日付アーカイブ: 5月 14, 2013



海辺の小さな町


ある青年が住み慣れた東京で受験せず、愛知県の大学へ進学し、知多半島と思われる海辺の小さな町で暮らした4年間を描いたもの。

宮城谷昌光と言えば、中国古代の専門家。中国古代ものと言えば宮城谷昌光以外の名前はそうそう浮かんで来ない。
そんな宮城谷氏が、日本を舞台にした現代の青春小説を書いているというのを聞き及んで早速、購入に至った。

確かに青春小説には違いないだろが、ずいぶんと良く出来た学生さん達なのだ。
今どき、こういう学生さんにに巡り合うことはそうそうないだろう。
学生というより書生さんという言葉がぴったりとくるような学生さん達だ。

下宿へ入ったその日に隣の部屋の同じ一回生と早くも友達になる。
クラシックが好きでかなりマイナーな曲でもすらすらと作曲家やタイトルが言えてしまう。
女性に対する視点も一昔前の少年のような純朴そのもの。

宮城谷さんの学生の頃ってこんな感じだったんだろうな、と思わせられる。

主人公は友人のすすめもあって写真にはまり出すのだが、その描写はこの作品が写真雑誌に連載されていただけあって、かなり専門的なところまで掘り下げられている。

実際に宮城谷氏そのものも本格的に写真にはまっていた時期があって、この本にも出てくるような写真雑誌の月例コンテストに応募し、賞も受賞したのだという。

写真がテーマだからというわけではないだろうが、文章が写実的で美しい。
風景が目に浮かんで見えるようにも思える。

それを持って宮城谷氏らしいという評に出くわしたが、私はそうは思わない。
中国古代を描いている宮城谷本からはこんなありありとした風景は見えて来ない。

宮城谷作品の新たな一面を見たような気がする。

海辺の小さな町  宮城谷昌光



ジパング島発見記


以後よく(1549年)伝わるキリスト教。
誰しも頭に残っている年表語呂合わせではないだろうか。

1500年代に日本を訪れた宣教師たち。
その時代に日本を訪れた7名の西洋人の目から見た日本。

彼らも布教するためなら、と数多の危険を顧みず、ここまでたどり着いたというキリスト教でいうところの聖人君子ばかりだったか、というと、どちらかと言えば、せっぱつまって、やむにやまれぬ事情でジパングまで流れ着いてしまったという人の方が多かったりする。

7名の人の視点で、ルイス・フロイスが書いたが如くに書いてはいるが、それぞれの一篇一篇はルイスフロイスが書いたものを下敷きとした作者の創作だろう。

7名の人達の見る日本と日本人のイメージはそれぞれ異なるが、共通しているのは、仏教や八百万の神を悪魔だのと嫌う点。
それに織田信長に対する畏敬の念だろうか。

「織田信長が本能寺で討たれなければ、日本は早い段階から開かれた先進国ぬなっていたものを、三河の田舎の閉鎖意識が国を閉ざしてしまったために最新技術に乗り遅れた」のとおっしゃる歴史学の先生がおられたが、果たしてそうだろうか。

江戸鎖国260年は、日本独自の洗練された文化を生み、日本独自の道徳観、倫理観などに磨きをかけたのもこの期間あってのことだろう。

それに宣教師を送りこんで、住民を懐柔した後にその地を植民地化していくのは当時のキリスト教国の常套手段だった。

秀吉がバテレン追放を行い、江戸幕府がキリスト教を禁教したのは極めて妥当なことであったろう。
逆に言えば、その当時にこの島国にあってよくぞそれだけアンテナを張りめぐらせてキリシタンの情報を収集したものだと感心してしまうほどだ。

この作品、こころみとしては面白いが、好きか?と尋ねられたら、決して好きな作品とは言い難い。

ジパング島発見記  山本 兼一 著