月別アーカイブ: 1月 2013



絶対服従者(ワーカー)


なんともおもしろい着想をする人がいるもんだ。

ただでさえ、身体能力的にはヒトより優秀である蟲(ムシ)達が進化したらどうなるか。蟻などは自分の身体の何倍もの大きさのものを平気で運ぶ。
ハエにしても蜂にしても動体視力がヒトの比ではない。
危機回避能力がずば抜けている。

そんな蟲達がヒトの言葉を理解するどころか、話すのだ。

企業が安い人件費の労働力を求めて中国ほか世界へ出て行き、国内の雇用が減ったのと同じことがまた、ここでも起きる。

企業はこぞって蟲達を戦力として採用し、人の雇用は減るばかり。

主人公氏も仕事から一度はあぶれた身。
就職活動を離脱してフリーターや派遣社員としての生活の後、正社員の口を探すがどこも無理。
蟻を絶賛する文章を書いて、人間社会での反響はなかったものの、一人の出版社社長の目にとまり、以来、そこの社員として蟲の女王一族の歴史を記録する、という仕事にありついた人。

一匹のアリに連れて行かれて見たのが、アリ工場。
まさにアリを生産している。
女王アリが何匹も無理矢理に卵を産まされ、産まされた卵は即座に働きアリ達によって工場内のラインのように流れて行き、そこで孵化し育ったはたらきアリ達は安い労働力として企業に派遣に出される。

そこでの非人道的なやり様の一部始終を録画した主人公氏。
この本読んでいると、ヒトよりも蟲の方が上のような気になって来るので、この「非人道的」と言う言葉でさえ誉め言葉に聞こえてしまうかもしれない。

主人公氏と社長氏。さっさとYouTubeへUPするなり、WEB上のどこかへ保存すればいいものを・・・。
録画ビデオを奪取しようとしてくるグループに散々追い回される。

本の終盤で人が絶対服従者となって、たった一人で、しかも素手で自分が通れるほどの大きさの横穴、縦穴とまさにアリの巣を作らさせられ、そしてとうとう完成させてしまうシーンがあるのだが、作者としてはどのくらいの期間のつもりで書いたのだろう。

生還した後のやり取りを読む限り、せいぜい数週間程度のつもりで書いたのでは無かろうか。

ノミと金槌を持って掘ったにしろ、何十年がかりの仕事だろう。
ましてや素手。

まぁ、アリがバーのママをして、ハエがトラックの運転手をする世界だ。
そんな細かいことを言ってもはじまるまい。

我々人間は虫などいつも簡単に踏みつぶしているし、ニワトリなどはブライラー工場という、まさにもはや生き物というよりも工業生産品のごとくに扱っているにも関わらず、この本の中の蟲たちに共感してしまうのは、彼らがヒトの言葉を話すからだろうか。

彼らの生き方に何やら矜持を感じるからなのかもしれない。

第24回(2012年)日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作。

絶対服従者 関俊介 著



ツナグ


死んでしまった人と会える。

但し、一生に会えるのは一度だけ。

死者の方から誰に会いたいというリクエストは出来ない。
死者は受け身で待つばかり。

生者からのリクエストを断ってもいいし、会ってもいいが、こちらもチャンスは一度っきり。一度会ってしまうと二度と生者とは会えない。

その仲だちをするのが「ツナグ」という人の役割り。

同じ設定でいくつかの短編が載せられている。

第一話は突然死した元アイドルのタレントとの出会いを望む女性が主人公。
バラエティ専門の元アイドルだからバラドルとでもいうのだろうか。元アイドルといいながらもバラエティでは超売れっ子のその人に会いたいと仲介を頼む女性。

同期の女子社員から残業を押し付けられ、真っ暗でたった一人のオフィスで自分の上の蛍光灯だけが灯っているようなところでもくもくと単調な仕事を続けるような人。

楽しみなど何もないような人なのだが、唯一の楽しみがその元アイドルが出ているテレビを観ること。

有名人だけに何人もの人がリクエストするんだろう、と気を揉むが、あんに反して彼女は会ってくれるという。

たった一回こっきりの生者に会えるチャンスを自分のためになど使ってもいいのだろうか、と今度は心配するが、あにはからんや、お別れの会で「もう一度会いたい!」と泣いていた人達など絶対に来ないのだ、と彼女は断言する。

不幸のかたまりのような女性と会ってこの元アイドルがどんな言葉を投げかけるのか。
浅田次郎氏などが好きそうな設定だ。

浅田氏が同じ設定で書いたなら、それこそ読者を涙でぐちゃぐちゃにしたことだろう。
そういう意味では辻村さんの作品はちょっと淡泊なのかもしれない。

同じ設定で、癌で亡くなった母に会いに来る壮年の態度のでかい男性の話。

婚約指輪を渡した途端、行方不明になった女性と会いに来る男性の話。

自分のせいで死んでしまったのかもしれない同級生に会いに来る女子高生の話。これなどは女性作家ならでは、だろうか。

その「ツナグ」の役割りを担うのは、この世の人以外のものだろうと思いきや、生身の人間だった。しかもまだ高校生。

さて、たった一人だけ亡くなった人ともう一度会えるなら、果たして誰を選ぶんだろう。

ツナグ 辻村深月 著



のろのろ歩け


急激な発展を遂げる中国という国。

主人公は10年前に訪れたことがあり、今回は初の中国の女性ファッション誌を創刊のための助っ人として北京に招へいされる。

そこで彼女が見たものは、感じたものはあまりの10年前との違い。

日本の高度成長期や日本のバブル期と重ねるが、もはや成長度合いはそんなものではないだろう。

主人公氏の印象にあるような人民服はさすがに10年前でも無かったかもしれないが、もう少し前ならあっただろう。

一昔前の中国の映像と言えば人民服と自転車の洪水。

今やどうだ。

至る所の高層ビル群。

中国という国に対して、嫌悪感や薄気味悪さを感じる人が結構いるが、これは何も尖閣の問題ばかりが原因ではないだろう。
共産党一党独裁で民主主義の国ではない、これも原因とは言い難い。
他の王政の国にそれほどまでの嫌悪感を持つだろうか。

日本の戦後から高度成長、バブルという他の国が50年かかって為し得たような大成長をたったの五分の一ほどの短期間で成し遂げてしまう、そんな急成長ぶり、急拡大ぶりなんともが不気味でならない。ということなのではないだろうか。

あまりにそのスピードが凄まじいのだ。

当然、いびつなところが残るに決っている。
今年の正月明けのニュースでは、北京は晴れの日でも薄暗いほどに空気が汚れ、人々はなるべく外出を控えるようにしている、とか。

タイトルにある「のろのろ歩け」は「慢慢走」(マンマンゾウ)という言葉から来ている。
意味するところは「Take Care!」「さよなら」の代わりに「気を付けてね!」とか「お元気で!」という言葉を使うような意味合いで使われるらしいのだが、「慢慢走」ということば、「ゆっくり行けよ」と言う言葉が挨拶に使われるというところがおもしろい。

あまりの急ピッチで進んで行く社会に対して、人々の本音は「ゆっくり行けよ」と言っているかのごとくではないのだろうか。

他に上海を舞台とした話、一話。

台湾を舞台にした話、一話。

のろのろ歩け 中島京子著