月別アーカイブ: 10月 2015



スクラップ・アンド・ビルド


又吉氏の「火花」と同時に芥川賞を受賞した作品。

母親が働きに出て、息子は一旦は就職はしたものの、辞めてしまい現在中途採用の就職活動中の無職。
そんな二人家族のところへ要介護老人の祖父が転がり込んでの三人の生活。
母が実の父である祖父を邪険に扱うのだが、これがなかなかにリアルなのである。

祖父が薬を飲もうと、水を所望したところしたら、
「自分で汲め!」
「そんな薬、飲んでも飲まんでも同じやろうが・・・」
「これみよがしに杖つきやがって」
みたいな。

それに対して祖父の方は、
「自分なんか早よう死んだらええ」
「もう死にたい」
「早ようお迎えが来んかな」

こんなやり取りに対して息子はある時、ふと目が覚めた。
自分は今まで、祖父の魂の叫びを、形骸化した対応で聞き流していたのではないか。
毎日天井や壁だけを見ている毎日など、生きているだけ苦痛だろう。
「死にたい」というぼやきを、言葉通りに理解する真摯な態度が欠けていたのではないか、と。
祖父の「死にたい」という気持ちをかなえてあげられるのは自分しかいないのではないか、と考え始めてしまうところがこの息子の面白いところ。

となると実現に向けて突っ走る。
過度な介護を行うことで、筋力を衰えさせようとか、思考能力を低下させようとか、画策し始める。
これを足し算介護と本人は呼んでいる。

方や、デイサービスなどの介護は歩ける人も車椅子に載せ、同じような足し算介護をやっているのだが、一見優しさに見えるその介護も動機が違う、とデイサービス職員に対しては、批判的なのだ。

介護老人が年々増え続ける、今日だ。
そりゃ早く死なせてあげなきゃ、と考え始める人が出て来てもおかしくはない。
しかしそれを実践しようという人は身内の介護に疲弊しきって、このままじゃ自分もダメになる、と追い込まれた人だろう。

この青年ほどに祖父の事を思いながら実践しようという例は皆無ではないのだろうか。
祖父は予科練から特攻隊へ行くはずだった。だから生への執着などあるはずが無い。
誇り高い特攻隊の生き残りにちゃんとした尊厳死を、と真剣そのものなのだ。

それにしてもこの祖父・母をはじめとする周囲のやり取り、あまりに生々しく実体験してないものにはなかなか」書けないだろう。

こちらの受賞そのものは又吉氏フィーバーでほとんど騒がれることも無かったが、面白さの点ではこっちに軍配かもしれないな。



昨夜のカレー、明日のパン


義理の父親の事をギフ、ギフとペットのように呼ぶヨメ。
ヨメと言いながらもその夫は7年も前に他界している。
25才という若さで。
ということはこのヨメも相当若かったに違いない。
姑であるはずの夫の母親は夫が高校生の時に他界している。

ということは、この若いヨメは実家に帰ることを選ばず、ギフと暮す方を選んだわけだ。

職場へ行けば、結婚しよう、結婚しようと言い寄って来る男があり、別に嫌いではないのだが、彼女にその気持ちはこれっぽっちも無い。

亡くなった夫を中心円にして、その生きた時代に周囲に居た人々。
そんな人たちが順番に主人公となり、日常の小さな話を語っていく。

時には、亡き夫の幼なじみだったり、亡き夫の従兄弟だったり、亡くなったギフの妻の若い頃だったり。
彼女は特殊な能力を持っているのだった。
知っている人が亡くなる予兆が現れる。涙が止まらなくなると決って誰かが死ぬ。
百田尚樹の「フォルトゥナの瞳」を思い出したが、あれは寿命の短くなった人がどんどん透明に近づくので、誰が死ぬかはわかっているのだが、彼女の場合は、その誰がまったくわからない。
でも、それがきっかけでギフと結婚することになったようなものなのだ。

秋になればイチョウで黄金色いろになるこの亡き夫家の庭。その庭で取れた銀杏を食することの出来る家。

なんだかんだとそして皆、この家がいごごちがいいのだ。

本屋大賞の2位になったというこの本。
時代は行ったり来たりするが、平凡な日常の中でのちょっといい話が集約されている。

昨夜のカレー、明日のパン  木皿 泉 著



火花


芸人初の芥川賞受賞で大いに盛り上がった作品。

文芸春秋が出る前に購入して読んでしまっていたのだが、選者の評が読みたくてやはり文芸春秋も結局購入してしまった。

選者評では、エンディングの書き方を知らないんじゃないか、という人は居たが、概ね好評。
ただ各選者共、他の作品よりこの作品へのコメントが少ない様に感じられてしまった。

選者の中でも村上龍が「文学に対するリスペクトを感じる」と書いてあった。
村上龍が「リスペクト」という言葉を使う時は大抵、絶賛なのだが、そのすぐ後で「話が長い」とコメントされている。
実際の長さは問題ないのだろう。読んでいる人に「長い」と感じさせるところがよろしく無いのだと。

売れない漫才師の主人公が、これまた売れない先輩漫才師の神谷を好きになり、弟子にしてもらう。
話も大半がこの二人の会話なので、漫才のような軽妙な掛け合いを期待してしまう。
確かにそういうボケとツッコミは各所出て来るが、そこはさほどに大笑い出来るほどのやり取りではない。

主人公も神谷もいかにも要領が悪いように見えるが、神谷は要領が悪いと言うよりも単に自分に正直に生きているだけなんだろう。
その自分に正直の基準が一般人よりかけ離れているのが面白い。

同居していた女性の家を出ざるを得なくなった時に「一緒に来てくれ」までは普通だろう。
そこにいる間、勃起しておいてくれって発想はどこから来るんだ。

かと思うと主人公は芸人を止める決断をする時に、芸人をボクサーにたとえたりする。
ボクサーなら殴ったら終わりやけど、お笑いのパンチをいくら繰り出しても犯罪にはなれへん。
その特技を次の仕事で活かせ!などと凄い説得力のある言葉を繰り出したりもする。

とうとう新たなジャンルが出て来たか、ぐらいの期待度で読んだから、読み手として勝手にハードルを上げすぎてしまった感があるので、少々期待に至らなかったとしてもそれは著者の責ではない。
この神谷の存在が光っているので、まぁ、そこそこに楽しめる本ではあるが、それでも村上龍の言う通りちょっと長く感じたかな。

火花 又吉直樹 著