読み物あれこれ(読み物エッセイです) ブログ



バーティミアス プトレマイオスの門


「ジン族のサカル、強者ヌゴーソにして銀の翼を持つヘビ!」そのバーティミアスがおいぼれ、とかジジイとか言われてますよ。
なんだか悲しいですね。
そりゃ5000年も生きてりゃ、おいぼれどころじゃないでしょうけど、異世界に歳月の風化は無関係でしょう。
もちろんエネルギーの消耗はナサニエル坊やがずーっと召喚したまま2年間も解放してあげなかったからなんですけどね。

そう言えばR.A.サルバトーレの『アイスウィンド・サーガ』に登場するドリッズトも異世界から「グエンワイヴァー」という名の黒豹の姿をした魔法生物を召喚していたけれど、地上に居るとはエネルギーを消耗するから、と役目が終れば直ぐに解放していたっけ。

全く鬼みたいなヤツだなこのナサニエル坊やは、とバーティミアスでなくても思ってしまいます。
今回は前回の『ゴーレムの眼』で活躍?した結果更に出世している。
タロー長官亡きあとの国家保安庁長官を経た後に首相のおぼえもめでたく、情報大臣という大物閣僚にまで出世しています。
しかもたったの17歳という年齢で。

ところで、このジンとかアフリートとかマリッドなんていう妖霊は、新たに生まれるという事があるのでしょうか。

魔術師は死んでも弟子が跡を継ぐ。
妖霊を召喚するのには悪魔の年鑑か何かの本で過去の実績を調べてから召喚する。

そう言えばナサニエルが『サマルカンドの秘宝』で最初にバーティミアスを召喚する時、過去の妖霊たちの実績を調べて二流どころの召し使いの記述を見て召喚したんだったっけ。
二流どころだなんてなんと失礼な。バーティミアスがその本を見たらさぞかし激怒した事でしょう。

妖霊は戦いで死に、同じ妖霊に喰われたりして死んで行く。
という事は召喚出来る妖霊の数は減る事はあっても増える事は絶対に無いでしょう。
最後にはゼロになってしまうのかな?

話が横道に行く前に軌道修正をして、前作を読んだ後の予想は見事にはずされました。
キティはジャンヌ・ダルクにもなりませんでしたし、民衆が一斉蜂起した訳ではありません。
もちろん、話の結末を書くほどの愚はおかしませんが。

今回は「プトレマイオス」というバーティミアスがいつもその人の姿を利用する古代の人がキーマンです。
おそらくはこのプトレマイオスという人も実在の人なのでしょうね。

バーティミアスにかかると過去から現在に至るいろんな事は全て魔術師と妖霊のおかげになってしまうのですが、古代エジプトやペルシャ、ギリシャ、ローマに止まらず、中国の仙人ですら魔術師扱いです。
アラビアンナイトの世界の空飛ぶ絨毯は魔術師が妖霊を絨毯に変えて乗っていた。
その頃の魔術師は妖霊を生き物以外の無機物にも変化させて利用していたのだそうです。
中国では雲に変えて乗っていたという事でした。

バーティミアスのシリーズはこの『プトレマイオスの門』で終わりです。
きれいに終っています。

続編の余地は?
バーティミアスそのものが生きているのですから、続編の余地が無いとは言えませんが、このシリーズはおそらく最初から
『サマルカンドの秘宝』、『ゴーレムの眼』、『プトレマイオスの門』で終結する様に書かれています。
1巻目でも2巻目でもまだ正体を表していない怪しげな存在の影が残りましたが、この3巻目でそれもきれいさっぱり片付きました。
ですから、続編はもう無いでしょう。

全く別の物語として、バーティミアスが登場する、という様な事があるかもしれませんが・・。

バーティミアスⅢ プトレマイオスの門  ジョナサン・ストラウド (著) 金原 瑞人 (訳) 松山 美保 (訳)



アヒルと鴨のコインロッカー


現在の語り部は大学に入学したばかりの平凡な僕。
引越しをして来たばかりの僕は隣人に挨拶をしていきなり本屋を襲撃しようと誘われる。
この物語にはもう一人の語り部が居る。
時期は現在の僕から遡ること2年前。
語り部はペット殺しの三人組につけねらわれる女性の「わたし」。
単にペット殺しと言ってもその残虐さになぶり殺しにしてしまう凶悪な連中。

現在と2年前の物語が交互に登場するスタイルです。
章が変わる毎にまるでコマーシャルで中断されてしまったドラマか映画の様にその続きが読みたくなり、結局途中で読む事をやめられなくなってしまう。そんな小説でした。

物語の主役は2年前のわたし=琴美と河崎とブータンからの留学生ドルジ。

ブータンというと大乗仏教のお国。
「人を思いやるという事を大切にする」のはどんな宗教でも一番の主眼に置いている事でしょうが、それが来世の自分自分の幸せにつながるというのが大乗仏教だったでしょうか。
ですからブータン人のドルジにとっては人が死ぬ事も悲しい事では無いはずなのですが、もの覚えの良いドルジが日本人に感化されるのは早かった様です。

ドゥックユル(雷龍の国)、ブータン。
ドルジはブータンから日本に留学に来ましたが、ブータンにとって日本から来て学ぶ事など本当にあったのでしょうか。
ブータン、パキスタン、カラコルムの僻地へ行った時にも感じましたが、集落の佇まいやその生き方は自然とともに有り、おそらく何百年何千年も前からこんな暮らしをしていたのだろうなぁ、という近代化を否定した様な豊かな生活。

現在と2年前の二つの物語はもちろん繋がっていてだんだんとその繋がりが正体を表す。
そのあたりは『ラッシュライフ』が複数の話がどこで繋がるのかさっぱり分からなかったのとは少し違って、つながるべくして繋がった、というところでしょうか。

そして主人公であるはずの僕は主人公でもなんでも無く、この物語の中ではほんの脇役でしかなかった事に自分の存在に気がつく。
ボブディランの「風に吹かれて」でが無ければつながっていさえしなかったかもしれません。
皆、人生自分が主役だと思って生きているのに語り部でありながら、主人公達のお話の最後の最後のしめくくりのしかも脇役でしかすぎなかったぼくの存在がなんとなく哀れにも思えますが、まぁ人生そんなものでしょう。

さてこの『アヒルと鴨のコインロッカー』が映画化されてこの5月12日から仙台では全国に先駆けて公開されているはずです。
全国展開は6月以降からとか。

この物語、本で読めばこそのどんでん返しがあるのですが、映画化されるとそこがどうなってしまうのかが少し気になります。
そのあたりを映画化にあたってどういう工夫をしたのか、この映画を観る時の楽しみでもあります。

では皆さんここまで読んでくださって「カディン・チェ」。
(ゾンカ語=ブータンの国語です「ありがとう」の意)

あ、そうそうこの文章UPする時にはボブディランの「風に吹かれて」をバックミュージックにいれておいてくださいね。How many roads must a man walk down・・・・

えっ、著作権の問題で無理?しかたが無いなぁ「ラ・ソー」。
(「ラ・ソー」はゾンカ語で 「ほな、サイナラ」の意)

アヒルと鴨のコインロッカー  伊坂 幸太郎 (著)



バーティミアス ゴーレムの眼

『バーティミアス サマルカンドの秘宝』に次ぐ2作目。
「世界31ヶ国で出版 ハリウッド映画制作中」と本の帯には書いてある。このシリーズも相当人気があるのでしょう。

ナサニエルは『サマルカンドの秘宝』での活躍が認められ(大半はバーティミアスの活躍だった様な気もしますが・・)
「ジョン・マンドレイク」という公式名を持ち、わずか14歳で国家保安庁の役人となり、15歳にして国家保安庁長官補佐官。
いやはや順調な出世ぶりです。

この『ゴーレムの眼』ではナサニエルは終始、鼻持ちならない生意気な小僧そのものです。
それでも読者というもの悲しいかな、主人公に感情移入してしまうものなのですねぇ。

いや、正確には主人公はバーティミアスなのでしょうが、なかなかこのバーティミアスへの感情移入は難しいですよ。
なんせ古代エジプトから古代ギリシャ、ローマ帝国やらの世界史をかじっている博識でなければなかなか感情移入出来ないでしょう。

『ゴーレムの眼』では鼻持ちならないナサニエルよりはるかに嫌悪感を抱かせる人物が登場します。
ナサニエルの上司、国家保安庁長官であるタローという人。
顔や手が黄色い。様は肌が黄色で気持ちが悪いって。
「タロー」という名前といい、肌が黄色い事といい、これって日本人をパロディってんじゃないの?
そうだとしたら、なんか夏目漱石のロンドン留学の悲哀を思ってしまいますね。
森鴎外がドイツ留学時代に熱烈な恋愛を謳歌したのとは正反対に漱石はロンドンの街でショーウィンドゥに映った自らの姿を見て、「醜い」ともっぱら部屋にこもって読書生活をしたと言われています。

とは言うものの「タロー」が何のパロディだろうと、イヤなヤツであるのに変わりは無いですが。。。

この2巻目の主役はレジスタンス団の一員であるキティとそのレジスタンス団を捜査する側の責任者であるナサニエル、そしてもちろんバーティミアス。

レジスタンスが生まれなければならないという事は魔術師達による独裁と一般人に対する差別があるからなのですが、その魔術師達も生まれもっての魔術師という訳じゃない。
貴族の子が貴族だというのでは無く、元はと言えば捨て子だったわけで、実の両親は一般人なのでしょう。
ならば、一般人も呪文を勉強すれば魔術師に対抗出来るのでは・・などと思ってしまいますが、特権階級である魔術師達がその特権を簡単に手渡すはずが無いですよね。

ジョナサン・ストラウドという人、歴史やアラブ民話なんかも詳しそうですが、なかなかに大胆ですよね。
この物語に何度も登場するグラッドストーン、偉大な魔術師帝国を築いた宰相。
その墓を荒らしたために墓守をしていた「ホノリウス」というアフリートにグラッドストーンの骸骨姿でロンドンの街中をピョンピョンと飛び回らせる。

グラッドストーンって19世紀後半の実在の英国宰相でしょう。
日本で言えば徳川家康ぐらいなら歴史上の人物としてもてあそんでいる作家はいくらでもいるでしょう。
でもグラッドストーンあたりであれば、日本で言えば少々の年代の相違はあれどほとんど伊藤博文あたりに相当しませんか?
私個人は伊藤博文を尊敬しているわけではありませんが、近代日本の初代宰相。
今やようやく憲法改正論議が出て来ましたが、そもそもは明治憲法があっての近代日本。
伊藤博文は近代日本創始者に近い人物という位置づけなのではないでしょうか。
英国にとっての同等の人物を骸骨姿で飛び回らせるって話を書いている様なものじゃないの?

しかも「ホノリウス」ってローマ帝国の残忍な皇帝の名前じゃなかったでしたっけ。
バーティミアスがアルキメデスに知恵を貸したり、なんて言うのはご愛嬌の範囲でしょうけど。

てな事はさておき、なんか3作目の展開が見えて来た様な気がしないでもないですよ。

バーティミアスがキティに語る。
カルタゴの没落、ペルシャ帝国、ローマ帝国の没落、魔術師達がその権力の座にあぐらをかいている内に、魔法への免疫力をつけた平民達が蜂起して魔術師達をその座から引きずり下ろす、という繰返し行われる魔術師達の反映と衰退の歴史を。
そして歴史から学ぼうとしない魔術師達の愚を。

そしてキティはそれをバーティミアスから学び生きている。
という事は・・・。
キティがジャンヌ・ダルクの如くに皆を鼓舞し、キティを支える民衆の一斉蜂起・・なーんて。
それは3巻目のお楽しみ、という事で。

バーティミアスⅡ ゴーレムの眼  ジョナサン・ストラウド (著)  金原 瑞人 (翻訳)  松山 美保 (翻訳)