読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



存在のすべてを

本書では写実絵画というものの魅力をこれでもか、というぐらいに感じさせてくれる。
見たままなら写真でいいじゃないか、と思われる向きもあるだろうが、画家の見る力は写真をはるかに超えているのだ。1年に数点。たった1点の作品を作り上げるのに数年がかりの事もある。とことん時間をかけて1枚の絵と向き合い、こつこつと緻密につくりあげた作品は現実以上に多くのことを語っているのかもしれない。

神奈川県警の管内で立て続けに起きた2件の幼児誘拐事件。

1件目の誘拐事件が発生。

神奈川県警は捜査班は集結。
犯人が身代金の受け渡し場所を東京都内を指定してきたため、警視庁管内となり、犯人は県をまたいだ捜査で主導権争いが起こることを知っていた。

1件目は身代金も用意出来ない家の子だったが、2件目の方は、親は行方不明ではあるものの祖父は会社の経営者で身代金の用立て不自由するような人間ではない。

犯人は神奈川県警が1件目の誘拐事件に人手を割いて、2件目に割く要員が不足する事を知っている。
そして何より、この2件目の誘拐事件の方が犯人の本命だった。

犯人が身代金を持たせた幼児の祖父を何度か移動させた後に最後に指定してきたのは、警察がどこにも身を隠す事の出来ない場所。
そこを見張る場所も無い。
かなり用意周到で頭のいい犯人と思える。

最終的に身代金の受け渡しには失敗し、犯人からの要求が途絶えた。
誰もが幼児の命はもうないだろうと思い、そのまま捜査も進まない。

その後、3年の年月は流れたある日、幼児が祖父の自宅前に帰って来る。
警察に不審感を持つ幼児の祖父・祖母は警察の事情聴取に一切応じず、そのまま真相は闇の中へ。

それから30年が経ち、2件目の誘拐事件の陣頭指揮を執っていた刑事が亡くなる。
刑事が時効になった後も、警察手帳も使わず、身銭を切って単独でその事件を調べ続けていた事を知った、事件当時新米だった新聞記者が後を引き継ぎ、事件を追いかけていく。

浮き上がって来る天才画家二人。二人とも写実画家で、見るものをハッと驚かすほどの圧倒的な画力の持ち主。

一人はなんと30年前に誘拐された幼児の成長した姿だった。

新聞記者はそれらの絵の細部の共通点を見つけつつ真相に近づこうとする。

この塩田武士という作家、なかなか読ませる作家だ。

唯一、この話の難点を見つけるとしたら、誘拐事件を起こした真犯人が冒頭の様な緻密な計画を立てられるような男で無かったところ。この馬鹿があれを思いつくか?という点。

幼児が3年ぶりに見つかった後に一切他言無用とばかりに事件の事を語らなかったわけだが、彼はその後小学校へ行き、中学校へ行き、高校へと通うわけだ。
中学高校ならだましも小学校へ通う彼が、いくら人を庇うためだったとしても、
3年間どこにいたのか、何をしていたのかの片鱗を一切語らずに過ごせるものだろうか。
言葉の端々にどこで何をしていたかのヒントを無意識に漏らしてしまってもおかしくはない。まだまだ捜査を続けている人たちがそれをも逃すだろうか。

などという指摘は些末な事でしかない。

写実絵画を通して描かれる素晴らしいストーリー。
やはり素晴らしい作家さんだ。



正欲



スピノザの診察室

少し前のNHKのドキュメンタリーで、北陸地方の田舎町での過疎医療を行う診療所の老医師がピックアップされていた。

その田舎町の人全員の医療を受け持つ、ある意味ドクター・コトー的な存在。

老齢化が進む過疎だけに死を看取る事も多い。
まさにこれから死を待つのみという老患者やその家族への接し方が明るく、フレンドリーで悲壮感はこれっぽっちも無い。

こちらの舞台は京都市内。過疎地域とは全く違うが、死に寄り添う医師の話。
かつては大学病院で将来を嘱望された最先端医療に携わるエリート医師だった。
妹が若くして亡くなり 一人残された甥と暮らすために大学病院を辞め、末期患者に寄り添う地域に根差した医療を行う小さな町中の地域病院で働く。

この先生の患者への取り組みを読んで行くにつれ、冒頭のドキュメンタリーを思い出した。

大学病院の先生なら病気を見つけて治すのが医者の仕事だと思っているでしょう。
地域の町医者は違う。
もちろん治る事、治す事が目的の場合もあるでしょうが、ほとんどの場合は、医者の仕事は治すことではなく治らない病気にどうやって付き合っていくのか、ということ。

もう、ダメだろうと諦めかけている患者に対して、この先生は「頑張れ」とも「あきらめるな」とも言わない。
ただ「急がないで」と言う。

ただ、マチ先生と呼ばれているこの先生に看てもらった患者さんなら共通して言えるのは、マチ先生に看取ってもらいたい、ということだろう。