月別アーカイブ: 6月 2015



荒神


宮部みゆきという作家、本当に守備範囲が広い人なんだなぁ。

現代の推理ものがあったかと思えば、ファンタジーもの。
SF的なものが出たと思ったらやたらと江戸の時代ものが続いてみたり。

この「荒神」という物語。
時代は江戸の徳川綱吉時代なので時代ものには違いないが、時代ものは時代ものでも、もののけ、というか怪物が登場する。

どす黒い怪物となると、宮崎駿の「もののけ姫」に出てくるタタリ神を連想してしまいそうになるが、その姿がだんだん明らかになってくる。

時には蛇のように移動するかと思えば、時には足が生やしてどたどたと移動する。その時はティラノサウルスのような容姿なのだろうか。
口から硫酸のようなものを出しているのか、そのよだれを浴びたら、火傷で焼けただれる。
身体は鎧の如くで、矢も鉄砲も皆、はじき飛ばされる。
顔には目が無い。
人間は食らうが、他の動物には全く食指が動かないようで、牛馬などには目もくれないどころか、馬からなどは逃げ出す始末。

永津野藩、香山藩という架空の東北の二藩が舞台で、この二藩、関ヶ原以前からの因縁がある。
その二つの藩の間に位置する村にその怪物は現われ、村中の大半の人を食いつくしてしまう。

この怪物、そもそもこの二藩のいがみ合い時代に呪術を用いる一族によって生み出されようとした失敗作だった。
それがその一族の末裔の男の深い業によって蘇った?

これに立ち向かって行く人たち、まさに江戸時代版のブレイブ・ストーリーか?と思わせられるが、意外な形で怪物は昇華していく。

こういう物語って構想を練り上げて練り上げて、書きおろしで書くものなのかなぁ、と思いながら読んでしまったが、巻末に新聞に連載されたものを単行本化されたことが記載されている。
連載しながら、ストーリー考えていそうな雰囲気あるもんね。
新聞に連載小説が載ってても、読んだことがないが、毎日楽しみにしている人ってやっぱりいるんだろうな。

こういう物語、そういう読まれ方が似合っている気がする。

荒神  宮部みゆき 著



フォルトゥナの瞳


死の迫った人の身体が透明になって見えてしまう。
そんな能力が突如身についてしまった青年の話。

だんだんと見慣れて行くと、その透明度に応じておおよその死期までわかるようになる。元気そのものの若者で全く透明状態なら病死ではなく事故死だろう、とかおおよその想像がつく様になって来る。

もっとも、全く透明なら顔面が青白くて今にも死にそうな顔をしててもわからないんじゃない?などと瞬間思ってしまうが、やぼな突っ込みというものだろう。
運命は変えられないか?と青年は自問しながらも直後に事故死をするなら、話しかけたりすることで、一瞬、次の行動を遅らせたりすることで事故を免れるんじゃないか、とチャレンジしたりする。

ある時、そんな能力を持った人間が自分だけで無い事がある時、判明する。
その能力をもう何十年も持ったまま、何も行動をせずに知らん顔を決め込むのだという。
なんでも、その能力を使って人の運命を変え、本来なら死んでいるはずの人を救ってしまうと、その分自分の寿命が短くなってしまうのだという。

ならば、こんな能力など無ければ良かったのに・・・と自問する青年。

この物語の青年はどこかしら「永遠の0」の宮部少尉に通じるものがある。
未来のある幼い子供達が死んでいく、それがわかっていながら何もせずにいられるのか・・・。

百田さんはストーリーテラーとして、素晴らしい才能を持っておられる方。

「殉愛」をめぐってのトラブルがまだ続いているのだろうか。

一時は良くメディアにも登場されたのが、このところパッタリと登場されなくなってしまった。
メディアへの登場はどうでもいいのだが、せっかくの才能。
このまま埋もれさせていいわけがない。

もっともっと百田ワールドを見せて欲しいと願うばかりだ。

フォルトゥナの瞳 百田尚樹 著