流浪の月


なんだろうな。
加害者、被害者扱いされている人たちは一切、加害者でも被害者でもないのに、一旦、事件として扱われてしまうと、このSNS世界、未来永劫、加害者として蔑まれ、被害者として同情され、監視され続けなければならないのだろうか。

自由奔放な母親と父親の元で育った更紗という名の少女。
両親なきあと、堅苦しい規則で縛られた伯母の家に引き取られたことが、まず嫌で仕方ない。
堅苦しい規則と言っても伯母に言わせればそれが世間の常識。
伯母の家でたまらなく嫌だったことはそれ以上に、その家の息子、普段は厄介者、いそうろう扱いをすいるくせに晩になると更紗の身体を触りに来る。

それが嫌で伯母の家に帰らず、毎日暗くなっても公園でずっと一人で本を読んでいる更紗。
同じく公園で一人で過ごす大人の青年。青年と言っても大学生なのだが大人は大人だろう。

いくら一人ぼっちでさみしそうだからと言って、一人でいる女の子(彼女はまだ9歳だ)に大人の男がまず話しかける事は、今のご時世、まずアウトだろう。
いや、10年前、20年前でもアウトかもしれない。
「うちに来る?」これはもう完全にアウト。大人の方が男でも女でもアウトだろう。
この言葉だけで逮捕されるかもしれない。
彼の方も誘拐をしたわけでもなく、彼女も誘拐をされたわけでもない。
少女のやりたいようにさせてあげただけなのだが、少女がいくら「行く!」と言ってついて来たからと言って保護者への連絡もなく家の中に入れてしまった段階で、もしくは一泊させてしまった段階で、誘拐犯扱いされることはわかりきっていただろうに。
もちろん監禁もしていない。
彼女に指一本触れていない。
帰りたければいつでも帰ればいい、と毎日大学へ行くのだが、彼女の方が帰りたくないのだ。あの嫌な家へ。
心優しいこの青年が彼女の自由にさせた結果、それが一カ月になり2カ月になり、失踪事件としてとうとうテレビのニュースで名前と顔写真まで出てしまう。

案の定、青年は誘拐監禁容疑で逮捕され、少女は嫌な伯母宅から児童施設へ引き取られる。
さて、問題はその後なのだ。
一旦、名前が出て顔写真までさらされてしまった少女は成長した後も名前で検索を掛けると必ず、過去の事件が明るみに出てしまう。
心優しい親切心のある人でも誘拐されたかわいそうな女の子として扱い、そんな何カ月も監禁されてさんざん弄ばれたんだろうと想像を逞しく好奇の目で見られる事も。
可哀そうでも何でもない。彼は何もやってないんだから、などと一言おうものなら、やれ「ストックホルム症候群」だ。まだ、精神的後遺症が残っているんだ。と彼女の真実は誰にも伝わらない。

それは青年の方も同じで、というより加害者側なので当然もっとひどいだろう。
こうしてインターネット・SNSが普及した現代においては一旦世の中を騒がせてしまった事件の当事者になってしまうと、どこでどんな仕事につこうと、いくら転職しようがと、WEB検索で過去の事実とは違う出来事と今の彼女がいつも世間にさらされる。

以前、ある中学生が残虐な連続殺人事件を起こした、ある高校生がが残虐なレイプ殺人事件を起こしたなどのニュース、かなりセンセーショナルに取り上げられたりする。
が、本来死刑相当の犯罪なのに捕まった後は、少年法に守られ、10年もたてば、罪の意識も持たず、普通に社会人として幸せに暮らしているみたいな話がまことしやかにささやかれたりすることがあるが、それを聞くと亡くなった被害者との落差になんと理不尽な!と憤ったりするが、この本の主人公たちの様な事例は想像した事もなかった。
目新しい視点で、今のSNSの怖さをあらためて思い知った気がする。

流浪の月  凪良ゆう著