕事もしながら、野宿者への支援活動を行い、やがては支援活動が主になって行く。
「大変でしょう。生活保護を受けたら」とホームレスの人に勧める場面で、「なんとか廃品回収でメシが食えるから」とそれを拒む人に何度も出会う。
原宏一という人が書いた「ヤッさん」という小説にはホームレスでありながら、食材の情報提供者として生きる男の矜持が描かれていたが、もちろん小説と同一視するわけではないが、ホームレスでと言ったって、定住する家を持たないという以外は何が人と違うのか。
今のご時世、国やら行政に助けてもらえるなら、いくらでも助けてもらおうという人がいくらでもいるさなか、人様の世話になりたくないという矜持を持っているその人達はまさに冒頭で著者が述べた如くに不器用なくらいに真面目な人たちなのだろうと思う。
なんとか廃品回収でメシが食えると言ったって、一日10時間働きづめに働いても1000円になるかどうか。
それでもメシが食えるからいい、というのだ。
なんだかなぁ。
ひたすら、貧しくとも自ら働いた金でメシを食う人は極貧の生活で、片や子供が居て生活保護を受ける人は住宅扶助なんかも入れれば10万~20万の収入を得、さらに現政権の作った子供手当・・か。
先日も中国から40数名が入国直後に生活保護申請で問題になったっけ。
いやそれはちょっと論点が違うか。

支援者の人はくりかえし繰り返し、生活保護を受ける様に説得してまわっている。
彼らの仕事は崇高なものなのだろう。

でもそれだけではどうしたって抜本的解決には繋がらない。
上述した、地域住民の偏見、行政担当者の偏見、少年達のゲーム感覚の襲撃の根絶などは言うまでもないだろうし、いわゆる貧困ビジネスと言われる、ホームレスの人達をを食い物にするビジネスの根絶ももちろんだろう。
だが、それでも解決とは言えない。
著者自身、バブル期直線からバブル後の今日まで釜ヶ崎を見て来て思うはずである。
単に生活保護を受給してもらうことだけが解決の道ではないと。
昨年(2009年)末の全国の生活保護受給者が130万世帯を超え、その中でも断トツなのが大阪市。
このまま受給者を増やすことがまさか解決策であるはずがない。
バブル前でさえ、野宿をしながら日雇い労働をする人の中には半年もたたずに50~60万を貯めては、一ヶ月間の海外旅行へ行く人、3年間で5~6回海外旅行を楽しむ人なども居たのだ。
こういうひと達は好きでその仕事とその生活を送っていた。
なんだかんだと言って結局は景気じゃないか。
景気が上向きになることが、最終的な解決策ってか。
なんだか絞まらない結びになってしまった。



てのひらたけ


2010年の夏の猛暑、そしていきなり10月後半にやって来た急激な寒さ。北海道では30年ぶりの早雪だったそうだ。
2010年は秋が無くなって四季ではなく三季になったのだろうか。
ここ何年か、猛暑の夏と冷夏、雪の降らない冬があったかと思うと急にドカ雪の豪雪。
大雨の被害も多い。
世に言う温暖化の現象なのだなどと根拠も無く言うつもりは毛頭無い。
温暖化fではなく、日本の近隣の大陸が急発展したために自然の秩序が崩れたのだ、などと言う人も居れば、地軸に変動があったのでは・・などと言う人もいる。
被害に遭った方々には申し訳ないが、その様なことは、何十億年という地球の歴史の中では取るに足らないことなのかもしれない。

さて今年は猛暑のために野菜が不作になったかと思えば、松茸は豊作なのだとか。
キノコ類で言えば、毒キノコの被害が結構でたそうな。
気候の変動に強い品種が急激に増えてしまったということなのだろうか。

「てのひらたけ」という本には、高田侑という人が書いた中篇・小編が四篇ほど収められている。

中でも本のタイトルになっている「てのひらたけ」などはタモリがストーリーテラーを務める(別にストーリーテラーを務めているとは思わないが一応そういう前振りではじまる)世にも奇妙な物語の原作になりそうな作品である。

「ひらたけ」というきのこは食材として存在するのは知っているが「てのひらたけ」という名前のきのこが実在するのかどうかは知らない。
本の中では手のひらの形にそっくりで、まるで地中から子供の腕が生えているように見えるのだという。
おそらく作者の創り出した産物だろう。

ある特定のきのこが幻覚作用を引き起こすことはよく知られている。
マジックマッシュルームだったかな。幻覚症状で飛び降り自殺をしようとした人が出たのは。
テングタケを食べると嘔吐や下痢を起こすのも昔から良く言われている。
スーパーマリオのゲームに良く出て来て、スーパーマリオがビョーンビョーンと跳ねるあのきのこ、あれはおそらくベニテングタケ。
あれも嘔吐や下痢どころか幻覚まで起こすひどい毒キノコで、大人も子供も幻覚症状になるほど・・ではないにしろ、スーパーマリオにはまってしまうのは案外きのこのせいなのかもしれないなぁ、などというのは戯言でした。

この「てのひらたけ」というきのこもどうやら幻覚症状があるらしい。
主人公は友人から「てのひらたけ」のうわさを耳にする。
一目見るとそのまま生で食べてみたくなるきのこで、そして幻覚というのもこの世のものとは思えないような魅力的なものなのだという。
それを聞いた主人公は一人で深い山へと向かい、けもの道を分け入り、そして「てのひらたけ」の群生地帯を発見する。
さて、果たして主人公はどんな魅力的な幻覚を見たのでしょう。
それとも現実をみたのか。
・・・・
ほんの簡単にふれておくと時代を超えた人と恋愛をしてしまう。
という素敵なお話。

「あの坂道をのぼれば」
学生のアルバイトが「世界のケツの穴みたいな場所」と罵るような職場で働く男。
行きつけのスナックの若い女性におぼれ、妻も子も住む場所も仕事も全て捨てて人生の再出発を図ろうとする。
家を出る朝、父の日のプレゼントを持ってきた二人の幼い子供を駅のホームに置き去りにするシーンが忘れられない。

「タンポポの花のように」
こちらは逆に父に遊園地で置き去りにされた少女が初老の女性となって行く様を描いた話。
50代半ばの女性が初老と呼ばれるのには少し違和感がないでもないが、その生き樣はまさに初老なのかもしれない。
この女性、最後まで父が大好きだった。

「走馬灯」
これも世にも奇妙な物語に出てきそうな話である。
とうに葬式を終えて死んでしまった父は実は時間を超えた世界に生きていたのかもしれない、という奇妙でありながら実は暖かい話。

この作者、こういう不思議な世界やを描く作家を生業としている人だとばっかり思っていたが、巻末の紹介欄に「現在は町工場に勤務」と書いてある。
2009年5月が初版なのでおそらくまだ町工場に勤めている人なのだろう。
なんだか、この作者が一番世にも奇妙に思えて来てしまった。

てのひらたけ  高田 侑(双葉社)