読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



東のエデン


なんとも奇想天外なお話。

100億円を自由に使って、日本を正しい方向に導け、という役割を与えられた11人プラス1名。
選ばれた11名は、その100億円を使い切らなければならない。
不正に使って残高0円になるとサポーターと呼ばれるプラス1名に命を奪われる。

日本を正しい方向に導くことに真っ先に使い切った者だけが上がりで、残った者もまた、サポーターに命を奪われる。
そんなとんでもないルール。

そもそも100億円なんてどうやって使うんだ?

一昔前にこんな話があった。

ごくごく普通のサラリーマンに社長がこんな指示を出す。
明日から会社に一切、出て来なくていい。
その代り1億円を使わせてやる。(その代り、はおかしいか)
1年かけて1億円を使い切れ!
マンションを買ったり、預金したり、というような貯め込むのはダメ。
どんな遊びに使っても構わない。
そして1年後にどんなものでもいい。
なんでもいいから新商品のアイデアを一つ持って来い!と。

さぁ、サラリーマン氏、困り果てた。
1億なんてどうやって使ったらいいのか、さっぱりわからない。
全然、お金は減らず・・・とうとう困り果てたサラシーマン氏、出て来るなと言われた会社の方へ足を向けてしまう。
早朝、まだ夜が明けきらない時間帯に来て、皆が出社して来て仕事を始める時間まで、会社の至るところを掃除をして暮らしてしまうのだ。
たぶん、そんな話だったと思う。
食品系のそこそこ大きな会社(だったと思う)での本当にあった話だ。

その会社でそういう事をはじめてみた、という話が雑誌、新聞、テレビなどの話題コーナーみたいなところに散々取り上げられたので、その広告宣伝費で充分に1億円の元はとれていたのだという。

一昔前と言ったってデフレの世の中だ。
お金の価値は今とさほど変わらないのではないだろうか。

普通のサラリーマン氏が1億で困り果てたというものを、彼ら選ばれた人達はどうやってその100倍ものお金を使うのだろうか。

この物語の設定、サラリーマン氏とちょっと事情が違うのは、使い切らなければ命がなくなるという、命がかかっていること。
それに携帯電話一本で指示を出せばどんな指示でも叶えてくれる、というとんでもない設定だろう。

そんなことを考えている矢先に、某大手企業の創業家の御曹司が子会社から100億以上借り出して、カジノで使ったとかなんとか。

世の中にはいるもんだ。
100億を使ってしまえる人が。
まぁ、使い切ったかどうかはわからないが・・。
でもカジノでって、とんな賭け方をするんだろう。
金持ちはバクチで負けないという話があるが、どうやらそうでもないらしい。

それで驚いていたら、今度は別の大手企業で、海外の企業を買収する仲介にコンサル費用として600億もペーパーカンパニーへ支払っていたとか。
って600億ぽっぽないないしちゃったってことか?
上には上が居るもんだ。

特に命がかかってなくても、使える人は居るらしい。

さて、物語の方だ。
それにしてもまぁど派手な使い方をしちゃっていますねぇ。
東京にミサイル攻撃だ?
なんでそれが日本を正しい方向に導くのか。
戦後の焼け野原に戻すのが一番ってか?

まぁいろんな考えの人が居るということにしておきましょう

東のエデン 神山健治 著 ダ・ヴィンチブックス



寿フォーエバー


とっても時代錯誤のような結婚式場。

寿樹殿という名前からして昭和の臭いがぷんぷん。

いや、昭和が嫌いと言っているのではない。
寧ろ平成より好きかも・・・
ただ、少々ずれている、と言っている。

正面玄関の一隅にある「ときめきルーム」だの、ピンクのハート型のテーブルだの・・・それどころか、上空から見れば、建物がハート型。
今どきゴンドラがある式場って・・・。

3階建てで上に行くほど狭くなる、ウェディングケーキを模した形状なのだという。

いやいや昭和全盛期だってこんな恥ずかしげな結婚式場はそうそうないだろう。

外壁がピンク色ってどうなんだ。
夜中にライトアップすれば、まさにラブホテル。

当然ながら、時代遅れの感は否めず、もっとはるかに規模は小さいがデザイナー達がプロデユースしたというフランス料理をメインにする新手の式場にどんどん人気を奪われて行く。

そんな結婚式場で結婚相手どころか彼氏もいない女性がいちゃつくカップルの結婚式の相談にのっている。

なんなんだ、この物語は?とかなり訝しげな気持ちで読んで行くうちに、だんだんとこの時代錯誤の寿樹殿に親近感が湧いて来るから不思議だ。

主人公の女性は、そんな時代錯誤の式場にあって、子供の一時預かり所を併設するプランを企画してみたり、メインの料理が無いなら、新郎新婦の故郷にちなんだ地方の料理をメインにするという毎回料理が変わるプランだとか、いろいろとアイデアを駆使する。

少年が現れて、まだ結婚式を挙げていない父親と母親の結婚式を二人に内緒で準備をしてくれだの、母親をゴンドラに乗せたいだの、お金が無いので模擬式をそのまま結婚式にあててしまうカップルだの・・・。

そんな彼らをここの人たちは温かく祝福する。

そう。この話、本当の祝福を。
祝福するとはどういうことなのかを、ちょっと変わった舞台を用いて著しているのです。

寿フォーエバー  山本幸久 著



八日目の蝉


ざっとあらすじ。
愛人の子供をあきらめたことで子供が作れなくなった希和子は、愛人宅へ忍び込み、発作的に愛人とその妻の子供を誘拐して逃げてしまいます。
警察から身を隠すため怪しい宗教団体に身を潜め、その団体を出てからも見つからないように生活しますが、3年半の後に逮捕されます。
物語は誘拐された子供、恵理菜の物語へと続き、理菜も希和子と同じように妻子ある人の子供を身ごもってしまいます。
そのとき恵理菜は何を思うのか・・・というようなお話。

愛人と愛人の妻への憎しみ、そして子供を持てなくなったことで余計に強くなってしまった母性が爆発して、子供を誘拐してしまった希和子。
トイレで髪を切り、一人の女性として幸せを望んでいた日々にもう戻れないことを感じたのか、愕然とします。
誘拐した子供を「薫」と名づけ、親友や見知らぬ女性の家、宗教集団を転々とします。最初は逃亡する難しさからで薫を置いていくことも頭をよぎりますが、薫と過ごすうちに母親としての愛情が芽生え、薫との日々を守りたい一心で逃亡するようになります。
希和子のしていることは大きな犯罪ですが、希和子のつらさ、そして薫に対する愛情の強さが伝わってきて、読み進むうちに希和子の気持ちに寄り添ってしまうようになりました。
でも誘拐された子供にとっては許せる話ではない。
母親だと思っていた人と突然引き剥がされて、本当の母親という人の元へ連れて行かれ、そこからついに馴染む事が出来なかった子供の気持ちを考えるといたたまれない。

とても心が痛くなる物語なだけに、どこかに救いはないかと探しました。

そして考えたのは「母性」について。

母性の強さが犯してしまった犯罪かもしれないし、母性によって希和子は薫を自分の娘として愛して、母親としての幸せを感じることができた。
愛人の妻に「空っぽのがらんどう」だといわれたことを希和子はずっと許せなかったのですが、逃亡している間、薫の存在によって自分からあふれてくる愛情を実感して、「空っぽのがらんどう」という言葉から解放されていたのかもしれない。

そして薫(恵理菜)も母親になることによって何かを許せるようになるかもしれない。

重く辛いテーマでも、最後に何か明るい光を感じられたのは、「母性」の持つ力に希望を感じられたからかもしれません。

八日目の蝉 角田光代 著