月別アーカイブ: 5月 2012



あやし うらめし あな かなし


ホラー、怪談、怪奇談などと、ジャンルではひと括りにされてしまうかもしれないが、所謂ホラー小説などでは決してない。
霊的なものを取り扱った七話のお話。

最初の「赤い絆」と、最後の「お狐様の話」は作者の母方の実家で聞いた話を元にしているのだそうだ。
「赤い絆」は心中事件の顛末。「お狐様の話」は狐に取り憑かれた由緒正しき家のお嬢様を預った作者の母方の実家であった話が元で実際に伯母や母からその顛末を聞いたのだという。

「虫篝」
戦争末期、南方戦線で飢餓しかけになる男の前に現われたのは、まだそんな飢餓状態になる前の自分そのもの。
その現われた自分と魂を入れ替えて生き残る、という不思議なお話。

その話が現代を生きる主人公にどうつながるのか・・・。

「骨の来歴」
ある男の語り。
学生時代に好き合った女友達が居て、共に受験勉強をする。
男は貧乏の苦学生。方や女友達の実家は裕福な家庭。
無事に合格してから付き合えと女友達の親から言われ、男は無事に合格するが、携帯電話の無い時代、彼女が合格したのかどうかは家へ電話する以外にない。
ところが電話に出て来た母親は、
「もうご縁が無くなったはず」
「今さらお行儀が悪いんじゃございませんこと」
などと言われてしまう。
そればかりか、父親も訪ねて来て「身を引け」と言う。

「念ずれば通ず」とは使い道が違うかもしれないが、彼の念力は通じてしまう。

「昔の男」
流行らない病院で居つかない看護婦。
総婦長の跡を継ぐのは現婦長、そしてそのあとを継ぐのは唯一居ついている主人公の看護婦。
そこへ現れるのが先先代の院長。
その院長は志願して軍医となり、南方へ送られた人であった。

この物語については浅田氏がかつて医大の卒業生名簿を見た時の感想を述べている。
その卒業生名簿のある年度のところをみると、戦死、戦死、戦死・・・・と軍医で出征して戦死している。
本来人の命を救う人が、人を傷つけ合い殺し合う戦場へ行って何をしたのか。

霊がどうの・・などという話ではない。
そんな悲劇をさりげなく盛り込みながら書いている。

他に「客人」、「遠別離」。

本のタイトルに「あやし」や「うらめし」などとあるが、うらめしい話などではない。

怪談めいてもいない。

敢えていうなら、浅田次郎の手による「民間伝承」っぽい、現代に作られた物語集といったところだろうか。

あやし うらめし あな かなし (双葉文庫) 浅田次郎著



キリング・サークル


かつてのカンボジアでクメール・ルージュによる大量虐殺を描いたような作品を期待される向きには、全くおすすめしない。
「キリング・フィールド」と確かにタイトルは間違えそうであるがジャンルが全く異なる。
なるほど、こういう本を「サイコ・ミステリ」と呼ぶのか。

カナダの作家でカナダが舞台の小説。

主人公は小説家志望のジャーナリスト。
ジャーナリストとはいえ仕事はテレビの紹介だったり、たまに書く小説家の賞の論評では作家達や賞そのものもこき下ろす。

ところが、自分で物語を書けるかというと、これが書けない。
テレビの紹介記事は書けても、自らの創作が出来ない。

そんな彼が小説家を目指す人たちのサークル、創作サークルに入るところがまだこの長編の冒頭部分。

サークルではいかにもシロウトっぽい人たちが自らの体験談を小説にして、朗読して行く。

その中で、一人だけずば抜けた語り手が現れる。

サンドマンと命名された怪人に怯える少女の物語をその語り手である女性は語る。

その朗読を聞いた人は自分の廻りにもサンドマンが居るのではないか、と思ってしまうような独特の語り。

丁度その頃、主人公氏の町の周辺では不審な行方不明や殺人事件が何件か立て続けに起きていたことが、そんな妄想に拍車をかける。

創作サークルは4週間ほどで終わり、それぞれが会う機会も無くなり、不審な事件も忘れつつある頃に、主人公氏は自らの毒舌記事が災いして会社をクビになり、住むところの家賃さえおぼつかなくなったあげく、音声で残していた「サンドマン」の話を自分の作品として出版してしまい、またそれが大ヒット。
賞を受けるほどの売れ行きとなる。

その頃からまた、不審殺人は再開され、今度はかつての創作サークルのメンバが一人一人ターゲットになって行く。

人の創作をパクって、売れてしまう小説家.。
また、その小説に書かれていることが現実とかぶって行く。

疑おうと思えば、その小説家は最も疑われやすい立場にいるとも言える。
書いていることとほぼ似たことが実際に起こっているとしたら、自作自演も疑われるだろう。

とは言え、この本を読んでの感想はそんな殺人やら事件などではない。

カナダが舞台なだけにこの主人公が上司の一存で意図も容易く解雇されてしまうところだろうか。

アメリカ映画などでは良く見かける光景だが、
カナダは労働者にかなり手厚い、という話を聞いたことがある。

しかしながらよくよく内容を聞いてみると
・雇用者は被雇用者に最低月に2回以上給料を払わなければならない。
(回数の問題か?それよりも額の問題じゃないのか?)

・雇用者には5時間ごとに30分の食事時間を設けなければならない・・・だとか。
(8時間超なら1時間の休憩必須の日本と変わらないか。食事時間というのが変わっているだけ?)

そうか。労働者に手厚いは気のせいというやつだった。

なあーんだ、カナダもアメリカ同様じゃないか、などと本編と関係の無いところで感心してしまう。

それだとか、冒頭で親子で映画を観るシーン、ドライブインシアターなのだ。

ドライブインシアターなんかで映画を観たことはないが、殺人だのホラーだのという映画を巨大スクリーンに映し出すってどうなんだ、などと思ってしまった。

本編の感想?・・・・・・・・・そうだなぁ、本編はちょっと長すぎるんじゃない。

こんな長編で書く話だろうか。
半分ぐらいに削れば良かったのに・・・・・。

主人公を真似てちょっとだけこき下ろしてみました。

キリング・サークル (新潮文庫) アンドリュー パイパー (著) Andrew Pyper (原著) 佐藤 耕士 (翻訳)



ロンドン・ブールヴァード


イギリス版のハードボイルド小説である。

3年の刑期というお勤めを終えて出所してきた主人公。

昔の仲間がちゃんとお迎えの車が来て、その仲間の属するギャングの集団の仕事の手伝いを始める。

その一方で、チンピラに絡まれていた女性を助けたことがきっかけで、その女性から紹介された、イギリスのかつての大女優の家の修理やら壁のペンキ塗りやらの仕事、所謂正業にもありつくことが出来るようになる。

今となってはおそらく60歳を過ぎた元女優でしかないのだが、本人はまだまだ現役に復帰出来ると信じている。

そして、歳をとっているのにも関わらず、妖艶で出所したての主人公を興奮させるには充分な色気を持っている。

そうこうするうちに仲間が属するギャング集団のボスの目に彼がとまり、大事な仕事を任せるが、どうかと打診を受け、元大女優の仕事をとるか、ギャングの幹部の仕事を選ぶのか・・・。

そのどちらかを選んだことでこの物語は、エンディングの後に主人公氏がさぞやこれから大変な思いをするのだろうな、と想像させるところで終わっている。

これを読んでいて思うのだが、イギリスの刑務所というところ、かなりおそろしい場所のようだ。
命がけの根性が無ければ生き残れない。
日本の刑務所はどうだろうか。
かつて安部譲二氏が塀の中の話をいくつか書いていた中に先に出所するやつに家族の居場所や情報などを絶対に教えてはいけない、というものがあった。
やはり、それなりのノウハウは必要なようだ。
そういえばホリエモン氏はどうしているのだろう。
今頃、塀の中なのではないだろうか、それとももう外へ出たのかな?
ノウハウ無しでも無事に過ごせたのだろうか。

いずれにしろ、何某かのノウハウが必要だと言ったろころで、中で自殺に追い込まれたり、などの命をめぐっての 切った張ったは日本の塀の中ではまずないだろう。
まぁ、日本の刑務所が例外で世界ではおそろしい刑務所がやまほどあるのだろう。

この小説、映画化されたらしい。

翻訳本としてだからか、伝わりづらい雰囲気の場面がいたるところにあるが、映画でならその雰囲気は伝わったことだろう。
今度、折りを見てDVDでも借りてきてみよう。

ロンドン・ブールヴァード (新潮文庫) ケン ブルーエン (著) Ken Bruen (原著) 鈴木 恵 (翻訳)